■2011.12

日めくり 2011年12月(平成23年)         


2011.12.01 今年も中島みゆきNIGHT

晩秋から初冬に四年連続で彼女の歌声を聴きにいく。
今年は昨日と温度差-13℃。冷たい雨が降りしきる中での『夜会』。
目まぐるしく装置や仕掛けが変っていく中で、右に左に駆け回りながら、
最後は歌の力で圧倒したような舞台だった。
「今年は、日本も世界も、生き物が踏んだり蹴ったりの年でした。」
カーテンコールの挨拶で語った中島さん。
今年もようやくあと一ヶ月で終わる。


2011.12.02 気にしすぎの虫

引越しをしたものの、未だに住所が変った旨の知らせを出さずじまい。
一年間は旧住所宛の郵便は新住所に転送されるのだが、
はがき一枚でもメールでも出しておけばよかった。
このタイミングだと、いかにも年賀状を寄越しなさいというようなものだと、
何だかそう思われるのも口惜しいので、こちらからの年賀状でお知らせしたい。
私は「気にしすぎの虫」を飼っているが、たまに頭をもたげてくるから困る。


2011.12.03 舌禍ばかりの

失言→メディアが騒ぐ→厳重注意→野党追及→謝罪→国会停滞→辞任→任命責任。
こうして、二言三言の舌禍で毎度のように政局が作られていく。
それにしてもこの政権、発足して以来舌禍事件が多すぎる。
言葉狩りに躍起なメディアも大概だが、それ以前に舌禍の内容が幼稚すぎる。
ここでこんな発言をしたらどうなって、どんな影響をもたらすのか。
あまりの無頓着ぶりが驚きであり、恐ろしい。


2011.12.04 「最悪のシナリオ」だったはずのこと

福島第一原発の事故が起こった当時、我々はメルトダウンをひたすら恐れていた。
もし核燃料が鋼鉄の原子炉の底を突き破り、格納容器に到達したらどうなるのか。
あの時のメディアは連日、給水による冷却作業を報じていた。
おそらくその時が原発のニュースとして最もセンセーショナルだったのだろう。
既にメルトダウンは起きて、最悪のシナリオとされていたことは現実となり、
核燃料は格納容器のコンクリートを溶かして65センチも浸食しているという。
ところが今のニュースはこの事態をトップで扱うことはない。
麻痺による飽和は原発事故というセンセーショナリズムをも凌駕するのか。
日本の危機だったはずだったものが「行程表の見直しを検討」にまでトーンダウン。
麻痺して、飽和して、日常化して、すっかり風化して、そして忘れてしまう。
本当にこんなんでいいのか。♪人間なんてラララーララララーラ だ。


2011.12.05 NHK朝ドラ「カーネーション」

「ちりとてちん」の頃とは私自身の朝のスケジュールが変ってしまったため、
第3週目あたりから毎日録画しては就寝前のお楽しみにしている。
しかしヒロインがパッチ100枚を縫い上げるあたりまでは面白かったが、
その後はまるでダイジェストを見るようで、ドラマが薄味に思えて困っていた。
パッチ屋の大将、根岸先生、百貨店の支配人たちは捨てキャラかいなと不満もあった。
ところがヘタレの勘助が戦争からPTSDとなって帰還したあたりから、
ドラマは緊張感が増し、ある種異様なテンションになって目が離せなくなってきた。
しばらくは緊張を高めるだけ高め、どこかのタイミングで一気に解放する。
多分「カーネーション」はこれから一秒たりとも見逃せなくなるのではないか。
そんな予感がしている。


2011.12.06 一発目の忘年会

職場の忘年会。これが今年一発目の忘年会となる。
一発目といっても20日の胃カメラ次第でその後はないのだが・・・(汗)。
そこで顧問をやってもらっている元福岡県警の方に夜桜銀次の話を振ってみた。
博多事件の山口組300人一斉検挙など、東映映画で観てきた話がリアルに語られ、
幡随院長兵衛、玉井金五郎など伝説的な九州侠客の男意気もたっぷりと聞かされた。
火野葦平が玉井金五郎の息子というのは知らなかったので「へぇ~」となりながら、
捜査四課のOBからヤクザの男意気を聞くという妙な気分を味わった。


2011.12.07 早うせんかい!!

