■2020.07

日めくり 2020年07月(令和2年)       



2020.07.01(水) 7月早々やらかした

昨日「明日も顔を出すぞ」と敬礼して親父の部屋を出た自分。
月を越したのに安心したわけでも、激しい雨に気持ちが萎えたわけでもないが、
(いやまったく無かったとはいえないか)
帰宅して着替えたらついウトウトしてしまい気が付けば午前2時。
ああ、やらかしてしまった。一か月経っても時差出勤の後遺症が続いている。
思えば先月の初めに「どうも6月はぱっとしない」などと書いていたが、
まさか親父の生死を見つめることになるとは思ってはいなかった。
いや、ならばちゃんと見つめろやという話ではあるか。
この7月も長くなりそうな気がする。
そして月末には「あっという間」だったとでも書くのだろうか。


2020.07.02(木) 東京でコロナ感染107人

今日の職場でのやりとり。
「東京で感染者数が100人超えたってさ」
「ふ~ん」
まったく緊張感がない。
それよりも帰宅の空模様の方を気にしているくらいだ。
人間、4ヶ月も緊迫していられない。
結局、歌舞伎町のホストクラブを集中検査した結果を思えばこんなもの。
横浜だって福富町や曙町で集中検査をやってみればいい。
そもそも棒を鼻の穴に突っ込んだ人数が曖昧なのだから、
感染者数の50人も100人も関係ないではないか。


2020.07.03(金) 夜と雨と

親父亡き後の諸々の手続きや葬儀のことを漠然と想像するが、
仕事帰りに親父の顔を見ることを2日間さぼってしまった。
呼吸器をつけ、点滴で栄養と水分を入れながら親父は闘っている。
いや闘っているというより、命の灯をつなぐことの本能に従っているのか。
それは何かの儀式にも思える。親父は祭祀の主宰者だ。
「頑張れ!」「ありがとう」。
他になにを呼びかけたらいいのか。


2020.07.04(土) A1cが7超え

「コロナ禍」のフレーズをよく耳にするし、自分も使っているが、
私にはむしろ「自粛禍」だ。
この3か月で体重が一気に増えたことは既報済み(?)。
ただ体重計のメモリが上がった。出っ腹になった。シャツがきつくなった。
ここまではそんな外側メタボの話だった。
今日は定期診療。血液検査によって体の内部の変化が明らかになる。
結果、中性脂肪209mg/dl、血糖114mg/dl、HbA1c7.2%を叩き出す。
(因みに昨年暮れは中性脂肪157mg/dl、HbA1c6.3%)
投薬治療をやっているのにこの数字はまずい。
外側メダボより内側メタボの方が恐ろしい。
とくにA1cが7を超えたのはショックだ。
いやショックもなにも運動不足は自業自得。
そもそも巣籠り生活をしていたわけではないではないか。
コロナ禍、自粛禍と言葉を弄びながら言い訳をしている週末か。


2020.07.05(日) 久々の映画館

映画館に行くのは自粛していた。
いつ親父の急変が来るかわからない状況で、さすがにスマホの電源は切れない。
ただいくら平静であるつもりでも、親の死と向き合っていることのストレスはある。
かなり日々がキツくなってきたので、映画館に行かせてもらうことにした。
さすがに親父の顔を見て、看護士さんの所見を聞いてから出掛ける。
呼吸も安定し、点滴の投与も順調で、きちんとおしっこも出ているという。
映画はウディ節が炸裂し最高に楽しく、しばし画面に没入させてもらった。
ウディ・アレンの映画は好物だ。ただそれほど客入りのいい映画とは思えない。
そうなると、ここで観ておかないとあっという間に終わってしまう予感もある。
ウディ・アレン、84歳。頑張ってる爺々はそれだけで愛しい。


