■2015.04

日めくり 2015年04月(平成27年)         



2015.04.01 花冷えの神宮球場

途中から雨になって、肌寒さが3割増となった神宮レフトスタンド。
時折、ちらちらと桜の花びらが舞う、プロ野球2015年シーズン初観戦。
やはりビジターの虎はグレーのユニがいい。
結果は2-1で逃げ切る。ヒヤヒヤ具合でさらに肌寒さ2割増しという試合か。
しかし先発の岩本輝が良く投げた。7回無四球。低めにボールを集めていた。
正直、昨年活躍した岩崎優と混同していて右投げに「あ、そうか」という感じ。
とにもかくにも勝ってやれやれだ。
ハックション!ぶるぶる・・・


2015.04.02 低気圧

冬の最中のバカ陽気に「4月初旬の陽気」などというが、
4月の始まりは結構寒いのだ。
桜は晴天の満開時に関西に行っていたので殆んど拝まずじまい。
桜を愛でるわけでも、毎年、花見で一杯やるわけでもないが、
今年はタイミングがあまりよろしくなかったようだ。
桜はともかく、雨が続くと洗濯物の処理に困る。
旅から帰ってようやく洗濯機をまわす。
明日の関東地方は昼ごろに陽が射すものの、夜には雨模様だという。
それから先はしばらく寒い日が続き、陽も射さないらしい。つかえねぇ。


2015.04.03 よっしゃ勝った!

三本間での狭殺死が3度。スタンドで観ていて何たる拙攻かと天を仰いだ。
それでもタイガースは巨人に勝って勝利の凱歌をあげる。
どこからか虎キチたちの会話が聞こえてくる。
「それでも勝つのが首位と最下位との差だな・・・」
もうタイガースファンは巨人が相手ならそういうことを言いたくてたまらないのだ。
阪神球団創立80年の節目。
こんな会話はそうそう出来るものではない。
まだ開幕して7試合目のことなのだが(笑)。


2015.04.04 沸点

何故だか親と話すと普段の何倍も沸点が下がってくる。
ちょっとしたことですぐに目を剥いてしまうのだ。
目の前に電気シェーバーを置いて「鼻髭を剃れ」と言われて、
思わず「うるせーな!休みの日ぐらいいいだろ」と怒鳴ってしまう。
この時は瞬間に頭に来たのだが、
しばらくすると怒鳴られた親が可哀相になってくる。
この瞬間の沸点・・・何とかならんものだろうか。


2015.04.05 大阪からアーチスト来る

ハンドルネーム「アーチスト田淵」が大阪からやって来た。
東京ドームでの待ち合わせから、新幹線改札口で見送るまでご一緒した。
彼は阪神タイガースのみならず野球への造詣が深く、ずっと一目置いてきた。
知り合ったのは阪神球団の公式HPの掲示板。
割とすぐに意気投合し、東西でお互いの観戦日にエールを交わし合ったものだった。
その彼と12年後にドームの野球殿堂博物館を見て回るのも不思議な気分だった。
野球博物館の展示品を見て回るのにこれほど最良のパートナーはいない。
彼の博学ぶりには本当に驚かされ、大いに勉強になった。
しかし彼のビジター観戦での戦績は非常に思わしくなく(笑)
名古屋遠征では山本昌のノーヒットノーランに遭遇し、
本人曰く“待望の東京ドーム観戦”で虎の巨人戦1000敗目を観てしまう。
そして今日はレフトスタンドで相手ルーキーに2安打初完封の負けを喫した。
あゝ東京ドームでの勝利の味をぜひ味わってほしかった。
巨人ファンの大声援を「あとひとり」「あと一球」で掻き消す無上の快感。
甲子園では味わえない、敵地ならではの快感だ。
試合終了後に水道橋のさくら水産でビールを煽りながら、
「大阪から疫病神がやって来て申し訳ないですわ」と本人は謙遜する。
いやいや不甲斐ない試合をやったチームが悪いのだ。
ただ、ひとつの事実として私の東京ドーム連勝記録が5で止まった。


2015.04.06 何にもない夜は

映画も飲み会も野球もない、何にもない夜。
やることはひとつしかない。天気はよくないが洗濯だ。
今週は週末までぐずついた天気が続く。
しかし部屋干しを嫌がっている場合ではない。シャツもパンツも在庫切れだ。
思えば、休日に一日中部屋に籠っていると否応なしに掃除と洗濯はやる。
その機会がずっとないものだから、部屋は荒れ、洗濯物はたまる。
忙しければ荒れ放題も気にしなくなる。
洗濯機、掃除機の使用は午後9時までというルール、止めてもらえんかな。


