日めくり

  日めくり

2019.05.13(月) ファッキン・ロケンロール!シャガナベイベ~!

[日めくり]を休止していた7ヶ月あまり。
日本映画はかけがえのない二人の俳優を失った。
萩原健一については次の機会に述べるとするが、
そのショーケンよりひと足先に旅立ったのが内田裕也。
近年こそ樹木希林がらみで語られることが多く、奇行ばかりが話題にされていたが、
内田裕也は間違いなく80年代の日本映画を支えた大功労者だ。
『エロチックな関係』(78)『嗚呼!おんなたち 猥歌』(81)『水のないプール』(82)
『十階のモスキート』(83)『コミック雑誌なんかいらない』(86)。どれも傑作揃い。
学生時代、リリースされたアルバム『さらば愛しき女よ』も当然買った。
バイトの帰り、よくウォークマンをフル回転させていたなぁ。
個人的には本職であるロックミュージシャンとしても好物だったのだ。
こんな具合に、突然、内田裕也の話をやり出したのは、
ようやく新文芸坐で追悼上映が決定したとの一報が入ったからだ。
何度もいうが80年代日本映画を支えた男ゆえ、文芸坐でかかるのは必然としても、
なかなか上映ラインアップに入ってこなくて、ヤキモキしていた。
6月は夜なべ覚悟で文芸坐に通い詰める所存だ。


2019.05.12(日) 修善寺から中伊豆へ

伊豆八十八ヶ所遍路を一番から五番まで打ち終わる。
先に二十三から二十五番を打ち終わっているが、やはり納経帳の頭は済ませておきたい。
半島といえば海と崖のイメージだが、ここは伊豆半島の中核。
バスに頼れる札所はバスに頼ったが、何せ便数が少ないので、
修善寺から出発して、出来る限り先の停留所まで歩いて歩数を稼ぐことにした。
狩野川のほとり沿を歩く。途中で名物のあまごのてんぷらとわさび定食で腹ごしらえ。
さらに国士峠を進めば天城越えとなる。
歌の詞にある「わさび沢」「浄蓮の滝」を眺めながら歩いてみようかと思ったが、
天城越えは8.5㎞、行くべきかどうか。平坦ではない「つづら折り」の峠道だ。
止めた。今週末に内視鏡検査を受ける身に無理は禁物と自分を納得させつつ、
(正確には自分に言い訳しつつ)
一番、二番で一旦修善寺に戻り、バスで逆側の三番を目指すことにした。
それでも結構な距離を歩いて歩行距離15.4㎞、23190歩。もうヘトヘトだ。
体重もMAXで87㎏まで増えていたのが3㎏ほど落とした。よしよし。


2019.05.11(土) ああダメだ、弱い、情けない

このところお寺巡りを再開して、伊豆の八十八ヶ所に京都、高野山を回っている。
その際、「両親と心穏やかに対話が出来ますようお見守りください」と手を合わす。
正直、老親の言動の数々が世の中の常識と乖離しすぎて向き合うのが辛い。
耳が遠くなっているので言葉が通じなく苛々が絶えない。しまいには怒鳴り合いになる。
怒鳴っているからこちらもついつい大声になる(百恵ちゃんか)
そばに第三者がいれば笑って済ませされることも一対一となるとそれが出来ない。
とくに母。自分のことしか考えない、人に対しては愚痴と悪口。
悲しいかな、私が一番、好きになれないタイプ。
しかしそうはいっても親は親。もちろん人生レベルで感謝もしている。
明日の母の日に向け、穏やかに両親と一日を過ごそうと心に決めていたのだが、
もう車に乗った途端に喧嘩が始まる。
父91歳、母87歳。そんなものにこちらの常識を当てはめようとするから辛いのか。
伊豆、京都、高野山の誓いなど何処へやら、、、こちらも弱い、情けない。
何とかならないものか。


