■平成のおわりに
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2019.04.30(火)
「支えてくれた国民に心から感謝いたします」
天皇陛下のお言葉とともに平成が終わる。
ただ私は昭和とともに生きてきたとの思いが強い。
だからこの時代の空気をずっと他人ごとだと思って過ごしてきた。
もっといえば「平成」の語感すら好きにはなれなかったばかりか、どこかで冗談のような響きで聞いていたように思う。
だから平成を振り返ってみようとキーボードを叩き始めながら、どうしても昭和と比べてしまう自分がいる。
昭和天皇の病状は逐一ニュースで報道されていたとはいえ、新元号「平成」は突飛に訪れた印象だった。
現実、平成になった後もしばらく、昭和への回顧が続いていたように思う。
「激動の昭和」と称され、熟成され尽くして時代の役目を終えた昭和に対し、生まれたばかりの平成はあまりにも幼く未熟だった。
そして私の中では未だその思いが燻っているから困るのだ。
何より平成に改元されたとき、西暦は世紀末の渦中だった。
俗な言い方をすれば平成がどんな時代になるのかより、ノストラダムスの予言がどうなるのかを気にしていたのかもしれない(呆)
早い話、そんな情緒で30年やり過ごしてしまったことに私の致命的な駄目さがある。
だから先日、自分が昭和より平成を長く生きていたことに今さら気づき、大いに途惑ったばかりだったのだ。
過ごしてきた時間を、違和感だったり冗談だったりで済まそうとする程度の人生かもしれないが、平成の最後に自虐することになるとは情けない限りではある。
と、ここまで書いておよそ1時間ほどキーボードを叩く指が止まってしまった(笑)
現在、午後22時。平成も残すところ2時間を切った。
平成の出来事を思い巡らすと、一気に30年という歳月が押し寄せてくる。
私が昨日のことのように記憶していたことが昭和の出来事だったり、遠い昔の話だと思っていたことが実は平成の内だったりで、まるで混濁している。
ただ、改元の入れ替りを惜しみ、祝うという経験は初めてのこと。
ざっくり戦争と戦後でのみ語られる昭和とは違う、平成の時代性もあるのだろう。
天皇の退位と即位が執り行われることが、時代の変り目なのかはわからない。
ただ大晦日から新年を迎えるような昂揚感の中で、私自身の平成がのっぺらぼうであったとしても、両親が健在のまま令和を迎えられること、国民に寄り添いながら象徴天皇を追求してこられた陛下に深い感謝の思いだけは届けておきたい。
無理やりまとめた感もあるが、今、私が初めて平成に感謝する瞬間ではあるのだ。
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