■2015.12

日めくり 2015年12月(平成27年)         



2015.12.01 ゲゲゲ

『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌は水木先生自身の作詞だった。
朝は寝床でぐーぐーぐーして、しかも学校も試験もなんにもなく、
昼はのんびり散歩して、もちろん会社も仕事もなんにもない。
そして死ぬこともなく病気もなんにもない。
こんな人生が送れたらどんなにいいだろう。
水木一郎は戦記ものも含めて、普通の現実ではあり得ない世界を描いた。
93歳で夭折・・・また深大寺で蕎麦でも食うべぇか。


2015.12.02 蕎麦など食っとる場合か

昨日の水木先生について書いた文章に友人の虎キチからご指摘をいただいた。
(なお、彼の性格を思うに「虎キチ」などとステレオタイプに呼ばれるのは無念だろう)
ただこんな辺境のページにわざわざご指摘をいただくことは非常に嬉しい。
曰く「93歳で夭折はないだろう」と。
改めて調べてみたら夭折とは若死にのことだった。幼死ともある。
こういう常識っぱずれは日常茶飯事なので、今までも少なからぬ恥を落としている筈だ。
こうなったら訂正なしで晒しておこうと思い、改めて昨日の文を読んでみたところ、
なんと水木しげるを水木一郎と書き間違えているではないか。
さすがにこれを晒しておくのは恥ずかしいぜぇぇぇぇーーと!!


2015.12.03 (・。・)y─┛~~完全にボケとる

今夜はくたびれたので小田急のロマンスカーで帰ることにした。
一週間に一度はこうして猛烈ラッシュの東急を避け、新宿からのんびり座って帰る。
しかも満席にもかかわらず隣の席は不在。ラッキーとばかりにカバンを隣に投げ、
いつものようにスマホと車窓に交互に目をやりながらタバコに火をつける。
半分くらい吸ったろうか、灰を落とすため肘かけの灰皿を引き出そうとしたが、、、
無い、、、灰皿が無い・・・。ていうか、なんで今、俺はタバコを吸ってんだよ!
ロマンスカーはもう何年も前から全面禁煙になっていたのは十分に知っていた。
慌てて、靴の底でタバコを消して、吸い殻をポケットにしまう。
周囲を見回すと寝ている者、ゲームに興じる者、雑誌に目を落としている者と様々。
しかし、どうも非常識なアブないオヤジに関わるまいとしているようにも見える。
どちらにしても冷やかな雰囲気の中、降車駅まであと30分は乗っていなければならない。
もしかしたら乗客の中に車掌に耳うちした奴がいるかもしれないし、
もしかしたら車内アナウンスで注意されて妙な注目を浴びるかもしれない。
こんな時に限ってロマンスカーはタラタラと多摩川を渡っている。
まるで針のむしろ。降車駅で屈強な警備員が待っていたらどないしよ。
悪いのは誰だ?完全にボケてたワタクシだよ!


2015.12.04 忘年会

池袋で取引先を集めて職場主催の忘年会をやった。
ビンゴゲームの司会もやらされた。
気の利いたジョークのひとつも披露しようと思ったのだが、
あまりに景品がしょぼいので今ひとつ盛り上がらない。
しかも一等、二等を引いたのはウチのアルバイトだった(泣)。


2015.12.05 母の通院つき添い

まず親父がマイナンバーのことをまったく解っていなかったことに驚く。
そんな親父に対して愚痴を繰り返す母親。
通院付き添いの車中で、ずっと愚痴を聞かされるのもいいかげん苦痛だ。
少なくとも実家は長居してくつろげる場所ではない。
アパートに戻り一人になってほっとしている自分がいる。


2015.12.06 紅葉の高尾山へ

「午前十時の映画祭」をわざわざ府中で観たのには理由があった。
ここ数年の課題だった高尾山の薬王院への参拝を果たしたかったからだ。
高尾山には過去、小学校の遠足と、富士登山の一か月前の予行練習で行った。
都心から1時間以内で行ける手軽な登山だとしても、この歳になれば結構きつい。
目的が頂上の途中にある薬王院だったので、登山は2の次だったのが、
果たしてその先の頂上まで登れたものだったか、、、、非常に怪しい。


