■虫食い 2019.06-2019.08

日めくり  虫食い2019.06-2019.08      



2019.06.04(火) 原口文仁、復活の感涙打

♪ここに立つ為に 鍛え抜いた日々よ
原口のすべて 魅せろ 奮わせろ~
なにせ一年前の交流戦初戦で四番を打った男だ。
その現役バリバリのプロ野球選手が大腸癌を公表したのが今年1月。
育成からのし上がってきた苦労人に訪れた致命的な試練。
ステージ3だったというから軽いものでもなかっただろう。
怪我ならともかく癌となると俄かには信じられなかった。
その原口文仁が交流戦第一戦で復活のタイムリー二塁打を放った。
いやぁ野球中継で久々にウルウルしてしまった。
ベンチ前にその記念のボールが転がってきたのを矢野監督が拾いに行く。
チームにもファンにも勇気を与えるレフトフェンス直撃ではないか。
先ずはおめでとう。おかえりなさいだ。


2019.06.05(水) なんと南キャン山ちゃんが蒼井優と

中野量太監督『長いお別れ』の蒼井優は良かった。
その蒼井優が南海キャンディーズの山里亮太と突然の入籍のニュース。
いやはや驚いた。それにしても山ちゃんとはなぁ。
実は下北沢の本多劇場で山里亮太のワンマンLIVEに出掛けたことがある。
そう私は山里亮太と蒼井優のそこそこそのファンではあるのだ。
帰宅後、ネット動画で結婚記者会見を見てしまう。
山ちゃんの豊富なボキャブラリーに感心しつつ、活舌の悪さは気になるところだが、
蒼井優のお父さんに結婚の許しを得るくだりには笑わせてもらった。
タレントの結婚記者会見などにまったく関心はないのだが、
実にほっこりした気分にさせてくれた。


2019.07.01(月) 毎年のように

一年が半分過ぎたといっては、何となく気を焦らせている。
しかし考えようによっては焦るということは心が動いていること。
心が動けば多少は能動的だといえるのではないか。
確かに去年は首都圏から一歩もでないまま一年を過ごした。
「このままだとチコちゃんに叱られる」などとも書いている。
比べれば今年は動いている。心も動いている。
この夏は仕事も忙しいが遊びも忙しい。


2019.07.02(火) 類稀な圧倒感『海獣の子供』

帰宅して米津玄師の唄うエンディング曲「海の幽霊」のMVをYouTubeで聴いてみる。
正直、エンディングの余韻になど浸る余裕などなかった。へとへとに疲れていた。
だから今、落ち着いてYouTubeを再生しているのだが、
『怪獣の子供』の圧巻の映像ダイジェストに米津玄師の圧巻の歌声。
いちいち圧倒させられるアニメーションだ。
今年は定番の『名探偵コナン』を皮切りに、原恵一『バースディ・ワンダーランド』。
湯浅政昭『きみと、波にのれたら』を経て、新海誠『天気の子』に至り、
夏の新文芸坐オールナイトの片渕須直上映会を通過して、
年末の『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』へ雪崩込む流れを勝手に作っていた。
ところが寄り道のつもりの『海獣の子供』にいきなり止めを刺された感じか。
こんなアニメ体験は今まで経験したことがない。
いやはや凄い。画用紙に水彩画で描かれたような今どきのアニメの中で、
キャンバスにこってりと油絵具を盛られたとでもいうのか、
その凄まじいまでの画力の密度に茫然とし、口を半開きにさせて見入ってしまった。
そう私はストーリー至上主義でアニメを観てきて、
アニメーション本来の絵の力には案外無頓着でいたのかもしれない。
海の美しさだけではない。ときには生物の死臭さえ漂う澱み。時化もあり凪もある。
まさに空と海が織りなす祭典とでもいおうか、本質を問い直す作り手の執念というか。
そして次第に脳内体力が覚束なくなる。先にも書いたが疲れるのだ。
オープニングからしばらくはこってり密度を楽しめても、常態化するとマヒしてしまう。
これが齢ということなのか、みるみる疲弊していくのがわかる。
その疲れがマックスに達したところで始まる“誕生祭”のテンション。
『2001年宇宙の旅』のスターゲートを思わせる抽象化された画力の氾濫だ。
しかもキューブリックには感じることがなかった濃厚な意味が明らかに示されている。
おい、ありがちな少女のひと夏の成長物語じゃなかったのかよ!と嘆いてももう遅い。
セル画の一枚一枚がゾンビに蹂躙されるかの如く襲いかかってくる。
もちろん超ド級の一本であり、渾身の力作には違いないのだが、
類稀なる一本に出会ったというテキトーな着地点で妥協してしまいがちな自分もいる。
ああ、あと20若かったらなと少し自己憐憫に浸っているのだ。


