■2017.02
日めくり 2017年02月(平成29年) ◄►
2017.02.01(水) 寒暖の差
大寒も過ぎ、立春も間近だというのに天気が暴れている。
気温が20度近くまで上昇したかと思えば、氷点下近くまで下がる。
ずっと寒いのならそれなりに気構えも出来るのだが、
一度20度を体感させられるともうたまらない。
今年の冬くらい北風を意識させられることも稀ではないか。
2017.02.02(木) 天下り
文科省で常態化していた天下りの問題について。
マスコミが異常に憤っているが、それは自分らもエリートだからではないのか。
官僚組織は管轄する関連事業者を自分たちの管理下に置きたいと考えていると、
うちの叩き上げで警察官僚になった強面の上司が言っていた。
だから行政に睨まれまいと、業者側も積極的に元官僚を受け入れる。
両者の思惑が一致する。だから天下りは後を絶たない。
社会のシステムがそうなっている以上、私は仕方がないと思っている。
省庁のトップになるほどの人材なら、どの企業も欲しい。
まして我々のような職場なら管轄当局の情報は絶対的な必須要素だ。
省庁だってトップになるほどポストが先細って行くのだろうから、
あぶれた人材を民間に送り込もうとするのも自然な流れではないのか。
結果、それによって官僚組織の老害化を防止し、若返らせることも出来る。
「天下り」という言葉は何となく気に入らないが、
締め付け過ぎた結果、要らない独立法人が量産されるのは癌でしかない。
2017.02.03(金) 体感温度とエアコン温度
先日、北風の話をしたが、
本当に北風というワードをこれほど使った年はないのではないか。
北風が1メートル吹くと、体感温度が1度下がるのだという。
・・・・体感温度ってどうやって測るのだろう。
部屋に帰ってエアコンの設定温度を25度にする。
・・・・エアコンの暖房と25度と冷房の25度ってどう違うのだろう。
そんな小さなことだが、私にはさっぱりわからない。
今年に入って僅か一ヶ月で、自分の無知を顧みることが多くて困る。
鬼は~外、福は~内。知恵は福だが、無知こそ鬼だ。
2017.02.04(土) 面会
302号室の親父の部屋から「痛てててー!」と絶叫が聞こえてきた。
覗けばリハビリの真っ最中で、「はい、あと30秒頑張って」と、
腰を浮かしたまま制止する運動を反復させられていた。
自宅から車で行けば20分程度で到着する病院だが、
平日、母は電車とバスを乗り継ぎ一時間以上かけて病院に通っている。
「見舞い」と「面会」という言葉には少なからぬ温度差がある。
現状、バンドで拘束されている親父をとても「見舞っている」とは思えない。
母も私もこの親父を帰宅させるか否かを探ってしまう。
もちろん親父がリハビリに耐えるモチベーションは家に帰ることだろう。
しかし入院から一週間、認知症が確実に進行しているのがわかる。
それでいて私の訪れを無邪気に喜んでいる。
その無邪気な表情を不憫に思う。
2017.02.05(日) 第38回 ヨコハマ映画祭
開場の1時間前に関内ホールに到着。
例によって入場待ちの長い列が建物を一周している。
今回『葛城事件』で主演男優賞を受賞した三浦友和が、
「31年ぶりにヨコハマ映画祭に帰ってきました」とスピーチ。
そうそう行った行った。あの時は『台風クラブ』で相米慎二と登壇したのだった。
38年前、横浜鶴見の小さな名画座で有志によってスタートした小さな映画祭。
ベストテンの半分は成人映画という若く尖んがっていた映画祭も、
今やマスコミのカメラが何台も通路を埋め尽くすほどにメジャーになった。
しかしドレスアップした受賞者を簡易椅子に座らせる手作り感は健在。
最初の上映は3位の真利子哲也監督『ディストラクション・ベイビーズ』。
受賞式目当てのOL、主婦たちをいきなり衝動的な暴力が直撃。いやはや笑った。
しかし私も齢をとったのか、暴力の昂揚感を受け止める感性が鈍ったようだ。
柳楽優弥のヤバさ剥き出しにも、菅田将暉の最低のクソ野郎にもどこかが拒絶する。
バイオレンスはずっと見続けてきたが、どうにも薄ら虚しさを禁じ得なかったのは、
カタルシスに昇華しない暴力に、かつてのスター映画の屍を見てしまったからだろう。
柳楽優弥が壇上で感涙に声を詰まらせ、映画でのヤバさを払拭してしまったが、
『ディストラクション・ベイビーズ』は全部で6冠。ある意味、快挙だった。
実際の上映順とは前後するが、映画祭38年で初めてアニメ映画が1位となった。
