■2013.04
日めくり 2013年04月(平成25年) ◄►
2013.04.01 性分?体質?
もう桜も散ろうというのに花冷えでもないだろうが吐く息が白い。
宵越しの金ならぬ「彼岸過ぎのコートは持たぬ」を信条としつつも、
コートにマフラーを巻く人を恨めしく感じるくらいに冷えた。
それにしても週末の強行軍が祟って身体の芯が疲れているのを感じる。
とっとと仕事を終わらせて帰ろうかと思いながらも、仕方なく残業。
遅くなったら開き直ってレイトショーに足が向く。
相変わらず日が暮れると元気になる性分は健在か。
2013.04.02 杮落し
銀座歌舞伎座が杮落しを迎えた。
勘三郎、團十郎を失った歌舞伎界は深刻な人材不足だという。
国の援助を受けず、大衆の力だけで生き延びている世界でも稀な伝統芸能だともいう。
コクーンでしか体験していない歌舞伎だが、首都圏に住む地の利は生かしたい。
そんな決意めいた思いで初日のニュースを見た。
今年中には必ず見物してみよう。
2013.04.03 爆弾低気圧
昼飯に出たとき、要町交差点での暴風は強烈だった。
私は強風での傘の差し方が下手なので、今まで何本も壊しているのだが、
たまたま差していたのは安価なビニール傘ではなく、値段もそこそこの傘だった。
傘の開閉を調整しつつ、とにかくめまぐるしく変わる風の方向を読む。
強風の中でいかに身を守るか。いやそれ以上にいかに傘を守るか。
傘を守って多少濡れても、破壊されてずぶ揺れになるりはマシだ。
どのコンビニの傘立てにも骨が折れ曲がった傘の残骸が捨ててあったし、
逆風でおちょこになるのは当たり前で、真正面から内側に曲げている人もいる。
そんな中、自分でもよく頑張ったと思う。たかが昼飯のためだとはいえ。
2013.04.04 何ともならん
どうもストレスが溜まることが多くなってきた。
間違いなく悪い方に向かっていることだけはわかっているが、
それに流されずに踏んばる気力がどうしても湧いてこない。
昔からとことん追い詰められないと力が出ない性分であることを自覚しつつ、
本人は常におだてられて頑張れる人間だと思っていたいので困る。
何とかならんもんだろうか・・・何ともならんな。
2013.04.05 母、倒れる
夜中に救急車で運ばれる。
2013.04.06 診断
MRI検査の結果、脳梗塞と診断される。
再び救急車で入院施設のある病院に搬送。
腕にチューブを差し込まれるのが何とも気の毒だ。
2013.04.07 達者
幸いマヒは左手のみ。
しかし医師の説明では脳梗塞は二週間の監視が必要とのこと。
口は達者。病床にも慣れてきたのかあれこれと口喧しい。
2013.04.08 15分
面会時間は夜の19時半まで。
ストレス指数ピークの職場を早めに上がらせてもらい、
初めて東京メトロ直通で東横線に乗る。
母とはたった15分で面会時間オーバー。
実家で親父と二人。お互いにペースがつかめずに妙に疲れる。
結局、通勤はアパートからにした。
2013.04.09 ニュアンス
海外の旅行サイトで日本への渡航者に風疹への警戒を呼び掛けている。
中国では鳥インフルエンザの死者が8人になったという。
13億5千万もいれば8人くらいはややこしい死に方もすると思うのだが。
心配なのが福島第一原発の水漏れ。
さらに明日には北朝鮮のミサイルが飛んでくるかもしれない。
どうやら日本列島はありとあらゆる危機を孕んでいるみたいだ。
その“みたいだ”というニュアンスの正体はなんなのだろう。
2013.04.10 父と晩飯
毎日、15分間の母との面会。
今日は父が待っていた。
運転を代わって実家まで帰る。
父子は焼き魚で夕食。
父との思い出は川崎と神宮。二つの野球場でのひと時が今でも鮮明だ。
それだけ子供の頃に父と過ごした時間は短かった。
