■2017.01
日めくり 2017年01月(平成29年) ◄►
2017.01.01(日) 今年もやらかしの予感
正月のテレビ番組の大半は、昨年中に収録したものと思われる。
まぁ、小売業やサービス業の正月の労働が問題となる昨今でもあり、
あらゆる番組に生放送を期待するほど、テレビに関心があるわけでもないが、
バレバレの中、あえて晴れ着で正月を装う意味などあるのか?と思う。
考えてみれば、受け手の正月気分に合わすという意味では年賀状も同じだ。
年末に「昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願いします」と書く。
本来なら読み手のタイミングより、書き手の気持ちを優先すべきではないのか。
先週の木曜。私は年賀状を書いて投函した。
「今年もいろいろありました。きっと来年もそれなりのことがありましょう」
先週、つまり2016年の年末にそう書いた。
これは確信犯・・・と言いたいところだが、実は何にも考えていなかった(汗)
あーあ。新年早々、恥をあちらこちらにバラ巻いてしまった。
そんなこんなで今年もいろいろやらかすかも知れないですが、
改めて明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。
2017.01.02(月) 卒寿の反抗期
夜中に母親から「今すぐ来てくれ!」と電話。
親父が酒飲んで暴れているという。
何でもお供えの4合の日本酒を全部飲んだのだという。
車で駆けつけると、風呂に浸かって唸っている。
引っ張り上げようとすると喚き散らし暴れて出て来ない。
それからがとんだ修羅場となった。
無理やり湯舟から引き摺り出し、タオルで素巻きにしてベッドまで運ぶ。
うちの恥をこんな所で晒すのは憚れるのでこの間の詳細は書かない。
今までこんな親父の姿は見たことがなく、いよいよ来たか!となったが、
酔いが冷めた翌日は嘘のようにシュンとなっていた。
正月早々、卒寿の反抗期かい?・・・・勘弁してくれよ。
2017.01.03(火) 青学、箱根3連覇
今年も箱根駅伝は青山学院が制した。
彼らは実に楽しそうに走る。
キツいししんどいに決まっているが、それを感じさせない。
ひとりひとりのランナーが皆、スマート。むしろ華奢にも思える。
本来、箱根駅伝は汗と体臭に塗れた「忍耐と根性と連帯」のドラマだ。
朦朧としながら仲間にタスキを繋げること一点を目指し、血潮を滾らせる。
実はかなり前からそんなイメージではないのだが、さらに時代は変わったようだ。
そもそも青山学院のイメージと箱根駅伝はまったくそぐわない。
そのそぐわない青学生のイメージのまま、彼らは往路、復路も制する。
一方「忍耐と根性と連帯」の権化たる我が出身校の体たらく。
頭の良さで遠く及ばない以上に順位も遠く及ばない。
来年こそ意地でも「忍耐と根性と連帯」の走りを見せてほしい。
ただし、予選会をクリアできたらの話だが。
2017.01.04(水) 早くも出勤
やはり今年の正月休みは「あっ」という間ではなく、
「えっ」という間に終わった。
そもそも正月休みといっても半分は土日と祝日ではないか。
土日祝以外を休む大型休暇の醍醐味に欠けること甚だしい。
すっかり行かなくなったが1月4日といえば新日本プロレスのドーム大会だ。
昔は東京ドームでプロレスを観て、新年が明けたことを実感したものだ。
実際、まだ出勤電車はガラガラ。
案の定、今日まで休みの取引先も少なくなかった。
などと思うようになったのもすっかり勤め人が身についたからだろう。
かつて十年間も正月返上で働いてきた記憶が遠くになりつつある。
それでももう一日休みたい。キリがないのはわかっているが。
あゝ、新年早々、嫌々ながら出勤している今の身の情無さよ。
2017.01.05(木) 同年代
今、職場に50代は私だけ。60代が5人、40代が3人、残るは30代。
だから下からはおっさんと思われ、上からは若造たちと一緒くたにされる。
この中途半端さに、どうにも居住まいの悪さを感じる時がある。
だから同年代の友達と電話で話すのは楽しい。
今は年老いた親とどう向き合っていくかの課題を共有しているのだが、
その友達たちから、親から逃げられる時間を見つけるのも大切といわれた。
そうかそこに引け目を感じる必要などなかったのだ。
どの道、どんな形であれ親の面倒から逃れられないのであれば、
せめて親から離れている時は、親のことを考えても仕方がないのだ。
まさに目から鱗。少し勇気をもらったようで非常に有難かった。
2017.01.06(金) カレンダーに文句たらたら
「親から逃げる」といいつつも、遠く離れるのは3日が限度だろう。
つまり3連休をどこまで使えるかだ。
そう思って今年のカレンダーをめくってみる。
話には聞いていたが、改めて曜日の並びの悪さにガクっとくる。
2月11日建国記念日。4月29日昭和の日、9月23日秋分の日、12月23日天皇誕生日。
すべて土曜日。つまり週末と丸被りとなり、祝日の役割をなしていない。
明日から貴重な3連休。ちょいと逃げてみることにする。
2017.01.07(土) 初めての岡山
飛行機での旅となると、昨日思いついて今日出発というわけにはいない。
それでも旅に出たいと思いついたのは休みに入ってからだった。
今回の旅は瀬戸内。中国観音霊場、備前、備中、美作、備後の一之宮めぐりだ。
羽田8時発のJALは1時間あまりのフライトで岡山空港に到着する。
天候良好。窓の席だったので、ずっと下界を眺めて過ごした。
離陸してすぐに富士山が見える。まだベイブリッジを走る車が見える高さだ。
鶴見川の横に巨大な日産スタジアム。日韓W杯の決勝戦がここだった。
このまま海岸線に沿ってくれれば面白かったのだが、山側に空路をとる。
日本の国土の3分の2は森林だったか。幾重にも尾根が続く。
深い山際に影が差して3D立体映像のようにも見える。このルートも面白い。
琵琶湖の上空に差し掛かる。小さい島は竹生島か。そうなると比叡山は、京都は?