そうだった『この世界の片隅に』はアニメ映画だったか。
いやこの映画はアニメであるが故の素晴らしさを遺憾なく発揮した作品だが、
私にとってはアニメの枠を超えて日本映画史の名作との位置づけになっている。
映画と原作とを交互に体感したこの2ヶ月間。私にはハレの時間だった。
今回のお目当てはすずさんを演じたのんと片渕須直監督のスピーチ。
声の存在感で審査員特別賞に輝くのんだが、スピーチは一番下手だった(笑)
彼女の喋りが下手なのは『あまちゃん』の番宣の頃と変わらないが、
柳楽くん同様、ピュアな感性が大人たちに翻弄され、苦労したことだろう。
しかし、こうしてしぶとく復活してくるあたり、確実に何かを持っている。
映画は原作と比べ大量にすずさんのエピソードが削られることになるのだが、
その削られた部分を補って、さらに厚味を加えたのはのんの声の功績に他ならない。
『この世界の片隅に』は呉の映画館で観て、今度は監督と主演者とともに観た。
本当にこれ以上ない環境で観ることが出来て幸せこの上ないのだが、
同時に原作と並行しながら新たな宝探しのような観賞となってしまっている。
リンさんが首に懸けている赤い紐や、表紙が切り取られている習作のノートなど、
片渕監督が描きたくても描けなかった部分が傷痕のように思えてしまい、
終映後の拍手の中で、この映画に初めて触れる観客が羨ましくて仕方がなかった。
そろそろこの映画と別れてみるのもいいのかも知れない。一旦卒業しよう。
実はそう決意させたのが、ひとつ前に上映された『湯を沸かすほどの熱い愛』だった。
いやはや最高だった。単純にここまで泣き笑いで感動させてくれる映画も珍しい。
一方で私は常々、映画賞で脚本賞なるものの存在には疑問を抱いていた。
そもそも選者はまずシナリオを読んでいない。読んでいないものに賞はおかしい。
しかし『湯を沸かすほどの熱い愛』は映像で脚本の凄さを知らしめる映画だった。
コミックの映画化全盛の時代に、優れたオリジナル脚本で勝負した小気味よさ。
脚本と監督の新鋭・中野量太。まったく素晴らしい、新たな才能の登場だ。
この映画では娘役を演じた杉咲花が助演賞をとったが、主演の宮沢りえが凄かった。
主演女優賞は筒井真理子。『淵に立つ』は未見だが、本当に宮沢りえより上だったのか。
もっとも一昨年の『紙の月』での宮沢りえの受賞には、安藤サクラじゃないのかよと、
散々文句を垂れたのだったか(笑)ぜひ宮沢りえを受賞のステージで見たかった。
もちろん杉咲花も伊東蒼ちゃんもオダギリジョーもみんな良かった。
私はスター映画はともかく、映画レビューで演者を評するのは好きではないが、
この映画の成功はまず脚本があって、次にキャスティングの素晴らしさがあった。
「不治の病に冒された母の奮闘記」というげんなりするような内容も、
ここまで明るく楽しく、熱く、笑いで包み込む感動作に仕上げられると参ったしかない。
こんな具合に午前11時から夜の9時過ぎまでの長丁場。
久々に楽しい一日を過ごすことが出来た。
2017.02.06(月) 「老健」探して
仕事は代休消化で休みをもらい、
病院付きソーシャルワーカーから候補にあげられたふたつの施設を見に行く。
何度もいうようだが、この手の手続きが土日に進められないのが歯がゆい。
この分野について殆んど無知なので、言葉や用語に誤りがあるかもしれないが、
表題の「老健」とは介護老人保健施設のこと。
在宅への復帰を目標に心身の機能回復訓練をする施設で、介護保険が適応される。
もちろん私と母の希望は、今の総合病院で入院を続けさせてもらうことだが、
国の指導でそれは許されないらしい。そのためのソーシャルワーカーでもある。
こちらから希望した老健の条件は、とにかく交通の便が良好であること。
脚の悪い母が平日に面会に行けるのは、施設がバス停から1分以内の場所だ。
母を車に乗せて最寄りの二俣川や鶴ヶ峰の候補を回ってみる。
親父は転院してしまえば、おいそれと外出など出来ないだろうが、
母はやたらと周囲の環境を気にする。
窓からの景色はどうとか、庭の植え込みの手入れはどうだとか。
私などはそんなことよりも施設の充実度を見たいのだが、
そこは母に従う。親戚が面会に来た時の印象も気にしているようだ。
その老健も帰宅復帰を目的に介護保険が適用されるので、長期滞在は許されない。
いろいろなことが我が家で動き始めているが、
長い旅になりそうな予感がする。
2017.02.07(火) 欠勤明けに
