「読書道」年間BEST
2013回顧--- 本は読みたいのだが、そのレヴューが滞ってしまって読書へブレーキがかかるという、誠に馬鹿げた本末転倒の事態に地味に悩んで終わった一年間だった。だから例年ならとっくに済ませている年間ベストも、今回は5ヶ月遅れとなった。何しろ最後に読んだ『シャーロック・ホームズの冒険』のレヴューを何とかアップさせたのが4月の半ばだったというのだから救われない。誰に命じられているでもなく趣味でやっていることとはいえ、8年間も継続してきた自身への責任というものもあるだろう。こういうのは楽しく勢いでやれるうちはいいが、勢いが止まったときこそ続けていく努力が要るということを痛感。まったく反省しなければならない。
必然的に読書量は減ってしまった。多い年の半分以下という情けなさで、それゆえに冊数が減った分だけBESTは例年以上に厳しくしようと思っていた。ある意味、あらかじめBEST5にしなければならないという決まりがないのは幸いだったかもしれない。
その結果、2013年は4冊しか選ぶことが出来なかったのだが、その4冊は文句なく面白かった。むしろ、ここまで読後の充実度に満たされた年も珍しいのではないか。
この年の[読書道]最大のムーブメントは2月に誉田哲也の『ストロベリー・ナイト』から始まる女刑事・姫川玲子もの6作を一気に読み切ったことだ。どの作品も面白かったが、やはり「正義か?裁きか?」というクライムノベルの宿命を匂わせた最新作『ブルーマーダー』が出色だった。しっかりとバイオレンスも描き切る女刑事ものとして次の新作も期待したい。
昨年、BESTには横山秀夫枠があるようなことを書いているが、もちろん最初からそんな枠はない。しかし『64』はまったく素晴らしかった。横山は警察小説の頂点に君臨する作家だと思っているが、今回は集大成的に面白かった。警察内部のストレスをいつもの展開も読ませるが、最後に急展開してみせた鮮やかさにはびっくりした。
鮮やかといえば原田マハ『楽園のカンヴァス』。俗ないい方をいすれば、張りめぐらされた伏線が次々と回収される快感とでもいおうか、最後のページを閉じた瞬間は「参りました」だった。この本は『64』同様に出版社が選定する一昨年末のミステリベスト10の入賞を受け、急いで図書館に予約を入れて、半年待ってから読んだ。こういうパターンは読書ペースが停滞する今でこそ続けていこうかと思っている。
そもそもその停滞を直接招いたのが沼田まほかる『猫鳴り』だった。彼女はミステリー作家なのかもしれないが、読後はまさしく純文学の重みに満ち溢れており、適当な感想が書けずじまいで[読書道]にアップ出来たのは2014年の4月になってしまった。結局、大したことはまるで書けなかったのだが。
テレビシリーズ、映画化、大ベストセラーとなったシリーズだが、誉田哲也はそこに妥協することなく強烈なバイオレンスを放っていく。それはもう作家の破壊衝動が破裂したのではないかと思うくらいに徹底している。ここまで描かなくても多分ストーリーは十分に成り立つ。しかし暴力への渇望ともいえる描写がシリーズの緊張感を支えている確信が私にはある。
まったく、散りばめられたパズルのピースが見事にはまりすぎる。あまりにも見事なので、そこに「ご都合主義」という言葉がちらつかないこともない。エンターティメントとしては完璧に近いのだが、もう少し小骨が引っ掛かってもよかったのではなかったか。そんな無い物ねだりをしなければ、原田マハを天才とあっさり認めなければならなくなる。
「二重国籍、いや無国籍の人間が祖国愛を論じろと迫られたらこんな気持ちになるか」そんな三上の自問自答が強烈に胸に迫ってくるのは、横山秀夫が仕掛ける数々のエピソードの迫真性に他ならない。まったくこの作家をシチュエーションの特異さだけで論じてはならない。その描写力と心理描写の描き込みの筆力は天下一品なのだ。
なんとも凄い小説だったと思う。いや、そんなに凄い内容ではないのだろうが、これを読んで何ヶ月も経っているにも関わらずなかなか感想が書けなかった。何よりもこの小説で感想など書けるものかと苦笑いしながら、たまにページを開いてはこの小説のとてつもなさを考えていた。まったく沼田まほかる恐るべしだ。
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2012回顧--- 最後の最後で夏目漱石先生の『明暗』で失速してしまったが、スティーグ・ラーソンの『ミレニアム』と宮部みゆきの『ソロモンの偽証』という三部作からなる超大作を挟んで、[読書道年間BEST]初の7作品ランクインということで、大変に充実した読書の日々だった。
