■2012.03

日めくり 2012年03月(平成24年)         


2012.03.01 春三月、最高気温14度

今年は例年と比べ三連休が随分と少ないらしい。
おまけにうるう年で一日長く、何と7月にはうるう秒もあるらしい。
そのうるう年の一日に雪が降り、冬の名残を目一杯に演出していると思ったら、
暦がめくれた途単に燦々と太陽が照りつけ、積もった雪を一掃する。
いやここまで見事に冬と春のコントラストを見せつけられたのは初めてだ。
とりあえず春三月。出会いと別れの季節の到来であります。


2012.03.02 上司の送別会

直属の上司が七十歳手前で勇退され、その送別会を池袋のバーで行う。
業界関係者も含めてだいたい30人くらいの飲み会になっただろうか。
めっきり大勢での飲み会が苦手となり、夜の10時も過ぎれば帰りたくなる。
何十年か前のサントリーのCMで、布施明が「五杯が限度かな」といっていた。
以来、公の飲み会ではとりあえず五杯飲んどけばいいかと思うようになった。
昔は夜10時まで飲んだら「今夜は帰らねぇぞ」となったものだったが。


2012.03.03 千代さんの最期

朝ドラ『カーネーション』がいよいよ大詰めに差し掛かってきたようだ。
ドラマは大正から、戦中、戦後と、時の流れの中で何人かの死も描いてきた。
しかしこのドラマ、臨終の床で涙の別れという場面は記憶にない。
言葉も覚束なくなってきた千代さんは、だんじりの夜に善作さんを見つける。
そっと微笑む千代さんの酌に盃を差し出す善作さん。その満足げな表情。
人生の最期をこんなに潔く見せた渡辺あやのホンに脱帽。


2012.03.04 天皇陛下、ご退院

心臓の冠動脈バイパス手術というのがどの程度なのかは知らないが、
ご高齢には決して楽な手術ではなかっただろうと思われる。
陛下は震災の追悼式典への出席を強く希望されているという。
医師団と宮内庁は今月中のご安静は絶対だといっているようだが、
陛下の一言がどれだけ鎮魂をもたらし、復興へ向けての力になることか。
ご希望が叶う方向へ体力が回復されることを願いたい。


2012.03.05 大人

おそらく精神年齢は中学三年の時からそう変わっていない。
逆にいえば中三の時にはすでに大人だったという見方も出来る。
あの頃からムラっ気十分だったし、煩悩の塊だったし、怖いものは怖かった。
人に嫌われたくなかった。自分が可愛かった。いつも腹に企みを抱えていた。
年齢を重ねて、少しずつ視力が衰えて、髪の毛が白くなっていったように、
多少の経験値を得るたび少しずつ夢を削られていっただけか。


2012.03.06 遅ればせながら

渡辺あや脚本に原田芳雄、尾野真千子主演のドラマ『火の魚』を観た。
地味だが芳醇な匂いのするドラマ。視聴率に囚われないNHKにしか作れないだろう。
申し訳ないが原田芳雄の遺作『大鹿村騒動記』よりもずっといい。
続いてBS放送でスウェーデン版の『ドラゴン・タトゥーの女』を観る。
あちゃー、「小説と映画は別モノ」という持論が揺らいでしまうほどのつまらなさ。
やはり本を読みながら脳内に作ってしまった映画には適わないか。


2012.03.07 旅の段取り

3月末の大阪行きの計画をそろそろ考えなくてはいけない。
二次会の居酒屋がそこそこ予約で埋まっているのだという。
嫌な予感がして前回も利用した梅田のホテルをネットで検索してみると、
あちゃー、3月最終の土曜日は満室になっていた。さすがに安い宿は人気がある。
それから様々なプランを探しはじめると、あっという間に夜が更けていく。
久々に西成の安宿にでも泊まるか、いや、やっぱり梅田でもっと探してみようか。
交通手段はどうしよう。深夜バスは疲れるし、新幹線パックは何だかんだ高くつく。
いっそのこと、前日から乗り込んでおけば、朝から大阪のあちこちを回れるな。
こんな具合に、あれやこれやと旅の段取りをつけていくことに旅の醍醐味がある。
結局、みるみる貧乏旅行に持って行ってしまう性分なのだけど。


2012.03.08 テンション

仕事のことでイラつきながら午後9時に地下鉄に乗る。
しかしイラついたテンションでやった3時間の残業には満足していた。
車内の週刊誌の中吊りを何となく見上げると、
“原発暴走!東京に「戒厳令」発動、極秘作戦書を独自入手!”の大見出し。
相変わらず原発不安と首都圏直下地震は週刊誌の上ネタなのだろう。
そしてその活字とほぼ同じ大きさで左端にどかんと、
“オセロ中島奪回!父親VS女霊能者の全攻防”と来た。
所詮、週刊誌の世界では原発も地震もその程度の重みか。
くだらねぇなと思いながら妙なテンションは帰宅するまで消えなかった。


2012.03.09 周期?