2019.07.03(水) ものもらい

目が痒くていつも指で目を掻き毟っている。
それで目にバイ菌が入ってしまうのだろう、みるみるうちに赤く腫れてきた。
一般的に「ものもらい」。関西でいうところの「めばちこ」だ。
調べると「めいぼ」「めんちょ」「めっぱ」「めこじき」など。
なんともロクなもんじゃない。
多分に差別的な響きもあり、宮城県では「ばか」なんだそうだ。
明後日には職場の一大イベントが池袋メトロポリタンで開催される。
ただでさえ奥歯が疼いて困っているところに文字通り「弱り目に祟り目」だ。
なんとも困るのが次から次と出てくる目ヤニ。
職場の人間ももはや自分を正視してくれない(泣)。


2019.07.04(木) 副大臣秘書から謝罪の電話が

明日の講演・研修会には副大臣や元都知事などが講師として登壇する予定で、
私はその連絡係を仰せつかっている。
それで二度ほど衆議員会館に当日の段取りの確認などをしているのだが、
それが今日になって私のスマホに副大臣秘書から着信があって、
「副大臣は九州豪雨の対策閣議のため、申し訳ないですが欠席させて戴きたい」と。
そんなもの「いえ困ります。約束ですから」なんて言えるわけがない。
普段は業界のしょーもない輩とのしょーもない電話に明け暮れている毎日なので、
副大臣の秘書からの謝罪を直に受けたことにやや興奮してしまった。
考えてみれば別にどうってことでもないのだが、
その物腰の低い丁寧な断りっぷりに感心している。


2019.07.05(金) 講演・研修会

毎年の恒例である職場主催の一大イベントに奔走。
例によって内閣府、警察からAVのプロダクションまで500人近くが集まった。
取締る側と取締られる側が一堂に会するイベントはここくらいなものだろう。
懇親会では若手の職員をカメラマンにして各テーブルを回って記念写真。
ここまで会場内を歩き回ったのは10回目にして初めてのこと。
目を腫らしたまま、よくやりきったと我ながら思う。


2019.07.06(土) 後悔の蓄積

週末、母と過ごす病院通い、親父の訪問、買い物。
日々の繰り返しに合わせるように老いていく母を実感する。
もともと愚痴をこぼすのが口癖のような母ではあるが、
自己憐憫と自己中心、自己正当化が顕著になりすぎると我慢できなくなる。
それで車の中で大ゲンカが始まるのだが、
母からすれば息子が突然、理不尽に怒ってきたとしか思えないだろう。
確かに私も「我慢する」ことに対して狭量になってきている点で齢なのだ。
私の母に対する言動は、母がいなくなった時、かなり後悔することになるはずで、
今は、その後悔する量を日々蓄積しているのかも知れない。
実家の玄関を閉めてひとりになったときの安堵感は何事にも代えがたいものの、
この安堵感も母が居るのだとの前提で得られることなのだとわかっているのだが。