朝、駅近くのコンビニでサンドウィッチかおにぎりを買うのが日課になっている。
何せ朝ことなのでそれなりに電車の発車時間は気になるもので、
レジ並びでチンタラされると思わず舌打ちしたくなる。
バイトの接客もスローモーなら、前に並ぶ客もグズグズと釣りを財布にしまっている。
「早うせんかい!」と寸でのところで口に出そうなところをなんとか我慢。
携帯電話にチャージしてあるEdyで会計を済ませ、速攻で改札口へ。
何とか電車に飛び乗って携帯電話を出そうとしたらポケットにもバッグにもない。
結局コンビニに置き忘れてしまったというお粗末だ。
職場の電話で所在確認しているのを周囲に見られて失笑を買う。
・・・最近、こんなんばっかり。


2011.12.08 永遠の嘘をついてくれ

先日、赤坂で観てきた「中島みゆき『夜会』」のブログでも書くかとなって、
参考にとYouTubeにアップされた過去の『夜会』の舞台などを観る。
結局、画像に見入ってしまい、ブログに手につけるどころではなくなってしまう。
そして毎度のように「つま恋2006」の吉田拓郎とのコラボをクリックする。
http://www.youtube.com/watch?v=O9Bsp72aUbM&feature=related
すべての虚飾を脱ぎ去ったような中島さんは何度観ても潔い。
“凛とした佇まい”とはまさにこういうことではないのか。
大きく手を振って喝采に応え、去り際に坪倉唯子と握手を交わすカッコよさ。
それを受け止めた拓郎もまたカッコいい。大好きな二人の奇跡のコラボだ。
各々のソロでみゆき節、拓郎節と目まぐるしく変節するメロディ。
シジィになってジジィの唄を歌う拓郎ももっと見たいので心から復活を願いたい。
投稿されたコメント欄の熱さにウルウルしながらどんどん夜が更けていく。


2011.12.09 ワンクリック詐欺

エロサイトのワンクリック詐欺の被害が急増している。
そんなニュースが掲載された新聞の切り抜きを上司が持ってきた。
エロ画像をクリックするとIPアドレスが表示され登録完了という画面が出る。
3日以内に指定の口座に金を振込まなければさらに高額の請求をするという。
中にはその登録画面がPCを再起動しても消せないという悪質なものもあるらしい。
ということで、実際どういうものなのか上司のPCでデモってみることにした。
試したエロサイトではIPとプロバイダを表示して5万円を請求してきた。
対策は無視すること。間違っても問合わせフォームに書き込んではならない。
「なるほどねぇ、いやはや詐欺の手口も高度になる一方だ。ありがとう」と上司。
別にこの程度のことは高度でもなんでもないのだけどね、と内心思いながら、
「はい、PCに無知で気の弱い人なら5万振込むかもしれませんよ」と説明する。
それから就業時間も終わり、職員が全員帰宅したオフィスでひとり、
必死こきながら再起動しても消えない登録画面を相手に悪戦苦闘。
・・・まったくPCに無知な奴とは誰だい? 俺だよ!


2011.12.10 海へ

平泉以来、すっかり寺社を参拝してご朱印を戴く楽しみに目覚めている。
そこで久々に好天の週末ということもあり、江ノ島神社を目指した。
きっかけは中村勘太郎が弁天小僧の由来を紹介する旅番組だったが、
何せ電車一本30分で行ける、活のいい魚が食える、何より海が見たい。
思えば住処から江ノ島へのアクセスの良さには無頓着すぎていた。
腹も満たされ、弁財天でお参りを済ませたあと岩屋まで腹ごなしに歩いてみる。
辺津宮、銭洗白龍王、八坂神社、庚申塔、中津宮、奥津宮、龍宮。
いやいや江ノ島がこんなに神々に囲まれた霊験あらかたな島だとは知らなかった。
稚児ヶ淵では視界のすべてに白波が躍る中、トンビが夕陽にシルエットのように舞う。
やがて潮が波を足元まで運び出すと、雲が切れて誰かに見せたかったような富士山。
灯台にイルミネーションが輝いて人が集まり出したのをきっかけに退散。
ここまで江ノ島を堪能したのは小学校の遠足以来だったかもしれない。