職場で任されていた仕事は、ほぼ私が独占で仕切っていた。
はっきり言ってその方が業務がスムースに流れていくと確信していた。
変な話、私さえ休まなければ問題は起こらないと思っていたが、
こうした「家庭の事情」があるとその独占が仇になる。
仇となるというより幾多の弊害が露呈する。
慌てて後輩たちに仕事内容を教えているのだが、
長い独占は独善に繋がっていることもあったのだろう。
欠勤明けの今日、職場から様々な疑問が投げかけられた。
その時々の立ち位置は変われど30数年も業界に居座っている私には、
悪い意味で業界の常識に囚われているところがあり、
まだ無垢な(?)後輩たちにはクエスチョンの連続であったに違いない。
何が正解で、何が不正解なのかはわからないが、
独善すぎたことは素直に反省しなければならないだろうな。
2017.02.08(水) なぜにこれほど眠い
記憶では小学、中学時代、授業中に寝ている生徒などいなかった。
高校生になった途端に授業中、コックリやっている奴が現れたか。
でも私は高校まで授業中に寝ることはなかったと思う。
いや、別に授業に集中していた優等生では何でもなくて、
教科書やノートに文太や健サンの絵を描いているようなボンクラだった。
毎晩のように深夜ラジオを聴いていたので、睡眠時間もそこそこのはずなのに、
その頃は通学の電車の中で、座れたとしても舟を漕いだ記憶はなかった。
そんな私だが、今はもの凄く眠い、いや寝られる。
電車の駅みっつ、昼休みの残り10分。簡単に眠くなる。
仕事中も眠い眠い。こうしている間にも5分もあったら寝られる自信がある。
ここで思うのが、本当に眠らなければならない時間に眠られていないのではということ。
現実に無呼吸症群と診断され、おそらく睡眠障害の初端に立っているのは事実。
今、5分後に寝られたとしても、その睡眠の質は決して良くはないだろう。
一方で「寝てください」とお膳立てされた環境では簡単に眠りにつけない。
無呼吸の検査の夜、尿路結石で点滴を打たれながら入院した夜。
深夜の長距離バスの中でも熟睡出来た試しはない。
ましてや今の親父のように病院のベッドで拘束されながら寝られるものかどうか。
睡眠というのもこれからの人生の大きな課題になってくるかもしれない。
そもそも[日めくり]で「寝」と「眠」のキーワードを検索すると、
ほぼ毎月レベルでヒットしておるではないか。
2017.02.09(木) デモ映像を疑う
トランプ政権の発足以来、ニュース報道は様々な反トランプデモを映し出す。
まして7ヶ国の入国禁止を発令してからは大バッシングだ。
空港で途方に暮れ、号泣する中東の人々の姿を何度テレビは放映してきたことか。
それだけを見ると全米あげてトランプが糾弾されているように思う。
だいたい難民の話で、我が国にトランプを批判する資格などあるだろうか。
そもそも全米世論調査では大統領令に賛成48%、反対44%。
個人的には世論調査の類にはまったく懐疑的ではあるのだが、
「全米の世論がふたつに割れている」が今現状の真実なのであって、
決して全米がトランプ憎しに燃え滾っているわけではない。
デモ映像には常にマスコミの恣意的な世論操作が見え隠れする。
反原発にしても、安保法制にしても辺野古にしてもデモの中に熱狂があっても、
それがプロパガンダの手段である以上、マスコミの思惑でどうにでもなる。
シュプレヒコールの中でレポーターが絶叫すればそれなりの絵にはなるだろう。
「この国民の怒りの声が果たして官邸に届いているのでしょうか!?」と。
動員は朝日、毎日が主催者数字を載せ、読売、産経が警視庁数字を載せる。
そこに万単位の差異が生じようが、結局はこの程度のことでしかない。
集会やミーティングの類いも一緒。私には一方通行の慰め合いとしか見えない。
同じ思考同士が交互に喋るのを有難く拝聴し、アホがネットに拡散しているだけ。
辺野古に反対する側が沖縄マスコミを引用し「世論」を演出するのも同じ。
意見の違う同士が真っ向から対決する場でないと何の意味もないだろう。
私の見るところ決戦を彷彿とさせるイベントなどほぼ無いに等しい。
2017.02.10(金) ソーシャルワーカーから電話
仕事中に親父の入院先から電話が来た。
受け入れ先の老健(介護老人保健施設)が決まらないらしい。
夜中にベッドから這い出してトイレに行こうと試みたのが不味かったようだ。
バンドで拘束が必要な患者に対し、どこの老健も断って来るという。