2019.07.07(日) 旅の計画

7月14日から3泊の予定で寺社めぐり“みちのくひとり旅”を予定している。
青森、秋田、岩手をレンタカーで回る強行軍だが、
すっかり衰えたと自覚する体力と集中力で無事に日程をこなせるのか否か。
今日はほぼ一日かけて4日間の計画を練った。
まず朝7時半に東京駅から新幹線で八戸に向かい、レンタカーを借りる。
八戸といえばうみねこの繁殖地、蕪島がある。訪れるのは30年ぶりくらいだろうか。
当初は蕪島から十和田湖によって一気に恐山菩提寺まで行ってしまう計画だったが、
時間的には相当苦しい。恐山に問い合わせたところ17時までには来てほしいとのこと。
ならば恐山は翌日に回し、十和田から八甲田山を抜けて青森に行ってしまうのはどうか。
映画『八甲田山』の弘前三十一連隊の如く迂回しつつの八甲田越えを考えた。
しかし超早朝に恐山に行き、青森に戻り、弘前を回ってそこから宿泊予定の秋田・・・。
いやいや無理無理、下北半島から秋田までざっと450キロ。20代と訳が違う。
やはり恐山は初日に行ってしまった方がいい。そもそもこの旅のメインではないか。
そうなるといよいよ十和田に行けなくなる。十和田にはどうしても行きたい。
映画で健サンも雪の十和田を臨みながら気合いを入れていたではないか。
結局、男鹿半島からまた十和田に北上し、盛岡に南下することにした。
プラス170キロ。大丈夫だろうか。
そして最終日は盛岡から花巻、遠野、平泉と回って一ノ関で車を返す。
ここには一切の余裕はない。この旅で一体何キロ車を走らせるのだろう。
何となく青森五連隊の悲劇が頭を過るのだが、旅の計画は楽しい。
あとは机上で練った計画を実践するのみだが、どうなることやら。


2019.07.08(月) 寒いぞ

不思議なもので暦が7月というだけで、職場には当たり前のように冷房がついている。
そして外に出て驚くのは、事務所よりまるで涼しいではないか。
確かに湿気はあるが、街をゆく人の半分は上着を着ている。
もしかしたら冷夏なのか。七夕のディスブレーも心なしか沈んで見える。
空はどんよりとして雲が低い。その雲の向こうに天の川などあるのだろうか。
ただいまの気温は18度なり。


2019.07.09(火) また負けた

もう結果しか見ないことにしているが、巨人に連敗したようだ。
最悪。もう完全に昨季と同じ匂いが漂っている。
まだカープが飛ばしている間は我慢できたが、巨人が頭ふたつ抜けているではないか。
最悪。出来れば今季は野球を忘れたいと頭を過るのだが、
チケット3試合分買っている。何で買ってしまったのだろ・・・
もうこうなったらペナントレースの行方よりも、
俺が観に行った試合だけは何が何でも勝ってもらいたい。
早く原の息子が致命的な問題を起こさないものか・・・
う~ん、発想が最悪。いかにも関東の虎党らしいが。


2019.07.10(水) 頭くるな~

いや巨人に甲子園で3タテ喰らったどこかの球団ではなく、母親に。
仕事が俄かに立て込んで来て、明日は残業が決定している中で、
それでも楽しみにしている東北旅行前にひと頑張りかと思っている矢先、
夜中に母から電話があり、「玄関先で転んで頭が痛い」と電話。
「痛くて眠れない。救急車呼ぶわけにはいかないのであんたには報告しとく」
ここまでいって一方的に電話を切られた。
それにしても「救急車呼ぶわけにいかない」の意味がわからん。
普段から、あっちが痛いのこっちが痛いの、寝られない。母の口癖だが、
はっきりいって頭にきている。「ふざけんじゃねぇよ」と。
とにかく転んだの怪我しただのといわれるのが一番腹が立つ。
もちろん87歳の母親が転んで頭を打てば、息子として心配しないわけにはいかない。
こっちが寝られなくなるわ、チクショー!


2019.07.11(木) 結局Uターン

早朝、とにかく車に飛び乗って実家に向かう。
なんで深夜であっても昨日の内に駆けつけなかったのだろう。
おそらくシリンダーが閉められていて、どうせ玄関は開かないと思ったのか、
それならば早朝だって同じだ。
気になるのは「頭を打った」の一言。後からダメージが来なければよいか。
車から実家にコールを続ける。20回目くらいで出た。
ことのほか母ははっきりした口調で「頭の痛みはなくなった、でも腕が痛い」と。
聞けば腕を切ってそこそこの出血をしたのだという。
夕べは腕のことなど一言もいわなかった。もう訳が分からない。
それで「一人で病院に行けるから来なくてもいい」という。
はっきりした意志が感じられたので「大丈夫か」と念を押しつつ車をUターン。
アパート近くの駐車場に戻って、出勤のため、満員電車に乗ったのが朝6時半。
昼過ぎに電話があり、腕を2針縫って鎮痛剤と化膿止めを処方されたとのこと。
頭はなんともなかったようで、とりあえず安心した次第。


