■令和のはじめに

日めくり別欄 令和のはじめに       


2019.05.01(水)

 テレビ画面はまるで大晦日から新年を迎えるような喧噪を映し出していた。
とにもかくにも徳仁親王は皇位を継承され、新たなる時代「令和」がはじまった。
新時代に際し、私がここで新聞社説を模すような駄文を綴っても仕方ないので、
ここでは昨年9月半ばして頓挫した「日めくり」の、その後の7ヶ月あまりの空白のアリバイを書き残すこととする。

 一応「日めくり」が頓挫した後も虫食いで、備忘録的に文章は残している。
その虫食いをアップするのもいいかなとは思ったのだが、ではこの7ヶ月間になにか特別なことでも起こったのかのかといえば、それほどのことはなく、
幸いにして健康とは言い難いものの、日常生活と勤め人としての立場を遂行出来る程度には身体は無事を保っている。
確かに高血圧、高脂血症、高血糖、動脈硬化、隠れ脳梗塞、無呼吸症候群、未破裂脳動脈溜に肺年齢が81歳と診断され、通院と毎朝5錠の服薬が欠かせなくなった。
そんなことを「日めくり」で散々書いておいて、プツンと消息を絶った(?)ものだから、数少ない友人たちから安否を気づかう年賀状やメールを戴くこともあった。

 改めて「お気づかい有難う。何とか生きています」。

 秋には何回目かの尿路結石となった。
石ははっきり自覚できるほど、見事に尿道から排出されたのだが、その際に撮影したCTスキャンで腹部大動脈に石灰化した塊が見つかり、新たに右目の網膜裂孔が進んでいわれ、レーザー施術を持ちかけられ、尿検査では腎臓の異変が指摘されてもいる。
未破裂動脈瘤の検査入院もやった。腕の血管からカテーテルを入れ、心臓を経由して脳を造影剤で照らして瘤の程度を確認。指摘されたのがカテーテルの進路が妨げるくらいに動脈硬化が進んでいること。
医師からはタバコは止めないと最後通牒のようにいわれ、それ以来、電子タバコに完全移行した。
でも有難う、何とか生きています。

 「日めくり」が開始十年目で頓挫したのは、それら病気も日常化し、神奈川と東京だけでほぼ1年を過ごして、旅日記も書けない中で、毎日の更新が億劫になっていたに過ぎず、
映画観賞は続けているが、それは別ページで更新していることでもあるし、しばらく放置しとけとなったわけだ。
「日めくり」が途絶えた後、一体何をしていたかといえば、相変わらず毎週末に実家に帰って母と喧嘩し、ともに通院して並んで採血をし(先月には母子でMRIをやった)、施設に預けた父を見舞うこと。父91歳、母87歳。確実に身体は弱り、ボケも進みつつも何とか頑張っている。
秋に劇団四季『CATS』を観劇し、年明けに大相撲初場所、2月に中島みゆき『夜会vol.20』に出掛ける。
そして相変わらず敗戦残務整理のような野球観戦。
輝く我が謎、阪神タイガースはあはれ最下位と相成りました。

 そうそう、3月の終わりに久々に関西に旅に出た。
そこで京セラドームでの開幕戦では目の前で人生初となるサヨナラ勝ちを味わった。
さらに奈良、神戸、京都の寺社をめぐり3日間で7万歩。足裏に大きなマメを作った。
とくに50年ぶりに訪れた神戸港。ポートタワーから六甲と神戸の市街を眺め、遊覧船から造船ドッグを目にしたとき、5歳の思い出に酔いしれ、新たな思い出を更新することができた。
やはり引きこもってはならないのだ。
空白の7ヶ月間のトピックはそんなものかもしれない。

 そんなこんなで『令和』施行の5月1日より「日めくり」を再開することとします。



                           

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