2011.12.11 映画の宣伝

「感動しました」「涙が止まらなかったです」「勇気を沢山もらいました」
いつからだろう?試写会での観客インタビューを宣伝に使うようになったのは。
私はあれがどうしても好きになれない。しかもどんどんわざとらしくなっている。
OLらしき二人組に「○○サイコ―!」とタイトルを叫ばれても鼻白むばかりだ。
「明日からまた頑張ろうって思いました」 ・・・って、嘘こけってんだ。
“構想十年!巨額の製作費!大ロケーションを敢行!総力を結集した一大巨編!!”
やはり映画の宣伝はこうでないと、血沸き肉躍るロマンは伝わってこない。


2011.12.12 「いちご白書」はもう二度と

仕事帰りにリバイバル上映の青春映画を観る。
映画館のデジタル化が来年中にはほぼ網羅されるということで、
従来の35mmフィルムでの上映は消滅していくのだそうだ。
確かにプリント代が製作費を圧迫していたのは事実だったし、
『ニューシネマ・パラダイス』のようにフィルムは燃える。だから技師には資格がいる。
しかし、かつてある映画監督が「映画は電気ではなく化学変化だ」といった。
フィルムを現像所にまわし、どう仕上がったのかをじっと待つ。
カメラマンから照明マンに至るまで活動屋たちはそこに命を懸けていた。
デジタルは映像に革新的な飛躍をもたらすのだろうが、
何か大切なものも失うのではないかと、40年前の映画が呟いていたような。


2011.12.13 絆

毎年恒例の「今年の漢字」が清水寺の奥の院で披露された。
なんだろう・・・、「絆」と書かれると、むしろ破滅的な衝撃がイメージされる。
それでも、どんな絶望から生まれた小さな「絆」であっても、
紡いで紡いで大きく広げていくことを願いたいし、求めていきたいと思う。
ただ、いつも今頃になると去年の漢字一文字など忘れてしまう。
どうしても忘れられないのが2003年の「虎」だっりもするのだが。


2011.12.14 忠臣蔵

毎年この日に必ず話題となるのが、日本人が大好きな忠臣蔵。
しかし、この話ってそんなに面白いのだろうか。
そもそも刃傷に至った内匠頭の「私怨」は謎のままだし、
敵を欺くため、遊興に耽る大石の行動も何んだかよく解らない。
確かに芝居で吉良上野介が悪役を演じることで痛快な勧善懲悪は成立する。
だけど雪の降るド深夜に精鋭47名にカチ込まれた老人はたまったものではない。
そもそも頭に血がのぼった若造に一方的に斬りつけられたばかりか、
本所の片田舎に隠居させられ、赤穂の襲撃に怯えながら世間の非難を一身に浴びる。
それから300年も経っても、未だに赤穂と吉良の立場は変わらないまま。
そんなことを考えていたらNHK『歴史秘話ヒストリア』でも取り上げていた。
一度でいいからすっきりと腑に落ちる「忠臣蔵」が観てみたい。


2011.12.15 電車内の広告

時節がら電車内には大学受験生の募集広告が増えてくる。
これが二月も終わると一斉に予備校の広告に替わるのも風物詩のひとつ。
「日本史も、世界史も、はじめは誰かの自分史だった。」
かつて駒澤大学の広告コピーには「上手い!」と思ったものだが、
ところがこのたびの駒大の広告は、
「今がんばっていることの意味は 未来の私にしかわからない」と来た。
悪くはない。教育産業の広告として急所はついているとは思う。
しかしこのコピーはどこか痛い気がする。
そう思える自分が痛いのかもしれないが・・・。


2011.12.16 冷温停止宣言

「冷温停止」が野田佳彦から宣言された。
しかし今後の課題は山積みで、疑心暗鬼の中で祝勝ムードとはいかず、
反原発のジャーナリズムからは一斉に批判が投げつけられた。
日本政府のプロパガンダと報じた海外メディアもあるくらいで、
それは政府の対応も含めて事故から今までの経緯を思えば仕方ことではある。
本当なら安全宣言はIAEAなどの国際機関にやってもらいたい。
しかし階段の踊り場でひと息ついた程度のものであったとしても、
命懸けで復旧作業に従事している作業員たちに対してはきちんと感謝する。
「ひとまずお疲れさま。この後も宜しく頼みます」
この気持ちがない限り日本に明日は来ない。極端な話なのはわかっているが・・・。