今年は全部で31冊読んだので昨年より7冊少なく、それゆえにランクイン7冊は多かったのかもしれないが、ではどの作品を落として去年並みの5冊に絞れるのかといえば、それはあまりに困難なことで、今回はそんな困難に嵌ることすら放棄してしまった様な気がする。
何とか「一作家一作品」の縛りを堅持したので横山秀夫『震度0』を落とすという決断はあったものの、実は選定で苦労したのはそこだけで、7作品はすんなりと決定したように思う。ただ、それはこの7作と比べて他の作品とのレベルに差があったというより、とにかくこの7作品が突出していたと思っていただければ有難い。『震度0』に関しては超大作が揃った今年のBESTのうち、ピリッと光った短編集も入れたいということで昨年に続いてページをめくらせた『臨場』に落ち着いたにすぎず、横山秀夫はまだまだ未読の作品が棚に待機中の状態で3年越しになるのだが、今年の各社(誌)のミステリーベストテンでは最新作の『64』が軒並みベストワンに輝いており、既に図書館で予約済みということで、来年も「横山枠」があるのかもしれない。
ただミステリーベストテンでいえば、『ソロモンの偽証』が第2位。高野和明『ジェノサイド』、貴志祐介『悪の教典』が昨年、一昨年のベストワンで、同じくトップを争った『ミレミアム』や沼田まほかる『ユリゴコロ』など、本屋大賞受賞の三浦しをん『舟を編む』も含めて読書の選定があまりにも他力本願すぎたのではないかとの反省は残った。かつて黒川博行を探し当てたような努力はするべきなのかもしれない。
しかし『舟を編む』は去年の受賞作があまりに残念な作品で、いよいよ本屋大賞も失墜したのかと気になっていた後遺症から、三浦しをんの快作を得たことで、読了した私だけではなく、本屋大賞にとってもめでたいことだったのではないだろうか。
それにしても夜なべして一気読みした『ユリゴコロ』を筆頭に、どの作品も限られた時間をフルに使って物語世界に没頭させてくれた。そのことに改めて感謝したい。
スウェーデンが理想とする福祉国家のイメージとは大分違っていたことで、かえって私にはこの国が魅力的に映った。何よりもスティーグ・ラーソンというエンターティメント作家を生み出した土壌がこの国にあったことを喜びたい。彼の早すぎる死は誠に残念ではあるが、執筆途中だった四部作目を読めないことにそれほどの失望感は湧いてこなかった。それほどそれぞれ上下巻の6冊の『ミレニアム』の世界は豊潤に満ちいる。
前作ではやや残念な出合い方をしてしまったものの、今回は文句ナシだ。一見、恐ろしくもやるせない世界を描きながらも不思議とこの物語の背景には家族の絆が見え隠れしている。確かに異常連続殺人者を描きながらも家族の愛を描くという矛盾に対して、すべての読者が納得しているのかといえば、そう思わない人もいるのだろう。しかしこの離れ業に沼田まほかるは成功したのではないかと私は思っている。
横山秀夫で初めて読む「名探偵もの」ということになる。今まで現代社会の縮図をさらに濃縮したような組織と個人の神経ギリギリの暗闘ばかりを読んできたのだが、実はいくつかの短編に意外な犯人やトリックという推理もののエスプリを効かせた作品がある。しかし本当のミステリーは犯人探しやトリックなどではなく、人の心の中にこそあるのだという結論を匂わしてくれたことが何よりも嬉しかった。
“なにかを生み出すためには、言葉がいる。人のなかにも、同じような海がある。そこに言葉という落雷があってはじめて、すべては生まれてくる。愛も心も。言葉によって象られ、昏い海から浮かびあがってくる。” 本の帯に「無人島に一つだけ持って行けるのなら、ぜひ「大渡海」を」という意味のコメントが載せられていたが、なるほど、それは「イタダキ」だと思った。愛と執念と心意気が胸を打つ一編。
人間を大量殺戮に駆り立てられる心理とはなんだろう。極限、憎悪、狂気の中で対象を大虐殺する霊長類はヒトだけに備わった現象なのだという。もはや下等動物の摂理であるとしかいいようがないが、このような凄惨な事実もエンターティメントという「面白主義」に取り込まれてしまうことに一抹の疑問は感じてしまうのだが、これはもうエンターティメントの原罪と呼ぶべきなのだと畏れながら一気に読んだ。
決して完璧な作品とは思わない。ハスミンを中心とした生徒たち、同僚教師ひとりひとりを丁寧に描き切ったとも思えない。この小説最大のキモは無慈悲な殺人者の大量殺戮に読者を共感させて走り抜けることにある。ある意味ではいかに読者に性善説をかなぐり捨てさせてバイオレンスに陶酔させることが出来るのかが最大の勝負だった。そのための取捨選択のなんたる強引さよ。貴志祐介の力技にすっかり持っていかれた。