耳が衰えてしまい会話がなかなか覚束ない。
86歳を目の前に今更老いを実感しても仕方ないが、
ぎこちない空気に気が滅入りそうで少しだけテレビの音量をあげた。
2013.04.11 巨人戦3連続0封
もちろん試合の全部を観られたわけではないが、
こういう記録は初めてだと思う。
関東版のスポーツ紙は「巨人、球団ワーストタイ」という見出しの作り方で、
能見、スタンリッジ、榎田の好投は相変わらず補足程度ではあるものの、
タイガースの投手陣は中継ぎ、抑えも含めよく頑張った。
気分が曇天の日々が続いたが、心にたまの晴れ間がのぞいて本当にありがたい。
2013.04.12 酒の味
会議などがあって、仕事も立て込んでさすがに面会は断念。
そういうこともあり急場の飲み会に参加して、久々に酒を飲む。
ああ、こういうときに沁みてくるのが本当に酒の味というものなのか。
2013.04.13 賑わう
母は6人部屋に移り、本格的なリハビリも始まる。
年長者の母のもとに妹弟、甥姪などの親戚が見舞いに訪れ、
時ならぬ来客を招いた気分で、ちょっとした賑わいとなった。
誰々の結婚式以来、誰々の葬儀以来という懐かしい顔もあって、
母もすっかり主役気分を満喫したことだろう。
少々疲れたのか、血圧があがっていたが、とてもありがたいことだ。
自分の最後の時、こんなことはないだろうなと頭をよぎってしまった。
2013.04.14 藤浪晋太郎、初勝利
録画していた甲子園のDeNA戦を観る。
19歳になったばかりというのが信じられないほど堂々としたマウンド捌き。
92球、被安打5、四球1、無得点。
春夏の甲子園連覇から、まだ一年も経っていないのか。
流行の言葉でいえばやはり「持っている」子なのかもしれない。
今日が偉大なプロ野球選手の第一歩として記憶に止められることを願いつつ、
この「日めくり」に記しておこう。
2013.04.15 再びMRI
母は点滴治療の成果を診るため再びMRI検査へ。
医師の所見を聞くため結局仕事は休ませてもらった。
脳梗塞はMRIの画像で白く表示される。6日の検査よりも大分薄らいだか。
あと一週間入院して治療の方針を見極めるという。
まずはひと安心してもいいようだ。
2013.04.16 DATA.LAB終了
ずっと長文を綴って来たけど、
ごくごく短い言葉で「ありがとう」と投稿。
つらいとき、あの場所があったから生きてこられたとも思う。
T.Aさん、みんなありがとう。愛してます。
2013.04.17 負けるなよ~
母のことがあり、もしもの時に病院に駆けつけなればならないということで、
観戦を予定していた東京ドームの3連戦はすべてとりやめにした。
昨日のチケットは後輩に譲り、今日明日の分は元同僚に引き取ってもらったのだが、
代わりに行ってもらっているこっちが恐縮してしまう内容の連敗。
別に申し訳ないことをしたつもりはないのだが、何とかならんものか。
明日は勝てよ、榎田。
2013.04.18 上着脱ぐ
昨日に次いで気温が上がるとのことなのでジャケットを置いて出勤。
とにかく満員電車の中でジャケットでは蒸し暑くて仕方がない。
しかし思ったほど気温は上がらず、日が暮れるとさらに気温が下がっていく。
今夜も母親の入院先へ立ち寄るため一時間早上がりさせてもらうのだが、
仕事中に羽織っている黄色のナイロンジャンパーで職場を出ようとしたものの、
こんな格好での早上がりは、面会と偽って東京ドームに行くと誤解されかねない。
多少、寒くても我慢だ。ああクソ、めんどくせぇ~
2013.04.19 ボストンの爆破テロについて
ニュースに犯人と思しき人物を捉えたカメラ映像が映し出される。
海外の犯罪ドラマでは画像修復プログラムによって直ちに鮮明な画像となり、
骨格を解析して、膨大なリストから一瞬にして容疑者のプロフィールが特定される。