2015.04.07 寒の戻り

急激な寒さに、最初に思った言葉が「花冷え」だった。
しかしこれは桜の花が咲く頃のこと。
「寒の戻り」と言うのが正しい。
それにしたって昨日は23度まで気温が上がったのだから戻りすぎだ。
まだ南風が吹いていた昨夜の夜半に窓を半開きにしているのを忘れていた。
いやはや冷えた冷えた。思わずぶるっと来て夜中に目が覚める。
完全に寝冷え。無精者には極端な寒暖の変化は厄介なのだ。
それでも「一度脱いだコートは着ねぇぜ」と玄関を出た。
ニュアンスとしては「宵越しの金は持たねぇぜ」に近い(なんでだ?)


2015.04.08 雪かよ

傘をたたく雨が重く感じられる。
どうもただの雨ではない。みぞれが交じっていたのではないか。
何と八王子では積雪もあったらしい。
桜が咲く頃の雪はないこともなかったが、散った後の雪は珍しい。
天気予報によれば昨日の寒さは海流から吹く寒風が原因で、
今日のは上空に溜まっていた低気圧が下りてきたのだそうだ。
上空マイナス2.5度。ビルからの映像だと都心の上空に雪が舞い、
地上に降りる前に溶けて雨になっていく様子が映し出されていた。
パラオに旅立つ両陛下も、搭乗時は気の毒なくらい背中を丸めている。
体調を崩すことのないよう祈るばかりだ。


2015.04.09 天皇陛下のパラオご訪問

もともと歴史の授業で太平洋戦争の詳細など習ったことはなく、
戦記物や映画などでニューギニアやインドシナの激戦を知り、
硫黄島、レイテ、ラバウル、ガダルカナルなどはかろうじて知識としてあるのだが、
パラオのペリリュー島で日本軍1万6千人がほぼ全滅した戦史など知らなかった。
おそらく全滅に近かったゆえに語り継がれる機会も少なかったのかもしれないが、
日本人としてこれは恥ずべきことなのだろうと思う。
パラオなんて南国の楽園として、環境ビデオなどを売っていた記憶しかなく、
まさか今も不発弾がゴロゴロ転がっているなどとは想像もしていなかった。
天皇陛下ご夫妻の慰霊としてパラオ訪問は積年の願望だったと聞く。
その強い思いが、我々にペリリューという名前の島を教えてくれた。
いつものことながら、ご夫妻には心から感謝しなければならない。


2015.04.10 あ~あ。。。。

横浜DeNAベイスターズによもやの3タテを喰らう。
甲子園でベイ相手に三連敗など殆ど記憶にないことだ。
今季の虎に楽勝試合がひとつもないことは気掛かりだったが、
ここにきて脆さを思いっきり露呈させ始めたのではないか。
呉昇桓を酷使しすぎるといわれていたものが、もう一週間も休ませている。
そもそも開幕の中日戦三連勝だって、下手すれば三連敗の目もあったのだ。
そうなると今季の虎に期することはたったひとつ。
「せめて自分が球場に行ったときだけは勝て!」だ。
次回の球場観戦は5月2日の東京ドーム。
その時まで戦力を立て直してもらわなければならない。
あ~あ。。。。


2015.04.11 立石寺の1050段

まだ寝雪が残り、桜も蕾の山形に行く。
実は山形にはほぼ初めて訪れた。
本籍を置く新潟県村上市から少し足を延ばせばいいのだが、山形市は内陸に位置する。
メインの目的は山寺・立石寺の登山参拝。
朝から煙草を断つ。何せ奥の院まで1050段の石段を登らなければならない。
雨が降りしきる中、山形駅に到着早々して仙山線に乗り換えて山寺駅に。
結論からいえば、1050段は意外と苦もなく登り切れた。
雨の中、カッパをまとっての一直線の石段なら相当にしんどいだろうが、
根本中堂、山寺日枝神社、性相院、金乗院、中性院、華蔵院を訪ねながら奥の院に至り、
この山だけで九つの御朱印を拝受。山全体が霊場になっている荘厳さに打たれる。
有名な「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句はここで詠まれたという。
芭蕉を魅了した静寂は、残念ながら選挙カーのけたたましい騒音に破られてしまったが。