検事の藤野涼子、弁護人の神原和彦。対決するふたりの他にも、弁護人助手を必死に勤めた野田健一。法廷を仕切った井上康夫・判事。役割を貫徹した山崎晋吾・廷吏。検事助手として健闘した佐々木吾郎と萩尾一美。陪審員たちや証言台に立った中学生たち。この愛すべき彼らは誰ひとり例外なく、このひと夏を真実に向かって駆け抜けて、成長して見せた。そして五十路を越えたおっさんにはそれが眩しく映った。
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2011回顧--- 読んだ本は全部で37冊。大体私の読書消化能力はこの程度なのだろう。しかし37冊中で今年は“真夏の有川浩”の10冊を筆頭に佐々木譲が9冊、継続中の横山秀夫が6冊、伊坂幸太郎が4冊と特定の作家に偏ってしまった感がある。
有川浩の読書は結局年末まで引き摺ってしまったが、本当に楽しかった。ランクインさせた『図書館戦争』はもちろんシリーズ全6巻の評価に他ならない。あの関東図書隊の面々としばしの別れとなった時の妙な切なさは初めての読書体験だったといってもいい。シリーズ以外にも『空の中』などは当然ランキングしてもよかったが、今年は迷いに迷った結果、一作家一作品を貫かせてもらった。間違いなく2011年の読書を象徴したのは有川浩だった。
確かに一作家一作品という縛りの窮屈さは佐々木譲でも思った。一連の警察小説の中から一冊はランクインさせたかったものの、結局は「太平洋戦争秘話三部作」から『ストックホルムの密使』を選んだのは、長編アドベンチャーの醍醐味を余すところなく堪能させてくれたからだ。もちろん『警視庁から来た男』や『エトロフ発緊急電』がランク外となったのはその窮屈な縛りの弊害だったといってもいい。
昨年から継続していた伊坂幸太郎は『アヒルと鴨のコインロッカー』がダントツの面白さで、この作家がミステリー作家だったという側面に触れられたのが嬉しかった。『死神の精度』も面白かったが、満を持して読書に入った『重力ピエロ』はやや期待外れだった。しかし伊坂幸太郎は間違いなく私の読書の守備範囲を広げてくれた。このことには感謝したいと思っている。
さて前述したように秋以降は有川浩を引き摺って読書ペースが落ちてしまったのだが、そんな中でも横山秀夫の連作短編集には読み始めてかせみるみるうちに引き込まれていった。そう秋から冬にかけては引き摺られたり引き込まれたりの読書でなかなか気持ちも不安定だった。横山秀夫は面白さからいえば『顔 FACE』と『臨場』だったが、人生の機微の何とも知れないアイロニーに彩られた『陰の季節』と『動機』の味わいには完全にやられた。この作家の作品は来年も継続するつもりなので楽しみで仕方がない。
そんな中で、大沢在昌『絆回廊』が大いに気を吐いた。何よりも五年ぶりの「鮫」の面白さは健在だった。私が書評をHPにアップしようと考えたのも『新宿鮫』の面白さを書き残しておきたかったからだといっても過言ではないのだから。
伊坂幸太郎は本作において、出来事、会話から小道具まで、すごい量の伏線を仕掛け、すごい量を回収して見せた。その量は本作をラブストーリーにし、サスペンスにもした。ある意味では人間ドラマにもしたし、青年の成長を綴る青春物語にもした。そして何よりも「広辞苑」と「広辞林」の違いだけでピンと来るような凄玉の推理マニアではない大半の読者に対して、見事なドンデン返しで目を瞠らせるミステリーを提供した。
欧米の列強が日本を追い込み、包囲して孤立させていったのは事実だろうし、そこに勝てるはずのない戦争を勝てると主張する力が加わったというのが開戦の実際なのだろう。しかしそんなことよりも連合国側の諜報網をかいくぐりながら、ストックホルムからベルリン、スイス、ロシア、シベリアを越えて満州、東京までの密航劇は痛快この上なく、アクションあり、ラブストーリーありと冒険小説としてのクオリティは凄まじく高い。
有川浩が展開しているベタ甘な恋愛劇については今まで意識的に風呂敷からこぼしていたことを白状しなければならない。それは単に五十路に到達したオッサンの照れということでご勘弁願いたく、また有川浩とて、ターゲットにしている読者に五十路のオッサンまでは想定していなかっただろうから、正直いうとそれも一緒に風呂敷を畳むことには遠慮もあったのだ。だからこの機会に恋愛エピソードにもしっかりハマっていたことも白状しなければならない。
最大の見せどころは鮫島を支えてきた人たちの運命にあり、「シリーズ最大の分岐点」と銘打たれた前作とも比べものにならない衝撃が待っているのだが、鮫島にまったく救済の余地がないのかといえばそれは違う。鮫島の警察官としての魂は終わることはなかった。私はかつて「鮫島には正義感はない、あるのは使命感だけだ」と書いたことがある。そして鮫島は自らを鼓舞する。「何があっても警察は辞めない。辞めてはいけないのだ」と。