今日も何となくイライラしながら仕事をしていた。
1月の半ばから部署が変わって以来、確実にイラつき度は増している。
「怒りに任せるのではなく、まず冷静になって考えてみよう」
と、年頭の「日めくり」で抱負を書いたはずなのに、とんだ未熟者だ。
去年の今頃はもっと鷹揚だったよなと思い、2011年3月9日の「日めくり」を辿る。
・・・いやはや笑ってしまった。


2012.03.10 明日、震災から一年

テレビでは特番やニュースで震災から一年というテーマで特集を組んでいる。
画面では復興に向けて歩み出した東北の人々を映し出し、
仮設住宅で過ごす26万人と、放射能で県外避難した6万人の苦悩を紹介する。
想定外、帰宅難民、原発事故、計画停電、買占め、義援金、風評被害、がんばろう東北。
メルトダウン、住民避難、セシウム、脱原発、絆、除染、瓦礫受け入れ拒否。
早くも一年経ったかとも思えるし、薄暗いスーパーの売り場が妙に懐かしくも感じる。
今まで生きた中で初めて日本人としてのアイデンティティを問われた一年だった。


2012.03.11 追悼と供養

小さなちよ紙で不器用な手つきで不細工な折鶴になってしまったものの、
鶴岡八幡宮で震災供養の奉納をしてきた。
「みんなで支え合おう」という一年前の気分に、
日本人は戻ってみたらどうだろう。


2012.03.12 星とともに

遠ざかったと思っていた冬がまだ足音が聞こえるあたりにいる。
とっくに追い抜いたつもりでも息遣いがしぶとく聞こえるようだ。
昔はまだ初春の寒い夜は星が綺麗だった。
強い光でないと見えなくなったのは、目が悪くなったこともあるか。
オリオン座の真ん中の3つ星がかろうじて確認できたのだが、
西の方角に、ひと際、明るい星が二つ並んでいる。最初はジェット機かと思った。
携帯電話のアプリで調べてみると、どうやら双子座らしい。
絶対に必要のない機能ではあるが、たまにはこういう帰り道もいい。


2012.03.13 そして夜は甦る

誰にもいえない、誰にもいいたくない夜がある。
何も書けない、何も書きたくない夜もある。
個人的なことで申し訳ないのだけど、
あぁ、あの夜のことか、、、とあとで思い出せればいい。


2012.03.14 千葉で震度5強

午後9時5分。帰宅ラッシュの電車が川崎市内を抜けた辺りだったかと思う。
乗客の携帯端末のアラーム音が一斉に鳴り出した。
続いて「緊急地震速報を受信したので停車します」とのアナウンス。
揺れそのものよりもそこら中から鳴り出した緊急アラームに驚いた。
何とか携帯の画面を見ると「強い揺れに備えてください」とのメッセージ。
こちとら痴漢の冤罪に巻き込まれないよう吊革にしがみついているのが精一杯だ。
いやはやこんなスシ詰め状態で大地震に見舞われたらたまったものではない。


2012.03.15 あまりに前時代的な

仕事を終えて、高田馬場のルノワールで同業者とお茶を飲む。
仕事内容は同じでも我々とあまりにシステムが違いすぎることに驚いた。
向こうは60歳で定年。こちらは60歳を過ぎてから新人で入ってくる。
それ自体は大した問題ではないかもしれないが(ほんとか?)、
考えてみれば、ほんの少しワードとエクセルが使えるだけで、
私はパソコンが使えると思われて、ことあるごとに頼られている。
我々が普段やっていることは40年も昔から変わらないことを思い知らされた。
これは非常にショックだ。


2012.03.16 新宿23時3分発特急ロマンスカー

久々にガツンと残業。小田急新宿駅のホームに降り立った時の懐かしい感覚。
しかし疲れる・・・もう全然若くない。
アパートについたころにはカレンダーが捲れていた。
それにしても以前のアパートは玄関へと直進だったので気にならなかったが、
今の住まいはまず先に真っ暗な部屋の窓が見えてくる。
思わず気分が萎えて「はぁ」とため息ひとつ。
・・・俺は寂しいOLかいな。