2015.04.12 米沢から寒河江に

2日目はレンタカーを借りて米沢に向かう。
もう360度、山に囲まれている。どれが蔵王か、羽黒山か、湯殿山か、月山か。
囲まれているというよりも、山が迫ってくる感じ。
米沢城址には「毘」の旗印が棚引く。上杉氏の菩提寺があり御廟がある。
謙信だけではなく、上杉鷹山、直江兼続、今、脚光を浴びている前田慶次。
米沢は豪傑、知将の輩出には事欠かない土地のようだ。
甲府の武田神社を訪れた時は日本シリーズでホークスの武田にひねられたが、
今日は幼名を虎千代、その後は景虎、輝虎を名乗った謙信を祀る上杉神社だ。
見事にトラは鳥谷の起死回生の逆転ホームランで連敗脱出。
・・・って、そんなことはどうでもいいか。
旅に出ると普段の何倍も気分が高揚すので、距離感や効率など二の次で、
米沢から山形市内を通りこして寒河江まで足を延ばす。
寒河江の本山・慈恩寺には国の重要文化財の十二神将立像があるのだが、
なんと上野の国立博物館に出張中だった(泣)。


2015.04.13 菜種梅雨

山形から菜種梅雨の首都圏に帰ったのだが、体感温度は少しも変わらない。
しかし山形は路肩に退かされた雪が山のようだったし、桜も開花前だった。
ホテルのテレビで見た天気予報では県全域に雪崩れ注意報が出ていて、
「朝に霜が降りるので農作物の管理にお気を付けください」と呼びかけていた。
こちらは歩道を埋めていた花びらも掃かれて、すっかり葉桜となっている。
昔のように帰路が一日がかりだとしたら、さぞ季節のズレに感慨もあっただろう。
にもかかわらず、たったの二時間半。新幹線のスピードの成せる業だとしても、
これほど相違する季節をたかが二時間半で飛び越えていいものだろうか。


2015.04.14 眉をひそめるのが関の山・・・

イスラム過激組織ボコ・ハラムによる女生徒拉致事件から一年が過ぎた。
我々の目はつい中東に向かいがちだが、アフリカでの惨禍は正に地獄そのものだ。
街の住人、学校の生徒そのものがジェノサイド(集団殺戮)の対象となっており、
失われた人命の数たるやもはや想像を絶するに及んでいるのだという。
実は想像を絶すると書きながらも、我々は現状を想像することすら難しい。
アフリカ人の命があまりにも軽く扱われているのは殺戮ばかりではなく、
それを伝える報道も随分とぞんざいなのではないか。
そして、そのことを強く感じているつもりの自分も単なる傍観者にすぎない。
だから女生徒集団拉致事件についてもおそらく傍観者のままなのだろう。
ノーベル平和賞のマララ・ユスフザイさんの発言には注目するし、
彼女たちの行く末を案じもする。無事に家族の元へ帰還することを願いもする。
「Because I am a Girl(女の子だから) 世界の女の子たちに、生きていく力を」
プランジャパンの車内広告に「大変なんだな」と同情しつつも、
寄付をしようとまでは思わない。所詮、自分もその程度の日本人なのだ。
ただ「女の子だから学校へ行けない」と訴える広告の並びに、
満面の笑顔で「こんな私が医学部に!」とガッツポーズの予備校の広告。
少しは配置を考えろよと、眉をひそめるのが関の山といったところか。


2015.04.15 因果応報

同点に追いつくところまでは出来るものの、そこからが勝ちきれない。
再三のチャンスを逃したところで、相手にワンチャンスをものにされてしまう。
開幕の京セラドームで連日のサヨナラ勝ちをした虎が、
同じことをナゴヤドームで竜に返される。因果応報か、どーしようもねぇな。
やはり俺が行かなきゃダメなのかと、4/21横浜スタジアムに乗り込むことにした。


2015.04.16 通勤のプロになれ

毎年4月になると電車の遅れが目立つ。
電車内は凄まじいラッシュだし、ホームにも人が溢れかえっている。
通勤に慣れていない新入社員や新入学生たちが電車を無駄に遅らすのだ。
先の電車が遅れれば当然詰まるし、後の電車が遅れても時間調整で遅れが出る。
ドアがカバンに挟まっただの、非常停止ボタンが押されただの、
ターミナルの渋谷駅着はまず10分以上の遅れを覚悟しなければならない。
そもそも3月末頃の定期券売り場の行列からして尋常ではなく、
彼らが大挙して朝のラッシュに押し寄せると思うとげんなりしたものだった。
この状態はほぼ6月頃まで続き、その辺りになると皆がそれぞれ慣れてくるのだが、
分散乗車も含め、とっとと通勤のプロになってくれよと願いたい。


