■2018.07

日めくり 2018年07月(平成30年)       



2018.07.01(日) 今年も半分過ぎまして…

今年も「半分過ぎたか」と思う。
必ず7月1日にはこれを考える。
去年の今頃は思ってもいなかった展開としては、
我が家は叔母がすっかり住人と化して、母と毎日姉妹喧嘩。
脳に瘤がある母としては、血圧を上げないか心配ではあるが、
叔母が掃除、洗濯、炊事を引き受けてくれているのは有難い。
そして面食らう。一年の半分が過ぎたことの早さより、
57歳という齢が瞬く間に過ぎていく早さ。年より加速度的に齢をとっていく。
気がついたら、ありとあらゆることが手遅れになっているのだが、
それは精神年齢の未熟さゆえ、ありとあらゆることに気づきが遅れたということ。
「ボォーと生きてんじゃねぇよ!」とチコちゃんに叱られそうだ。


2018.07.02(月) まさに灼熱

職場ではベランダが喫煙ブースになっている。
いやはや暑い。暑いなんてもんじゃない、熱い。
しかも直に熱風を浴びせてくる室外機。暑さの2乗だ。
これ何とかならねぇかとボヤきつつも、
このご時世、まだベランダで一服出来るだけマシとなる。
それにしても灼熱とはこのこと。
2年後、本当にオリンピックなんてやれるのか。
やっぱり、、、やるつもりなのか。


2018.07.03(火) 只今、午前5時

悔しかったり残念な結果に際し、思わず両手で頭を抱えるポーズ。
私はこれをどうしても好きになれない。
日本人は基本的にこんなリアクションをとらない筈だ。
一斉に頭を抱えるサッカーのサポーターに対しては、
お前ら欧米人かよと苦笑してしまう。
W杯決勝トーナメント。日本は強豪ベルギー相手にベスト8に挑む。
アディショナルタイムもあと僅か、しかしゴールを割られた。
その瞬間、私はあろうことか彼らと同じように頭を抱えてしまった。
まだ試合の評価が出回らない内に感想を書いておく。
悔しい、残念無念、惜しかった、でも日本代表よく頑張ったと思う。
同時にヌカ喜びさせやがって、とっとと寝てしまうのだった。とクサってもいる。
後半、乾の無回転がネットを揺らしたときはガッツポーズをしたものだった。
……うーん、何とか逃げ切れなかったものか。
試合終了のホイッスルと同時に泣き崩れる選手たちを見ていると、
今回の日本代表がいかに過酷な時間を過ごしてきたのかが窺え、
結果として濃密な数日間を過ごさせてもらったことに感謝しようか。
お疲れ様。


2018.07.04(水) 毀誉褒貶の末に

報道によるとサッカー日本代表の監督がドイツ人監督に内定したという。
西野監督が帰国するかしないかの内の電撃解任ではないか。
まだ日本健闘の余韻が冷めやらない内の、この早すぎる展開に驚いた。
なんで監督を交代させてしまうのだろう。
W杯までとの約束があったにしても、協会は慰留に時間をかけてもよかった。
確かに4試合戦って、勝てたのは10人相手のコロンビアだったのは事実だろうが、
西野ジャンパンが僅か2ヶ月で味わった様々な毀誉褒貶は本当に激動だった
しかし毀誉褒貶があったからこそ、そこに西野戦術も浮かび上がったではないか。
俄か西野ジャンパンファンには冷や水を浴びせられた監督交代劇だ。


2018.07.05(木) 絵に描いたような汚職だが

文科省の高官が、私立大学支援事業の対象校に選定されることの見返りに、
自分の子を東京医科大学に合格させてもらったとして、収賄容疑で逮捕された。
文科省ならずとも業界と監督官庁との関係の中で、
おそらくこれに近いことは今まで何度も行われていたのだろう。
表題の通りまったく「絵に描いたような汚職」だと思ったが、
この汚職事件は金銭の介在がないだけ、罪の意識も薄かったのかもしれない。
確かにパチンコ業界に警察退職者が再就職するのも似たようなものではないか。
もっというと我々の職場も似たり寄ったりなのかもしれない。
まぁ私には関係のない医学界の話ではあるが。


2018.07.06(金) ホテルメトロポリタン池袋に480人

毎年7月恒例のわが職場主催の講演・研修会。
代議士から官公庁、警察OB、防犯協会からAV業界、スカウト連中まで、
取り締る側と取り締まられる側が一同に会した480人。
もし雨が降っていなかったらキャパ超えの500人はいったのではないか。
盛況はいいことだが、少々、人集めに奔走し過ぎた嫌いありだ。
しかも懇親会の大宴会場は今年から禁煙。
とうとう禁煙十字軍の進軍は酒席をも制圧したわけか。
スモーカーたちは吸えないとなると飲み食いに走るしかないのだが、
それで余計に口が重たくなって会話がイマイチ弾まない。
30年来の旧知の仲間たちは早々に会場を後にしてどこかへ飲みに行き、
会が打ち上がって、そこに私も合流することになったが、
皆、先に飲み食いしてしまっているものだから、やたら煙を吐いているだけ。
酒は進んでないし、中には箸を割っていない輩もいる。
60に届こうかという男が集まって、割り勘でひとり1、000円程度。
週末の稼ぎ時というのに、居酒屋には非常に申し訳ないことをした。


2018.07.07(土) 大雨特別警報

“数十年に一度の重大な災害が予想される”「大雨特別警報」。
この警報が九州、四国、近畿、東海に次々と発令された。
数十年とはあまりにざっくりした括りだが、
前線が西日本を中心に猛威を奮い、甚大な被害をもたらせている。
それが驚くべきことに台風ではなく梅雨前線だという。
関東は先月中に梅雨明けしたというのにどういうことなのか。
とくに広島。気の毒なことにまたも多くの家々が土砂に埋まった。
実家でも親父の部屋でも土砂崩れと濁流が氾濫している茶色の世界が映されている。
夜8時。関東ローカルでは千葉で発生したマグニチュード6.0の地震に切り替わる。
震度5弱。こちらは幸いにして大したことはなかったようだが、
サッカー中継では、画面の端に死者数と安否不明者数がカウントアップ。
とても気軽にサッカーを楽しむ気分にはなれない。
そういえば今日は七夕だ。
願い事を綴った無辜な短冊の多くは泥に流されていったのだろう。