既にそういう技術があるものだと思っていたので、
ニュース映像の今イチ不鮮明な画像を見て、現実はまだこの程度かと思った。
(さすがに静止画にすると加工されて鮮明にはなる)
それはそれとして、確かにボストンマラソンの現場で爆弾が破裂したのは衝撃であり、
犠牲となった幼い少年をはじめ、罪なき被害者には誠に同情を禁じ得ないのだが、
ニュースで顧みられることも、米大統領から哀悼の意を捧げられることもなく、
アフガンやイラクでは多くの市民が爆弾で命を落としている。
もともと米軍の侵攻が招いたこと。そのことは絶対に忘れてはならない。
ニュースに偏重があるのはわかるが、人の命に偏重があっていいはずはない。
2013.04.20 一旦帰宅
母がリハビリの一環ということで一晩帰宅を許された。
それに伴って自分も実家に泊まることになった。
普段は二階で寝ている母は、絶対に二階で寝ると譲らない。
夜中にトイレの時に階段でコケたらどうするんだといっても聞かない。
明日病院に戻るとき何を着ていこうか迷い始める母。
思わず「馬っ鹿じゃねェの」と語気が強まる。
「好きにさせてやれ」との親父の言いぐさも随分無責任だ。
それにしても自分がこれほど小言をいう男なのだと驚いてしまった。
2013.04.21 いろいろあったが・・・
母としても実妹が同じ病で、半身マヒが残ると診断されている手前、
深刻な状態を抜けて退院という流れを大っぴらに喜べない事情もあるだろう。
それでも家族としてはひと安心ではある。
連日の病院通いに父も疲れているのがわかる。
明日にも退院の手続きを取るつもりだ。
それで仕事を休むのも気が引けるが、高齢の両親にひとり息子。
これは運命として諦めるしかないだろう。
2013.04.22 17日間
個人的なページとはいえ、身内のことばかり書くのもどうしたものか迷ったものの、
母の入院に際して、様々な思いを駆けめぐらせた17日間だった。
看護師の「あら~○○さん、よく出来ましたね~」とまるで子供に対するような接し方、
そのやり取りを複雑な気持ちで聞きながら、どこか笑ってしまっている自分もいた。
生まれて初めて母の靴下を履き替えさえ、手を引いてトイレに連れて行く。
おそらくこういうことはこれから始まっていくのだろうが、
早々にアパートに逃げ帰った自分の弱さをたっぷりと味わった17日間でもあった。
2013.04.23 満員電車の沸点
満員電車というものはとかく怒りの沸点を下げてくれる空間だ。
帰りの渋谷駅など、元々満員の電車めがけてホームから長蛇の列で乗り込むのだが、
似たような体型のオッサンとのポジション争いもさることながら、
もっとも恐ろしいのは痴漢の冤罪ではないかと思う。
婦女子との密着に心ときめかした男子中学生の頃と違い、
偶然でも密着してしまうとロクなことは起こらない。
いや痴漢はともかく、女子を押し潰すのは気の毒なので精一杯踏ん張っても、
こっちが揺れに耐えている隙間を使ってスマホで遊ばれるとさすがに苛っとくる。
それでいて揺れに負けてちょっとでも押してしまうとあからさまに不快な態度をとる。
(さっきから踏ん張ってやってんだぞこのへちゃむくれが・・・)
と耳元に囁いてしまいたいところをグッと抑えながら、
鞄を肩にかけて右手でつり革、左手で手すりを掴み、腹を精一杯引っ込める。
おそらく痴漢だってここまでの苦労はしていないだろう。
2013.04.24 反・断捨離
冷蔵庫の消費期限が過ぎた食品を処分するのはわかる。取捨選択も必要だろう。
しかし断捨離によって、解放される、自由になれる、前向きになる。本当だろうか。
捨てることによって得られるものなど私には何ひとつない。
そこで断捨離の定義を調べてみた。
○断=入ってくる要らない物を断つ。
○捨=家にずっとある要らない物を捨てる。
○離=物への執着から離れる。