2015.12.07 復活M-1

かつてM-1には予選会のLIVEに足を運ぶほど入れ揚げていた時期がある。
燻っている若い芸人たちが、一夜でスターになる解りやすさが好きだったのと、
切羽詰まった甲子園みたいな異様な熱気がツボだった。
そのM-1が5年ぶりに復活した。
初端の「メイプル超合金」「馬鹿よ貴方は」「スーパーマラドーナ」は面白かった。
いや一回戦はどの組もすべてよかった。
ネタを噛んでしまい7位に沈んだ「ハライチ」も決して悪くなかったと思う。
さすがM-1、所詮、THE MANZAIとは違うわと感心していたのだが、
決勝の「ジャルジャル」「トレンディエンジェル」「銀シャリ」のネタが不発。
どこも一回戦の焼き直しで新味がなく、最後の最後で尻つぼみになってしまった。
結局、上手い漫才師や会場で笑いをとった漫才師よりも、
ぜひ2本目のネタが見てみたい漫才師こそ決勝に進ませるべきだった。
出来の今イチなトレエンが優勝してTHE MANZAIと大して変わり映えしなくなった。
来年は敗者復活組も含めた一回戦をすべて終わらせてから決勝3組を選出するなど、
ひと組づつ採点するシステムを止め、さらに審査員の人選を再考するべきだろう。
もし「銀シャリ」「タイムマシーン3号」あたりからスタートして、
後半に「メイプル超合金」が出てきたら大爆発したのではないか。
悪くはなかったが、非常にもったいなかった復活M-1だった。


2015.12.08 中央林間駅中モールOPEN

中央林間の駅中にショッピングモールとフードコートがオープンした。
もともとコンビニとファーストフードは十二分に足りていたエリアだが、
休日にまともな外食を取ろうとしても他は中華料理と蕎麦屋しかなかった。
そこにテイクアウトの焼き鳥屋、おにぎり屋、寿司屋が開店し、
ごはん屋の大戸屋、たこ焼きの銀だこ、カレーのC&C、大阪王将などが一気に生まれた。
まったく自炊をしなくなった今、これほどの朗報はない。
とくにC&Cと大戸屋は非常にありがたい。
しかし朗報をありがたがる自分の向こう岸に、生活習慣病を指摘されている自分もいる。
外食屋の一気オープンと体脂肪過多で高脂血症、高血糖値とのバランス。
新たな試練を突きつけられて複雑な気分ではある。
・・・・そう、それは「試練」なのだ。断じて。


2015.12.09 眠っ

連日の残業。夜8時までの残業など、残業の内に入らない時代もあったが、
出来れば定時にとっとと職場を抜けたい自分にとって、かったるい日々が続いている。
いや、そんなことよりも晩飯が遅くなることが一番の悩みどころだ。
油断しているとあっという間に深夜になってしまう。
冬の寒さも手伝って朝が非常につらい。6時のアラームが憎らしい。
そして、必然的に午後に睡魔との闘いが待っている。
いやはや眠い。寝てしまうと致命的な仕事だが、眠りを誘発する仕事でもある。
「死んだら嫌でも眠れるのだ」と自分に言い聞せるのだが、
あまりに説得力が無いので困ってしまうのだ。


2015.12.10 呉昇桓とは何ンだったのか!?

「石直球」と呼ばれたストレートに切れまくりのスライダー。
神宮のネット裏から注視した彼の投球はまさに圧巻の一言だった。
連続のセーブ王。呉昇桓はこの2年間最大の貢献者だろう。
しかし中心選手でいて、これほど思い入れを抱けない存在は初めてだったように思う。
好き嫌いではなく、自分は呉昇桓という物語に一切触れることが出来なかった。
先ず関東圏に住んでいるためか、彼の肉声を聞いたことがない。
マウンド上での喜怒哀楽の感情を読み取ることも難しかった。
かなり衝撃的な救援失敗も少なくなった気もするが、
翌日には見事に敗戦投手の傷を消している。
異名の通り、まるで勝利することのみにマウンドに送られる石仏のようだった。
虎党が愛し続けた背番号「22」をつけながら、
ここまで「他人」を意識させた選手は稀有だろう。
メジャーか?阪神残留か?で焼きもきさせていた呉昇桓は、
スポーツ紙既報の事態となり、阪神球団は契約交渉を打ち切った。
実に突拍子のない幕切れ。
そもそも呉昇桓とは一体何ンだったのだろう。
その答えを探ることすら拒否するように日本球界から去っていく。
ひとつだけ間違いないのは、奴は本当のプロフェッショナルだったということ。