2018.07.08(日) オウム麻原、死刑執行

私はまったく死刑廃止論者などではなく、被害者感情の方に身を置く立場だ。
一昨日の朝、オウム真理教の麻原彰晃死刑囚の刑が執行された。
麻原がこれ以上真実を語る気がないと確信したのなら、もはや税金の無駄遣いであり、
戦後史でも稀有な残虐集団の首謀者として当然の執行ではあると思っている。
ただ驚くべきことは麻原以外の幹部死刑囚たち6人も処刑されたことだ。
しかもそれがリアルタイムで報道され、「公開処刑」として物議を醸している。
なぜ7人もの処刑を一気にやる必要があったのか。
なぜ、それがリアルタイムでマスコミの知ることとなったのか。
それにしても、新実智光、井上嘉浩、中川智正、遠藤誠一、土谷正実、早川紀代秀。
これら信者の顔と名前を、当時、どれだけ刷り込まれてきたことだろう。
まさか麻原と殉死させようなどとの法務省の“仏心”ではあるまいが、
あまりにも拙速すぎるのではないか。
おかげで様々な憶測を呼ぶこととなる。
来年は天皇の退位、新天皇の即位と祝賀行事があり、
再来年は東京オリンピックで世界から日本が注目されるタイミングだ。
これは何となくわかる気もするのだが、
安部政権のイメージ刷新説に、“検察協力者”井上嘉浩の口封じ説となると、
これはこれで法曹界のオウム事件に匹敵する気持ち悪さが見え隠れする。
テレビの「公開処刑」のインパクトは計算外の副産物だったとしても、
なぜ損得とまではいわないが、世間から疑問視される方向に行ってしまうのか。
まさか大雨の甚大な被害のどさくさを見越していたわけではないだろうが、、、
稀代の嫌悪すべき事件は、またも嫌悪する形で幕を閉じることになった。


2018.07.09(月) 『パンク侍、斬られて候』はパンクだったか

石井岳龍監督、宮藤官九郎脚本の『パンク侍、斬られて候』を観る。
5月に文芸坐の大杉漣追悼オールナイトで『蜜のあわれ』を観た時、
石井岳龍監督もとうとう老境に差し掛かったかなと思った。
『逆噴射家族』以来33年ぶりの観賞。当然ながら石井聰亙の名で馴染んでいる。
もちろん、それ以前の高校時代に自主映画『高校大パニック』の大評判があり、
『狂い咲きサンダ―ロード』『爆裂都市』と、自主映画出身監督として、
8mm小僧からすれば石井聰亙はトップランナー中のトップランナーだった。
石井岳龍に改名した理由のひとつに盟友・山田辰夫の死があったと聞いたが、
時代も世代も瞬く間に過ぎて、私にとって石井聰亙は過去の人との印象があった。
そこにパンクを冠にした映画が封切られる。
61歳、どこまで弾けることが出来るのか。
しかし冒頭から石井岳龍の映画ではなく、いかにも宮藤官九郎の作劇が展開される。
いのうえひでのり演出の劇団☆新感線『蜉蝣峠』は、クドカンの書下ろし台本だったが
とにもかくにもあの舞台そのままの雰囲気で映画が進行していくので、
ああ石井もパンクの根幹をひと世代下のクドカンに託したのかと思えてしまう。
ただクドカンはひと昔の石井聰亙よりずっと堅実に仕事をこなせる才人であるのは、
初期の『GO』や『ピンポン』で見せた驚くべき構成力で証明済みだった。
決して小ネタを積み重ねるだけのハチャメチャさが持ち味という脚本家ではない。
確かに『パンク侍、斬られて候』はハチャメチャな展開とキテレツな描写が連続するが、
そこに「こんなんでいいのだろうか・・・」と我に返るナレーションが入って来る。
それではパンクにはならない。スターたちの怪演による単なるナンセンス時代劇だ。
確かに綾野剛、浅野忠信、永瀬正敏、染谷将太、豊川悦司の怪演ぶりは楽しく、
それのみで最後まで何となく楽しく観られたのは確かだ。
しかし、それではあまりに石井岳龍の存在が無きに等しいではないか。
と思っていたところ、エンドロールで原作が町田康であることを知る。
町田康といえば今や現代文学の旗手ともいえる芥川賞作家だが、
かつて『爆裂都市』でバイクの後ろで狂気を振りまいていた町田町蔵ではないか。
そう思うと学生時代に観た『狂い咲きサンダ―ロード』『爆裂都市』の印象が、
『パンク侍、斬られて候』と大して違わないことに気がついた。
そうか、元々私は石井聰亙の映画を前のめりに観たことなどなかったのだ。
そもそも私がパンクのなにを語れるというのか。


2018.07.10(火) 悪くない『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』

このシリーズも資本がディズニーに移ってから量産体制に入ったのだろうか。
矢継ぎ早の公開はスター・ウォーズのインフレ化か。ブランド価値の低下が心配だ。
この新作は監督交代劇もあり、70%以上は撮り直しとなったと聞く。
ならば公開を急ぐべきではなかった。
交代したロン・ハワードに残された時間は僅か3週間。
いかな有名監督といえど、それでは内容を掘り下げる時間がなさすぎる。
この新作、どうにも評判的にも興行的にもよろしくない。
人気キャラクターのハン・ソロの若き日を描くスピンオフということで、
企画そのものにはファンは「待ってました!」と食いついてもよさそうなもので、
チューバッカとの出会い、ミレミアルファルコンに乗り込むきっかけなど、
ハン・ソロが持っているアイテムも魅力的なものが多い。
まず彼はウエスタンヒーローを思わせる痛快なアウトローだ。
だからレジスタンスの自滅劇ばかりが展開する、近年の流れを止めることを期待した。
私は高校の夏休み、テアトル東京で観た『スター・ウォーズ』こそが第一作で、
決して“エピソード4”などではないと固く思っているのだが、
あそこで本来、私の愛するアメリカンニューシネマの時代が終らされたわけなので、
近作がニューシネマ的に傾斜しているのはあまりに無責任すぎるという持論がある。
正直「暗黒面」やら「スカイウォーカー家のサーガ」やらが煩わしいのだ。
さて、この最新作は妙なシリアス情緒が完全に払拭されていたわけではなかったが、
先ずは痛快冒険活劇への原点帰りはある程度果たせたのではないかと思っている。
その意味でも、近年のシリーズ新作の中では格段に面白く観られた。
ソロがウエスタンヒーローである以上、最初の見せ場は大列車強盗だ。
SFでレールを走る列車は造形もユニークで面白く、ワクワクさせるものがある。
アクションの凝り方も、シリーズでも出色の出来栄えだったと思うがどうだろう。
個人的にこういうワクワク感を覚えることはこのシリーズでは珍しく、
宇宙船のバトルは、他人がやっているゲーム画面を後ろから眺めている感覚だったが、
それがこの列車強盗のバトルでそう感じなかったのは、
やはり列車強盗そのものが活動写真の原点であるからかもしれない。
ただソロとチューバッカとの出会い方は悪くなかったと思うのだが、
ふたりが友情を深めていくようなエピソードがもうひとつ欲しかった。
ベタな浪花節で結構。ウエスタンヒーローなのだから。。。ああ、時間がなかったのか。
ミレミアムファルコンをめぐり、若き日のランドとの絡みも悪くないだけに残念。
もちろんオールデン・エアエンライクがハリソン・フォードと似ていない不満はあるし、
もっと正義に目覚める以前のソロの不良の魅力が前面に出してもよかったと思うが、
総じて、最近の『スター・ウォーズ』の中では楽しむことが出来た一篇ではある。
・・・・多分、賛同者は少ないと思われるが。