2020.07.06(月) “神” モリコーネよ永遠に

「巨星」エンニオ・モリコーネが亡くなった。
中学生からファンであり続け、多分何千回も聴いてきた私の“神”。
映画史上の名作からB級ホラーまで、ほぼ生涯を現役で通した91歳。
表通りから場末まで、モリコーネのスコアはスクリーンに鳴り響いていた。
訃報のニュースで紹介される代表曲が『ニュー・シネマ・パラダイス』でも、
私だけの、あまり知られていないモリコーネの“名曲”は多い。
忘れもしない2004年6月。
東京国際フォーラムにモリコーネのコンサートに行った。
今までスクリーンやレコードから聴こえてきたモリコーネが、
100人編成のオーケストラとコーラスを従えたマエストロとして目の前に現れた。
あの曲が好き、このメロディがたまらないなどと、語り出したらキリはないが、
500本近いといわれるサウンドトラックのうち、
私にとっての原点はセルジオ・レオーネ監督によるマカロニウエスタン。
『荒野の用心棒』からの「さすらいの口笛」。
『夕陽のガンマン』のメインテーマと「ガンマンの祈り」
そしてサウンドトラックだけで何回買い替えただろうかという『続・夕陽のガンマン』。
メインテーマもさることながら、「黄金のエクスタシー」からの「トリオ」への流れ。
セルジオ・レオーネが引っ張るだけ引っ張ってモリコーネ節をたっぷり聴かせる。
あのクライマックスの畳み掛けは、文字通りエクスタシーそのものだった。
アカデミー名誉賞を受賞した際のプレゼンターはクリント・イーストウッド。
おそらく世界中のマカロニウエスタン好きを感涙させたことだろう。
ほぼ半世紀、私の人生を彩ってくれた。おそらくこれからも。


2020.07.07(火) 父、逝く

父、逝く。
点滴の管で僅かな命を灯していた数週間、尊敬するほど頑張っていた。
昨日のこと。いつものように仕事帰りの夜に様子を見に訪ねたとき、
初めて「はぁ~」と息を吐く親父の肉声を聞いた。
「俺だぞ、来たぞ」と耳元で大声を出したら僅かに頭を動かしたような気がした。
部屋に持ち込んでいた母の遺影に「頼んだぞ」と言い残しで部屋を出たのだが、
結局、それが最後の別れとなった。
6月中が限界との医者の見立てにも七夕まで命を繋いでくれた。
今月末には誕生日が来るのだが、さすがにそこまでは頑張れなかったか。
壊死した足首を見ると、もうそこまでは望めなかった。
もはや命の尊厳まで見せてくれた親父には感謝しかない。
医師による死亡見分で、ようやく呼吸器を外され、
口を開けたまま、足は曲がったまま固まっている親父。
92年の生涯、本当にお疲れ様でした。


2020.07.08(水) 葬儀の手配

葬儀会館に父を移し、担当者と葬儀の段取りを打ち合わせる。
結局、火葬場の都合で葬儀の日程が決まっていくことは母の時に経験したが、
12日の日曜日が友引。火葬場そのものが休みになることを知る。
しかも横浜市の火葬場は15日まで塞がっているという。
壊死した足のまま一週間も棺に入れておくのはさすがに忍びなく、
隣の大和市の火葬場で執り行うように手配してもらう。
住民票記載の住居以外の火葬場だと5万円の現金が必要となるらしい。
ほんと葬儀をひとつ経験するたび豆知識は増えていく。
金曜日に通夜、土曜日に告別式。
もともと新潟の父と母の実家は結婚前から親戚だったので、参列の顔ぶれは同じ。
ただコロナのこともあり、新潟からの参列は見合わせ、香典だけ渡すといわれた。
職場からの上司の参列もなしということになり、
香典返し、精進落としの食事の数が予測できない。
どちらにしても実にこじんまりとした葬儀となるのは間違いなく、
喪主として母同様に賑やかな会にしてあげたかった思いもあるが、これもご時世だ。
改めてコロナ騒ぎを恨めしく思う。


2020.07.09(木) お役所回り

ウチの会社の規則で忌引休は3日間。
一親等を送るには短すぎるだろとの不満はあるが、
それでも「死亡診断書」があるので休みの間に区役所に寄った。
健康保険証、介護保険証、印鑑登録証を返還。
年金の喪失は年金機構までいかなければならない。
母の時も痛感したが、行政の一貫化は無理としても“一か所化”は出来ないものか。
それから生命保険会社にも連絡。
親父の死亡保険もあるが、私の保険の受取人の変更もしなければならない。
母のときと違って今度は相続が絡んでくるので、これからが大変。
そうはいっても母が逝ってまだ一年も経ってないので、凡その段取りはわかる。
夕方にはポッカリと時間が空いてしまったので、映画を2本観る。
通夜前日に映画というのも何だかなと思ったが、気分転換が欲しかった。


2020.07.10(金) 通夜

18時からの通夜に先立ち、納棺式に立ち会う。
私のほかに従妹がたったひとり。これも母の湯灌のときとは大違いだ。
白装束。顔を整え、化粧をし、旅を履かせ6文銭を模した紙を懐に忍ばせる。
痩せさらばえた顔にファンデーションを塗り、唇に紅を引く。
正直、こんな顔は親父ではないと思ったが、死顔とはそういうものなのだろう。
通夜の出席者は十人にも満たなかったが、それでも賑やかに親父を送った。