2015.04.17 キンキンも逝ったか

最初に愛川欽也の名前を知ったのは深夜ラジオの人気DJとしてだった。
TBS『パック・イン・ミュージック』の水曜深夜はよく聴いた。
軽快なマシンガントークに「ポール」「タマタマ」「テトラ」などの単語が飛び交う。
『トラック野郎』の頃は菅原文太も半分酔っ払って乱入していたものだったし、
永六輔、黒柳徹子の飛び入りで番組が井戸端会議になるのも楽しかった。
役者としてのキンキンは愁嘆場の芝居が臭すぎて好きになれなかったが、
しかしジャック・レモンの吹替えは絶品だった。
『アパートの鍵貸します』『お熱いのがお好き」などは今でも吹替えで見たい。
私がビリー・ワイルダーを敬愛するようになったのはキンキンのおかげなのか。
その後、テレビのサスペンス劇場の常連となってからは親しみも失せ、
『11PM』などで左翼色の強い発言が増え始めて完全に鼻白んでしまったが、
『アド街』の司会で殆んど喋らなくなっていたのは、見ていて少し辛かった。
なんだかんだ言っても、我が青春を彩ってくれた一人であることは間違いなく、
天に召された「やもめのジョナサン」に心から哀悼の意を表したい。


2015.04.18 ろうろう

「ろうろう」と入力してスペースキーを叩くと「朗々」「浪々」と変換される。
自分が母親を付き添って病院で見たのは「老老」の群れだ。
「老老介護」などと言われるが、年寄りの車椅子を押す初老の男女。
受付横の鏡には83歳の婆さんの手を引く54歳の白髪交じりのおっさんの姿。
まだ自分たちは若い方かもしれない。
本当に病院は近い将来の日本の映し鏡。この光景はいずれ街に溢れるのだろう。
心がざわめくというより、なんだか笑うしかないような。


2015.04.19 『午前十時の映画祭』ニューシーズン始まる

何だかんだで『午前十時の映画祭』も今年で5年目を迎える。
正直言ってラインアップも小粒になったのは致し方ないところか。
死ぬまでに一度、どうしてもスクリーンで観ておきたい作品は終わったか。
ラインアップ30本中で劇場未見作が7本では少々寂しい。
もちろん『死刑台のエレベーター』や『東京物語」との再会は楽しみではある。
しかし『十戒』『史上最大の作戦』辺りの上映を期待していたのが本音。
スタートは『リトル・ダンサー』。この映画の初見は平塚のシネコンだった。
それでも『リトル・ダンサー』ですら15年前の作品ではある。
いやはや面白かった。この作品がここまで素晴らしかったのかと目から鱗だ。
いや上映中、目から出ていたのは鱗ではなく涙だった。
まったく・・・加齢とともに涙腺が緩みっぱなしなのは困った事態。


2015.04.20 春嵐-SHUNRAN 2015

このタイトルは毎年、シリーズ化しているのだが、今年の春は嵐らしい嵐がなく、
今回は見送りかなと思いきや、今も窓の向こうは激しい雨と風が凄まじい。
去年の「春嵐」がひと月も前だったので、気象学的には違う種類の嵐だろう。
南風が吹く雨の日はとにかく蒸れて仕方がないので、上着は置いて玄関を出た。
さすがに電車の中にはまだコート姿もいて、上着なしは一車両に一人二人くらいで、
おまけにデブばかりだったが、蒸し暑いものは蒸し暑いのだ。
言うまでもなく、デブは寒さは凌げても、暑さにはめっきり弱い動物。
・・・待望のシリーズ「春嵐」なのに、書く内容がデブのこととは情けない。