と思いきや、さらに彼方にも大きな湖らしきものが見える。琵琶湖より大きい。
湖ではない、若狭湾だ。岡山を目指しながら日本海を眺めるとは得した気分。
そんなこんなで格安航空券で束の間のランデブー。なかなか楽しかった。
岡山空港から手配済みのレンタカーに乗る。
昔、新幹線の岡山駅に降りたことはあるが、地を踏むのは初めてだ。
岡山には殆んど接点もなければ、あえて行く目的もなかったが今は違う。
道路表示に総社と出る。鬼首村は実在するのだろうか(まさか)
空港から一気に50キロ強の距離を津山市に向かう。
あの「津山三十人殺し」か……。「八つ墓村」に「丑三つの村」。。。。
本当に申し訳ないことに、岡山にはろくなイメージを持っていない。
・・・・無残やな 兜の下の きりぎりす(違っ)
美作の国一之宮・中山神社、石上布都魂神社に法然上人ゆかりの誕生寺。
美作総社宮、最上稲荷、護国神社、吉備津神社、吉備津彦神社。
例によって最後は駆け込みになったが、何とか好天に恵まれレンタカーを返却。
桃太郎もきび団子も人気の倉敷にもまったくかすることはなかったが、
なかなか趣のある岡山の一日を打ち上げて、宿泊予定の福山に向かったのだった。
2017.01.08(日) 尾道に
朝から福山市内の一之宮、古刹をめぐり、尾道には昼前に到着。
とにかく尾道にはずっと昔から行きたいと思っていた。
小津安二郎『東京物語』の笠智衆と東山千栄子はこの町から子供たちを訪ねて上京する。
その『東京物語』の尾道ロケを子供の時に見物したという大林宣彦。
大林は後に『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』の“尾道三部作”を撮る。
とくに『転校生』は個人的に糞くだらない80年代にあって、阪神優勝と並ぶ金字塔だ。
あの映画のおかげで、まだ見ぬ尾道は郷愁の町となったといってもいい。
しまなみ海道が開通して再び脚光を浴びるが、この町はそうは変わらない。
対岸の向島との間の運河のような海峡に町がせり上がる独特の造形。
映画の主人公たちが通学に使ったフェリーもきっと健在に違いない。
瀬戸内の島と島が連なりながら、丘が連続し、とにかく坂と石段が多い。
だがレンタカーで乗り込んだものの、尾道は車で回る場所ではなかった。
因島から生口島まで往復したあとは千光寺の駐車場に停めて、歩きに歩いた。
いや昇り降りを何度となく繰り返したというべきか。
横移動しようと石段を見つけても人の家の玄関と直結し、途方に暮れる。
映画で見た尾道と、現実の尾道とのギャップは殆んど感じなかったものの、
今さら小林聡美と尾美とりのりが転がった神社の石段を探すことも、
今さらタイムリープした原田知世と高柳良一が駈けめぐった坂道を追体験することも、
今さら石段を歩きながらショパンの「別れの曲」を諳んじたりはしない。
これが十年前なら、尾道三部作のロケ地を探訪したのかもしれない。
だが今は寺社巡りというい新たな趣味が出来た。
尾道は丘の斜面に沢山の古刹、名刹が散らばる絶好のスポットだ。
西國寺、千光寺、浄土寺、天寧寺、常称寺、海龍寺、西郷寺。
半日で巡れたのはここまで。本来なら1泊して2日がかりで巡ってもよかった。
あっという間に日が陰ってくる。さすがにクタクタになった。
天候に恵まれたとはいえず、瀬戸内の島々も大橋もモノトーンに沈んでいたが、
雨に降られなかったことだけでも有難いと思うべきだろう。
私としてはかなり後ろ髪引かれる思いで、次の宿泊予定の呉に向かったのだった。
2017.01.09(月) あゝそして、呉
山陽道を飛ばすこと1時間半。呉に着いたのは昨夜の20時頃だったか。
呉市の標示をくぐり抜けた瞬間から、雑然とした商店街に吸い込まれていく。
同じ港町でも空気感が風光明媚な尾道とはまるで違う。
少しやさぐれたワイルドな匂いは横須賀にそっくりだと思った。
あゝとうとう呉に来てしまった。
私にとって呉といえば問答無用で『仁義なき戦い』だ。
広能昌三が、坂井鉄也が、若杉寛が戦後の闇市で血を滾らせた街。
山守組の事務所はどこだ。広能が金筋の旅人をぶち殺したのはどの辺りだろうか。
上田透が有田俊雄に射殺された散髪屋って、実際あったのか。
新開宇一が坂井組の者に刺殺されたのは呉駅のホームだったかな、とか。
実際、それらはほぼ京都の撮影所じゃろというしょーもない突っ込みは抜きにして、
『仁義なき戦い』=呉という図式は私の中で完全にコンクリートで固められ、
昨日の尾道以上に、いつかは訪れなければならない町になっていた。
そのコンクリートで固められていた図式に新たな新風が吹き込んできた。
いうまでもない。片渕須直監督『この世界の片隅に』だ。
昨年の暮れから私はすっかりこのアニメ映画に入れ揚げているわけだが、
ふと、『この世界の片隅に』を呉の映画館で観たいという衝動にかられたのは、
呉に暮らすの人たちがスクリーンを見つめる眼差しを共有したいと思ったからだ。
かくして初めて旅先で現地を舞台にした映画を観るというミーハーをやってしまった。
呉ポポロシアターでの『この世界の片隅に』の雑感は明日書く。