2019.05.10(金) びろうな話だが2

パンツを脱ぐことになるかもしれないのでスーパー銭湯のモーニングに寄る。
そして職場を遅刻させてもらい、行きつけの総合病院に直行。
受付で「お尻から結構な血が出る」というと外科に通された。
真っ先に想像したのが、大腸や直腸のガンだった。
鮮血で染まった便器を見た時、いよいよ本命が来たかと思ったのだ。
若いお医者さんから症状を聞かれる。
「痛みはないのですね。では、診てみますからそこに横になってください」
来た。人生で初、肛門に指を入れられる瞬間。
入れられた途端にお腹がゴロゴロと鳴る。
「痛いですか?」と訊かれ、「少し」と答えると、「では器具を入れてみますと」
またお腹がゴロゴロと鳴る。溜まっていたガスが上がってくるだろうか。
「ああ、結構な痔がありますね」といわれる。「へっ?」
スボンを直して説明を受ける。
「あなたの場合は内痔核といって痛みはともないませんが、血の塊があります」
「それは動脈硬化みたいなものですか?」
「いえ、動脈ではなく静脈。まず大事には至りませんが脱肛の恐れはあります」
もし切るのならば専門病院で手術しろということだ。
出血の多さは血液サラサラの薬を飲んでいるからだと思われるが、
念のため大腸の内視鏡検査も受けてみるかと訊かれ、「お願いします」と答える。
この際だから、徹底的に診てもらおうと思った。
それで来週の金曜日「下部消化管内視鏡検査」を受診することになった。
ひとまず職場に電話で報告。
「ガンじゃないかと思ってたら痔」となって笑い話になったらしいが、
上司には「お前、それほっとくと腐ってきて痔ろうになるぞ」と脅かされる。
とにかく今は大腸に余計なものがないかを願うのみだ。


2019.05.09(木) 行かなくて良かった神宮

GW直後のヤクルトとの神宮三連戦。
観戦すべきか迷っていたが、体調不良と疲れが溜まっていたので見送っていた。
とくに今夜の試合は見送って正解だった。
5点リードを追いつかれ、延長12回の2点勝ち越しをドローに持ち込まれた展開。
ただでさえクタクタなのに4時間53分。帰宅が午前様ではたまったものではない。
だから見送って正解だったのであって、試合の残念さをいっているわけではない。
確かに12連戦の最終にタフな展開に持ち込まれたのは失敗だったが、
要はサヨナラ負け臭が漂っていた試合に「負けなくて良かった」のだ。
徒労と敗残感満載でどんより新幹線で帰らなかっただけでも大きい。
なにせ最大借金6の単独最下位まで落ち込んだ矢野阪神が、今や貯金3。
早々に挽回出来たのは素直にチーム力が上がったということでいいのではないか。
もちろん6連敗中の巨人相手に勝たないこと、阪神タイガースである意味はないが。


2019.05.08(水) びろうな話だが

このところ肛門から出血している。
痛みはまったくないので痔ではないと思うのだが。
流石に便器が真っ赤になったのは尋常なことではない。
大腸だか直腸に異変があるのか?
次から次へと、どうなっているのだが、この身体。
病院に行かねばならねぇか。


2019.05.07(火) さて仕事再開

早速、仕事がどっと持ち込まれてきた来た。
GWを丸々休んでしまい見捨てられるではないかと密かに心配していたが、
どうやら杞憂に終わったようだ。
10連休。平成から時代変りもしたので、職員の顔を見るのも久しい気もした。
ただ最後まで休みにするかどうか決めていなかったので、
職員も予定が立てられず、とくに旅行に出掛けた話も聞けなかったのは気の毒だった
むしろ全休に反対していた私が熱海、京都、高野山と飛び回っていたのに驚かれたか。