2015.04.21 よう勝った

今季、最初の横浜スタジアム。レフトスタンド最上段で岩田の快投を眺めていた。
緩いボールに140キロ前半のストレートを低目に集めて飄々と投げている。
こういう投球を維持する岩田は大崩れはしないので、わりと安心して観ていた。
6回までひとりのランナーも出さない快投。
「おお、まさか完全試合が観られるのか!」と心が面白がり始める。
スタンドもあとアウト9つかいな。と次第に色めき立ってくる。
7回、トップバッターの石川にデッドボール。スタンドが「あーあ」の溜息。
でもまだノーヒットノーランがある。と思う間もなく梶谷にレフト前。
しゃーねぇな、ほな完封で。と思う間もなく連打を食らって2点献上。
岩田に完全試合が潰えたショックはなかっただろう。まだ残りイニングも3回あった。
しかし、ショックだと思われないように後続を打ち取ろうとする力みはあった。
飄々と緩いボールで打者を翻弄していたマウンド捌きはすっかり影を潜め、
これはもう限界と誰もが察知すると、ベンチから和田が出て来て交代を告げる。
彼に求めるのはただひとつ。素人にそういう心の動きを見せないこと。
終わってみればゴメスの決勝打と、呉昇桓の三者三振締めで快勝。
岩田はパーフェクトやノーヒットノーラン、完封より、まずは勝ち星だ。


2015.04.22 大人のムード歌謡

テレビショッピングで衝動買いした「大人のムード歌謡5枚組90曲CD」が届いた。
早速スマホに取り込んでBluetoothでスピーカーに飛ばして聴いている。
銀座の恋の物語/東京ナイト・クラブ/今日でお別れ/ラブユー東京/夜の銀狐/さそり座の女/別れても好きな人/長崎は今日も雨だった/星降る街角/君恋し・・・・
90曲中、9割方は歌える曲ばかりだ。子供の頃からの刷り込みは恐ろしい。
ムード歌謡というジャンルはすっかり芸能から消えてしまったが、
今のジャニーズ、AKBに席巻された歌謡界より成熟したショービジネスを感じる。
いや、もはや「歌謡界」という言葉も死語か。
ラテン調に演歌調、そしてコーラス。昭和歌謡のなんと豊潤なことか。
夜があり、酒があり、港があり、そこに男と女がいる。
ずっと聴いていると・・・・さすがに愛の大安売りにゲップが出た。


2015.04.23 電車内がどうも息苦しくなった件

人間は加齢とともに身長が縮んでいくのは分かる。
一体、何歳ぐらいから縮んでいくのだろう。
ここ数年、検診のたびに自分の身長が縮んでいく。
高校生の時に思いっきり背筋を伸ばして177㎝を記録したことがあるが、
先の検診では175㎝だと言われて「えー?」となった。
確かに姿勢の悪さだったり、骨格が歪んでいるというのはあるだろうが、
この歳で毎年縮んでいるというのはどういうことだろう。
そもそも朝の満員電車が息苦しく思える。周りが高いのだ。
少なくとも以前のように人の頭を見降ろすことがなくなってきたような気がする。
実際、日本人の成人男子の平均身長は170㎝を越えているのだから、
自分よりも背の高い奴は珍しくもないのだが、息苦しい満員電車は勘弁願いたい。
満員電車の中で耐えているOL達から「贅沢いうな」と叱られそうだが。


2015.04.24 健サン、改めてありがとう

2月より三回に渡って開催された新文芸坐での高倉健・追悼上映会。
上映自体はまだまだ遺作の『あなたへ』まで続くのだが、
『日本侠客伝』『網走番外地』『昭和残侠伝』以外の未見だった東映作品を観てきて、
今夜の『日本やくざ伝・総長への道』を以て一旦終了することにする。
東映時代の作品とそれ以降の作品を大別すると、
「俺たちの健サン」と「皆様の健サン」ということになるのだろうか。
奇しくも1961年から1971年まで十年の軌跡を辿ったことになり、
俳優・高倉健が確立していく過程をジグザグ状に再確認することが出来た。
同時に、騒然としていた時節に健サンに熱狂した時代の息吹も窺う。
そう今も、殴り込みを決意し、イントロが鳴った瞬間の大衆の昂揚が伝わってくる。
“俺たちから皆様へ”風化せずに最後までスターだった映画俳優を他に知らない。。
本当に健サン、改めてありがとう。