2011.12.17 IMAX-THEATRE

フィルムへの郷愁は永遠に拭いきれないものの、
映画のデジタル化に関し、アナログな発言ばかりでも時代なのだから仕方がない。
おそらくトーキー化、カラー化のときもそのつどアレルギーはあったのだろう。
そこで普段の倍近い入場料を払って最新設備のIMAXシアターで観てみた。
確かにスクリーンの鮮明さや音響の良さは体感できたと思う。
しかし40年近く昔のシネラマ方式、センサラウンド音響の迫力と比べてどうか。
床から天井まで視界を覆う巨大スクリーンに地響きのような重低音のサウンド。
IMAXも所詮、あの頃の技術がいかに凄かったかの傍証に過ぎないのではないか。
映画は楽しめたが、画面があまりにも電気的であることの違和感は拭えなかった。


2011.12.18 THE MANZAI

昨夜は映画を観ていたので番組は録画していた。
M-1からTHE MANZAIへ。フジがお笑い利権を強奪したような番組作りだった。
豪華にはなったが、進行がもたつく場面もあり、4時間の枠はあまりにも長かった。
それでも最終四組のボルテージの高さに救われたように思う。
バンクブーブーの優勝に文句はないが、ナイツのブッ込みには思わず拍手した。


2011.12.19 金正日死去

今年は内外でいろいろあるものだ。
これから、あの国はどう変わっていくのか、変らないのか。
アジア関連株が軒並み下落した。
市場はアジアが不安定になると見ているのか。
出来るなら安定してもらいたいものだが。


2011.12.20 忘年会ドタキャン

私には相性が良くなかったのだろうか。
そもそも人間の胃はカメラが入り込むようには作られていない。
いやいや痛かったのなんのって、半分冗談だが殺されるかと思った。
十二指腸に軽い炎症がみつかったのと、胃の粘膜が荒れているということで、
年に一度のレントゲンは必ず受けろという診断結果で済んだのだが、
今も喉にヒリヒリとした痛みが残っている。
とてもではないが酒を飲む気にはなれず、予定していた忘年会は不参加。
願わくは、胃カメラを飲む必要のない病気で死にたい。


2011.12.21 訃報相次ぐ

訃報はYahoo!のトピックスに突然現れる。
昼間は森田芳光の死が伝えられる。
映画監督と映画ファンというごく当たり前の関係だったが、
『の・ようなもの』から『武士の家計簿』まで、
この人とは同時代を伴走してきたという自負がある。
そして夜になると“まだら狼”上田馬之助の訃報。
ああ、とうとう上田もなぁ、とため息が出た。


2011.12.22 四の五のいわず受け入れろ

1キロ当たり100ベクレル以下という条件つきで、
黒岩知事が東日本大震災の瓦礫を受け入れる意志を表明した。
そもそも東京でやれたことが神奈川にやれないことはないのだ。
ところが、やはりというか情けないというか県民から反対の声が。
「放射性物質を含んだ瓦礫の拡散自体が問題だ」と来た。
何を綺麗ごといってるんだか。心配しているのは拡散の問題じゃないだろ。
あまりに悲惨な災害を被ったうえに、瓦礫まで地産地消しろってか。
こういう時、必ず子供がダシに使われるのだが、
相州魂も地に堕ちたものだ。こういう地域エゴが一番頭にくる。
相州魂なんてものがあるのかどうか知らないが。


2011.12.23 天皇誕生日

健康状態が心配される天皇陛下が78歳の誕生日を迎えられた。
陛下の公務の過酷さは周知の通りだが、その公務をこなしながらも、
私的行事として古式の装束での祭祀は年間30回を超えているらしい。
身を削って国民のために祈り続ける姿を思い浮かべると涙が出そうになる。
ところが週刊誌の中吊りには皇室の「あーでもないこーでもない」ことが躍る。
ジャーナリズムがタブーに挑戦している姿をよほどアピールしたいのだろうが、
幼い内親王の顔をオウム死刑囚と並べる無邪気さがジャーナリズムといえるのか。
そもそもこのたびの震災でどれだけ被災者が皇室の人たち励まされたことか。
散々と風評被害をまき散らした週刊誌が、皇室を弄る非礼こそ日本の恥だ。