「警察学校の門を潜った瞬間に産声を上げ、組織とともに生き、死ぬまで組織と縁が切れない。退官しても、警察官でなくなるだけで、警察人であることに変わりがないのだ。」横山秀夫はとことん切羽詰まった状況に主人公を追い込んでいき、しかも「事件」は思わぬ方向で収束していく。このどんでん返しはあまりにも哀れであり悲しい結末を迎え、読んでいるこちらも閉塞感に胃が重くなるほどの説得力だった。
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2010回顧--- いきなり漱石の『我輩は猫である』の読了に一ヶ月かかった。いや中学生の頃から読みはじめては挫折していたので、一ヶ月どころか苦節何十年の読了だった。いやはや面白い。ページが残り少なくなくなってくると一抹の寂しささえ感じた。
その勢いを借りて読んだ東野圭吾『白夜行』も文庫本を買ってから、途中で挫折し、7年前も部屋の隅に放置して埃を被っていた。これも面白かった。やはり手に取った以上は最後まで読み通すべきか。
のっけから積年の課題を果たしたような読書からはじまった2010年だったが、その二編とも年間のベストには残らなかった。今年は大豊作で、並べたどの本もベストワン級の面白さ。そのあおりで「本屋大賞」の湊かなえ『告白』や「このミス」ベストワンの東野圭吾『新参者』が漏れることになった。
それでも五選の基本線を破って六選となってしまったのは、ひとえに年も押し迫ってから有田浩『阪急電車』を手に取ってしまったため。それまでは「今年の鉄板の五選」は固まっていた。『阪急電車』を選ぶために何かを落とすとことに全く意味が見出せず、そこは躊躇しなかった。よって粒揃いで激戦だったようでいて、鉄板が固まっていたので選定に苦労はなかったのだ。
冲方丁『天地明察』と宮部みゆき『小暮写眞館』はどちらも新刊本で購入し、この企画では珍しく新作が二冊選定された。それ以外の本も近々の発売であり、その意味では少しは私の読書の穴も埋まりつつあるということだろうか。
この年間BESTという企画は秋頃に頭をよぎり、当初はランキングや大賞も考えていたのだが、それをやらないで本当に良かったと思っている。今野敏と有川浩という作風の違う作家に対して優劣などとてもつけられるものではない。ただし『隠蔽捜査』の第一作と続編の『果断』のどちらを選ぶべきかについては大いに悩んだのだが・・・。
2010年の読書のトピックスは今野敏と伊坂幸太郎を集中的に読んだこと。伊坂については集中読書を継続中で既に未読の文庫本が待機中なため、今から楽しみではある。
主人公は何度も打ちのめされて挫折する。その姿は慣れない二本差しに象徴されるように焦れったいほど、もどかしくもある。しかし失意の中で思わぬ人物から手が差し伸べ、様々な気付きを得て立ち上がるエピソードがカタルシスを生むことになるのだが、算術で求められる解答はただ一つであることが、物語の活き活きとした潔さを演出する効果があったのではないか。
クライマックスを繰り返し読んでしまった。いやはや第一作も面白かったが、続編である『果断』は更に上を行く面白さだ。登場人物たちをすべて原理原則に従い捌いていくことで一層キャラクターに磨きをかけていく竜崎だが、彼ら周辺の人物たちも竜崎と絡むことで生命を吹き込まれていく。まさに今野敏のプロットの巧みさを痛感させられる一編。
人が成長するためには別れが必要なのかもしれない。「電車は人間を乗せるものだ。鉄道は、人間と人間を繋ぐものだが駅だけは乗せることが出来ない」。この言葉を胸にしまいながら、主人公は大人になっていく。青春の記憶はほろ苦さの中で甘酸っぱく熟成されていくのだろう。半分を読み終えた辺りから、残りページが消化されていくのが残念に思えて仕方がなかった。
実際、本を読みながら何度も頬がほころんでいたと思う。主人公・新二の一途さがとことん微笑ましかった。脳味噌筋肉一歩手前のところで高校生らしくがむしゃらに悩みながら、「アドレナリン歓迎!」「乳酸上等!」みたいな直球勝負にはこちらも胸を熱くしてしまう。正直言えば笑う以上に何度も涙腺を刺激されてウルウル来ていた。
私が伊坂幸太郎に対して違和感を抱いていたものが、ここではことごとく効果をあげていた。「ご飯粒の食べ残し」「正月の書初め」「エレベーターのボタンの押し方」までよくぞ過激にまで回収してくれたものだと拍手を送りたくなる。「よくできました」「痴漢は死ね」などのロジックが読後感を決定づけるような感動にまで昇華させるテクニックは相当なものではないだろうか。