2018.07.11(水) 噂の『カメラを止めるな!』を観た

都内でまだふたつの単館でしか上映されていないインディーズ映画が凄い。
そんな噂が聞こえて来た。なんでも熱狂的なリピーターが続出しているらしい。
ならばと金券ショップで割引チケットを購入し映画館に駆けつけた。
監督も出演者もまったく無名。見るからに超低予算。しかし素晴らしい映画だった。
素晴らしいどころの話ではない。これは大傑作だと思った。
かつて観ている途中からまた観に来るぞ、と決めさせてしまう映画などあったろうか。
この文書がいつアップされるのかまったくわからないが(笑)
とても内容は書けない。今はソンビ映画だったとだけ書いておこう。
エンドクレジッドが流れ、館内に感動の空気が充満する。
観客が『カメラを止めるな!」を共有した瞬間だ。私はそれを「共犯関係」と呼ぶ。
そんな空気の中、映画のキャストが飛び入りでステージに上がるサプライズもついた。
「こんな売れない役者しか出ていない映画に来てくださってありがとうございます」
拍手喝采。こんなに温まった空気の中で映画館を後にするのはいつ以来だろう。
私としては珍しく『この世界の片隅に』ですら買わなかったパンフレットを購入。
Tシャツすら買おうか迷った。金券ショップ経由の引け目もあったのかも知れない。
早速、『バーフバリ』をともにした後輩たちに「絶対に観に行け!」と指令を飛ばす。
そして、今は全国に上映が拡大されるように応援したくなって仕方がない。
頑張っている映画が、頑張っている姿を明らさまに出すのはダメ映画の典型だが、
これは完全に例外。それだけでも奇跡。でも映画がそういう構造になっている。
我々はやがて撮影現場のドキュメンタリーを観ていることに気づき、胸が熱くなる。
「無知で無名で無謀。それが掛け算されると無敵になるのだ」
パンフに記載されていた監督の弁。「あの夏、僕らは無敵だった」と。
フィナーレが近づくにつれ、私の胸に去来したのは19歳の冬のことだった。
ひたすら自由に名画座を回れる時間が欲しいだけで浪人生をやっていた頃、
大学を全部落ちたら、今村昌平の映画学校に行こうなどとぼんやり考えていた。
あの頃の思いが今も燻っていたのか、忘れていた何かが疼いて仕方がなかった。
間違いなく、これから映画製作に携わろうという若者を増やしていくに違いない。


2018.07.12(木) 洞窟からの決死の脱出劇

おそらく彼らが生き残れなかったとしたら、
ここまで大きなニュースにはならなかっただろう。
「台湾のサッカー少年たちを襲った悲劇」の一報で終わったはずだ。
実際、彼らが洞窟に何日も閉じ込められていたことなど知らなかったし、
彼らの生存が確認されてから私もこれを知り、ニュースはすぐさま世界中に広がった。
本質的にニュースが伝えることは、GOODより圧倒的にBADだ。
紛争や災害は多くの人が死亡したときにニュースは大きくなる。
今回の生還劇が何より意義深いのは、GOODがBADを凌駕したことではないか。
救出に向かったダイバーがひとり亡くなったのは残念だったが、
冠水した洞窟の状況が報道されるたび、状況の過酷さと絶望感が伝わってきた。
12人の子供たちにひとりのコーチ。そしてレスキューとボランティア。
皆が勝利したGOODニュースに世界が喝采する。そんなことがあっていい。
ふと、これは映画になるだろうと思った。


2018.07.13(金) ウディの皮肉と諦観と人生讃歌

クリント・イーストウッド監督作品と並ぶ年に一度のお楽しみ。
ウディ・アレンの新作が来た。『WONDER WHEEL』。邦題『女と男の観覧車』。
毎年コンスタントに製作されているが、日本に来るのかやきもきしていた。
(私の去年の洋画ベストワン『カフェ・ソサエティ』は殆んど黙殺されたが)
この1年でウディ・アレン作品を新旧10本観ている中でも、
新作『女と男の観覧車』はかなりシニカルな作品になっている。
もちろんウディ映画の基本はシニカルだ。殆んどが皮肉に満ちている。
人生は皮肉に満ちていて、それは諦めるしかない。しかしだからこそ可笑しい。
主演はケイト・ウィスレット。先日『タイタニック』を再見したばかり。
あの可憐で健気なローズも21年経って、ズシンと貫録を増していた。
『ブルー・ジャスミン』のケイト・ブランシェットはさすがのオスカー演技だったが、
ウィンスレットの方も決して負けてはいない。もともと演技力には定評がある。
しかしウディはもう少しウィンスレットを可愛く撮れなかったものかと思う。
むしろ巨匠ヴィットリオ・ストラーロのカメラが映す美しい背景の中で、
夫と息子に苛立ち、不倫セックスを貪る主婦ギニーの醜さを際立たせんばかりだ。
『ブルー・ジャスミン』はブランシェット版『サンセット大通り』だと思ったが、
このウィンレットは見てくれからグロリア・スワンソンそっくりではないか。
誰も感情移入は出来ない。しかしこういう欲求不満の主婦は必ずいる。
冒頭で画面に向かって爽やかに語りかけてきたライフセーバーの青年ミッキー。
このミッキーが語り部として軽快なストーリーが展開されるのかと思いきや、
ギニーに不倫を仕掛けられ、終いには毒気に煽られたごとく沈黙してしまう。
カメラ目線でニコニコ語りかけて来たアレは何だったのかと笑ってしまった。
ギニーの家は遊園地の中にある。窓からはいつも観覧車が回るのが見える。
夫のジム・ベルーシがメリーゴーランドの管理人ということで、
観覧車と回転木馬が映画の世界観を語っているようで面白い。
もしかしたらウディ自身のスキャンダラスな事件が影響しているかもしれない。
そんな自らの失敗も皮肉をこめて笑う、嘲笑する。そしてギニーのように日常に戻る。
表現者という人種はなかなかしたたかで一筋縄ではいかないものだ。