2015.12.11 かつての中年御三家が

野坂昭如が亡くなった。85歳だそうだ。
野坂昭如は永六輔、小沢昭一と中年御三家を結成。
彼らのラジオ番組を中学から高校生にかけてよく聴いていた。
まだ中年というフレーズがずっと遠い先だと思っていた頃だ。
今思えば、たかが中学生が渋い放送を聴いていたものだと思うが、
これが滅法面白かった。
「最近、小便のキレが悪くなった」
「なにも段差のないところで躓いて転ぶことがあった」
など、中年の悲哀を面白おかしく聴いていたものだったが、
今や切実感が増した。
そう、あの頃は彼らもまだ中年だったのだ。
つい先日、伊東に行った際、ハトヤホテルを見て自然とCMソングを口ずさみ、
「このハトヤの歌の作詞は野坂昭如だよ」という話になったばかりだった。
人は老いる。老いるということは死に近づくということだ。
そう中学生の頃に憧れていた中年たちが毎年のように死んでいく。
当り前の歳月。ガキの頃に憧れていた中年の星が当り前のようにまたひとり落ちた。


2015.12.12 軽減税率

生鮮食品と加工食品の境目だとか、コンビニのイートインで食べたら外食なのかとか、
連日のように報道された枝葉末節な話にはまったく興味がなかったが、
食生活の殆んどを外食で済ませている身として、外食が外されたのは少し残念だった。
そうはいっても700円のレバニラ定食が8%から10%になったところで、14円の差額。
そもそも銀座の高級寿司店で時価で食っているような奴らに減税してやることはない。
それよりも消費税など、意識しないまま払っているのが望ましいので、
出来ればすべての商品を税込で表示してくれないだろうか。
自分の買い物にいくら税金を払っているのかを知る権利などどうでもいいのだ。


2015.12.13 およばれ

熊谷の妻沼聖天への参詣を兼ねて、
夏に職場を辞められた先輩?の埼玉のご自宅に招かれた。
(?付きなのは今の職場ではこちらのキャリアは古いが、十も年上だから)
およそ人の家によばれるなど久しぶりなものだから、最初は居ずまいが悪くて困った。
愛犬のダックスがキャンキャン吠え、遊びに来ていた孫娘が跳ねまわる。
そしてホットプレートが用意され、巨大な肉をこれでもかと食った。
警察官を定年まで勤めれば、第二の人生は悠々自適の生活が約束されるのだろう。
羨ましいと思いながら、あっちこち曲がりくねって来たこの身を顧みる。
お招きには大いに感謝だが、玄関を出たときには妙にほっとしていた。


2015.12.14 路面の一軒一軒

昨日の話の続き。埼玉県を車で走るとどうしても路面の店舗に目が向く。
20代の頃、埼玉県が担当の営業エリアだった。
もう若さに任せ、深夜までビデオの注文を取りにレンタル屋を回りまくった。
ヤクザ映画から角川映画、アニメに特撮ヒーローものからVシネまで、
ちょうどバブルの真っ最中とビデオレンタル店の興隆が重なった時期で、
『ビー・バップ・ハイスクール』『あぶない刑事』『極道の妻たち』等、売れに売れた。
二十歳を過ぎて社会人になってからいきなりピークがやってきたような感覚。
我々も店のオーナーたちと一緒にどう儲けるかに知恵を絞った。
市場はまさに群雄割拠で、とりわけ埼玉県には多くの侍たちがいた。
彼らと共有した時間が楽しかった。もう30年も前のセピア色の思い出話だ。
侍たちは殆んど去り、月に一千万以上稼いでいた店も消えていた。
業界はTSUTAYAとGEOだけとなり、それらのチェーンも芳しくないと聞く。
浦和から熊谷まで中仙道沿いを走ると、かつて店舗だった痕跡を見つけることは出来る。
小型スーパー、ゲームセンター、カラオケなどに様変わりしている店がそうだ。
それでいて我が身はまだビデオ業界で飯を食っている。
この先にどれほどの未来があるのかさえも興味を失いつつあるのだが、
こうして過去まで消えていることの寂寥感はなんと表現したらいいのだろう。
様変わりした路面の一軒一軒が傷跡のように思えた。