2019.05.06(月) 聖地・高野山、再び

遍照金剛、阿弥陀如来、大日如来、不動明王様に手を合わせながら唱えていたのは、
“私の健康、両親の健康、まっちゃん(叔母)の回復、仕事がうまくいきますよう、そして私が両親と心穏やかに対話が出来ますようお見守りください”だった。
さて「またいつの日か必ず再訪しようと心に決めたのだった。」と綴って6年。
標高1000メートル、真言密教の聖地を再び訪れる。
よく「一生のうちに一度はお伊勢回りをするべき」といわれているが、
私は高野山こそがそのフレーズに相応しいと思っている。
とにかく女人堂から高野のエリアに入った途端に気分も空気も変わる。
今回は奥の院に直行。弘法大師が未だ瞑想に打ち込んでいるとされる聖地中の聖地。
2キロにも及ぶ長い参道を苔蒸した墓碑を眺めながら歩く。
なかなか1200年の歴史の重みを噛みしめられる機会などあるものではない。
基本は御朱印帳を持ちながらの宿坊めぐりで、
修験者でもなんでもない私ごときは、ただの観光客に過ぎないので、
連休の最終日の後片付け追われる中、各寺院の御朱印巡りへの対応も様々だ。
そこに緊張する中にも楽しさを見つけることも出来る。
中には、「君、ちょっと前までヤンキーだったでしょ」みたいな小僧さんもいて、
きっと手がつけられなくて寺に押し込まれ修業されられている若者なのではないか。
と、そんな勝手な想像をしながら歩く2万歩など本当にあっという間だ。
なにはさておき、京都、高野山で書いていただいた御朱印は65枚。
今回で宿坊すべての御朱印をいただこうかと思い巡らせてもいたのだが、
流石にそれはかなわず、半分も回れなかったのだが、それはそれでよし。
また次に訪れるきっかけをもらったのだから有難いこと。
ひとり道まっしぐらだったが、時代をまたいで思い出深い大型連休となった。


2019.05.05(日) そうだ京都に行こう

令和初日の靖国と一昨日の熱海ですっかり寺社巡りの熱がぶり返してしまい、
GW残り二日もどこか行くぞと思案しながら、宿泊施設をネットで検索していたら、
なんと軒並み空室があるではないか。関西のホテルなど割引になっている。
確かに大連休の残り2日にビジネスのシングルに空きが出るのは必然かもしれない。
淀屋橋のアパホテルなど大浴場付きで半額だ。
思い立ったら吉日。迷わず部屋を押さえる。新幹線は自由席で十分だ。
もともと関西は行きたい所だらけ。今回は京都と高野山に行くことにした。
そうはいってもGW。東山周辺はごった返しているだろうから左京区方面へ。
朝9時に京都駅到着。そこから京阪の七条駅まで歩き、丸太町へ。
平安神宮、金戒光明寺、聖護院、真如堂、吉田神社、知恩寺その他を参拝。
歩くことも目的だ。効率など度外視だから無駄歩きも多かろう。が、京都は楽しい。
とくに「黒谷さん」と真如寺の新緑のもみじは目にも鮮やかで、
これが秋に色をつけたらどうなることか想像するのもなかなかの趣きだ。
それにしても驚いたのが京都大学の巨大。行く先々で京大の施設に行き当たる。
最後は今出川通りの進々堂でサンドウィッチとコーヒーで京都を打ち上げた。
百万遍の進々堂といえば森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』のラストシーンか。
主人公の「私」がついにナカメ作戦を成功させヒロインとデートする舞台だ。
そんなこんなで進々堂は京大生たちの青春の垢がこびりついている匂いが心地良く、
人生やり直せるなら京大生になるのも悪くないなと思った。・・・・なれるかいな!
出町柳から京阪で淀屋橋へ。電車内で甲子園の阪神戦をスマホで観戦。
見事、福留のサヨナラホームランで劇的勝利。
今季、2度目のサヨナラ勝利をまた関西で味わえたのだから最高ではないか。


2019.05.04(土) 令和一発目は午前十時の『ジョーズ』

十年目の「午前十時の映画祭」もいよいよ今回がファイナルとなる。
映画祭については後日に触れるとして、
令和最初の映画観賞は昭和を代表する『ジョーズ』となった。
映画祭主催者は初期の段階から上映のオファーをかけていたらしいが、
スピルバーグが当時の映像技術の未熟さを理由に拒否をしていたという。
確かにCG全盛の時代、サメの貼りぼて感は致し方ないとしても、
この映画の持つサスペンスとユーモアはまったく色褪せてはいなかった。
1975年12月7日、封切り2日目の日曜日。
中学生はカセットデッキ持参で、超満員札止めの話題作を録音した。
もちろん当時も違法だが、“ストップ・ザ・映画泥棒” の概念は希薄だった。
叫び、悲鳴、安堵、爆笑、、、、あの日、横浜ピカデリーは興奮の坩堝と化し、
クライマックスは大拍手。観客はまんまとスピルバーグに翻弄されていた。
あれから44年。シネコンの静まり返った中でもサメは躍動していたが、
カセットレコーダーが再生していた臨場感を思い出すことは難しかった。