その朝10時20分上映開始に先立って、亀山神社、萬年寺、萬願寺を巡ってみる。
(地元のRCCラジオをつけると安仁屋宗八がパーソナリティをやっていて驚いた)
いずれも丘の上にあり、とくに萬願寺の大塔からは市街地や港が一望できた。
それは灰ヶ峰にある北條家の畑からの眺望とほぼ同じで、
(さすがに鷺が迷い込んでくることはなかったが)
海上自衛隊の基地に巡洋艦が停泊する様は、軍港・呉はまだまだ健在であり、
ドッグの煙突から勢いよく立ち上る煙は依然、造船の街としての存在証明に思えた。
太平洋戦争の最中、軍港ゆえに呉は格段に激しい空襲を受けた。
眼下に広がる市街はほぼ焦土と化してしまったに違いない。
この焼け跡ですずさんと佳子さんは肩寄せ合うように米軍の残飯を「うまぁ~」と食べ、
広能ら一団の若者たちは青春の欲望が迸るまま暴力に身を投じていったわけだ。
さように妄想オヤジは呉の空気を吸いながら、虚実皮膜の淵で遊ばせてもらった。
最後に有難いおもてなしを戴いた萬年寺、萬願寺にこの場でお礼を書き残しておきたい。
ありがとうございました。眼下の呉の風景、一生忘れません。
2017.01.10(火) 映画『この世界の片隅に』in 呉ポポロシアター
職場に『この世界の片隅に』に心酔している後輩がいて、
(そうだ元々はこいつに映画や原作の存在を教えてもらったのだ)
「実は昨日、呉で3回目を観てきた」と告げたら絶句していた。
呉のポポロシアターは私の大好きなアーケードの映画館となっている。
建物自体はショッピングセンターの4階になっているが、
シネコンとは違う、このスタイルの映画館はかつて東京、横浜にも数多くあった。
嬉しいことにロビーのシートというシートすべてに灰皿がある。
やはり映画館はこうでなくっちゃならない。
さらに嬉しいことに、月曜日はメンズデーで1100円均一で入場出来る。
祝日だというのになんとラッキーな。これで駐車代が浮いた。
「ほー」と思ったのが、水兵の制服を着た海自さんも観に来ていたこと。
映画では呉の映画街が帰還した水兵で溢れている描写があった。
開館前から行列が出来ていた。見るからに地元のおじさん、おばさん。
かなりの年配者もいたが、戦後72年。空襲の記憶まであるものかどうか。
しかし我が町が戦禍に見舞われる様を見ることは、彼らには興味深いことだろう。
克明なリサーチとロケハンで製作されただけに昂揚感は特別だったに違いない。
今さらどうしようもないことだが、羨ましいと思った。
そんな地元の人たちがそれぞれの思いで観ていた中で、
コトリンゴが儚げに唄う「悲しくてやりきれない」「隣組」「右手のうた」。
その歌声に心地良いアウェイ感というか門外漢気分を感じて面白かった。
終映後、ロビーに貼られたロケ地マップに群がる人たち。
「あそこ出とったね」「あの建物、小っちゃい頃まであった」そんな会話が楽しい。
また映画の感想を書く用紙があり、ボードに貼りつけられていた。
ひとりひとりの映画への思いが伝わって来て、泣きそうになる。実に心地良い。
1回目、2回目とそれぞれの『この世界の片隅に』に感銘を受けてきたが、
心地良いという境地は初めてだった。
さて次はいよいよヨコハマ映画祭で、おそらくノリノリの空気の中で観る。
2月5日が楽しみだ。
2017.01.11(水) 毅然としよう
政府は釜山の慰安婦像設置に抗議して、駐韓大使を帰国させた。
当然だろうとは思う。しかしそれなりの決断でもあったと思う。
慰安婦問題については、聞くことも語ることもすっかり食傷していて、
慰安婦の軍による強制連行があったとかなかったとか、
吉田某と朝日新聞のでっち上げだとか、結構、どうでもよくなっている。
以前ならお国のため命を懸けた英霊たちをこれ以上辱めるなとの思いはあったが、
しかし慰安婦問題と英霊たちの名誉を一緒くたにするのに、さほどの意味はない。
死線をさまよう中で女を買うことで傷つくものなどなにもないのだ。
それよりも歴代総理が替わるたび謝罪を要求される経過にずっと苛々していた。
所詮は反日をアイデンティとしている国なのだ、
はっきりいって相手にしなくていいよ、との思いが強い。
そもそも韓国と付き合うことにどんなメリットがあるのだろう。
もちろん国際関係で、隣国との付き合いはメリットの問題ではないのだろうが、
例えば北朝鮮の核への脅威と懸念は共有していても、そこで何を協力し合うのか。
今回、ようやく日本政府は韓国に対して毅然とした態度に出た。
この際、変に関係修復を急がず、相手の出方をじっと待っていればいい。
もうアメリカに気を使う必要もないだろう。
2017.01.12(木) 恒例、2016年度映画賞
昨年の映画賞について、このページで紹介する毎年の恒例企画。
信頼に足るヨコハマ映画祭ベストテンと老舗のキネマ旬報ベストテンから。
【第38回ヨコハマ映画祭】
①『この世界の片隅に』②『湯を沸かすほどの熱い愛』③『ディストラクション・ベイビーズ』④『シン・ゴジラ』⑤『永い言い訳』⑥『淵に立つ』⑦『怒り』⑧『聖の青春』⑨『葛城事件』⑩『君の名は。』
●監督賞: 中野量太 主演男優賞:三浦友和 柳楽優弥 主演女優賞: 筒井真理子