2019.07.12(金) 今度は親父が救急搬送、そして旅行断念

出勤中、親父が世話になっている施設から連絡。
親父の息が荒く、背中に痛みを訴え、熱が38度となったので救急車を呼ぶこととなり、
そのために家族の立ち合いが必要だといわれる。
それで仕方なく残業体制の仕事を無理に調整してもらい早退させてもらった。
救急車に乗るのはこれが3度目。
最初は私自身の東名での事故、続いて母の脳梗塞で帯同した。
しかし親父はことのほか元気で、救急搬送の必要があったのか否か。
CTを撮った結果、肺気腫は認められたが、症状を裏付けるほどの原因は不明。
ただ大腸ヘルニアと圧迫骨折が悪化していることが判明し、入院となった。
もちろん施設から連絡が入った時点で、明後日からの東北旅行は諦めていた。
個人的には今年の目玉として大いに気合いを入れていたのだが、
怪我をした母と入院の父にここまで旅行を阻まれては断念するしかない。
むしろ今回の旅行は止めろとの恐山菩提寺のお告げのような気もした。
実際、4日間でレンタカーを1000キロは走らせるという強行軍ではあったのだ。
そもそも怪我と病気の親をほっといて寺社を参拝したところでなぁ。


2019.07.13(土) 近本、サイクル!阪神勢大活躍

ここまで阪神勢が活躍したオールスター戦はそれほど記憶にない。
古くは江夏の9年続三振、掛布の三連発、近々では藤川の三振ショーなどがあるが、
総じて居るんだか居ないんだかよくわからんのが球宴での虎戦士だった。
その虎戦士が甲子園を舞台に爆発した。
近本、原口、梅野のバットが快音を響かせ、次々とスタンドに放り込む。
近本に至ってはサイクル安打達成。5打数5安打の新人記録だ。
甲子園のスタンドの虎党たちはさぞや熱狂したことだろうと思う。
もちろん夢の球宴の熱狂とは縁遠い虎党の思いはひとつ。
・・・・ペナントレースでもこれくらいやってくれよ、と。
さらに続けて思ったはずだ。
これをきっかけにチームの潮目が変わってくれたら・・・・。
確かに優勝するチームには「あれでチームの勢いが一変した」的な試合がある。
今季のタイガースにもそんなエポックメーキングな試合はあった。
福留の一発。高山の代打サヨナラ満塁ホームラン。癌を克服した原口の復活打。
どちらも打ち上げ花火としてこれ以上ない突出したインパクトだった。
虎党は快哉をあげて「これで雰囲気が一気に変われる」と確信した。いや切に願望した。
しかし願望も空しく低迷は続く。打ち上げ花火も単なるあだ花にすぎなかったのだ。
二度あることは三度ある。今度こそ三度目の正直としたい。


2019.07.14(日) 従姉と親父を見舞う

入院中のアメニティの契約に同意の署名をし、入院保証金を支払う。
なんかすっかり入院手続きに慣れてしまった。
親父自身はなんで入院の事態となったのかよくわかっていないようだったが、
実は私もよくわかっていなかったので、検査入院のつもりでいるが、
これを機会に大腸ヘルニアの手術までやってしまおうかと思っている。
当初、ヘルニアは親父自身に自覚症状がないことで、あまり深刻に考えていなかった。
本人が気にしていないのに91歳の身体の耐性を考えるのは間違いではなかったはずだ。
しかしいざとなった時に施設からの移動に伴う煩わしさや負担を考えると、
この入院もひとつの機会だと思うことにした。
「ダッチョウ」などと軽く考えてはならない。CTでもガスが相応に溜まっている。
あとは本人にどう説明するかなのだが。