2012.03.17 まだまだオープン戦

オープン戦でぶっちぎりの強さを見せながらシーズン最下位なんて年もあった。
だからオープン戦で最下位になっていることをとやかくは言わないし、
セ・リーグ五球団から一勝も出来ないことや、やたら完封負けが多いのも気にしない。
チーム打率が2割を切っても、八回4点差リードでも逆転負けしたことも、
何人かが怪我で開幕絶望となっていることも、まだまだオープン戦の段階での話だ。
今年は大した補強もやらず、現有戦力の底上げで臨もうとするシーズン。
ひとりでも若く粋のいいのが一軍に上がってほしいところではあるが、
そのタイガースの二軍は明治、中央の大学生を相手に連敗したらしい。
いやいや、まだ開幕したわけではない。これからこれから(汗)。


2012.03.18 失うことの理性と覚悟

NHKのETV『生き残った日本人へ~高村薫 復興を問う』を観る。
好きな作家の視線が東日本大震災をどう捉えるのか興味深かった。
17年前に被災者となった彼女が「阪神淡路とはとても比べられない」という。
もともと震災以前から、過疎や高齢化や地域経済の危機に見舞われていた集落。
その土地を整地して、道路や農地を整備して何が生まれるのかという疑問に直面する。
老いた両親を残し、子供夫婦は孫を連れて県外へと避難して県外に移り住む。
ここは姥捨て山のようだと苦笑いする福島のおばあちゃん。
ついに高村薫は復興を放棄し、土地は自然に返すことに言及していく。
一年前、すべてが呑み込まれた大地は人を拒むように夏草が生い茂っていた。


2012.03.19 馬鹿ですか?

思えば去年のプロ野球の開幕延期に真っ先にチャチャを入れたのは巨人だった。
それでも楽天の嶋捕手の感動的なスピーチから始まった昨シーズンのプロ野球。
その集大成である日本シリーズを「清武の乱」が散々と掻きまわしてくれた。
オフでは日本一のチームのエースふたりと、最下位チームの四番を補強。
そしていよいよ開幕が近づく矢先に朝日新聞が高額契約金を一面でスクープ。
まあプロである以上は綺麗ごとだけでは済まされないのはわかる。
あくまでも各球団間の紳士協定に過ぎなかったというのが巨人の言い分だが、
紳士を標榜していたチーム自らが所詮は紳士協定だと主張したのは笑える。
しかし球団秘密を朝日にリークした人間がいることが気持ち悪い。
またも球団社長と空疎な応酬を始めた清武だが、今度は暴露本の出版が話題に。
日本シリーズ前と開幕前というプロ野球の大事な節目に「馬鹿か?」と思う。


2012.03.20 職場の春一番

昨日は強風がコンビニに止められていた自転車をなぎ倒していた。
「やっと春一番か」と思いながら、あまりの寒さにブルっと来た。
彼岸前に強い風が吹いたといっても春一番には定義があるらしい。
春一番の定義とは「立春から春分までの間で、低気圧が日本海で発達し、初めて南寄りの強風が吹き、前日よりも気温が上昇する現象」だということ。
今年は12年ぶりにこの条件を満たす南風が関東地方で観測されなかったらしい。
季節の風物詩がないのも何とも気の抜けた話ではある。
今、仕事ではとんだ春一番が吹き荒れている。
こちらの春一番に二番目、三番目が吹かないように今から夜なべなのだ。


2012.03.21 選手宣誓

昔は高校球児の選手宣誓といえば、気合いだけで怒鳴り散らしていた感じだった。
初めて巧い!と思ったのが、横浜高校の小山主将(現中日)の宣誓だったが、
今は更に宣誓の内容を全国にしっかりと伝えることが大事なのだろう。
それにしても上手だ。去年の創始学園の主将といい、今年の石巻工の主将といい、
もう宣誓というよりも殆んどスピーチ。スマートな弁論でもある。
焦らず落ち着いて、しっかりと練られた内容を伝える一切の澱みのない口跡は凄い。
石巻工の主将は胃潰瘍で昨日の開会式のリハーサルは休んだのだという。
ここまでぶっつけ本番で完璧にやられると、
胃潰瘍は本番までのネタ隠しだったのではないかと思ってしまう。
こういうのも時代って奴なんだろうか。


2012.03.22 そして会議は踊らず

実は会議や打ち合わせの類が決して嫌いではない。
自分の意図する方向に会議を誘導させる資料作りも得意だ(笑)。
しかし指名されなければ発言できない会議の何とつまらんことか。
いやはや眠い眠い、会議の内容も眠たい。
この苦行がこれからも月いちで続くかと思うと暗澹たる思いだ。
何とかしてくれ~。。。。昔は何とかしてやる~と思ったものだが。


2012.03.23 とんずら

仕事を一気に片づけて「申し訳ないが一時間早く上がらせてくれ」と。
職場の皆は「どうぞどうぞお帰りください」と。
いつもひとりで残って仕事しているのが少なからず圧力になっていたのだろう。
それで皆も安心する。私はとんずらして遊ぶ。
正しいね。