公共の交通機関で見知らぬ他人同士が乗り合わせることなど至極日常の風景なのだが、ひとりの乗客にスポットをあて、別のスポットを当てた人物と交差させる瞬間はまるで奇跡なのではないかと思えるほどの鮮やかさ。日常の中の偶然を奇跡にまで消化させてしまった有川浩という作家の筆力の賜物だろう。いやはや面白かった。
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2009回顧--- 一年のはじめは片っ端から未読の作家を読み。中盤で図書館などを利用しながら重松清にどっぷりと浸かり、終盤は島田荘司を含む我孫子武丸、二階堂黎人、有栖川有栖らの新・本格系の作家の著作に挑戦した。
年間ベストは一作家一作品に限定するという縛りを設定しているので重松清作品には野球好きの縁で『熱球』に代表させてもらったが、読んだ本のすべてにベストワン級の感銘を受けていたことを書き残さなければならない。どれも夢中で読んでしまったが、読書のレベルを重松清によって底上げさせてもらったことに感謝したいと思う。
二階堂黎人がひとつの事件を全四巻、原稿用紙4000枚というギネス級のボリュームで著した『人狼城の恐怖』には二ヶ月の読書時間を費やした。当然2009年の典型をなす作品ではあったのだが、やや納得できない箇所も多くて選定からはずしてしまった。しかし回顧には書き留めておきたい読書だった。
このように選定から外したのが気になる作品がやたら多かったのも2009年の特徴で、吉本ばなな『キッチン』、三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』、恩田陸『ドミノ』、石田衣良『4TEEN』などがズラリと並ぶ。それだけ幸福な読書生活を過ごしたということか。
また島田荘司『斜め屋敷の犯罪』のトリックの独創性には本当にたまげた。折りしも豊島区の光文社「ミステリー文学資料館」で島田荘司フェアが開催され、斜め屋敷の模型が展示され非常に感慨深かった。
有栖川有栖『孤島パズル』も素晴らしい。トリックだけに特化してドラマの希薄なミステリーがいかに味気ないものであるかを思い知らされ、本作で私なりのミステリー観が確立したような気がしている。
そして一年も暮れに差しかかったときに森見登見彦『夜は短し歩けよ乙女』に出会う。いやはや本を読みながらここまでハッピーな気分にさせられたのは初めてだった。人生やり直しが利くなら、京都に住むか、京都の大学に通いたいと真面目に思ってしまった。
11のエピソードはどれも面白く、奇跡的に凡作が一編もない。狂言回しのように登場する高橋慶彦はそのたびに妙な可笑しみを誘う。これが「普通の人々」や「軽快なスポーツ小説」であるのかはともかく、読んだ者の誰もが高橋慶彦のファンになってしまうのは確実であり、そのことがこの小説にとっては、とても重要なことなのではないかと思っている。
38歳の「僕」の故郷への思いが痛いほど胸を突く物語だ。しかし読者である私は「僕」よりもずっと歳を食ってしまっているし、故郷があるわけでも、妻子がいるわけでも、まして甲子園目指し白球を追いかけてきたという経験もない。主人公と共有する材料はないないづくしであるのだが、読み終えたときには間違いなく「僕」に共感していた。
それにしてもこのトリック…。理解した瞬間に「そんなアホな」と笑ってしまう。こんな密室殺人が果たして可能なのかということもあるがここまで大仕掛けのトリックに触れたことは初めてで、「そんなアホな…」というのは、これを創作した島田荘司へ尊敬の念を込めたつもりではある。すべてを読み終え、改めてタイトルを振り返るとなんと味わい深いことか。
展望台から臨む波光きらめく大海原に弾けた若者たちは、月が波間に浮かぶ夜の海の中に閑かに溶けていく。月夜の海にボートを浮かべ、中原中也の詩を諳んじる場面は私には圧巻だった。有栖川有栖を信頼できるというのはこういう描写を掌にしているからだ。そして真犯人が明かされるとき緊張感は最高潮に達していく…。
春夏秋冬・四季折々、どこまでも暴走する「ロマンチック・エンジン」。小説で語られる語彙はめまいがするほどに豊かだ。その豊富な語彙を日常語とする彼らは全員がヘンな人たちばかり。それら奇々怪々な愛すべき人々を宵闇の京都が怪しく包んでいく。本を読み、物語世界で遊ぶことの僥倖にどっぷり浸らせてくれる好著。