2018.07.14(土) プロ野球オールスター戦

今年は2試合だそうだが、そろそろ意義が失われかけているオールスター戦。
交流戦も終わったばかりで、新鮮味がないこと甚だしい。
しかし私が小学生のころ、オールスターは楽しみだった。
とくにパリーグの猛者たちの迫力が印象的で、
阪急・長池、近鉄・土井、南海・野村、東映・張本、大杉、ロッテ・アルトマン。
西鉄は・・・さすがに中西の記憶はないか。
絶対にセ・リーグには負けないとの気迫がパの大打者たちに漲っていた。
江夏の9奪三振のときは途中からテレビ中継が始まったのだったか。
あの頃はまさに「夢の球宴」だった。
今、オールスター戦を「夢の球宴」などと形容する人はいるのだろうか。
廃止しろとまではいわないが、MLB同様に一試合限定にしたらどうだろう。
そして京セラドームなどではやらず、必ず地方で開催する。
今回のように熊本でやるのもいいし、キャンプ地が集中する沖縄、宮崎でもいい。
さらに勝ったリーグのチームが、その年の日本シリーズの週末の興行権を獲得する。
それくらいやらないと誰も注目しなくなると思うのだが。


2018.07.15(日) “GO FOR BROKE!” 追悼、マサ斎藤”

プロレスラー、マサ斎藤の訃報が飛び込んできた。
思えば、先日亡くなったビックバン・ベイダーを日本に連れて来たのもマサ斎藤だった。
それにしても、あの頑健を絵にかいたようなマサさんが。。。。
パーキンソン病で享年75歳だったという。
恥ずかしながらマサさんがそんな難病を患っていたことすら知らなかった。
しかしマサ斎藤は私の胸に刻まれたファイトが少なくない。
ラリー・ズビスコとのAWA世界戦で王座を奪取した東京ドーム。
あのときはプロレス会場で初めてウェーブが起こった試合だった。
印象に残るどころか、1987年4.27両国国技館でのアントニオ猪木vsマサ斎藤。
私の中ではベストバウトだっかもしれないと思っている。
猪木とマサ斎藤といえば「巌流島の決闘」があまりにも有名だが、
その半年前に国技館で行われたノーロープ手錠マッチがどうしても忘れられない。
私は興奮の勢いで「週刊ファイト」に観戦記を投稿し、掲載されたのだった。
探してみたら見つかったので、ここに書き写し、マサ斎藤の追悼文に代えさせてもらう。
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           鮮血に彩られた悲しみのバラード

 「どう?大洋勝った?」酔っ払ったサラリーマンが話しかけてくる。
某日9時半、京浜東北線車内。「いや、俺、野球じゃないから・・・・・」
 別にプロレスを観てきたことに後ろめたさはないが、隣の横浜スタジアムが終わらないうちにと、関内駅に急ぐ文化体育館のプロレスファンの姿は、先ほどまでの熱烈なヒートアップを思うとなんとなく悲しい。
 国技館の「猪木コール」の一万人大合唱とて、所詮は世間から隔絶された異国の物語である以上、悲しさはプロレスに抱きついたまま離れようとはしない。

 4.27国技館。猪木-マサ斎藤戦には幾度となく悲しいバラードが奏でられていた。

 「長州、リングに上がれ!」張り手をかまされエキサイトした藤浪辰巳が叫ぶ。
マシン、小林邦らを振り切ってフェンスを超えんとする長州。
 新日ファンとしては長い間待ち望んでいたシーンだっただけに、騒然とした観客の目は一斉にフェンスを挟んで対峙する藤波と長州に注がれた------。
 だが、この時うつろな目で両肩を抱えられ、足を引き摺りながら控室に消えようとしている猪木の姿を、一体何人の観客が見ていただろうか------。

 藤浪辰巳がビガロ戦で懐かしの「ドラゴン・スープレックス」のテーマで登場し、さらに高らかに「パワー・ホール」が高らかに鳴り響いた時、すでに猪木と斎藤は悲しみのバラードを聴いていたような気がしてならない。
 “3.26大阪城の遺恨決着” “引退を賭けた男の闘い” “新日軍対長州軍の代理戦争”等々、この日の対決には様々な惹句が集められたが、実際、26分2秒の死闘の中で、これほど不思議な場面がぎこちなく繰り返された試合も珍しかったと思う。

 井上編集長をして「プロレスの真実とは目撃した者個々の胸の中に存在する」と言わしめた感覚からすれば、4.27で私の胸に去来した“真実”とは「悲しい」の一言だった。
 あのバックドロップ3発で勝負は決まっていたはずなのに、斎藤は何故かロープを使った反則攻撃に固執し始める。
 もし4発目のバックドロップを放ったとしたらどうだったか。斎藤自身が誰よりもわかっていることだから、当然4発目も狙いにいったに違いない。
 しかし狙ってはみたものの瞬間的にためらいが生じ、ロープ攻撃に切り替えたのではないだろうか。
 それでは一体何が斎藤の脳裏をかすめ、ためらいを生じさせたのだろうか。

 「レスラー生命を賭ける」という斎藤の言葉が真実に違いないとすれば、生涯であるかないかの大舞台、まして相手は天下の“燃える闘魂”である。
 「俺が勝った」と確信を得た以上、後に残された思いは自分自身のレスラーとしての歴史に決着をつけるのだという切ない感慨ではなかったろうか。
 猪木がノーロープマッチを要求した時、斎藤のハラは決まった。
 そして手錠マッチとなり、結局、斎藤は殆んどノーガードで猪木の鉄拳を浴び続け、鮮血のマットに沈んでしまった。
 「斎藤がしつこくロープ攻撃を仕掛けるので、ロープを外した」との猪木の言い分もひどく不可解な印象が残った。
 レスラーとしての禊を、こんな形でしてしまった斎藤は悲しいし、相手が失神してもなお拳を叩き続けていた猪木もまた、凄絶なまでに悲しかった。
 