2019.07.15(月) 海の日に映画3本

ここまで「海の日」が寒いのは過去、記憶にない。
それでも夏休み。東北旅行は取りやめたものの、夏季休暇中だ。
母の通院、父の入院から逃れた束の間の一日。映画を観に行くことにした。
白井和彌監督・香取慎吾主演『凪待ち』。
春に公開された『麻雀放浪記2020』は見逃した(見送った?)ものの、
白石作品は『凶悪』を皮切りにコンスタントに劇場で観賞している。
多作だ。『凪待ち』の後も続々と公開作が控えているという。
その『凪待ち』。個人的には白石和彌最高傑作だと思った。
間違いなく香取慎吾は今年の主演男優賞ものではないか。
もちろん一度観ただけでこの映画を消化出来たとも思っていないし、
様々な思いはあるものの、自分の脳裏を過った「ある感覚」について書く。
不思議だったのは、ダメ人間として描かれる主人公の郁男が、
救済が訪れ再生していく結末にならずとも、ダメ人間のまま死んでもいいと思った点。
所詮は他人事だと落ちていく無様さを冷ややかに見たかったわけでも、
そういう人間の有り様にサディスティックな愉悦を覚えたわけでもない。
むしろ郁男には「ガンバレ」と、ずっと共感していたにも関わらず、そんな風に思った。
金銭的な救済や生き甲斐を与えられる終わり方を否定するわけではないが、
絶望的な結果であれ、彼がすべてを呑み込んで「ま、いいか」と人生と折り合えること。
なんかそんなエンディングもありではなかったか。
白石和彌ならそんな末路でも「作品」に出来るのではないかと思う。
70年代にはそんな自滅した先の余韻で終わる映画が多かった。
続いて2本目『ゴールデン・リバー』。絶滅危惧種になりつつある西部劇だ。
監督のジャック・オーディアールはフランス人。
制作国にフランス、スペイン、ルーマニアが参加している。
スペインはわかる。あのサッドヒルだってスペインにある。
それにしてもフランス、ルーマニアの風土、エッセンスは作品に反映されていたのか。
いやエッセンスは不明だが、描き方は王道西部劇とは似て非ざるものではあった。
ストーリーラインこそよくある西部劇のフォーマットだ。
ボスの命で、ある男を追跡し殺すことを目的に旅に出たシスター兄弟。
殺し屋として腕の立つガンマンだが、ふたりとも行動と言動がチグハグで、
妙な葛藤と確執を繰り返し、その間抜けぶりに思わず苦笑してしまう。
敢えてガンファイトのカタルシスを狙っていないカメラワークも不思議だったが、
ボスに反旗を翻した無法者の末路は討ち死にするのが相場と予測したら、
最後にこの兄弟が求めたのは故郷の母の胸だったという驚きの結末。
今の時代に西部劇を撮るのだからこういう終わり方もアリなのかもしれない。
憎めないどころか愛しい気持ちにもさせられた4ヶ国ハイブリット西部劇だった。
学生時代は名画座の堅い椅子で3本立てや、同じ映画を一日中観ることもあったが、
今は一日一本が理想。もう若くはないので、目がチカチカするし、集中力が覚束ない。
そんな中での3本目の『アラジン』。
ディズニーブランドで万人向けに肩の凝らない映画ではあるものの、
とにかくCGによる映像アトラクションのつるべ打ちと、尋常ではないカット数。
せめてジャスミンとアラジンの空飛ぶ絨毯のデート場面くらいは、
“Whole New World”に乗せて優雅にロマンチックに描いて欲しかったと思う。
ただ「ガメラ」や「ウルトラマン」のヌルめの映像で育った私たちは、
当時から怪獣たちの着ぐるみ感やミニチュアの稚拙さを承知で観ていたが、
物心ついたら当り前のようにCG映像が氾濫している今の子供たちはどうなのだろう。


2019.07.16(火) あゝ・・・

怪我をした母の通院に付き合い、初めて肩から腕に出来た痣をみて驚いたが、
今度は入院中の親父が呼吸器をつけてベッドでぐったりしている姿に驚いた。
何でも食事中に嘔吐して、吐しゃ物が肺に入って肺炎を起こしたのだという。
誤嚥性肺炎という奴だ。医師の説明だと大腸ヘルニアが原因の嘔吐だという。
なんたる事態に唖然。ここに至り、ようやく東北旅行に行かず良かったと思った。