そこでソーシャルワーカーから提案されたのは、
「介護サービス付き高齢者賃貸住宅」。もはやここしか受け入れ先がないらしい。
入居に30万、月の家賃が23万。
そりゃ入居に何千万もかかる施設もあるのだから、上を見ればキリはないのだが、
はてさてどうしたものだろうか。
施設の担当者と月曜日の午後2時に面談することとなった。
また代休を消化させてもらうことになる。
2017.02.11(土) 従姉とともに面会
従姉が実家を訪ねてくれた。ともに親父の入院先へ。
親父は大声で従姉の見舞いを歓迎していた。
その大声がそもそも痛い結果を招いているのだが。
そんな親父のことをさかんに愚痴る母親。
従姉にいわせれば、老人同士が自分勝手な言葉をぶつけ合っているだけだと。
そうお姉さんその通り。よくぞ言ってくれました。
耳が遠い同士の会話を聞かされるのは本当にキツいのだ。
ついでにお寿司を御馳走してくれてありがとうございます。
2017.02.12(日) お腹痛い
昨日未明より激しい下痢と嘔吐に見舞われる。
親父のことで多少は胃に来ているところに寿司の大食いが響いたか。
下痢と嘔吐のツープラトン攻撃を喰らったことは過去にそうあるものではない。
20代のまだ新社会人の頃、酒をしこたま飲んだ翌日に喰らったのと、
尿路結石で悶絶しながらゾンビのように這いつくばったときか。
アラカンになって身体や体力同様に内臓も齢を取っているのだろうか。
あー、嫌だ嫌だ。
2017.02.13(月) 面談と見学
「施設ではありません。希望にそぐわない、行き過ぎた管理は一切ありません」
「お部屋は全室個室です。プライベート空間で自由に過ごしていただけます」
聞こえはいいが、それではますます認知症が進行しやしないか……。
仕事を休んで介護サービス付き高齢者賃貸住宅の担当部長と面談し、施設を見学。
セールストークに騙されまいと身構えるも、
悲しいかな、まだ介護保険と医療保険の違いすらロクにわかっていない。
相手に質問を投げかけるほど、こちらの無知が露呈してしまう。
情無いが、私も母も完全な介護ビギナーだ。
時間が切迫しているわりには、まだリアルな気分になれないまま、
明日も欠勤する旨、職場に電話を入れた。
2017.02.14(火) サ高住、下見
介護サービス付き高齢者賃貸住宅を業界では“サ高住”というらしい。
今日は母と鎌倉にあるサコウジュウを見学させてもらった。
母としては地元の住宅(施設ではない)よりも鎌倉の方が乗り気らしい。
確かに周辺の雰囲気は横浜よりも静かで落ち着いている。
建物も新しい分だけ部屋も内装も綺麗だ。
しかしあまりに遠くないか。
病院からこんなに遠くまで介護タクシーで運ばれる親父が不憫だ。
不憫といえば、家に帰れると思い込んでいる親父に家の敷居を跨がせないのだ。
自分が建てた家なのに・・・こんな不憫なことはない。
ただ私には当然仕事がある。四六時中、親父の面倒は見られない。
85歳で足を引きずって歩く母親に面倒を押しつけることは出来ない。
別の新しい不憫をこれ以上招くわけにはいかないのだ。
親父はもう治ったから大丈夫と、でかい声で言い放つのだが、
その声の大きさで病院は別の患者を相部屋に出来ないでいる。
親父の境遇を思えば不憫だが、大声を聞く度に気分がざらつくのだ。
2017.02.15(水) 金正男、暗殺
「北の・・・」と来たら、今は「工作員」という言葉がすぐに出てくる。
しかし個人名ですぐに頭に浮かぶ北朝鮮人は決して多くない。
というより金日成、金正日、金正恩、そして金正男の四人だけかもしれない。
数年前、叔父の何とかという人が国家転覆で粛清されたが、名前は思い出せない。
そして金正男がマレーシアで殺されたニュースが飛び込んできた。
多くの人たちが、そして本人が一番いずれ殺されると予感していたが、
結局、既定路線のように殺されることの恐ろしさはどうしたものか。
命を奪われて「ああ、とうとう」といわれる人生など想像もつかない。
2017.02.16(木) 映画『サバイバルファミリー』
家族が大変な時によく映画など観てられるな・・・などという勿れ。
平日のレイト、週末の朝くらい、劇場の暗がりに身を沈めることを許されたい。
仕事帰りに渋谷の映画館で『サバイバルファミリー』をポイント観賞。
別ページの「三行の映画評」で私は批判めいたことを書いた。
予告編では “『ウォーターボーイズ』『スウィングガールズ』の矢口史靖最新作!”