2015.12.15 大和市の林間で

54歳になる息子が暴れていると80代の母親から警察に通報が入った。
母親は怪我をしていて、近所は騒然となったらしい。
そんなニュースが気になったのは、ごく近所での出来事、54歳、の符号もあるが、
漠然とこんな事態が我が身にもおとずれるのではないかと畏怖を持ったからだ。
最近、親といると自分がいかに人として未熟であるのか身につまされる。
さすがにニュースの54歳男のように日本刀を振り回すことはないと思うが、、、。


2015.12.16 男塾

勃ったので
タオルを掛けるも
即、落下


2015.12.17 夫婦別姓の議論より

夫婦別姓の裁判は原告側の敗訴となった。
所帯を持っているわけでも、家長でもない自分がその是非を語ることではないが、
原告に立った女性の深刻な表情とは裏腹に、この裁判には違和感を持った。
夫婦別姓は憲法が保障する基本的人権への侵害にあたるとして、
そこで被った苦痛の損害賠償を国に求めるという裁判の進め方が変だと思った。
何らかの賠償を求めなければ国相手に裁判を起こせないということだろうか。
確かに夫婦別姓を勝ち取ることは人権を得ることの到達点なのかもしれないが、
それより同一姓を名乗らないことで生ずる生活上の不利益を解消することが先決で、
そのことのシステムを変えることを第一義的に訴えるべきではなかったのか。
それはビデオ倫理協会(ビデ倫)のワイセツ裁判にもいえることで、
このビデオソフトがワイセツに当るのかどうかを裁判の論点にするべきところを、
左派の馬鹿弁護士は、検挙は表現の自由を保障する憲法に違反するものだとやった。
結果、どこまでがワイセツなのか司法の線引きを得る絶好の機会を逸してしまった。
夫婦別姓もワイセツも憲法違反か否かを問うこと自体がナンセンスでなかろうか。


2015.12.18 今年一番の残業

仕事が残ってしまい、ひとりで2時間ほど残業するつもで、夜食のデリバリーを物色。
ピザでも注文しようかとなったら何人かが、それに乗ってきた。
結局、ビールを飲んであーでもないこーでもないとやってしまう。
「仕事じゃ仕事じゃ、帰れ帰れ」と彼らを職場から追い出して仕事。
結局、今年一番の残業となってしまった。
残業よりもまずは夜食に気を取られた自分が間違いだった。
・・・・明日は今年一番の早起きをしなければならない。


2015.12.19 紀州路へ

今年ほどひとり旅に出るのも珍しい。神社、観音霊場めぐりの旅だ。
まだ暗いうちに玄関を出て、新横浜6時半発の新幹線に乗る。
10時に和歌山駅に到着。そこからレンタカーを借りて、紀州路をめぐる計画。
和歌山には9月に行ったものの、紀三井寺から臨む景観を堪能する時間が足りなかった。
今回はたった2日間の急ぎ旅でも、冬の紀伊半島の空気感をたっぷり味わうつもりだ。
和歌山といえば高野山と熊野三山という神仏の二大聖地がある。
前回は粉河寺から右に行くか左に行くかで迷って、九度山を目指したので、
今日は根来寺から道成寺まで行って、和歌山市内をめぐる算段を描く。
そうはいってもさすがに紀伊半島のスケールか、結構な距離を走ることとなる。
しかも明らかに睡眠不足。阪和自動車道の途中で集中力が途切れ始める。
結局、田辺のPAで仮眠をとってしまったので(毎度ながら)時間に追われてしまう。
出発前に走行距離と時間は計算したつもりでも、毎度、机上計算は悉く狂い、
それを我ながら面白がっているフシもあるが、和歌山駅に宿を取ったのは最大の誤算。
結局、阪和道の同じルートを2往復してしまう歯目となってしまった。
根来寺の国宝・大塔、安珍・清姫伝説ゆかりの道成寺。もっとゆっくり回りたかった。
南紀白浜は宿泊が高いので避けたものの、高速代、ガス代、時間の浪費を思えば・・・・。
結局、和歌山に戻って和歌浦の天満宮、紀州東照宮に駆け込んだのは薄暗くなってから。
最後の東照宮では帰り仕度を終えた新職の方に御朱印を戴くこととなり、
とんだ残業をさせてしまった。反省。でもしっかりと帳尻は合わせた。
時間の有効活用が下手なくせに、矢鱈滅多ら詰め込む悪癖はもはや天分なのだろう。