【第90回キネマ旬報ベストテン】
(邦画)①『この世界の片隅に』②『シン・ゴジラ』③『淵に立つ』④『ディストラクション・ベイビーズ』⑤『永い言い訳』⑥『リップヴァンウィンクルの花嫁』⑦『湯を沸かすほどの熱い愛』⑧『クリーピー 偽りの隣人』⑨『オーバー・フェンス』⑩『怒り』
●監督賞: 片渕須直 主演男優:柳楽優弥 主演女優賞: 宮沢りえ
(洋画)①『ハドソン川の悲劇』②『キャロル』③『ブリッジ・オブ・スパイ』④『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』⑤『山河ノスタルジア』⑥『サウルの息子』⑦『スポットライト 世紀のスクープ』⑧『イレブン・ミニッツ』⑨『ブルックリン』⑩『ルーム』
ヨコハマ、キネ旬とも邦画1位はもう説明無用。
洋画トップはイーストウッドなのでキネ旬の既定路線。これで首位は8回目か。
ただ、もちろんロクに映画館に行っていない私がどうのこうの講評する資格はない。
それでも今年は邦画のレベルが高いと言われ続けてきた中で、
アニメと怪獣映画がワンツーとはキネ旬も随分と変わったものだ。
注目したいのは洋画2位の『キャロル』か。
予告篇でこれは観るべきと思った、その辺りの勘働きはまだまだ健在だ。
ヨコハマ映画祭は特別賞にのんと庵野秀明。助演賞に菅田将暉と杉咲花。
話題作りではなく、久々に実をとった選考に好感を持った。
映画祭でののんのスピーチが今から楽しみだ。
2017.01.13(金) 中毒者の試練
今年に入って強面の上司の一言で職場のオフィス内が禁煙となった。
今までは給湯スペースの換気扇の下でタバコが吸えたし、
残業や休日出勤では堂々とデスクでプカプカやっていたのだ。
実は喘息持ちの高血圧オヤジとして、この機会にタバコやめるかとも思っていた。
だから去年のうちに予約した旅のレンタカーも喫煙不可の車に挑んだのだ。
しかし父親へのストレスに、新たなストレスを重ねる自信は到底持てない。
職場ではかろうじてベランダでの喫煙は黙認されたのだが、
これが凄ぶる寒い。しかも室外機が冷風を吐き出すものだからたまったものではない。
うちの職員の喫煙率は非常に高く、皆、北風にブルブル震えながらタバコを吸っている。
ベランダで吸い終わるたびに、エアコンの温風にかじかんだ手をかざす。
非喫煙者からすれば、何故そんな思いまでしてタバコを吸うのか不思議だろう。
中毒患者とはこういうものなのだ。
2017.01.14(土) 今場所のちゃんこは味噌仕立て~大相撲七日目
年に3度ある大相撲の国技館場所。五月場所から秋、冬と連続で行っている。
例によって先輩のコネで二階席の2列目という良席での観戦(見物?)となる。
二階席かと思われるかもしれないが、舛席の奥の方よりずっと土俵が近い。
立ち合いのゴツンという音まで聞こえてくる。
ただ七日目ともなると優勝争いにはまだ遠く、まだまだ緊迫感がないのが玉に瑕か。
毎回の楽しみは各相撲部屋が持ち回りで担当する300円ちゃんこ。
芝田山部屋のしょう油、豆乳ちゃんこときて、今度は出羽の海部屋の味噌ちゃんこだ。
昼の12時から国技館地下のホールにちゃんこを求めて行列が出来る。
個人的には味噌仕立ては工夫の余地がないような気がして、やや平凡に思えたが・・・。
って、もちろん国技館までちゃんこを食いに来たわけではない。
七日目にして上位陣が総崩れの感のある初場所。
日馬富士が今日から欠場。勢の不戦勝。楽しみな一番だったのに残念。
琴奨菊は高安の叩き込みに両手から土俵に崩れる。カド番大関は早くも5敗目。
照ノ富士も負けが先行し、先場所の覇者、鶴竜もすでに3敗だ。
こうなるとまたしても期待は稀勢の里ということになり、
早くも白鵬と稀勢の里の優勝争いという方向が見えてくる。
さて、一週間後の今頃はどのような星取りになっているやら。
2017.01.15(日) 母と初詣
毎年、我が家の恒例となっている寒川神社への初詣。
何だかんだ30年くらいは続けているのだと思う。
そう去年は父が留守番を志願したが、今年はもう「行くか?」とも聞かない。
いよいよ父、母、私の三人家族が大詰めを迎えているのだろう。
何とも寂しい話だが、境内までの大渋滞で、やっぱり父は無理だったろうと安堵する。
台所で電気スト―プにあたりながら相撲中継でも楽しんでいてもらえたらいい。
例によって松飾りを納め、母と本殿に参列して柏手を打つ。
家内安全と健康祈願以外にお願いすることなどあるのだろうか。
八方除けの印の入った御朱印を戴き、母は境内外れの売店でお神酒や漬物を買う。
毎年のことではあるが、母ももう85。手を引いてあげなければ長い参道は歩けない。
ふと自分がひとりになっても寒川さんのお参りは続けるのだろうかと思う。
今日は私の誕生日。
母からついに「誕生日おめでとう」の言葉はなかった。
2017.01.16(月) 先週末
月曜日に昨日、一昨日のことを振り返るとき、先週末というべきか今週末というべきか。
土曜日は先週で、日曜日は今週?今のカレンダーの殆んどが日曜スタートになったが、