矢口史靖としても十数年前も昔の作品を引っぱり出されるのは心外なのではないか。
製作にフジテレビ、電通、東宝。そして全国268スクリーンで上映。
十分に恵まれた制作体制でますますコマーシャリズムに埋没していると思った。
『ハッピーフライト』も『ロボジー』も『WOOD JOB!』もそこそこ面白かったが、
本来はそこそこという批評に収まる監督ではないはずだ。
ある日突然、電気が止まった世界に直面した家族のロードムービーとしても、
その状況で想定される事柄を盛り込んだだけの毒にも薬にもならない映画。
豪雨の中で下痢に見舞われる小日向文世や、豚と格闘する深津絵里で笑わせるのなら、
過酷な撮影に巻き込まれていく俳優たちのメタフィクションにしてもよかった。
やがて映画の撮影なのか現実なのか。仮想家族が否応なくサバイバルに突入していく。
どうだろう、こちらの方がよほど矢口らしい映画になりはしないか。
なんでこんなことを考えてしまったのかといえば、
本編よりメイキングの方が絶対に面白いだろうと思ったからで、
要するに私がいいたいのは、もうそこそこの映画は撮るなよということなのだ。
2017.02.17(金) 南風強し、春一番?
朝、玄関開けたら何やら“もぁ~”とした熱風が。
熱風は大袈裟かも知れないが、寒い日が続いたのでそんな体感だった。
天気予報では「春一番かもしれません」といっていた。
確かに強い風が梅の花を大きく揺らし、コンビニ前の自転車をなぎ倒している。
数年前に花粉アレルギーに陽性反応が出て以来、
春の訪れを必ずしも有難いこととは思えなくなっているが、
今、季節の変わり目にどうのこうのと感慨を漏らしている場合でもなく、
いろいろと始まってしまったことに対応することに精一杯。
あぁクソ、目がしばしばする。
2017.02.18(土) 簡単にいうなよ
病院付きのソーシャルワーカーと看護師長と面談。
親父の入院20日目にして、いよいよ病院の追い出しが本格化してきた。
医療的な措置はとっくに終わった。すでに介護の領分なのはわかる。
いや、そういうことがようやくわかってきた段階で、
父親の行く末を案じる身としては、もう少し悩んでいたいのだ。
ゴールを実家にするか施設にするか、人ひとりの人生の選択ではないか。
国の方針なのだというが、所詮は病院の都合でないのか。
いやそれも理解している。しかし都合で人生が決められる理不尽はどうだろう。
今週半ばには返事を出すと回答し、何とか入院を引き延ばしたが、
母の表情にもさすがに疲れが見えてきた。
2017.02.19(日) 1962年のオスカー主演男女優賞
「午前十時の映画祭」で今、上映中なのが『アラバマ物語』と『奇跡の人』。
両作ともモノクロ作品で、どちらかといえば地味なプログラムなのだが、
地味ゆえに未見であり、これを劇場で観られるおそらく最後の機会になる。
製作はともに1962年。この二作でアカデミー主演男女優賞を分け合っている。
『アラバマ物語』グレゴリー・ペックと『奇跡の人』アン・バンクロフト。
もちろん名作として映画史に名を刻んでるのはわかっていたものの、
初めて劇場で観て、これは名作というオブラートを破って、今をも衝撃作と思った。
『アラバマ物語』でペックが演じたフィンチ弁護士。
聞けば、「アメリカ映画100年のヒーロー」の第1位に選ばれたという。
もちろんオールドスタイルな稀代の二枚目ペックなので、
白人支配の土地で黒人側の弁護をする男の苦悩すら良心の偶像に見える。
現代ならばもっとリアルに生々しく葛藤する主人公として描かれるだろう。
しかしペックの颯爽とした二枚然とした佇まいがとてもよく、
アメリカ合衆国は徹底的に父性の国だが、それを象徴したペックは抜群だと思った。
それが映画のトーンを決定させ、起伏に富んだ物語を邪魔していない。
だが優れた映画だが作品賞は獲れなかった。
この年のオスカーウィナーは『アラビアのロレンス』。ちょっと運がなかったか。
『奇跡の人』は説明無用。ヘレン・ケラーとサリバン先生の物語。
私には映画よりも舞台のイメージが強いのだが、
アーサー・ペン演出、アン・クロフト、パティ・デュークは舞台からの移行だという。