2015.12.20 熊野をゆく

西国三十三ヶ所観音霊場めぐりも残り僅かとなってきた。
しかし発願寺の青岸渡寺に行っていないことはずっと気になっていた。
市内のホテルを7時に出発。再び阪和道を南下して熊野をめざす。
熊野は寺社めぐりを始めたときからの最大級の目的地だが、なんだかんだ4年かかった。
ここには20代の頃に行ったきりなので、ほぼ30年ぶりになる。
あの頃は滝めぐりが好きで、大杉谷を渡った後、那智大滝まで足を延ばしたのだった。
その大滝との30年ぶりの邂逅も、寺社めぐりと合わせて大いなる楽しみではあった。
いや、大滝はそのもののが御神体なのだから、霊場めぐりと一対を成すわけか。
もの凄い水量が滝つぼに落ちる豪快さと神聖なまでの閑けさ。
30年前は真っ直ぐ大滝を目指した。熊野古道という認識もなかったかも知れない。
今回は熊野本宮、速玉大社、那智大社、補陀洛山寺、青岸渡寺を経由しての大滝だ。
高さ133メートルから一気に落ちる日本一の直瀑のスケール感よりも、
内からも湧きあがる霊験に感銘と、好きだった滝めぐりと寺社めぐりが合致した感銘。
寺社めぐりに魅せられた原点がここに見つかった感慨を覚えた。
感銘と感慨。あまりにも個人的なことゆえ、ここに一人旅の醍醐味があった気もする。


2015.12.21 紀州路・追記

30年前に紀州を訪れた時は、今回よりももっと強行軍だった。
何せ山小屋に一泊して難所といわれる大杉谷の滝鑑賞ポイントを延々と歩き、
お伊勢参りをしてから那智に乗り込んだのだ。それと比べたら楽なものだったが、
やはり寄る年並みには勝てず、仕事中も睡魔との戦いとなってしまった。
2日間の走行距離は600キロを超え、車で回りながら万歩計は1万歩を超えた。
和歌浦天満宮、紀州東照宮、熊野本宮大社、熊野那智大社、青岸渡寺。
きつく長い石段が何度も54歳高血圧の前に立ちはだかった(汗)
和歌山駅から新大阪までの特急くろしお号で爆睡。
そして夜の10時過ぎに新横浜到着。そこで喧しいラテン系の集団に出くわす。
FCバルセロナのサポーターか。そういえばクラブW杯決勝が横浜で開催されていた。
まくしたてるようなスペイン語の嵐。一変に目が目が覚めた。


2015.12.22 もしも年末ジャンボが当たったら

…などと思い浮かべた時点で当らないのだろう。
思い浮かべずとも当るものではない。一等前後賞合わせて10億だ。
でも「買わなければ当らない」「誰かは必ず当っている」のありきたりな常套句。
しかし買う動機としてはアリだ。
でも結局「夢を買うのだ」の決まり文句に落ち着く。夢というより妄想か。
「当ったら何を買おう」ではなく「当ってもこれは止めよう」を思い浮かべてみる。
広い家は買わない―掃除が面倒だ。
高級車も購入しない―そんな小回りの利かん車はいらね。
老後に備える―いつ死ぬかわからんものを…。
夢も妄想もセコくなる一方。いの一番にやることは「真っ先に辞表を書く」か。


2015.12.23 天皇誕生日

週の半ばの祝日。午前中は天皇陛下の特番を観て過ごす。
ご夫妻も年齢を重ねられ、不穏なご時勢にご公務をこなされる心労もあるだろう。
それでもご夫妻は笑みを絶やさず、菩薩のように人々を癒し続けている。
いたずらに街が華美になる頃合い。もっと静かにこの日を祝えないものか。