 “人間離れした凄味”などと表現してしまうと、5年前の村松理論の蒸し返しと笑われるだろうし、前田日明にすれば「単なるアメリカン・プロレスじゃないか」で終わってしまうのかもしれない。
 ただ、ひとつだけいえるのは、たとえ斎藤が「IWGP」に出場したとしても、私の中のマサ斎藤というレスラーは、もう消えてしまったということである。

 4.27両国で聴いた「鮮血に彩られた悲しみのバラード」は猪木と斎藤の共犯意識の中で奏でられた凄絶な二重奏だった。
 藤波、長州、セコンドの馳浩は、このバラードをどう聴いたのだろうか。

 ロープが外され、鉄柱が剥き出しとなったリングの異様なまでのアングラな空間に、ふとプロレスの世紀末的デカダンを想像してしまった私もまた、悲しいプロレスに憑かれた、悲しいファンなのだろう。

                      1987.5.29「週刊ファイト」NO.1010
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2018.07.16(月) サッカーW杯終幕

丁度3連休と重なったこともあって、
ベルギーvsイングランドの3位決定戦と、
翌日のフランスvsクロアチアの決勝の中継を観る。
2日間続けて観た印象としてはベルギーの高速カウンターの凄さだったか。
これは凄かった。前線にあっという間に押し出して行く力。
サッカーのピッチがどれくらいの長さなのかは知らないが、
カウンターの好機と見たベルギーの秒単位で相手ゴールまで到達するスピードに、
こりゃ日本もたまったもんじゃねぇなと得心した。
決勝はビデオ判定(VAR)によるPKなどで終始主導権を握ったフランスが優勝。
大して根拠のない判官贔屓でクロアチアを応援していたのだが、
終わってみれば順当な結果だったか。
最近はあらゆるスポーツにビデオ判定が用いられるようになった。
ただそれで試合が止まってしまうと水を差された気分となるのは確か。
誤審が続いたことと、映像テクノロジーの発展が寄与しているのだろうが、
素人目にも決勝より3位決定戦の方が観ていて面白かった。
3位決定戦って必要なのかどうかわからないが。


2018.07.17(火) ジャイアンツっていうな!

NHKのプロ野球中継の小久保裕紀の解説には毎度、頭に来る。
「ジャイアンツは盤石に試合を勧めています。阪神はちょっと苦しいですね」
いや別に試合展開はその通りなのでそこはとやかくいわないが、
巨人を「ジャイアンツ」と愛称で呼び、タイガースを「阪神」と呼んで使い分ける。
こればっかりはどうしても生理的嫌悪感を禁じ得ない。
かつての浅見源司郎、小川光明、吉田填一郎らの日テレの実況陣に金田正一の解説。
あれは小学生時代、殆んど殺意を持って聴いていた。
小学生に殺意を抱かせるって相当なものではないか。
とくに嫌悪したいのは「ジャイアンツ」の語感の響き。
巨人ファンが「ジャイアンツ、ジャイアンツ」と喋る時の気色悪さったらない。
そしてそういう奴らは間違っても「タイガース」とはいわない。
奴らが「阪神」という時の上からの物言いがどうしても我慢ならない。
百歩譲って日テレで堀内や水野あたりがいうのは仕方がない。日テレだからだ。
しかしNHKで(しかも甲子園の試合で)のたまう小久保は万死に値する。
また関東人で普段使いに「読売」とかいう奴もイケスカない。
関西の球団だからといって、関西に媚びる必要などなく、
関東で虎を好きになってしまった自らの天の邪鬼に誇りを持てといいたい。
こう書くと「巨人」だって愛称ではないかといわれるのだが、
なにせ幼稚園から中学生まで巨人の胴上げを見せ続けられたV9直撃世代だ。
「阪神ファンはさ」と小馬鹿にされ、蔑まれた数々の忌まわしい思い出と、
吉田填一郎に正義の鉄槌を食らわそうとした記憶をゴチャゴチャに撹拌すると
そこには「巨人」のふた文字しか浮かび上がって来ないのだ。
「読売」などといわれると途端に力が抜けてしまうではないか。
ただ、スタンドで「くたばれ読売~そーれイケイケ」は嬉々としてやっているが。


2018.07.18(水) ダニエル・デイ=ルイスの演技プランを観る映画

オートクチュールの高名な仕立屋、レイノルズは規律に厳格な男。
そんなレイノルズに見染められたウエイトレスのアルマ。
中盤までアルフレッド・ヒッチコックの『レベッカ』を想起させる展開で、
美を追求する夫に翻弄されながら抵抗する新妻を描いていく。
ゴシック調の画面、調度品ひとつにも気を配ばわれ、丁寧にカットが重ねられていく。
映画『ファントム・スレッド』は1950年代のロンドンが舞台。
雰囲気もまるでジェームズ・アイヴォリーの映画を観るようだったが、アメリカ映画。そういえば『レベッカ』もイギリスが舞台のハリウッド映画だったか。
監督はポール・トーマス・アンダーソン。『マグノリア』からもう20年が経つ。
そして典型的なイギリスの香りを醸し出すのが主演のダニエル・デイ=ルイスだ。
ダニエル・デイ=ルイス。役柄への深い解釈で観客にエクスキューズを与える俳優として、
奇行とも思える様々な演技アプローチは、ロバート・デ・ニーロと双璧といわれている。
しかしデ・ニーロはすべてデ・ニーロに帰結させるが、デイ=ルイスはとことん素を消す。
厳格なドレスの仕立屋レイノルズ。これがもう本物の仕立屋としか思えない。
だからどうしてもデイ=ルイスの演技プランを見ることに目を奪われてしまう。
彼が全体を支配することは、映画にとって必ずしも良いことではなかったが、
彼の一挙手一投足に時間と入場料はおつりがくると思わせるのだから仕方がない
さらにレイノルズ役にのめり込み過ぎて、引退をほのめかしているという。
デイ=ルイスは愛すべき役者バカなのか。