それまで私にとってアーサー・ペンもアン・バンクロフトもニューシネマの人だった。
ボニ―とクライドは時代を闊歩していたし、ミセス・ロビンソンは色っぽかった。
まさかこのコンビがここまで人間の根源的な闘争本能を極限まで描いていたとは。
私はこの映画を愛情劇ではなく闘争劇だと思った。
それほどまでサリバンとヘレンの密室の対決はド迫力だった。
残念ながら私が映画を観始めた頃、アーサー・ペンはスランプだったのだろう。
40年以上経って、改めてアーサー・ペンを再認識する。
1962年。1歳か。最近はこういう感慨をもたらす映画観賞が非常に楽しい。
2017.02.20(月) 御朱印ブームが高じて
別に封印しているつもりはないのだが、好きな寺社めぐりに行っていない。
今、好き勝手に使える時間は夜と週末の朝くらいなもので、
殆んど両親のことで忙殺されている。……それは長男だから仕方がないか。
今までも神や仏に手を合わせながら必ず両親の健康を祈願してきたが、
両親をほったらかして「両親の健康祈願」もおかしな話だろう。
今、寺社めぐりは空前の御朱印ブームに湧いている。
かくいう私も朱印帳を持って寺社をめぐっていた。
六年前に平泉の中尊寺で御朱印を知り、それが縁で旅好きにもなった。
去年、西国と坂東を満願し、今年は秩父を結願するつもりでいた。
納経帳に筆で社号や御本尊を記して頂き、朱色の判を押してもらう。
その行いの何ともいえぬ気持ち良さにすっかりはまってしまったのだ。
しかし朱印帳が何冊も積み上がって来ると、どうしてもコレクション化してしまう。
寺社を参拝しつつ、御朱印コレクターになっている自分を否定するつもりはない。
しかしその御朱印をネットで転売している輩がいるという。
御朱印は本来、寺院に写経を納め、その証しとして頂くものだ。
それが簡素化したのがブームとなって、私もそれに便乗させてもらっているのだが、
高値でオークションにかけ、またそれを買う奴がいるというのだから驚く。
もちろんコレクション化してしまうとそういうことは起こるのだろうが、
それにしても御朱印の売買とは罰当りもいいところだ。
とっととブームなど去ってしまえばいいとさえ思うのだが。
2017.02.21(火) 会議は踊らず
同業他社(といってもお互い企業ではないが)を招きミーティング。
終始、和やかに進行したものの、
結局、ハラにイチモツ秘めている同士の探り合い。
結論は先送りされる。
決めるべきことは今決めてほしい。
公私とも中途半端な事案をこれ以上積みたくないのだが、
まだまだ中途半端なものが積み残されている。
どうも仕事も私生活もなかなか上手く回らない。
私生活?・・・久々に使ったな、そんな言葉。
2017.02.22(水) ついに介護サービス付き高齢者賃貸住宅と契約
昔からは想像もつかない頑迷さで周囲を悩ます親父。
その親父の身の振りどころを決めてきた。
いや身の振りどころもなにも、もう親父には行ける場所が限られていた。
介護サービス付き高齢者賃貸住宅(サ高住)。担当部長と面談し判を押した。
あくまでもリハビリで自宅復帰を目指すという名目ではある。
しかし背中に冷やりとする罪悪感は禁じ得ない。
明後日、金曜日に病院からここに転居させることを決める。
親父はまだそのことを知らない。
2017.02.23(木) みんな疲れてる
耳元で相当な声で話しかけないと聞き取ることが困難な親父。
もはや耳が遠くなったというレベルではない。
自分の声もロクに聞こえないのか、やたらと声がでかい。
試しにテレビのイヤホンを付けてみるとあまりの大音響にのけぞってしまう。
聞こえなくなることの悪影響で、相当の疑心暗鬼に陥っているのが参る。
看護師と話していると、自分に聞こえぬよう密談していると思ってしまうのだろう、
やたらと会話に入って来て「もっと大きな声で話せ」という。
別にヒソヒソ話をしているつもりではないのだ。
実は母親も声がでかくなっている。話しかけても返事がないことが多くなった。
車の中で普通に話していても「もごもごと話されると聞こえない」といわれ、
聞き返されると、こちらも面倒になってどうしても返事がおざなりになる。