2015.12.24 買うのか買わないのか

昨日の実家でのこと。
実家では石油ファンヒーターの使用を止めさせた。
キッチンから動かない父親は電気ストーブを囲むように一日を過ごす。
エアコンはリビングにはあるが、今や、物置部屋と化している。
そこでキッチンにも10万以下のエアコンを入れることを提案し、
そこで親を連れて近くのYAMADAに行く。
ところが困ったことに両親とも家電量販店で電化製品を買いたがらない。
見積もりのための下見の段取りまで済ませた後で、ぐすぐず言い出す。
懇意の電気屋にすべてを任せたいらしい。年寄りとはそんなものか。
今は取り付け工事やアフターに量販店も街の電気屋もないと思うのだが。
そのことを詰ると、自分の主張の正当性を切々と訴えて来る。
もともと財布に10万用意してYAMADAに来ているにも関わらずだ。
それで懇意と思い込んでいる電気屋から馬鹿高い製品を買わされ続けている。
結局、寒くてもこの冬は耐え続けるそうだ。
こういうのを本当に徒労という。


2015.12.25 仕事納め

残業続きの12月だったが、その甲斐あって無事に仕事納めとなった。
大掃除は去年に引き続き便所掃除を買って出る。
『トイレの神様』に触発されたわけではないが、便所掃除だけは譲れない。
床を「激落ちくん」で磨きながら、この一年間で一番真面目に仕事した気になる。
最後は例によって酒とオードブルを囲んで飲み会。
先にあがらせてもらったのが午後9時半。
この後、いつまでダラダラ飲んでいたものやら。去年は朝まで飲んでいたそうな(汗)
さて、9連休が始まる。「良いお年を」の一言で湧きあがるこの解放感。
仕事が終わった解放感なんだか、飲み会を抜けられた解放感なんだかよくわからぬが。


2015.12.26 旧友たちとの清龍会

年に4度ほど居酒屋の「清龍」で飲むから、「清龍会」。
最近になってからこの名前が定着したと思いきや、
このページで「清龍」をキーワードに検索してみると、
6年前から「清龍会」と名付けていたので驚いた。
そしていつも同じ内容を書いている。
変わらないものを温め、ともに変わっていくことも温めながら、
2015年、年の瀬に改めて書き残しておこうか。
「5時間の飲み会お疲れさま、ありがとうございました」


2015.12.27 正月映画

どうも実家に長居できなくなって困っている。
覇気を無くした親父と、それを愚痴る母親との空気感が居たたまれない。
さっさと用を足すと「また大晦日に来るから」と言い残して実家を飛び出る。
そしてその足で海老名まで行って、007の最新作を観て来た。
先に超話題作の『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』は観ている。
どちらも正月興行にはもってこいの大ヒットシリーズなのだが、
では映画興行が街の風物詩を演出しているかといえばどうなんだろう。
以前、映画館の活況は年末から正月にかけての繁華街の風物詩だった。
街頭のあちこちに「絶賛上映中」の映画ポスターが貼られ、
路面の映画館では大看板の下で開巻ブザーが鳴り、切符売り場に列が出来ていた。
それだけ映画が街に溢れ、映画が外に向かって発信されていたのだ。
もちろん今も繁華街には大規模な映画館はある。
しかし殆んどがシネマコンプレックスとして建物の中に収まっていて、
どんな映画が上映中なのか外からはまったくわからない。
盆・暮れ、正月といえば松竹が寅さん、東映がトラック野郎、東宝が百恵・友和。
洋画ではパニック大作、イーストウッドのアクション、007シリーズが目玉だった。
冬休みに入れば、各映画会社の直営館は詰め込むだけ客を詰め込んで、
それが繁華街の活況にひと役買っていたのだ。もう40年前の話か。
ブロックブッキングで映画会社別の直営館、契約館があった時代はわかりやすかった。
今年は唯一、松竹だけは山田洋次作品をかけているが、他の邦画は目玉がわからない。
本質的には邦画各社から正月映画は消えたのだと思う。
そう正月映画というジャンルであって、年末にやるから正月映画ではなかった筈だ。
以上、時代遅れのノスタルジックおやじの世迷い言なり。