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2008回顧--- 春から年末まで及んで黒川博行の小説を読み漁った。基本的に年間BESTは一作家一作品を目指すことにしているのだが、黒川博行が2008年読書の大半を占めてしまったので、例外的に2作をセレクトした。何となく『文福茶釜』と『蒼煌』を選定してしまったが、『カウントプラン』『ドアの向こうに』『封印』『迅雷』などがこの二作より劣っていたのかというとそうとも思えず、きっと2008年の読書を回顧したとき、黒川博行という作家にハマっていたのだということが思い出せればいいのかもしれない。
黒川以外では、長年の読書の課題だった沢木耕太郎『テロルの決算』をようやく読むことができたことが印象深い。ルポルタージュの面白さをここまで堪能させてくれた本も珍しく、行間から迸る熱気に当てられながらの読書だった。
その熱気とは真逆に暗い情念に打ちのめされたのが歌野晶午『世界の終わり、あるいは始まり』だった。ミステリー作家によるミステリー作品というカテゴリーであっても、とことん登場人物の深層心理に入り込むと、殆ど純文学か?という地平にまでいってしまう怖さがある。
夏目漱石の『こころ』は読後にインターネットなどで様々な解釈を検索するなど、なかなか楽しかった。これを読んで以来、雑司が谷霊園のそばを歩くたびに先生とKを思う。
それにしても黒川と漱石を同じ年間ベストで並べるとは、我ながら苦笑せざるえない。
この小説の主人公はその当事者になってしまうことで様々な地獄を周航する。一個人であろうが、それは間違いなく「世界の終わり」であり、その描写があまりにもリアルであるため、「あるいは始まり」と付け加えられても、そこに救済の余地はないようにも思えてしまう。カタルシスとは別の意味で一気読みさせる高揚感に満ち溢れた一編。
題材が骨董美術となると真贋をめぐって、一攫千金を狙う男たちの知恵と経験と度胸の騙しあいが展開され、贋作創作の手口の凄まじさもさることながら、関西弁での口撃の応酬、骨董売買の交渉術やハッタリのかましまくりがアクション小説のようなカタルシスをもたらして文句なく面白い。まさに関西アンダーグランドの旗手の真骨頂。
美術界の権威に対して猛烈なアンチテーゼを展開しつつ、億単位の札束を乱舞させることで、それが権威ではなく、巨大な権力として君臨する現実を活写させていく。ミステリーでもハードボイルドでもない小説を、その両方に特化した才能を持ち、さらに主題に精通したプロフェッショナルな作家の力業に圧倒されたとでもいっておこう。
気鋭のノンフィクションライターは決して「政治の時代」の思想的解説やテロリズムへの警鐘という意図で本書を著したわけではない。しかし綿密な取材力と構成力の圧倒感はどうだろう。事件当日の山口二矢の日常と背中合わせの情景描写が次第に“その瞬間”までのカウントダウンを刻み始める刹那の緊張感の高まりは特筆すべきだ。
“恋愛と青春”という物語の一面を切り取れば、明治も平成もなく、そこに大いなる「ふへん」を見出すことは可能ではある。もちろん、そういう結論で私を圧倒した「ふへん」をまとめるのはいかにも陳腐なのかもしれないが、夢中で読んだ『こころ』の中で、私が最も惹きつけられたのが、先生が遺書に託した葛藤と嫉妬が混沌する恋愛の激白だったことを正直に書いておきたい。
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2007回顧--- 基本的に年間BESTは5冊選ぶことにしているのだが、どうしても収まりきらなかった。選ぶ理由はわかっていても外す理由が見つからない。
辺見庸『もの食う人々』、中島らも『人体模型の夜』、乃南アサ『凍える牙』を外したことは後悔している。それだけこの年は充実した読書ライフを過ごしていた。もちろん長い間の読書の穴を埋めるため、評判のよい作品を片っ端から読んだのだから、粒が揃ったのも当り前ではあるのだが。
その中でも島田荘司『占星術殺人事件』や綾辻行人『十角館の殺人』という新・本格の流れを汲む2冊の破壊力はやっぱりすごかった。ミステリー好きには「今更、占星術やら十角館かよ」と笑われるのかもしれない。私は「多分、外すことはないだろう」という保証めいたものを頼りに安心しながら本を読む癖があるため、馴染みの作家に偏ってしまい勝ちなるので、最初この2冊を読むのは冒険に近かったのだ。
本格ミステリとは何ぞやという問いかけが頭を駆け巡る中、東野圭吾『容疑者Xの献身』は文句なしに素晴らしかったが、この作品をめぐる「本格論争」もなかなか興味深かった。
さて仕事がいよいよ行き詰まりつつあり、抱えていたストレスを読書と野球観戦に逃げていた年でもあった。そんな中で重松清『口笛吹いて』には身につまされることが多く、気分が重くなることもあったが、主人公に共感することで、楽しい作品でなくても楽しい読書になるのだということを教えてもらった。