2019.08.01(木) 名人芸を堪能

渋谷のシネマヴェーラで名匠ビリー・ワイルダーが上映されている。
この機会に劇場未見作を何本か観ようと思っているが、
まず皮切りに『第十七捕虜収容所』。これは30年ぶりにスクリーンで観る。
いやはや面白い。なんというのか映画を観ながらあれこれ考えるのではなく、
ただワイルダーの話法に身を委ねてスクリーンを眺めていればいい。
こちらから面白さを拾いに行く必要がまったくないのだ。
映画に限らずあらゆる娯楽ジャンルの中で、ここまでの境地にさせるのは、
ワイルダーが唯一無二だろう。
映画館を出た後も頭の中で「ジョニーが凱旋するとき」の軽快なメロディが鳴っていた。


2019.08.02(金) 4安打8四死球1失点

「ぶち破れ、俺がヤル!」は矢野タイガースのスローガンだが、
これは藤浪晋太郎個人に一番噛みしめてほしい言葉ではある。
我々には未だ藤浪への幻想がある。
私個人の記憶として4年前の9月、甲子園で観戦した巨人戦。
初回に2点を先制したタイガースがそのまま2-0で巨人を押し切った試合。
藤浪圧巻の完封劇だった。
あのときの藤浪の姿はまさしく実像だったが、どこかで幻想になりつつある。
その藤浪が再起を賭けて甲子園のマウンドに帰ってきた。
奇しくも甲子園開場95周年の記念日。
実は90周年の時も藤浪はマウンドに上がっていたらしいので、
「輝いていたあの頃を思い出せ」との無言のメッセージも込められていたとも聞く。
結果は4安打8四死球1失点。五回を投げることなく102球で降板した。
1点で抑えたとの見方もあるが、相手打者の腰が引けていたのも事実だろう。
やはり投手が打者と対峙する時、常に「恐怖心」が介在するのは真っ当とは思えない。
そもそも藤浪の制球難は、よくいわれる“イップス”なのだろうか。
精神的なことより「投げたいところに放れる」技術をとことん追求すべきではないか。
簡単にいうが、狙い通りに胸元でのけぞらせるボールが投げられた時が復活の証だろう。
矢野は藤浪を即、登録抹消した。
我々の藤浪幻想はまだまだ続くが、幻想にも期限はある。


2019.08.03(土) 親父の術後

92歳で二週続けての手術。今日面会に行ったら呼吸器は外されていて、
うるさいくらいに大声を張り上げ、元気だった。
もちろん喋っていることは支離滅裂なのは仕方がない。
しかし家に帰りたいと訴える意志は伝わる。
両手のグローブで点滴の管を外そうとするのは困りものだが、
それでも今日からゼリー食は試すのだという。
誤嚥が心配だが、このクソ猛暑に病院のベッドはよい避難場所かもしれない。


2019.08.04(日) 今年ベスト級『新聞記者』

まず難癖をつければ、全国紙の社会部にしてあのスケール感はない。
タウン誌の編集部じゃないんだから、活気に満ちた猥雑さは不可欠だ。
ディスクにペーパーが積まれ、電話もジャンジャン鳴って、人が激しく行き交う。
ましてスクープをぶち上げるのだから、全社あげて賭けに出る熱量が欲しい。
内閣調査室の無機質な空間も一体何のカルカチュアライズだろう。
不気味なものを描こうとして不気味そうな演出を盛る。下手な映画の見本で、
スタイリッシュに描きすぎて作為が露呈しているのは明らかなミスだ。
こんな具合に良くない部分が悪目立ちする映画ではあるが、
文句なく今年のベスト級の見応えではあった。
もともと権謀術数のうちに画策された案件とも思えない分、
拙速とも思われる核心への到達速度もそれほど気にならないばかりか、
官邸の杜撰な計画を内調が必死で尻拭いするあたり、なかなかリアルではないか。
なにより主演のシム・ウンギョン。彼女の存在感で映画の緊迫感は担保されている。
決して悠長とはいえない日本語。しかし真実を追求するのだという強い意志を感じる。
国家権力を相手に真実を追求しようとする日本映画を久々に観たし、
そしてそれがエンターティメントになっているのが嬉しい。
結果はどうあれ、こういう“やる気”な映画を右や左のレッテルで見るべきではない。
『半世界』 『愛がなんだ』 『岬の兄妹』 『さよならくちびる』 『凪待ち』。
去年に引き続き、今年も日本映画、充実している。