2018.07.19(木) 小田急通勤1ヶ月

小洒落たイメージの東急沿線と違い、小田急は混み方に遠慮がない。
それでも週間も過ぎると混雑する車両の立ち位置も大分呑み込めてくる。
やはり人間は環境の中に順応出来る術を知っているのだろうか。
それにしても驚くのは新宿駅での乗換だ。
一日の平均乗降気客数340万人。
大阪・梅田駅でさえ新宿駅より100万人少ない。まさに日本一の巨大ターミナルだ。
suicaやpasmoが改札を通過するときのピッ、ピッと連続するけたたましい音。
東急で通勤していたときには聞き覚えのない破裂音のつるべ打ちだ。
こんなものを間断なく聞かされる鉄道職員さんには同情するしかない。


2018.07.20(金) なにを持ち帰るか ~横浜スタジアム

定時には上がれず池袋のホームから試合経過を検索する。
すでに4点のビハインド。今のタイガースに劣勢を跳ね返す力があるとは思えない。
この状況でこれから浜スタまで行く意味があるのかと逡巡する。
今夜のチケットを購入したのは確か交流戦の直前くらいだったか。
あのときは巨人を3タテして「さあここからだ」という雰囲気はあった。
今、巨人に3タテを食らってチームは今季何度目かの泥沼にある。
それでも新宿湘南ラインがホームに入って来て、惰性で電車に乗り込んだ。
関内駅に到着した時はさらに点差が開き、イニングも6回になっている。
マウンド上は望月惇志。この際、“噂の望月”とまでいってしまおう。
3年目まだ20歳。昨年はヘルニア手術で登板なし。
しかし一軍再デビューの中日戦では5者連続三振をやってのけた。
頼もしいのは190㎝の身長から投げおろすストレート。ファームでは158キロが出た。
ところが彼にとっての“横浜凱旋”に、憧れていたという横浜スタジアム。
制球が定まらずなかなかストライクが入らない。
さらに梅野のパスボールに、陽川が大暴投で2点を献上してしまう。
レギュラーを目指す後輩の足を引っ張りにかかるのはダメ虎の典型だ。
スコアも1-8となり、目の前の団体が「中華街へ行きますよ~」とごっそり抜ける。
阪神側の外野スタンドも10年前まではあった熱がすっかり影を潜めてしまったか。
しかし望月は筒香に、内角にズバっとストレート決めて見逃がし三振に切って落とす。
これはお見事。球速表示は151キロ。筒香のバットはピクリとも動かなかった。
よっしゃ、今夜はこの望月-筒香の初対決を持って帰ろうと決めた瞬間だった。
試合はDeNAの桑原が史上67人目というサイクルヒットを達成。
先日の藤川から放った豪快なホーランといい、桑原には目の前で好き放題されている。
まあいい。今夜はおそらく誰も気にも止めていないだろう望月の筒香を見たのだから。
この三振が私の自慢になるのかどうかは、これからの望月にかかっている。


2018.07.21(土) 久々に苛っとした『未来のミライ』

細田守を世に知らしめた『時をかける少女』『サマーウォーズ』は未見。
『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』は大好きだ。
だからこの夏の目玉として最新作の『未来のミライ』には期待していた。
いやはや久々に嫌いな映画と出会ってしまった。
映画の良し悪し以前に、主人公のクンちゃんに対する生理的な嫌悪感というか、
4歳児だからこんなものだろうと思いながら、もうイライラし通し。
きっと電車の中で喚き散らすガキに対する嫌悪感に近いのかもしれないし、
自分がガキだった頃の甘えん坊の記憶が妙に甦って腹が立ったのかもしれない。
私は子供が欲しいなどと一度も考えたことはないが、
こんなクンちゃんに対する非寛容な感情が湧きあがる自分に対し、
やっぱり子を持つ親にはなれないなと納得させられ、
そんな納得は今更いらんと、この映画に八つ当たりもしたくなった。
「クンちゃん好きくない」・・・俺だってクンちゃん好きくないよ!
そもそも『未来のミライ』の世界観がまったくわからない。
はっきりいって何もかも気色悪い映像のオンパレードに思えた。
なんだあの犬は、なんだあの少女は、なんだあの東京駅は。
細田守は4歳児をどうしたかったのだろう。


2018.07.22(日) おおっ!御嶽海、初賜杯

大相撲名古屋場所。3横綱1大関が休場する中、
賜杯を抱いたのは大関の御嶽海だった。
別に御嶽海の優勝を昨今の混沌とした大相撲の象徴とまでは思わない。
御嶽海は実力者であり、いつかは大関になる器と多くの好角家は思っていた。
同時にこの力士が本来の実力を持て余し続けていたことも確かだろう。
要するに集中力だ。その集中力が14日目まで持続したことが今回の優勝だ。
千秋楽に格下である豊山に転がせられたのは集中力が切れたのだろう。
来場所は大関獲りがかかるらしいが、横綱、大関がそろい踏みの中で、
何処まで集中力を持続し、実力を発揮できるかということか。
それにしても御嶽海が日本人とフィリピン人とのハーフだとは知らなかった。


2018.07.23(月) ついにポールハンガー崩落

洗いざらしのシャツや何年も穿いていないズボンがドサっと倒れて来た。
もう夏物、冬物を大量にのべつまくなしで掛けていたポールハンガー。
もともとキャスターが変形していたのを無理やり支えていたのだが、
とうとう重みに耐え切れなかったらしい。
私にとってこのポールハンガーは独り身の証しみたいな存在だったが、
それがこうも見事に崩落されては心中穏やかではない。
もっとも証しを名乗るも恥ずかしい程度の安物だった。
そこで少々値の張る二段式のポールハンガーをホームセンターで買い直した。
二段式とは段違い平行棒のような形状で今までの倍の服が掛けられる。
それをこのクソ暑い中、汗だくで組み立ててみたのだが、
意に反してまったくポールのスペースに余裕がない。
今までどれだけぎちぎちに詰めていたかと、我ながら呆れ返る。


2018.07.24(火) 「ハコソバ」で朝そば

今までやったことがありそうでやっていなかったこと。
駅の立ち食いそば屋で朝飯を済ますこと。
「ハコソバ」とは小田急沿線にある「箱根そば」のこと。
駅そばはマクドナルドや牛丼屋が出回るずっと以前から、
サラリーマンに愛され続けた日本のファーストフードだ。
ざるそばに野菜のかき揚げを乗せて420円。
駅そばにしては高くないかなと思いつつ、
朝の切羽詰まった時間にそばをかっこむという「いかにも感」。
十年単位で職場を転々とした就労人生の中で、
初めて勤め人であることを自覚した瞬間だった。
・・・・420円でなにを大袈裟な。