2015.04.25 『Melody』の思い出

1971年の公開当時、旭化成のCMで『小さな恋のメロディ』の映像が使われていた。
バックに流れていたのはトワ・エ・モアの歌だったか。
映像はバレエのレッスンを受けるメロディをダニエルがガラス越しに覗く場面。
子供ながら、女の子を好きになる瞬間に妙な説得力を感じたものだった。
この映画を観るたびにその時の感覚が疼いて面映くなってしまうのだが、
もうひとつ思い出があって、中学の時のクラス別の音楽コンクールで、
他のクラスが「なごり雪」や「翼をください」を選曲していたのに対して、
ウチのクラスは「メロディフェア」をやった。曲を提案したのは私だった。
考えてみると映画の主人公たちが11歳なので、早生まれの私と同級生ではないか。
残念ながらマーク・レスターもトレイシー・ハイドもその後はパッとせず、
ジャック・ワイルドは9年前に52歳の若さで亡くなっていた。
『小さな恋のメロディ』がヒットしたのは世界中で日本だけだと聞く。
確かに改めて観て、映画史に燦然と輝く名作とは言い難いのかもしれないが、
気まぐれに卒業アルバムをめくるように、たまに観たくなる映画ではある。


2015.04.26 北鎌倉から

職場の同僚たちを北鎌倉から鎌倉駅まで案内した。
円覚寺、東慶寺、浄智寺、円応寺から建長寺を経て鶴岡八幡宮まで歩く。
同僚のお母さんも参加し、足が悪いのに建長寺の半僧坊まで登ったのは立派だった。
寺社めぐりというより、遠足とかレクレーションみたいな感じだったが、
陽光もうららかな中、なかなか楽しい日曜日を過ごした。
もっともそれなりの鎌倉通を気取っていたので、ボロが出まいかとハラハラもした。
道中、喫煙可能スポットを把握していたのに感心されて、
妙なところで鎌倉通の面目を保ったというオチではあったが。


2015.04.27 新人歓迎会

新人と言っても先月に警視庁を退官したばかりの還暦過ぎの人。
そうやって自分は一切出世せず、上司が順繰りに変わっていく職場なのだが、
最初はある程度まで仕事を教え、助言を与えたりもする。
そして、いずれ時期が来ればその人の指示で動かなければならない。
『愛と青春の旅だち』のフォーリー軍曹の役どころとでも言おうか。
あれだけの罵詈雑言を浴びせられれば気分も違ってくるのだろう。
自分の出世?それは全然どうでもよくなっている。マジで。


2015.04.28 筋肉痛はないのだが

一昨日の鎌倉行でそこそこ歩いたので筋肉痛はないかと聞かれた。
俗に歳をとると翌々日に筋肉痛が来ると言われているが、
思いっきり歩いたり坂を上ったりすれば翌日から痛いものなのだ。
今回は筋肉痛はないものの、身体がひどく疲れているのは感じる。
筋肉痛などという解りやすい症状の方がマシで、どんよりした疲れは厄介。
このところ休日に惰眠を貪ることをまったくしていないのだが、
そういう一日をそろそろ身体が欲しているかもしれない。


2015.04.29 昭和の日

そもそも「昭和の日」からGWの始まりなのだろうか。
30日、1日に休みをとれば12日間という夢の大型連休となるが、
残念ながら職場の雰囲気は連休で滞る中の貴重な平日という位置づけだし、
実際、日本の8割を止めるという中小企業はそういうものだと思う。
ただし「昭和の日」が来ると気分はもうGWだ。
昨日の夜からGWの計画を立てながら朝方まで夜引いてしまう。
では祝日に思いっきり寝て過ごしたかといえば、昼から鎌倉へ。
このところ毎週のように鎌倉に行っているが、
鎌倉のお寺めぐりと、山と海の魅力もさることながら、
いつもの通勤と逆行して下りの電車に乗る解放感がいいのだ。
もっとも人間も昭和の日に逆行しているのだが。


2015.04.30 阿修羅原の死

ある時代に客席とリングとで同じ空気を吸い、熱気を共有してきた存在だ。
プロレスラーの死には、スクリーンで接する映画スターとは違う特別な思いがある。
衝撃もあるが、頑健な肉体が残像として残る分、ある種の哀感を禁じ得ない
日刊スポーツの一面トップにプロレスラー・阿修羅原の訃報が載った。
悲報には違いないのだが、原の死去に際して一面の扱いは少し嬉しかった。
もう引退して時も経ち、正直、武骨で不器用な突進力だけのレスラーだったが、
「龍原砲」に思いを寄せた記者がいたことがこの訃報に救いを感じるのだ。
それにしても天龍源一郎がリングを去るのと同時にこの世を去るとは。
訃報に対して「ありがとう」といえる存在の死はこれからも続くのだろう。

                           

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