2019.08.05(月) 嫌われてんなら仕方ねぇじゃん

日韓の関係悪化のニュースがかまびつしい。
もともと相容れない同士が無理をする必要などないではないか。
理を立てて通用する相手ではない以上、無視するに限る。
もちろん日本がすべて正しいなどとはいわないし、
こちらで報道されている事象すべてを飲み込もうなんて気はないが、
ここは本気で距離を置いてもいいのではないか。
日本に対してあれこれ攻撃してくる相手も相手だが、
それにムキになる日本人もみっともないったらありゃしない。
利害が絡む人たちには気の毒だが、すっかり辟易している。


2019.08.06(火) 行きたくなった原爆資料館

広島原爆の日。夜はずっとNHKを流していた。
そこでリニューアルした原爆資料館を紹介していた。
今まで広島を5度ほど訪れているが、まだ一度も原爆資料館に足を向けたことはない。
正直言うと被爆蝋人形など悲惨を強調した展示物に興味が持てないでいた。
私は「核が廃絶出来るならそれに越したことはない」程度の人間なのだが、
ニリューアルされた原爆資料館には行ってみたいと思った。
蝋人形は所詮、作りものだと撤去。被爆者の遺品を中心の展示に舵を切ったという。
惨状よりも被爆者ひとりひとりの物語を想像させていく展示には興味があり、
生死にかかわらず8月6日8時15分瞬間の人生に思いを馳せてみる。
これだけ一瞬が永遠になった出来事は広島と長崎をおいて他にないはずだから。


2019.08.07(水) 電信柱

7月は長梅雨で毎日が雨ばかりだったが、
8月に入って、一転日照りと猛暑が続いている。
そうはいっても職場のベランダで一服つけていると、
ヘルメットに分厚い作業着で電信柱に跨って工具を操っている人が見える。
一日の8割近くを冷房で過ごしている自分など天国ではないかとなるのだが、
さもしい根性の持ち主は「きっといい給料もらってんだろな」などと思ってしまう。
そんな思いを寒いと感じつつ、その寒さが少しの涼も呼ばないことに気づくのだった。


2019.08.08(木) またも脳内編集?映画『失われた週末』

昔観た映画を改めて観ると、まったく違う映画に思えることはよくあること。
しかし中にはラストシーンが記憶していたのとまったく違って面食らうこともある。
デ・シーカの『ひまわり』では、S・ローレンが行方不明となったマストロヤンニを探し、ロシアを訪ねるが、そこで彼の戦死を知って茫然とひまわり畑をさまよっていく。
彼女の愁いに満ちた表情と満開のひまわりにマンシーニの名曲が流れてジ・エンド。
もう鮮明な映像とともに記憶していたと思っていたので、再見してびっくり。
ひまわり畑の場面はラストではないし、そもそもマストロヤンニは戦死していなかった。
茫然とした思いで、ラストのミラノ駅での別れりシーンを観ることになる。
デ・ニーロとメリル・ストリープの『恋におちて』もそう。
クリスマスのニューヨーク。書店で出会い、ふたりは恋に落ちるが互いに伴侶がいる。
ふたりは別れを決意するが、またクリスマスの夜に書店で再会する。
しかしお互い思いは胸に秘め挨拶を交わす程度で反対方向に歩き始めて、
ほろ苦い大人の恋は終わるのだと思い込んでいた。
というより、そんなエンディングに人生のままならぬ余韻を感じ、好感すら抱いていた。
ところがデ・ニーロは道引き返し、ストリープを探してマンハッタンを駆け巡る。
そして二人はハグしながら熱いキスを交わしたのだから本当にたまげた。
『狼たちの午後』も、射殺されたと思い込んでいたパチーノが死んでいなかった。
なんなんだろう、この脳内編集は。
渋谷のシネマヴェーラでビリー・ワイルダー監督の『失われた週末』を観に行く。
アカデミー作品、監督、主演男優、脚色賞に輝く名作で、やっと劇場で観た。
ワイルダー好きを自称し『失われた週末』をビデオで観たままでは恥ずかしかったのだ。
アルコール依存症の話で、名匠はありとあらゆる技巧を駆使して恐怖場面を演出する。
グラスを置いた濡れた輪がデーブルに拡がる場面や、天井に酒瓶の影が揺れる場面など、
ミランドの熱演と併せ、さすが名匠と、スクリーンで観ることの歓びを噛みしめていた。
ビデオで観た記憶だと、最後は恋人の献身的な説得で主人公は酒を断つことを決意。
ところが恋人と再起をめざす主人公の部屋の窓の下には酒瓶がぶら下がっていた。
ダメな主人公に名匠の皮肉とユーモアを思い、感動すら覚えていたのだが、、、、、
いや、酒瓶はぶら下がっていても、そこにかぶさる主人公の独白が記憶とはまるで違う。
字幕が可笑しいのではないかと、帰りの電車の中でスマホで調べて見た。
どうやら私が間違っていたらしい。とんだ脳内編集で別のラストを作りあげていた。
断言する。『ひまわり』も『恋におちて』も『狼たちの午後』も『失われた週末』も、
絶対に私の脳内編集でのエンディングがいい。長年の思いの蓄積があるのでなおさらだ。
頼むから私の映画を返してくれ・・・・(苦笑)。