2018.07.25(水) 改めて西日本豪雨

激しい雨に川が暴れ、いくつもの橋が崩された。
広島県の災害廃棄物が200万トン。
これは4年前の土砂災害の4倍の総量だそうだ。
広島に行くと橋が多いことに気がつく。
つまりはいくつもの河川が縦断しているということ。
『この世界の片隅に』でも橋は重要なモチーフとして描かれていたが、
呉の街も甚大な被害となったようだ。
去年の年頭に一泊した呉のホテル。川沿いだったが大丈夫だったろうか。
私はこうしてバカ話の隙間で災害を憂うる風を装うしかないのだが。


2018.07.26(木) 藤浪晋太郎よ何処へゆく・・・・

1回1/3。4四球5失点降板。
“大底”は越えたかと思っていた藤浪晋太郎が最大の大底を踏み抜いた。
カープに3連戦で勝ち越せるかとのファンの期待は一瞬で潰えてしまう。
先月の楽天戦で1年1ヶ月ぶりに勝利投手となった際のインタビューで、
「次はチームに助けられるんじゃなく、助けられるように」と語ったとき、
さすがエースを期待された男は言うことが違うと嬉しく思ったものだ。
今は「どの口がそれをいった」という話。
海の向こうでは大谷翔平が特大の8号を放ち、現地マスコミのど肝をぬいたというのに。
いや藤浪と大谷がライバル同士だったなんて誰も憶えてはいまい。
それでも藤浪の復活を期待しているのは、もはやおめでたい話なのだろうか。


2018.07.27(金) 精彩欠く ~明治神宮球場

連日のうだるような猛暑がひと段落した夏のロード第一戦。
少し涼しげな風が神宮球場外野スタンドをかすめる。
その風が「秋風?」と思われるほど熱量のない精彩を欠いた試合だった。
タイガース10安打2得点、ヤクルト12安打8得点。
こう書けば、今夜の神宮でどんな試合をしたのか手にとるようにわかるだろう。
球場に到着したときは四回表。2-1でリードしていた。
その裏、四球をきっかけに不味い守備でランナーを溜めると西浦に同点タイムリー。
五回表、2死ながらランナー1、2塁のチャンスでロサリオが凡退。
その裏、投手カラシティーに不用意な一発をレストスタンドに運ばれ逆転される。
六回表、ナバーロがレフト前、陽川が死球、原口の内野ゴロの間に1死1、3塁。
代打、鳥谷の内野ゴロでナバーロが走塁死。しかし続く糸原が四球を選び2死満塁。
しかし絶好調の北條は高めのボールを打ち上げてしまい、ここでも好機を逸する。
その裏、バレンティン、雄平の連続安打から西浦に2塁打を浴びて2-5と引き離される。
それ以降は山田の本塁打、谷内のタイムリーなどを重ねられて2-8で万事休す。
好機でここ一本が出ない虎打線と、好機をことごとく点に結びつけた燕打線。
これではストレスが溜まる。今夜持ち帰れたものなど何もないではないか。
なぜ、西浦のようにチャンスで、バットをうまく合わせてミート出来ないのか。
原口も鳥谷も北條も切羽詰まったような力んだ打席に終始してしまうのか。
もう一度書くが、タイガース10安打2得点、ヤクルト12安打8得点。
ファンの中にはベンチからの金本の厳しい視線に選手が委縮しているという。
いやいや、そんなことではプロとはいえない。
糸原-北條-福留-ロサリオ-ナバーロ-陽川-原口の並びは悪くないと思う。
下位打線からでも得点出来そうなメンツが揃った打線は嫌いではない。
しかし「得点出来る」と「得点出来そう」との違いはあまりにも大きい。
ここに至って球場観戦3連敗。しかも攻守の精彩を欠いた大量失点が多い。
それでも私が観た負け試合の次は打線が爆発して圧勝している。
何故か糸井が一発放りこむ。私はまだ糸井の本塁打を観ていない。
少し以前には、3連戦1勝2敗でも不思議と勝った試合を観て来たものだが、
そんなサイクルに入ってしまったのかもしれない。


2018.07.28(土) 従兄のカズユキちゃん

新潟から従兄のカズユキちゃんが来た。
親父の見舞いと海老名の叔母の仏前に手を合わせたいのだという。
カズユキちゃんは親父の兄と母の姉との間に生まれた長男ということで、
従兄としての血筋はむちゃくちゃ濃く、6歳下の私を弟のように可愛がってくれた。
学生時代のカズユキちゃんは長髪にふたつ穴ベルト、ラッパズボン。
上京して親戚の家を泊り歩いた時はゲタで現れるような人で、
ギターをよく弾き語りしてくれたフォーク兄ちゃんだった。
なぎらけんいちのレコードを聴かせてもらって大笑いしたことも思い出す。
当時、洋画ばかり観ていた私に日本映画の面白さを教えてくれたこともあった。
私はカズユキちゃんにお兄さん世代の若者文化を見ていたように思う。
そのカズユキちゃんが稼業の「たばこ屋」を継がず教職を目指すと言い出した。
それから数十年。カズユキちゃんは県立高校の校長として定年を迎えた。
かつてのフォーク兄ちゃんは親戚中で一番の出世頭になった。
ある意味、私はカズユキちゃんの最初の教え子だったのかもしれない。