2015.12.28 テレビをつけない日々

休みに入ってからテレビを一切つけていない。
ニュースはYahoo!のトピックスを眺めるのみだ。
日韓関係の修復が大詰めらしい。
慰安婦問題などもっと関心を寄せるべきところだろうが、全然関心が湧かない。
中国はともかく韓国との関係などどうでもいいのだ。
昔はテレビなしの生活など考えられなかったが、なければないでどうにでもなる。
休みに入ってからは御府内八十八ヶ所の札所めぐりに勤しんでいる。
目標は一日一万歩以上歩くこと。今日も麻布から白金界隈を二万歩歩いた。
今まで麻布なんてロクに歩いたことがなかったので、色々と発見があって面白い。
オシャレなブティックやカフェか並ぶ街だと思っていたが、とにかく坂が多い。
道源寺坂、暗闇坂、寄席坂、狸穴坂、牛坂、行合坂、芋洗坂、饂飩坂、鼠坂・・・・・。
その坂の途中にちょっとした寺町があり、案外、江戸の情緒を醸し出している。
この辺りは山の手の武家屋敷が点在していたのだろう。必然的に菩提寺が並ぶ。
住宅街も意外と小じんまりとした佇まい。しかしガレージには黒塗りの高級車が並ぶ。
そして点在する大使館。これは没収した武家屋敷の跡地に建てられたのだろう。
いやはや面白い。まったくテレビなど観ている暇はないのだ。


2015.12.29 元浅草、松が谷、下谷、三ノ輪界隈へ

御府内八十八ヶ所札所巡りは、江戸詰の武家が四国霊場に見立てて作られた。
だから御府内めぐりはそのまま江戸の町並みを追体験する小さな旅だ。
はっきりいって寺院そのものは小さい。中にはマンションのような札所もある。
大きな観光寺ではないので、殆んどが納経所もなく個人宅をめぐるようなもの。
玄関の呼び鈴を押すと大抵は住職の奥さんが対応する。
観音堂に通してくれる寺もあれば、玄関先で御朱印を待たされる寺もある。
しかし各々有名な浮世絵師や文学者の墓。『鬼平犯科帳』の舞台など、色々と面白い。
山の手の麻布界隈と違うのは、やたらに菓子や飴などお土産をくれること。
さすが下町といったところだろう。昨日は見かけなかった軽自動車をやたら目にする。
昨日に続いて二万歩超歩くことになったが、東京の街は変化に富んで面白い。


2015.12.30 映画『恋人たち』

友人が「今年一番面白い日本映画」と薦めてくれた橋口亮輔監督の『恋人たち』。
そういえば『百円の恋』も彼の薦めで、映画館も同じテアトル新宿だった。
上映終了ギリギリに何とか間に合った。
シネコンベースで映画を観ていると、肝心な映画を見逃す羽目となって困るのだ。
橋口亮輔は寡作家だが、7年前の『ぐるりのこと。』は見逃しているので、
最後に観たのは『ハッシュ!』ということになる。もう14年前の映画だ。
昼間は四谷界隈をめぐり、ファミレスで夜9時近くまで時間を潰してのレイト観賞。
身体が疲れていたので途中で落ちるのを懸念したが、最後まで画面に釘付けとなった。
登場人物たちのちょっとした機微にジリジリ、ヒリヒリとさせる感覚。
一触即発の緊張感を孕みながらも、何故か可笑しみがこみあげてくる不思議さ。
無名の俳優たちの、無名がゆえに醸し出すリアリズムなど、実に面白かった。
たまたま四谷の宮司さんから「有事人生」なるお言葉を戴いた。
人生には必ず事が起こる。何も起こらない人生などないという意味で、
人はその有事に対峙していくことがあらかじめ宿命としてあるのだ。
同い年の是枝裕和は上手くコマーシャリズムに乗ったが、
日本映画は橋口亮輔をもっとフューチャーするべきだと強く思った次第。


2015.12.31 一年の終りに

人生の内でもっとも旅に出掛けた年になった。
どれも1~3泊程度の小さな旅だったが、
毎月のように首都圏から脱出した。
来年も茫洋と計画があるが、年老いた両親を抱え、
ひとり旅の時間がどれ程取れるものか。
ふと今年の物故者の一覧を見てみる。
ラウラ・アントネッリ、黒田義之、ダスティ・ローデス、ニック・ボックウィンクル。
ジャンルは様々。亡くなった時のニュースを失念し、リストで名前を見つける。
そして安藤昇も旅立っていたことも知る。
一覧に羅列していた名前が、瞬く間に肉感を伴って脳裏に蘇る。
彼らの旅立ちはお悔やみではなく、感謝こそが相応しい。

                           

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