やはり一週間の始めは日曜ではなく月曜だろう。振り返るのだから先週末が正しいか。
その先週末はかなり忙しく過ごした。
ほぼ仕事で一日が終わる平日など、書くべきことはないので週末を振り返る。
土曜日に相撲に行き、日曜日に初詣に行ったことは書いたが、
国技館に行く前に日本橋でチャン・イーモウの『初恋のきた道」を観て、
両国の帰りには東京ドームで開催されている「ふるさと祭り東京」に行く。
響く祭り太鼓。“ラッセラーもラッセラー!”の掛け声とともに廻る青森ねぶた。
しかしお目当ては日本全国の美味いものが集結した模擬店の数々だ。
こういう食のイベントではやはり北海道が圧倒的に強い。
九州、東北も頑張ってはいるが、北海道コーナーの集客にはとても敵わない。
定番のウニとイクラの丼をどうしても外すことが出来ず、
但馬牛のローストビーフ丼と併せて腹一杯になった。
結局、全国の旨いものが集まったところでこちらの胃袋がひとつなのが恨めしい。
それでも大好物の群馬・高崎の「鶏めし弁当」が売られていたのでお土産に買って帰る。
そして寝る前に食べてしまってから人生最大の体重を嘆くのであった。
日曜日は初詣に出掛ける前にフォ・ジェンチイの『山の郵便配達』を15年ぶりに観る。
「午前十時の映画祭」の枠で中国映画を2日続けて観たことになる。
『山の郵便局』もいい映画だが、『初恋のきた道』の印象が強烈だった。
レンタルビデオ屋で、高倉健の絶賛コメントをポップにして添えたのを思い出す。
思えば監督のチャン・イーモウと健サンの邂逅に影響した映画だったのだろう。
残念ながら中国映画を観る機会には殆んど恵まれなかったが、
アラカンになった今、ハリウッド映画の喧騒より居心地の良さを感じる。
とにもかくにも忙しくも勝手気ままな週末を送った次第。
2017.01.17(火) 北風が半端ないぞ
脂肪を蓄えている分、大抵の人より寒さへの耐性は強い方だ。
それでも寒い。日本中に寒波が吹き荒れている。
広島空港が雪で閉鎖されたなどというニュースを聞くと、
旅行が一週間早くて本当に良かったと思う。
毎年のことだが、こんな時に受験を強いられる学生が気の毒でならない。
センター試験が全国一斉時刻にスタートできない事態は何とかするべきだろう。
2017.01.18(水) おっし、ネット繋がった
実は旅行から帰って来て以来、部屋のインターネットが繋がらなくなっていた。
今まで気がつかなかったが、スマホにもWiFiが飛んでいない。
見るとルーターのランプがいくつか点灯していない。
NTTの光終端装置のランプもひとつ消えている。
パソコンもルーターも再起動してみたがダメ。
埃の溜まったタコ足配線の電源付近のコンセントを入れ直してもダメ。
ランケーブルが途中で切れているのか?
そうなると床に敷いた井草のゴザを全部引っぺがさないとならない。
まったくこういう時にパソコン音痴は困る。
NTTに電話してみると、どうやらルーターの不具合ではないかという。
仕事帰りにビックカメラに寄ってルーターを購入。
いつもトリセツを読まないで作業を始めて失敗するのが私のパターン。
だから今度は馬鹿正直にトリセツに従ってみて、無事ネットが繋がった。
「おっし」と思わず声が出てガッツポーズ。
……ただ、トリセツに従ってケーブルを繋いだだけなのだが。
2017.01.19(木) 「北風小僧の寒太郎」
NHK「みんなのうた」で歌われたそうだが、長い間知らなかった。
ある北風の吹く夜、昔付き合っていた彼女が口ずさんでいた。
寒さをはね除けるのではなく、自分が北風になったつもりのり方がいいのだという。
決して遠い日の恋の未練ではない。しかしこう寒さが続くと私も思わず口ずさむ。
♪きたかぜこぞうのかんたろう 今年も町までやってきた
ヒューン ヒューン ヒュルルンルンルンルン
2017.01.20(金) またも親父・・・
夜中に母親から電話。
こんな時間に実家からかかってくる電話に朗報は絶対にない。
親父が風呂場で転倒し、ガラスを割って血だらけだという。
再び、元日の夜の修羅場が再来か。急いで車で駈けつける。
親父はベッドで唸っている。何でもベッドまで這って行ったという。
カーペットに血が点々としている。髪の毛を掻きわけたが、怪我はしていない。
ヒザでも擦りむいたのだろうか(その夜はそう思っていた)。
なにせ年寄りなのでトイレが近い。しかしどうにも立ち上がることが出来ない。
何とか引っ張りあげようとしても「痛い痛い」と喚き散らす。
ただでさえ耳が遠くなってから声がデカくなった。喚かれるとこちらも堪える。
救急車を呼ぶか、しかし親父は拒否。
こちらもこの夜中にサイレン鳴らされるのは有難いことではなく、
明日は母親の通院日なので親父も連れていくことにした。
親父は抱えられるより、自分で這って行く方が楽だという。
冷たい廊下を「痛い痛い」と喚きながらトイレまで這う親父。
それでいて紙おむつや簡易便器の使用は頑なに拒否する。
親父がここまで頑迷であったとは意外だが、もう私の知る親父ではなくなったか。
2017.01.21(土) 奔走
朝、早速ネズミが3匹走っているのを茫然と見送る。なんて家だ!