2018.07.29(日) 映画『バトル・オブ・セクシーズ』

かつて女子テニス界の女王として君臨したビリー・ジーン・キングのことは、
小学生の頃「眼鏡のキング夫人」としてスポーツニュースでたびたび目にしていた。
当時の女子テニスの扱いは優勝賞金が男子プロの1/8という不当なもので、
映画はキング夫人が協会を脱退し、自ら女子テニス協会を立ち上げる場面からはじまる。
人種差別からアメリカの世相が男女差別へと移行した時代の実話だ。
ウーマンリブ運動の旗手として名を上げたキング夫人に対し、
男尊女卑の権化を自任する元テニス王者ボビー・リッグスが対決を挑発する。
これがプロテニス史で有名な“The Battle Of The Sexes”(性別間の戦い)だそうだが、
映画的に後にレズビアンをカミングアウトする夫人の伝記はまさに格好の題材。
なるほど弁護士である夫とヘアメイクの女性との間で葛藤する恋愛ストーリーに、
男女同権、同性愛者の権利向上としての社会的なテーマを重ねることが出来る。
しかしこの映画が素晴らしいと思ったのは、ウーマンリブ、レズビアンの要素よりも、
プロスポーツアスリートとしてのビリー・ジーン・キングを前面に据えたことだろう。
一方、プロレスのギミックのような挑発を繰り返すボビーも人生を必死にもがいている。
男尊女卑のブタなど文字通りのギミックであり、夫人もそこは見抜いている。
見抜きつつもそのギミックに乗って行われた笑顔が弾ける記者会見。
映画のメインビジュアルとなっているこの記者会見の描写がいい。
そう、様々なドラマを抱える二人が交錯する“The Battle Of The Sexes”。
男女同権もLGBTもいいが、現役女王と元王者の対決の高揚感が最大の見せ場だ。
このストーリーの持って行き方はエンタテイメントとして至極真っ当だと思った。
それでも夫人にとって「絶対に負けられない戦い」ではある。
ボビーも劣勢になって、纏っていたギミックを捨てて現役王者に食らいつこうとする。
当然、見事勝利した女王に待っていたのは歓喜の輪。。。。ではなかった。
一旦ドレッシングルームに引き揚げ、安堵の涙を拭う夫人の姿が静かな映像で映され、
敗者ボビーも一人うなだれている。そこには破廉恥なギミックの欠片もない。
ジャンル映画と軽く見られようが、スポーツ映画は本当に好きだ。
監督はジョナサン・デイトンとヴァレリー・ファリス。
夫婦の映画監督コンビの作品は初めて観たが、
寄り過ぎず引き過ぎず見事にビリー・ジーン・キングの人物を捉えていた。
エマ・ストーンはオスカー受賞の『ラ・ラ・ランド』よりこちらをベストアクトとしたい。


2018.07.30(月) BUENA VISTA SOCIAL CLUB: ADIOS

ヴィム・ヴェンダースの傑作から早くも18年が経つのか。
あの記録映画を大当たりさせ、単館の存在を誇示したシネマライズは閉館し、
ブエナビスタ・ソシアル・クラブの老ミュージシャンたちもあの世へ旅立っていく。
やはりあの時、来日した彼らのコンサートに行っておくべきだった。
メンバーにコンパイ・セクンドの名前がなく、それで断念したのだったか。
映画観賞後に即、CDを買ってコンパイの「チャンチャン」を何度聴いたことか。
今は思う、イブライム・フェレールの甘いボーカル、オマーラのパワフルなバラード。
ルーベン・ゴンザレスのピアノ、、、彼らのライブを聴きそこなってしまったのだと。
でも「さようなら」より「アディオス」の響きがいい。
スクリーンで彼らと再会できたことに感謝したい。

2018.07.31(火) もう止まらない“カメ止め” 現象の夏

上田慎一郎監督『カメラを止めるな!』の2回目に行く。
かつて制作費を切りつめたATG1000万映画というのがあったが、それも50年前の話だ。
“カメ止め”は何と300万。監督曰く「ハン・ソロが2秒しか撮れない」と自虐する。
おそらく『万引き家族』の屋敷のセットもとても300万では作れないだろう。
3週間前の初見の時点では都内のふたつの単館で一日一回の上映だったのが、
この8月、全国シネコンを中心に100館以上に拡大公開される。
ワークショップで作られたインディーズ映画が大劇場で一日6回かかるのだ。
そのTOHOシネマズ新宿のHPを見て唖然とした。
土曜日の初日は最終回まですでに完売となっているではないか。
私の知る限りここまでの奇跡は初めてだ。
世の中捨てたものではない。奇跡は起こるものなのだと思わず快哉してしまった。
どうかあまりハードルを上げないで温かく観てほしい。
あまりに無慈悲な批判をこの小品に浴びせないで欲しい。今はそんな気持ちだ。
とにかく今年の日本映画のトピックは『万引き家族』のパルムドールだと思っていたら、
『カメラを止めるな!』現象が巻き起こしている奇跡はそれを凌駕する事件になった。
さて、この映画の代名詞となっている「仕掛け」「伏線回収」「メタ構造」。
確かに1回目はそれだけで十分に楽しめる。私も極力、情報は遮断して楽しんだし、
職場の後輩たちには「ネットで余計な検索をせず、先ずは行け」と勧めた。
(一人はリピーターとなり、“ONE CUT OF THE DEAD”のTシャツで出勤している)
もちろん、よく出来た仕掛けの面白さがブームの要因であることを否定しない。
しかしこの映画の本質はそんなことではない。
この映画は圧倒的に2回目の方が楽しめた。感動もケタ違いだ。
そもそも仕掛けを張りめぐらし、伏線を回収することがそんなにエライのか?
どうも最近、作り手、ファンの間に伏線回収インフルエンザが蔓延している気がする。
今の観客はニューシネマや『フレンチ・コネクション』を楽しむことは出来ないだろう。
2回目で確信した。私の今年の日本映画ベストは間違いない。
外国映画のベストは迷うことなく『15時17分、パリ行き』なのだが、
考えてみればこの二作はまったく違うようで、似たところがある。
例えば演者たちが成長していく姿をドキュメンタリーで捉えている点。
無名のキャストたちの、彼らの人生の一瞬の輝きを見事に映し出したことへの感動。
さらに“カメ止め”はキャストばかりではない。制作チーム全員の奇跡を捉えている。
「やるか止めるか」の選択に迷った時、「やる」と決めて駆け抜けた奴らの勝利の姿。
それが清々しく、画面に現れない諸々を想像して泣けてしまう。
もちろん1回目を観終わったときもそのことは十分に意識していて、
「19歳の冬、大学落ちたら映画学校にでも行こうと考えていたあの頃の自分が疼く」
などと恥ずかしいことを書いたものだが、
その後の大学時代、バイト仲間たちと8mmで銃撃戦を撮ったことも思い出して、
映画を観るのではなく「撮る」ことへの無邪気な記憶も蘇らせていたのだが、
あんなものと比べてしまったのは失礼だったと今は反省している。
ヨコハマで受賞上映するような気もするが、今夏、シネコンでもう一度だけ観よう。



                           

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