2012.03.24 愛について、東京

柳町光男の監督作品にそんなタイトルの映画があった。
行き慣れていると思っている東京でも、実は知らない場所が殆んどだ。
今までの通勤地や映画館、野球場の周辺のスポットを点々と知っているだけ。
そのスポットも落ち着いて攻めていたわけではない。
小雨の中、伝通院、東京大神宮などを散策。牛込見付の石垣も確認した。
この大都会を自分は愛しているのかどうかわからない。
しかし、愛を探してさまよい続けているのだと思う。


2012.03.25 交流

イチローの打球がサードベースに飛びついた新井のグラブをかすめる。
そのイチローを慕ってマイナーからスタートした川崎宗リンはツーベースを放つ。
一方、金本が豪快にライトスタンドに一発を突き刺したのには「ほう~」と感嘆。
日米親善のエキシビションでもなかなか見どころの多い東京ドームだったが、
何より40を過ぎてから思惑のないところで出会った友達と観られたのが楽しい。


2012.03.26 儚い

突然、友人の訃報が飛び込んでくる。
まだ若いのに悔しかったろうと思う。
残されたお母さんを思うと悲しいとも思う。
でも途惑うばかりなのは命というもののあっけなさだ。


2012.03.27 未だ受入れ難く

女友達には「お母さんと話して彼の死を受け入れることが出来た」といった。
本当だろうか。あれは嘘だったのかも知れないと思う。
日曜日の開幕カードを一緒に観るつもりの相手が十日前に亡くなっていた。
劇的という言葉は適切ではないが、嘘みたいな話ではある。
一日中、彼の顔がちらついて離れなかった。
あの顔にちらつかれて仕事に集中なんて出来るもんかいなと思いながら、
今は言葉にならないことを無理やり言葉にしようとしている無理を感じている。


2012.03.28 29番が帰ってくる

阪神で年間200イニングを投げ続けていた男はメジャーで2勝しかできなかった。
井川の五年間はまさに挫折と恥辱に塗れた日々だったはずなのだが、
井川慶のオリックス入団会見を見ながら、随分と表情が明るいと感じた。
この明るさは私には意外だった。
むしろ阪神時代よりも笑顔が弾けていたのではないか。
そしてその笑顔を見ながらこちらもつられて笑ってしまう。
もともと天然キャラなのだろうが、この無邪気さには妙に図太いものを感じ、
沈んでいた気分が少しだけ癒された思いだった。
岡田オリックスの下で見事に復活してくれることを切に願う。


2012.03.29 引っ張った

大学新卒並みの給料しか出せないけど・・・と、
失業して一年間燻っている友人を、わが職場に誘ってみた。
それが理事長面接まで付き合わされることになって、
殆ど即決で入社が決まってしまった。
彼と同僚となるのはこれで3度目だ。これを腐れ縁といわず何という。
今度はお互いに足を引っ張ることなく、持ち上げ合っていこうと約束。
何せかれこれ30年の付き合いになるのだから。


2012.03.30 飲むわ食うわ待つわ喘ぐわ

今度は身内だけの上司の送別会を新宿のバイキングレストランで行う。
大勢でがちゃがちゃと飲むわ食うわでまともな送別会になったものか怪しいが、
警視庁の刑事部OBで退官後も十年間勤めたのだから、羨ましい話ではある。
私など70まで勤めるなど夢のまた夢で、
退職金はおろか、年金すらどうなるものかわかったものではない。
そんなことを思いながら、大阪行きの深夜バスを待つこと2時間半。
いつもながら、狭いシートに喘ぎながら9時間近く。
眠れたのかどうかよくわからん状態で到着した大阪は土砂降りの雨だった。


2012.03.31 OSAKA.Rainy Days

守口駅で待ち合わせまでの間、天神さんに足を伸ばしてみる。
彼が愛した繁盛亭や稲荷さんの赤い鳥居が連なる風景が雨に濡れていた。
それらを写メに収めて、雨男で自らをレイニーと名乗っていた友を偲ぶ。
女友達と一緒にご実家まで行くとお母さんが迎えてくれ、
祭壇には30代の頃の髪がふさふさの遺影が飾られていた。
いやはや写真はマメに撮っておくべきだと痛感しつつも、
我々が知らない彼のエピソードをお母さんから聞き、
逆にタイガースファンとしての彼のことをお母さんに聞いてもらった。
しかしお母さんの上手な話っぷりに惹き込まれてしまう。
意外といったら彼に失礼だが、本当に若々しく綺麗なお母さんだった。
一緒に行く予定だった阪神戦のチケットを祭壇にそっと置き、
本当に後ろ髪引かれる思いで京セラドーム大阪へと向かった。

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