とにかくネズミどころではない。親父を連れ出さなければならない。
親父のベッドを見てまたも茫然。シーツが赤褐色に汚れている。なんて家だ!2
昨夜は気づかなかったが、風呂場のガラスで腕を切っていたらしい。
血だらけの腕に湿布を貼って血を止め、タオルを被せガムテープを巻いたと母親。
母親も親父のあり様にはかなり苛ついているのがわかる。
こうなると母親の脳血管に出来ている瘤が破裂しないかと、それも心配だ。
その親父は相変わらず這っている。よく車まで辿りついたものだ。
CT検査の予約が入っている母親と一緒に病院まで飛ばす。
病院に着いて車椅子を借り、乗りたそうな母親を牽制しつつ受付へ。
父親は整形外科に、母親は放射線室へ。
総合病院の一階と二階を何度往復したことだろう。
整形外科は大柄なタメ口を聞く若い医者。父親もレントゲンに回される。
若造から「息子さんもお父さんの転倒には気をつけなきゃ」といわれムッとくるが、
レントゲンの結果、圧迫骨折の形跡はなく、加齢から来る痛みだという。
90歳の高齢者だと医者の見立ても随分と雑だ。
ついでに腕の怪我も洗ってもらう。ハサミでガムテープを切りながら、
母親のあまりに荒っぽい処置に医者と看護士に苦笑された。
2017.01.22(日) 稀勢の里優勝、そして横綱へ
すでに14日目で初優勝も決めた稀勢の里。
千秋楽結びの一番で白鵬の寄りをすくい投げで逆転した取組にも余裕を感じた。
2横綱1大関が欠場し、大関2人が負け越した初場所。
稀勢の里の優勝はラッキーだったともいえるし、大関の責任を全うしたともいえた。
優勝に一番近いといわれながら、4大関で唯一優勝経験がなく、
何度となくチャンスを逸し、ここ一番に弱いことで精神面が脆いといわれ続け、
あげくに白鵬から「何かが足りないんでしょうね」といわれた稀勢の里。
何てことはない、綱とりのプレッシャーがなかった場所で優勝した。
確かに7日目を見物した時、まさか今場所で横綱を決めるとは思ってもいなかった。
[日めくり]では稀勢の里を「気が弱いというより、単なる間抜け」と書いた。
例えば先場所では上位陣すべて破りながら平幕相手に三番落とした。
これを私は間抜けという。気が弱いのとはちょっと違う気がした。
間抜けが不適切ならムラっ気が強いというべきか。
あっ、だから精神的に脆いのか。。。。
2017.01.23(月) 長い一日
親父の介護認定の再更新の手続きのため、仕事を半日休ませてもらう。
区役所への持参書類に介護保険証書とあったが、これがなかなか見つからない。
親父は相変わらずベッドでうんうん唸るばかり、たまにトイレまで這って行く状態。
とても書類の場所を聞ける状態ではなく、また聞いてもわかるとも思えない。
昼近くまで親父のタンスから書類カバンの中身を探すが介護保険証書が出て来ない。
誤って捨ててしまったのではないかと母はいうが、多分それはないだろう。
むしろとっくに捨てていい筈の払い済みの公共料金の請求書から、納付の確認用紙、
医療保険の明細書などが書類カバンにびっしりと保管していて、
しかも同じような書類カバンが次々と出てくる。中身は同じく通知ハガキの山。
さすがに何十年も前の診察予約票の束が出てきたときは無性に腹が立った。
本人はいざという時のために処分せず保管しているつもりだろうが、
要はそのつどの把握と確認のないまま、「大事ぽい」ものは全部処理していないだけ。
クズに紛れて肝心なものが出て来ない。これぞ本末転倒といわずなんといおう。
そんなこんなで介護保険証は区役所で再発行。なんちゃう面倒なことか。
その手続きをしている間に、今度は母親が納税課の職員相手に何やら懇願している。
明日から配布する確定申告の申請書をどうしても今日欲しいと粘っているようだ。
おいおい、こちらは半日休としか職場に伝えていないのだ。どんだけ遅刻さす気か。
役所が融通を利かすわけもなく、憮然とする母親の手を引き役所を退散。
次は銀行に行って、親父の口座から普通預金を引き出して定期も解約したいという。
これもハードルが高そうだが、確かにやっておかなければならない。
職場に夕方出勤の許可を貰い、母親と一緒に銀行の窓口と交渉。
免許証と父親の健康保険証を見せ同居であることを証明するもののダメ。
委任状を持ってくるからといってもダメ。親父が寝床から動けないといってもダメ。
普通預金ならまだしも定期を崩すとなると本人が来なくては引き出せないという。
これから父の介護費用などでまとまった金が必要になると申し出ると、
それでは施設からの請求書を持ってきてくださいなどという。
こちらは融資をお願いしているつもりはない。自分たちの持ち金の話だ。
振り込め詐欺やらで警察の指導が入っているのはわかるが、不条理ではある。
そもそも家族も犯罪者も一緒くたにされてはたまったものではない。