夏には久々に翻訳もので上下巻の巨編が多かったスティーヴン・ハンターの「ボブ・リー・スワガー」のシリーズのあまりの面白さに夢中になった。同時に海外小説まで趣向を広げると途方もなくなることを実感する。
疫病神コンビの行動は例よって、出たとこ勝負だ。このあたりは舞台が北朝鮮の平壌だろうが、大阪ミナミだろうがシノギの違いこそあれ、大して変わりはない。だからといってミナミで成立する話を半島から大陸まで等倍で膨張させただけのチンケなものではない。北朝鮮の国勢や地理関係に対する黒川の描写は精緻に渡っているのが素晴らしい。
人生に費やされる膨大で、あっけない時間の揺らめきの中で、成長することで失っていくものと、そのことを無意識のうちに実感してしまう若い世代が共有する「納得と抗い」。「勝ち組」「負け組」という言葉を大人たちは否定するが、私は「勝ち負け」の舞台にすら上がっていない。共有の資格のないままに共感しながら読了した小説だった。
犯人はわかっているのだが大部分の謎とトリックはオブラートされたまま潜伏しているので、読者は「犯人の身を案じつつも」湯川探偵とともに謎に挑んでいくという複雑な心理状態になっていく。この多面構造を発想することもさることながら、その方法論に東野圭吾の怪物的なすごさを感じてしまう。この人は冷徹に厳選されたピースを用いて「情動」そのものを構築している。
断言してもいいが、推理に参加する、しないは別としても十分に面白い。トリックだけが突出してそこにドラマを見出せないミステリーなどとても好きになれないが、43年にも及ぶ事件というスケール感もさることながら、メタミステリーの構造がトリックにもドラマにも生かされている。もともと戦前の日本を象徴させるモダンな猟奇性が加味された世界観は好みでもある。
綾辻行人は、読者の先入観までも巧みに伏線として取り入れている。優れたミステリーとは作者が読者をいかに掌の上で遊ばせられるかにつきるのだとすれば、この小説は間違いなく成功している。最後になってすべてが明らかになる一行のセリフには驚き、本を閉じた読者が再びページを遡り、張り巡らせていた仕掛けを確認してため息をついた。
ハンターがスワガーに託して語るライフルへの執着は、銃社会というよりも銃そのものが建国の象徴である合衆国ならではの境地であり、ある種の病理でもあるのだが、それを十分に意識したうえで、なお、超大国であるがゆえに高度に肥大化した安全保障と正義の形骸化という現実の反対側に、普遍的アメリカンヒーローへの憧憬と渇望を活写してみせる。
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2006回顧--- 長年、習慣的な読書から遠ざかっていたのだが、本ぐらいは読まなければと思いはじめ、九月の半ば頃から本格的に読書を開始した。本を薦められたこともあったが、ネットの仲間たちとリレー小説などやっていたことも影響していたのかもしれない。
よって、2006年は僅か3ヵ月半のキャリアでしかない。しかし35冊を濫読した。
当時は外回りが多かったので文庫本片手に移動時間の殆どで本を読み漁っていたように思う。読書の大半を内田康夫と大沢在昌の『新宿鮫』シリーズの再読に費やした。読みやすいものからはじめていったのは正解だった。
この年で特筆すべきは『新宿鮫』の新刊『狼花』が発売されたことではないか。久々に“鮫”を堪能しながら一時期、夢中で“鮫”にはまっていた熱気を思い出させてくれた。
その流れでミステリー熱も蘇り、宝島社の「このミス」から上甲宣之という新人作家の作品を続けて読むなど、読書の幅を広げることが出来た。
ただ、山口雅也の『生ける屍の死』などはまだ読むのが早すぎたようなもどかしさもあり、今(2011年正月)読めば、ベストに選んでいたと思う。
その語り口の巧さに感心した。シンプルな物語で起承転結を楽しませることに恩田陸は腐心しつつも、それが生命線ではないことを十分に自覚していた。「歩行祭」が特別な夜になっていくことで、芽生える感情。彼と彼女たちの一歩一歩に蓄積される疲労感と刻一刻流れる時間がリアルであるほど読む側のノスタルジーが加速されていく実感が魅力的だ。
五年ぶりの“鮫”の新刊。今回の『狼花』も過去のシリーズ作品同様に一気に読破してしまった。先へ先へと読ませていく大沢在昌のエンタティメント作家としての技量は健在。とくに渋谷道玄坂からクライマックスとなる横浜中華街の攻防戦に至るまでのボルテージに『毒猿』の新宿御苑の死闘に匹敵する大沢のコンセントレーションの高みを感じて懐かしいくらいだ。