2019.05.03(金) 歩るけども歩けども、熱海

競合他団体が仕事をしているにも関わらず10連休を決めた我が職場。
売上と利益に奔走してきた身にとってまったくあり得ないのことだが、
そこは一般社団法人、つまりは非営利団体のお気軽さというものか。
もっとも休みとなった以上、そのことで腹に一物抱いても仕方がない。
自分ひとり吠えてみてもどうにもならないのだがら(一応、吠えたけどね)。
そこでGWも後半となり、軽く爪痕を残そうと、関東を脱出するととなった。
私が関東から出る理由はちょっとした諸事情が絡むことはあっても、
基本は寺社巡りか野球。
軽い爪痕ということなら、一番お手軽な関東脱出は熱海。
伊豆山神社、來宮神社など知られたスポットもあるし、早速、車で出掛けた。
・・・甘かった。大和トンネルから秦野中井ICまで東名は大渋滞。
何でもこのGW、高速道路の下り線は混雑のピークなのだそうだ。
ならばとUターンして駐車場に戻し、電車で行くことにした。
在来線で熱海まで一時間半。何てことはない、最初から電車にすればよかったのだ。
もとより、栄養士の先生に1日1万歩というノルマが課せられている。歩け、歩け。
やはり海はいい。せせこましい生活の中、こういう「抜け」の景色は目の保養になる。
で、伊豆半島を巡る「伊豆八十八ヶ所」という巡礼路が引っ掛かった。
八十八は少し多いが、面白いかもしれない。
思い立ったら即、実行。早速、観光客でごった返す熱海市観光協会で納経書を購入。
熱海周辺の二十三、二十四、二十五番を打ってみた。
山道を登って降りて、また登り、修験道の様相を呈しながら、軽く2万歩超え。
日が傾きかけた時間に公衆浴場に飛び込んだ。
そこは熱海。公衆浴場とて温泉かけ流し。湯舟で足を揉みほぐす。
爪痕ならぬ足裏にこさえた豆を疼かせ、上々の心持ちで帰路を目指した。


2019.05.02(木) 母と長谷寺へ

母は70を過ぎたあたりから年に一度、水子供養のため鎌倉の長谷寺に参拝する。
私に弟か妹がいたはずだったことを知ったのは二十歳前くらいだったろうか。
そのときは「ふ~ん」と聞いただけで何も思わなかったが、
母はもとより、私も老いを意識して、人生を顧みるようになってきたのか、
同行を重ねるにつれ、襟を正して拝まなければならないと思うようになってきた。
それはそれとして、鎌倉の寺の多くは山の斜面に建てられている。
石段を昇る母の覚束なさに、長谷寺参りもそろそろ限界かと思った。
おぶさるかといってみたが、GWで人がごった返す中、自分で昇れるという。
必死に手摺りにしがみつく母の姿は痛々しかったが、よく頑張ったのではないか。
もっとも私も体重50キロを背負って石段を昇り降りする自信はなかったが。


2019.05.01(水) 「令和」始動

ついでに「日めくり」もrestart、再始動だ。
時計の針が変わった途端、皇太子殿下は天皇陛下と呼ばれている。
学年がひとつ上。子供の頃から浩宮さまの呼び方で馴染んできた。
そういえば名前に「浩」の字がつけられた級友が必ずいた。
間違いなく全世代で名前に「浩」もらっている数は我々の学年がトップだろう。
その浩宮さまが今上天皇・徳仁(なるひと)となる。
徳仁?実は浩宮さまが徳仁さまだということを初めて知った。
聞けば、美智子上皇后さまは幼い我が子を「なるちゃん」と呼ぶことがあったらしい。
ならば「浩宮」ってなんだったのだ。Wikipediaによると称号なのだそうだ。
ときに私はあからさまな常識めいたことがスッポリ抜け落ちている男なのだ。
さて今日は靖国神社を参詣した。
皆、考えていることは同じで、御朱印を戴きに雨の中、延々2時間の行列だった。
夕方に明治神宮にも寄ってみたが、なんと13時半で受付を打ち切ったそうで、
係員に聞くと最後列は10時間待ちだったらしい。
おかげで今日も無事1万歩を超える。
毎日というわけにもいかないだろうが、今、一日1万歩をノルマにしている。



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