ていうか預けた金を難癖つけて返さない銀行も大概な所だ。
行員の訪問など昔はやっていたようだが、それを復活出来ないものか。
近々親父を車椅子で銀行に引っ張って来るしかないか。阿呆な話だ。
その後、主治医の意見書をもらう封書を病院に提出して長い一日が終了。
いや終了などしておらん。車を実家のガレージに突っ込んで出勤だ。
職場に着いたのが夕方5時。溜まりまくった仕事の処理であっという間に夜9時。
長い一日にへろへろになった。あゝしんど。身体より心が。
2017.01.24(火) 楽観論の罠
人から見れば、私は楽観論者のようでもあるし極度の悲観論者にもなるようだ。
そして自分自身、楽観と悲観をその時々の精神状態で使い分けている自覚もある。
結局は最大限に悲観しておけば、結果はそれほどでもなければ良しとするのも、
ある種、楽観の亜種ではないだろうか。
この度のドナルド・トランプの大統領就任演説を聴く限りでは、
暴言は選挙向き、いざとなれば現実路線に向かうだろうという楽観論は裏切られたか。
そう、不可解なことに選挙に勝利した直後は楽観的な憶測が大量発信された。
別の話で、これも記憶にはっきりと残っているのだが、
金正日の後釜が三男の正恩になった時、海外留学経験を理由に民主派との憶測が流れ、
これで北朝鮮の民主化が進むなどと楽観論が流れていた。
そもそもこの根拠なき楽観論が何故流れたのかを考えてみたとき、
結局は楽な方に流れるという人間心理に行きつくような気がするのだ。
「生きている間は地震は起こらないし、南極の氷も大丈夫だろう・・・」
殊更に悲観に走る必要はないが、根拠なき楽観の果てに待ち受けているものに害は多い。
2017.01.25(水) 悼む---松方弘樹
私はあまり芸能人の追悼文を書くのは好きではない。
そうはいいながらも少なからず書いてきた。
だから「ありがとう」の言葉に代えさせてもらう。
……松方弘樹が逝ってしまった。
病状が思わしくないとの噂は耳にしていたが、病魔には勝てなかったか。
報道では「『仁義なき戦い』や時代劇からバラエティ番組で活躍した俳優」とある。
好きでよく知る役者や監督の追悼記事に接する度につきまとう違和感。
確かに坂井の鉄っちゃんは名演だったが、代表作が『仁義なき戦い』でいいのか。
なるほど深作欣二は松方弘樹という素材を上手くスパイスとして生かしてきた。
『仁義なき戦い』での五部作中の三本はすべて違うキャラクターで演じさせたし、
『県警対組織暴力』や『柳生一族の陰謀』も松方抜きには語れない映画には違いない。
しかし主役ではなかった。当り前の話、松方は堂々と主役を張れる大スターだ。
松方弘樹をど真ん中に据えて70年半ばに快作を連発したのは中島貞夫だろう。
『脱獄広島殺人囚』『実録外伝・大阪電撃作戦』『暴動・島根刑務所』『暴力金脈』
全部の映画が面白い。松方の脂ぎったノリノノリの主役ぶりが実に楽しかった。
あの頃の松方映画のマッチョでタフで下品でエネルギッシュな作品群は、
菅原文太、小林旭、渡哲也らほどヒロイックではなく、まさに唯一無二。
東映の主演スターは女を泣かせ、やくざと付き合っていても受け入れられていたが、
松方はそんな匂いを放ちつつ、とびきり陽性なアウトローを嬉々として演じていた。
さらに十年後、レンタルビデオ店が開店ラッシュを迎えた頃、
大作の『修羅の群れ』『最後の博徒』が劇場公開され、
ビートたけしのバラエティ番組でのお茶の間ブレイクで、人気絶頂となった。
その煽りで松方主演の旧作のビデオソフトはことごとくヒット。
当時は東映のビデオ販売で営業をやっていて、松方作品で苦労した記憶がない。
私にとって学生時代に名画座で楽しませてもらい、社会人になって稼がせてもらった。
今まであまり意識していなかったが、松方弘樹は私の大恩人だった。
ここに至り今さら申し訳ないが、本当にありがとう。安らかに、、、、
2017.01.26(木) 寅壱
オフィスで働く男たちの服装といえば、昔ながらのスーツにネクタイか、
あるいはポロシャツにチノパン、首からIDカードという今どきのスタイルか。
私はどうかといえば、今はずっと作業用ユニフォームを着用している。
要するに工務店のおっちゃんが着ているようなガテン系の上着だ。
事務仕事と着用している服とのアンバランスさが気に入ってしまったのだ。
イメージとしては災害特別本部に詰める担当大臣といった趣だ。
今時分の通勤には濃紺の作業服にボア起毛のドカジャンをはおる。
そして事務所に着くと水色の作業服に着替えるのだ。
両胸のポケットや袖のペン差しなど、なかなか機能的にも優れている。
どうも昔からこういう格好が似合ってこそ男、みたいな思い込みがある。
そんな私が行き着くブランドは必然的に「寅壱」となる。
“TORAICHI”なにせ名前がいい。