2ヶ月で20冊。殆ど濫読するように内田康夫を読み耽けることで、長年の本離れのリハビリをやっていた。ただあまりにも読書のペースに勢いがついてしまって、この作品の感想を書く暇がなかった。「白鳥」というキーワードの謎解きから、新潟、水戸、岐阜、福井、高槻、箕面、大津と例によって旅情たっぷりに物語が転々とし、大胆にも「グリコ森永事件」へと斬り込んで行く。未曾有の迷宮事件を浅見光彦に解決させてやろうと意気込みがビシビシ伝わってくる。
サスペンス、アクションはもちろん「バカバカしさ」までのすべてに『そのケータイはXXで』よりも高いボルテージを求めてくる。前作と同じレベルでは容赦なく後退したと評価されることになりかねず、観客の「もっともっと」の欲求に応えるべく上甲宣之は前作以上に狂気のストーリーを用意して水野しよりと火請愛子をさらに過酷な修羅場に叩き込もうとする。これはもうこの作家がいかに読者に誠実であるかの証明のような小説だ。
本当に面白い小説とはこれをいうのだと断言する。貧乏建設コンサルタントの二宮とやくざの桑原が産廃処理場に絡む利権を巡り、くっついたり離れたりの名コンビぶりでドキドキハラハラの幸福な読書時間を過ごさせてもらった。とにかくやくざ、闇金融業者から建築屋までワルしか出てこない小説だが、それらを向こうに回し東奔西走する堅気の二宮の目を通して相棒の桑原をはじめイリーガルな世界を体験していく構図が本作の緊張感であり面白さだ。
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2013年【平成25年】
◎誉田 哲也 「ブルーマーダー」
◎原田 マハ 「楽園のカンヴァス」
◎横山 秀夫 「64〈ロクヨン〉」
◎沼田まほかる「猫鳴り」
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2012年【平成24年】
◎スティーグ・ラーソン「ミレミアム」三部作
◎沼田まほかる「ユリゴコロ」
◎横山 秀夫 「臨 場」
◎三浦しをん 「舟を編む」
◎高野 和明 「ジェノサイド」
◎貴志 祐介 「悪の教典」
◎宮部みゆき 「ソロモンの偽証」三部作
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2011年【平成23年】
◎伊坂幸太郎 「アヒルと鴨のコインロッカー」
◎佐々木 譲 「ストックホルムの密使」
◎有川 浩 「図書館戦争」
◎大沢 在昌 「絆回廊 新宿鮫Ⅹ」
◎横山 秀夫 「陰の季節」
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2010年【平成22年】
◎今野 敏 「果断 隠蔽捜査2」
◎宮部みゆき 「小暮写眞館」
◎佐藤多佳子 「一瞬の風になれ」
◎伊坂幸太郎 「ゴールデンスランバー」
◎有川 浩 「阪急電車」
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2009年【平成21年】
◎村上 龍 「走れ!タカハシ」
◎重松 清 「熱 球」
◎島田 荘司 「斜め屋敷の犯罪」
◎有栖川有栖 「孤島パズル」
◎森見登見彦 「夜は短し歩けよ乙女」
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2008年【平成20年】
◎歌野 晶午 「世界の終り、あるいは始まり」
◎黒川 博行 「文福茶釜」
◎黒川 博行 「蒼 煌」
◎沢木耕太郎 「テロルの決算」
◎夏目 漱石 「こころ」
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2007年【平成19年】
◎黒川 博行 「国 境」
◎重松 清 「口笛吹いて」
◎東野 圭吾 「容疑者Xの献身」
◎島田 荘司 「占星術殺人事件」
◎綾辻 行人 「十角館の殺人」
◎スティーヴン・ハンター 「極大射程」
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2006年【平成18年】
◎恩田 陸 「夜のピクニック」
◎大沢 在昌 「狼花 新宿鮫Ⅸ」
◎内田 康夫 「白鳥殺人事件」
◎上甲 宣之 「地獄のババぬき」
◎黒川 博行 「疫病神」
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※並びは読了順
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