2011.12.24 長谷寺へ

母親を車に乗せて長谷寺へ行く。
私に生まれなかった弟が居たらしいことはおぼろげに聞いていた。
無数の小さなお地蔵さんに蝋燭を灯して供養した後は、ご朱印を頂戴し、
観音様、阿弥陀様、大黒様を参拝し、弁天窟の十六童子にもお参りをする。
鎌倉の長谷といえば大仏殿が有名だが、長谷寺だけでも半日は過ごせる。
岩船産コシリカリ10㎏と塩引きの鮭を貰って早々に実家を後にした。
不幸にもひとりっ子となった男は戴くものは戴き、親不孝もひとり占めか。


2011.12.25 うるうる

昨日、朝の放送を見逃してしまって、実家で昼の再放送を観たのだが、
勘助があまりに不憫だったし、無言の安岡のおばちゃんも気の毒だった。
さすがに年老いた両親の前で涙ぐむわけにもいかず、
今日、改めてアパートで録画を見てうるうるさせてもらった。
クリスマスに朝ドラを見ながら一人涙するおっさん・・・・てか。


2011.12.26 年末

年末になると仕事が忙しくなる。
この当たり前のロジックを理解しようとしない人たちがいる。
そこを理解出来ないと、早出や残業の必要など理解されるわけがない。
やれなければ来年に持ち越せばいいんだという役人体質。
悪い人はひとりもいないのだけど、
要するに給料はどこから出ているのだということなんですよ。


2011.12.27 仕事納め

デスクに並べられたケータリングの寿司と中華と缶ビール。
いつもこの日は「来年もここで仕事納めが出来るのか?」と思ってしまう。
しかし、乾杯の後に持ち込まれた仕事にきちんと対応したことに感動。
愛してるぞ。


2011.12.28 離党届

民主党に離党届を出した9人。
この政権の求心力の弱さはわかりきっていたのだが、
なにせ比例が7人。彼らは「民主党」と書かれた票で国会議員になった。
離党を止めろとはいわないが、議員は辞めろといいたい。
職場放棄しながらも身分だけは残すとは「やらずぼったくり」かいな。


2011.12.29 池上へ

♪ 池上線が走る町に あなたは 二度と来ないのね ~
そういえば西島三重子の古い歌があった。あれは名曲だ。
そんなわけで池上線に乗って池上本門寺へ出掛けてみた。
ここには力道山の墓があり、胸像が置かれている。
よく大一番を前にレスラーが墓前に必勝を誓う姿が専門誌の表紙になるのだが、
仁王門で再興された仁王は猪木がモデルだし、節分の豆まきにレスラーが呼ばれる。
そんな意味でプロレス好きには有名な寺院ではあった。
ところが、居合わせた案内好きのおじさんが教えてくれたのが、
五重の塔の建立発案が徳川秀次の乳母。紀州徳川家ゆかりの墓が並び、
他には七代目松本幸四郎、尾上松助、幸田露伴、永田雅一、溝口健二、市川雷蔵から、
三代目片岡仁左衛門、大野伴睦、児玉誉士夫まで錚々たる名が並ぶ。
歴史的にも西郷隆盛と勝海舟が江戸城無血開城の話し合いをした舞台となった。
まったくプロレス界の鎮守くらいに思っていたとはとんでもない話だった。
本当に無知は恐ろしい。
初詣を間近に控え、参拝客受け入れの準備を進めてる最中なのか、
御朱印を戴ける本堂の床に工具が散らばっていのが可笑しかった。


2011.12.30 輝く!日本レコード大賞

実家で両親とおそらく30年ぶりくらいにレコード大賞の中継を見る。
もうレコ大の絶対的な権威など昭和の昔に失墜しているのだろうが、
AKB48、KARA、東方神起などの合間に北島三郎に3曲歌わせる。
お茶の間で家族そろって観るという前提には、むしろ涙ぐましいものを感じた。


2011.12.31 激動の2011年終了

今年は50代の最初の年。
年頭に平穏な一年であることを祈願したのだが、大変な一年になってしまった。
初めて経験した震度5、衝撃の津波映像、原発事故。世の中は相変わらず不況。
カレンダーを取り替えられたくらいで何が変わるのかと思うが、
とにかくいろいろな価値観が一変した2011年など、早く終わってしまえと思った。

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