2019.08.09(金) 歓送迎会

白木屋で暑気払いを兼ねた職場の歓送迎会。
こういうイベントでもないとまず酒を飲まない。
そういえば酒席からも随分遠ざかっている。
今の流行りなのか女子会を意識したコースなのか、食前酒(梅酒)で始まって、
小手先のチマチマした小皿が続く。メインは一口ステーキと手毬寿司。
腹が立つのは私が食べられない海老が3品続いたこと。
国が指定した食物アレルギーの対象をみっつ続けるか普通?
所詮、白木屋だろ。前提が白木屋である以上、女子会メニューなど止めとけという話。
刺身ドーン、串盛りドーンと大皿で出せばいいではないか。


2019.08.10(土) 親父の退院

二度の手術を経て親父が退院した。
入院が先月の12日だったのでほぼひと月、病床で過ごしたことになる。
92歳の認知が来ている老人にはしんどかったろうとは思うが、
退院がお目出度たいのは80代までで、
正直、この猛暑では入院していてもらった方が安心だった。
入院中、何度か面会に行ったが、その度に親父の様子はころころ変わっていた。
わりと普通に会話が出来るときもあれば、悪態ついて怒鳴るときもある。
ところが今日の親父は今まで見たこともないほど静かで、
良くいえばお行儀がよく、悪くいえばまるで生気がない。
誤嚥を起こして以来、点滴とゼリー状の流動食を続けていたので、けっそり痩せ、
まるでゴッホの自画像のような顔で、迎えてた施設の職員さんを驚かせていた。
今まで見たこともない親の顔を見るのは、気持ちのいいものではない。


2019.08.11(日) 映画『アルキメデスの大戦』

最初は山崎貴の監督作ということろで観に行くのを躊躇していたが、
舘ひろしが山本五十六と知って決定的に見送ろうかと思った。
どうしても山本五十六といえば三船敏郎か山村聰しか思い浮かばないだ。
年齢的には問題なくとも、連合艦隊司令長官となれば全体の重しとならなければならず、
今、日本映画は重しとなるべき人材が圧倒的に足りていない。
岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』を観たばかりなのでなおさら思うのだが、
そもそも山本五十六や大石内蔵助は無名の役者が演じてはならないのだ。
役所広司や渡辺謙ではあまりに食傷気味。
かといって小林旭、渡哲也、加山雄三、杉良太郎、高橋英樹では齢をとりすぎている。
う~ん、、、、舘ひろしか。確かに実像と比べれば何となく似ていなくもないが。
『アルキメデスの大戦』はひとえに菅田将暉の演技スキルを求めて映画館に足を向けた。
確かに菅田将暉と助手となる柄本佑のコンビで面白い映画にはなっていた。
大和撃沈という現実(史実)をアバンタイトルでこれでもかと見せておいて、
その帰結に向かい逆算しながら建造阻止に邁進する櫂と田中で惹きつけて、
最後に平山中将の「日本人は・・・」の衝撃理論で一気に観客の思考を軌道修正させる。
正直、山崎貴にここまでの演出、脚本術があるとは思わなかった。

                           

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