ならば二人とも聞こえるための努力をせえよとなる。
親父は補聴器を試したようだが、まるで合わなかったらしい。
母親は、、、多分、補聴器などあっという間に失くしてしまうだろう。
コミニュケーションが不調になると、親子といえギスギスした空気になる。
私もこの一年間でめっきり口が悪くなった。
「馬鹿」「あほ」「ぶざけんな」を連発する。親に対していう言葉ではない。
こうなると年を食った子供が三人いるようなもので、
病室に三人でいると居ても立ってもいられなくなり、一秒でも早く去りたくなる。
アパートに戻ってひとりになるとホッとするのだ。
多分、実家で母親も同じ気分なのではないか。
たった三人の家族がバラバラに住んでいる状態。
いいわけはないのだが。
2017.02.24(金) 親父、“転居”
親父にもプライドがあるだろう。尊厳を傷つけられたくもないだろう。
しかし当日まで親父には退院を知らせなかった。
下手に知らせると夜のうちに余計なことを考えてしまうに違いない。
余計なこと?・・・ほぼこちらの都合だけの話なのだが。
朝、親父に「さ、この病院には居られないからリハビリ施設に転院だ」と告げ、
闇雲に着替えさせて車椅子に乗せる。正確には転院ではなく転居だ。
散々苦労をかけた看護師たちも総出でエレベーターまで見送りに出てくれる。
そんな「退院シーン」に機嫌よさげに車椅子から手を振る親父。
そのまま介護タクシーに乗せてサ高住まで運び、その後を母親と着いていく。
施設に着いて待っていたのは膨大な契約書の説明と署名、捺印。
病院から施設へ。劇的に変わったのが医療から介護だ。
適応される保険が違う。こちらは介護保険と医療保険の境界などまるでわからない。
そこに数々の制約と約束がある。
リハビリ施設など名ばかりで、住居から訪問介護サービスを受ける体裁。
看取りまで行うというので、胃ろうから電気ショックの許可まで署名し、
延命措置を「やる・やらない」まで確認される。
そんな重大なことを親父抜きでこの数分間で決めろというのか。
部屋に置いてきぼりにされ、不安になったのか親父が怒鳴っている。
仕方なくヘルパーが親父を車椅子に乗せて連れてやって来る、
慌てて「家族として延命治療は望まない」にチェックを入れた。
2017.02.25(土) 映画『ラ・ラ・ランド』
ららぽーと横浜にあるシネコンのレイトに行く。
実家帰りに夜の国道を走れば20分とかからない。
映画は話題の『ラ・ラ・ランド』。申し訳ないがポイントでの無料観賞だ。
ミュージカルなら最良の音響がいいと思い、500円足してIMAXシアターをチョイス。
ところが大好物のシネマスコープの横長大画面が、IMAXだと上下が黒味で覆われる。
予告編から本編開始でむしろ画面が縮小したのには唖然としてしまった。
500円で文句はいわないが、二度とIMAXでシネスコ作品は見ないと心に誓う。
もちろん『ラ・ラ・ランド』の評価とは関係のない話。
映画は文句なく面白かった。評価以前にこういう話は大好きなのだ。
今はこのレベルの辺境ページでも極度にネタばれを回避する傾向にあるものの、
浜村淳のネタばれ解説の洗礼を受けた者として、ざっくり踏み込ませてもらう。
(観賞予定の方はここから以下は読まない方がいいかもしれない)
まずミュージカルの体裁をとっていても、歌って踊ってハッピーな映画ではない。
そしてセブとミアの恋は見事に成就しない。
その成就しないほろ苦さが抜群に爽やで、むしろ晴れやかな余韻を残すのだ。
ミュージカル場面の多くは主人公たちの心の真実として展開していくので、
歌って踊る場面が非現実的な絵空事になっていないのが面白い。
これはむしろミュージカル映画といえないのではないかとさえ思った。
(これがミュージカル映画なら『時をかける少女』だってミュージカル映画だ)
そもそも天文台でのオールドスタイルのミュージカル場面はかなり下手だった。
往年のMGMミュージカルと比べるつもりはないが、歌も踊りも大して上手くない。
それがまったく失望にならない。むしろそれがいいのだとさえ思う。
彼らはアステアとロジュースのようなエンターティナーではないのだ。