これって単なるお片付けで、そう大層なことではないのではないか。
思うに“断捨離”という言葉の発明がおかしなムードに火をつけたのだろう。
2013.04.25 懐述
懐述=過去の出来事や思い出などを述べること。という意味。
実はこの歳になってこんな熟語が存在していないことを初めて知った。
初めて知ったどころか、ずっと長い間「懐述」を使い続けていた。
このHPで検索してみると5~6個もヒットした。恥ずかしい限り。
こんな具合に恥ずかしい思い込みをしたままでいることは少なくないだろう。
ここでも誤字や誤用を見つけてはしょっちゅう訂正している。
因みに懐述ではなく「述懐」が正しい。
2013.04.26 馬っ鹿じゃねぇの
新車を購入した途端、近所の塀にぶつけた86歳の親父は、
前側部が凹んだ車に乗って、認知症予防の薬を処方してもらいに病院へ。
脳梗塞から退院して4日しか経っていない母親は、
血圧200にして意気揚々にサウナに出掛ける。
もはやウチの両親は制御不能か。
2013.04.27 遊び倒すつもりだったが・・・
様々な遊びの予定が流れてしまったのは事情ゆえ仕方ないとしても、
何せ50代の遊びたい盛り(呆)それなりのストレスも溜まるもので、
今日は久々に映画に野球に遊び倒すつもりでいた。
昼から映画を2本観て、夜は浜スタでのDeNA戦。
ところが出掛けに浜スタのチケットをよく見ると何と席はライトスタンド。
どうやら席種を間違えて購入していたらしい。
かくして外野のDeNA応援席で、熱いベイファンに囲まれながらの観戦となってしまう。
タイガースが得点してもガッツポーズは出来ねぇ。失点したらひたすら耐える。
ところが先発の小嶋が大乱調。序盤で6点を献上。
お祭り騒ぎのベイスタンドの居心地の悪さに、こんなん絶対に遊びと違うと思った。
2013.04.28 隔世
母親の行きつけの美容院に付き添う。
髪を染めている間、阪東橋から横浜橋、日の出町、野毛の界隈を暇つぶしに歩く。
ここら辺りは横浜のダウンタウンか。
今はなき国際劇場、ニュース劇場、ヨコギン、東映、松竹、日活、ピカデリー・・・。
高校から浪人時代にかけてここらあたりの映画館にはよく通ったが、今や隔世の感だ。
いや、昼間から路地で客を引くお兄ちゃんを見れば、十分に隔世には違いない。
すぐ目前の横浜スタジアムでは藤浪晋太郎が3勝目をあげたらしい。
19歳か・・・。世代的隔世というよりも生き方に隔りがありすぎるか。
2013.04.29 叔母を見舞う
母と従姉を車に乗せてリハビリ入院中の叔母を見舞う。
脳梗塞でまだ左半身がマヒの妹を先に退院した姉が訪ねるという図なのだが、
母も記憶障害が相当に残っていて、これは少し笑えない事態になりつつある。
日付と曜日の認識が出来ないのですっかり振り回されてしまったが、
脳梗塞による一時的なものなのか認知症を発症させたのか、
こういう経験は初めてなので一体どうしたらいいのだろう。困ったものだ。
2013.04.30 おそらく東京は、ない
2020年五輪招致の最後のプレゼンの前に、確かに猪瀬直樹の失言は痛いが、
3月の評価委員会の視察の時点で、これはイスタンブールで決まりだと確信した。
イスラム圏初の五輪開催というキャッチフレーズも強力だが、
もう招致へのポテンシャルが目に見えて違っていたように感じる。
東京は街全体が老成の一途を辿り、東京でなければダメなのだとの理由が乏しい。
物事を主張する際、子供をダシにすることくらい唾棄すべきものはないが、
こういうスポーツイベントだけは子供たちの夢のためにあると思っているので、
五輪招致にミソがついたことは非常に残念なこと・・・ではあるな。
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