アルマーニやベルサーチよりも断然「寅壱」。何故ならカッコいい。名前もいい。
今どきのピッチリとしたファッションなど3Lサイズの私には苦痛でしかないのだ。
そんな「寅壱」の防寒ブルゾンが欲しかった。
具体的には「寅壱防寒ブルゾン3270-124」が欲しい。
色は黒。二重になった襟のデザインが誠にダンディだ。
ところがAmazon、楽天、Yahoo!と通販サイトを物色するもサイズが品切れ。
そもそも3Lが一番に品切れるあたりが笑える。
ネイビーで妥協するか、それとも入荷まで待つか。
結局、我慢できずにネイビー色のブルゾンを買ってしまった。
7083円。高いか安いか。いや安いでしょう。
これが会心の買い物だったかどうかは着てみれば一発でわかる。
むしろ黒よりもネイビーの方で良かったのかもしれない。
通販で服を買うこと自体が賭けだが、この賭けには勝った。
2017.01.27(金) 親父、搬送さる
夕方頃、見知らぬ番号から着信。
「あなたのお父様が今、救急車で搬送されました」と。
介護認定の調査員が訪問したタイミングで親父の痛みがピークに達したらしい。
それで喚き散らす親父を見て救急車を呼んだのだという。
母親に持たせている携帯電話を呼ぶが、返事はない。
職場に断って早引きさせてもらい、車で病院に駈けつける。
受付けで尋ねると親父は入院したとのこと。
病棟ではベッドに寝されられて母親と話し込んでいた。
聞けばMRI検査でお尻付近の骨が折れていたのだという。
やはり風呂場で転倒したとき、嫌がろうがなんだろうが救急車を呼ぶべきだった。
さぞ痛かったろう。よくぞ一週間耐えていたものだ。
2017.01.28(土) 親父、そのまま入院
正直言うと親父が入院してくれてほっとしている。
平日は殆んど介護放棄状態の私がそう思うのだから、
好まざるとも一日中顔を突き合わしていた母親も肩の荷が降りただろう。
とにかく入院して、看護体制が整う以上の安心はないのだ。
入院の手続きに必要な書類の数々に署名、捺印。
売店で吸い飲みと週刊誌を買い、眼鏡、ひげそり、多少のお金を。
母親の脳梗塞の時もそうだったが、救急搬送されると諸々が後追いになる。
主治医より症状の説明が月曜日になるとのことで、
上司に事情を伝え月曜日は欠勤する旨の連絡をする。
もともと休日出勤分の代休が溜まりまくっているのだ。
親父には明日は面会に来ないが、月曜は必ず行くと告げて病院を後にした。
その後、母親と寿司を喰いに行くことは黙っていたが。。。。
2017.01.29(日) 親父、4人部屋を追い出される
親父には明日面会に行くといって、今日は映画三昧で過ごす予定だった。
TOHOシネマズの入場フリーパスの期限が今日で切れるからだ。
ところが一本の電話でプランは脆くも崩れ去る。
病院側から親父を4人部屋を移動させたから来てくれとの連絡が入った。
あろうことか親父が夜中に這い出して、大声で私と母の名を呼んでいたのだという。
日曜日で救急搬送の入り口しか開いていない病院。
救急患者の待合室でソファにもたれている人たち。うう…暗い。
病室に入ると、憐れ親父は胴体と両足をバンドでベッドに拘束されていた。
明らかに情緒がおかしい。昨日とは様子がまったく違う。
面会者はマスク着用が義務付けられているので、
ただでさえ耳が遠い父母の会話がマスク越しでなかなか覚束ないのに苛つく。
2017.01.30(月) 親父、仙骨を折っていた
医師から親父の骨折について説明があった。
仙骨という尾骨の上、腰より下の骨を折っていたのだという。
聞けば、手術の必要はなく、安静にしていれば自然治癒するのだという。
とはいえ高齢ゆえ、しっかりリハビリをやらないと寝たきりになるとも。
ただ骨折以上に問題なのは入院して明らかに親父の認知症が進んでいること。
病院付きのソーシャルワーカーと今後の処遇について相談する。
この病院は総合病院とはいえ、救急病院でもあるので、
救急搬送された患者の治療は行うが、リハビリ目的の入院は出来ないとのこと。
これから高齢者のリハビリ入院を受け入れてくれる病院を探さなくてはならない。
実家に戻り、各種保険と確定申告に必要な書類、通知の再発行の手配をする。
なんでもかんでも平日にしかことが運ばないのは何とかならんものだろうか。
2017.01.31(火) 長かった1月
毎年1月はあっという間に過ぎるのだが、今年は長かった。
もう紅白など遠い日の花火のようにも思える。
[日めくり]を上から下まで通しで読んでみて、本当に色々あった。
これから先、親父や母親が、いや自分自身がどうなっていくのか不透明だが、
少なくとも以前から怖れていた諸々ががはっきり始まったようだ。
2月は穏やかに過ごしたいものだが。
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