ナンバーの数々は最高。セブのピアノのソロ曲もいいし、“City of Stars”もいい。
エンディングロールで流れるエマ・ストーンのハミングもいつまで心に残る。
失恋という自覚がないまま時が移ろい、二人の人生は大きな山を越えてみせるが、
一曲のメロディが別の人生をフラッシュバックさせる。この映画最大の見せ場だ。
そうだ、私たちには別の選択もあったのだ。女の子が男の子に変わったとしても。
幾分、セブの表情にミアへの未練があったようにも見えなくもない。
それは女と比べ、男がそういう生き物だから仕方がない。
2017.02.26(日) 親父、不憫なり
朝、訪問看護師から電話。
「お父さん、陰嚢付近に出っ張りがあって、おそらくヘルニアかと思われます」
陰嚢、即ちキンタマの辺りがダッチョウになっているという疑いだ。
日曜は病院も休みなので、明日検査することになったのだが、
そもそも今までの入院先で、それが判らなかったのが理解できない。
とにもかくにも例によって「検査など冗談じゃない」と喚く親父を説得。
挙句の果て「何で帰れないんだ」とまた言い始める。
昨日、テレビを入れたばかりだが、骨折の痛みも癒えてきて、
一人放置されている思いが強くなっているのだろう。
親父の身になると不安だろうし、理不尽にも思うだろうが、今はどうしようもない。
それにしてもキンタマのダッチョウとは。。。。
新年早々、酔っ払って湯船に籠城し、息子に引っ叩かれて素巻きにされて以来、
ずっと親父の不憫が続いている。
2017.02.27(月) 鼠径ヘルニアだと
親父は母親と介護タクシーに乗ってまた入院していた病院に行く。
病院から施設へ移すのにあれだけ神経を使った先週末が馬鹿らしい。
診断は「鼠径(そけい)ヘルニア」。またネズミが出てきた。
鼠径部とは太ももの付け根付近のことで、そこが膨らんでいるらしい。
その膨らみとは、内臓を保護している腹膜や腸の一部が飛び出してきたもの。
看護師は親父に聞かれて、わかりやすく「キンタマのダッチョウ」と答えたのだが、
親父が「キンタマがダッチョウ?ふざけんな!」と怒鳴った気持ちもわからんでもない。
さて手術をするか、このまま放置するか家族で話し合えという運びになった。
親父は案の定「この歳で今さら何かしたって仕方ないだろう!」と断固拒否らしい。
私もいい加減、親父に要求を積み重ねるのにうんざりしているので、
「親父の気持ちを尊重したらいい」というと、母親が猛反発。
「もう認知も進んでいる人間に判断させるのはあまりに無責任だ」と。
まぁそれもそうかもしれないが、母親がいっぱいいっぱいになっているのが気になる。
まず自分たちは鼠径ヘルニアという新たな課題に対してあまりにも無知。
放置していいものかどうか、悪化するとどうなるのか、どの程度の手術なのか。
せめてネットの検索レベルでも最低限の知識は得る必要があるのだろう。
ただでさえ医療と介護の狭間でわけわからん状態に、妙な宿題が増えた気分だが、
何よりここで母親に倒れられたらたまったものではない。
2017.02.28(火) 2月が終わる
昔から2月という月に良い印象はなかった。
とくに日銭商売をやっていた頃は、通常月より3日も少ないのに経費は同じ。
資金繰りに窮して金策に飛び回るまではなかったものの、いろいろと面倒だった。
季節が激しく蠢いて落ち着かず、寒暖の差が激しいので体調を崩し易い。
先月末の[日めくり]で「2月は穏やかに過ごしたいものだが」などと書いて、
隙を見るように映画にも出掛けたが、穏やかさからはほど遠かったように思う。
幸いなことは、去年末まで狂騒的としか言いようがなかった仕事が落ち着いたこと。
おかげで代休消化で親父の一連の手続きも出来たのだが、
元来、遊び好きの身としては、代休を使って羽根を伸ばしたかった。
溜まっていたクレジットカードのポイントで関西旅行も考えていたのだが、
結局、老眼が進んだので眼鏡の新調に使ってしまった。
さて3月は・・・楽しみもあるが、過度の期待は止めておこうか。
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