2020.07.11(土) 本葬、そして父還る

百花繚乱の花びらに埋まった死化粧の親父。
まるでこの世のものとは思えない。
・・・・・そうか、もうこの世の人ではないのか。
一年も経たず白木の位牌を持たされ焼き場に行く。
母のときも思ったのだが、
参列者の前で「これが大腿骨、ここが上腕部」と説明されるのは好きではない。
転倒骨折して病院に搬送され、そこから騙し討ちのように施設に入居させたのだが、
「いつ帰れるんだ?」は毎度聞かされる親父の叫びだった。
あれから3年。ようやく親父が実家に帰ってきた。
「慈海誠覚居士」。新たにつけられた戸籍に載らない親父の名前。
「海」の一文字は私が住職にお願いした。
最後に海を見せてあげたかった。


2020.07.12(日) お墓、本契約

個人的にはタワーの納骨堂か樹木葬を考えていたが、
母が長い間、墓石の下に眠りたいと言い続けていたのを酌むことにした。
0.8㎡の小さな墓。
私も含め親子3人が眠る場所としては十分。
叔母の墓が近くなので、将来、ついでに孫たちが参ってくれるだろう。
墓標に“航・花”のふた文字をリクエスト。
墓石に家紋を刻むため、新潟の本家から家紋の写真を送ってもらう。
家紋など今まで頓着したことはなかったので、初めて見た。
石材屋に見せると“丸にもっこう”という比較的汎用されている紋だという。
もっこうは「木瓜」と書く。
えっ?〇にボケかいなと思ったら、木瓜(ボケ)はバラ科の花。
むしろ木瓜紋は木瓜(キュウリ)の意味合いに近く、
一説ではキュウリの切り口を想起させるので木瓜紋と名付けられたとのこと。
いろいろと勉強になる。
さらに相続関係の法律相談の予約もとった。
こういうことは後に回せば回すほど面倒になる。


2020.07.13(月) 忌引き明け出勤

「お疲れさんでした」と香典袋を渡される。
上司に諸先輩方に職員一同。
母が亡くなってから一年、経たずして申し訳ない気もする。
そうか、とうとう家族が居なくなって一人になってしまったか。
母は87歳で急死、父は92歳で老衰。どちらも十分に永く生きた。
なんとか親を送れたことで、それなりの安堵もあるのか。
午後から来客との面談に対応。そしていつもの日常が戻ってきた。


2020.07.14(火) 水害にコロナに

親の臨終と葬儀で何かと気が張り詰めていたのだが、
世間を見れば、停滞していた梅雨前線が九州各地に甚大な被害をもたらし、
明らかに第2波と思われるコロナウィルス感染が首都圏をざわつかせている。
役所に書類を送ったり、戸籍を取り寄せたりは続く中で、
どうも落ち着いていないのは私だけではなく、世間も同じなのだろう。
川の氾濫に土砂崩れ。毎年同じような光景がテレビに映し出されている。
そのたび「観測史上、初となる~」「今まで経験したことのないような~」のフレーズ。
いつしかこのフレーズも消えて、こんな光景が常態化するのかもしれない。
もとい、すでに常態化していたか。
「命を守る行動をしてください」。
あまりテレビから語りかけられたくない言葉ではあるが。


2020.07.15(水) 雨降りやまず

雨音のBGM。雨どいをつたう音。車が水溜まりを撥ねる音。
今年は「梅雨の中休み」「梅雨晴れ」「梅雨の晴れ間」が殆どない。
ふと窓の外を見れば当たり前のように雨が降っている。
今のところ首都圏に雨の被害はないようだが、雨がしつこい。
ここまで雨が我がもの顔で存在感を誇示するのも珍しいのではなかろうか。
父の死と相俟って、今年の梅雨は忘れられないかもしれない。


2020.07.16(木) 空白の一週間

別に締め切りがあるわけではないので、どうでもいいことたが、
私はどうしようもない遅筆だ。
まごまごしているうちに時は経つ。
[日めくり]を始めてしまったばっかりに、一日と追い駈けっこ。
6月、下書きは残していた。
親父の耳元で「がんばれー!」「ありがとう」の日々。
でも親父は逝ってしまった。
下書きを残していたからといって、
今更、親父が生きていた時間を清書してどうなる。
空白の一週間が出た。なにゆえ空白だったかということか。


2020.07.17(金) 素晴らしかった『はちどり』

明らかに睡眠が足りていない自覚の中、仕事帰りに映画2本観た。
韓国映画『はちどり』の上映が終了し、帰宅したのは午前1時。
評判は聞こえていたが、淡々としたストーリーで2時間20分。
これは絶対、睡魔が黙っちゃいないと覚悟していたがまったくの杞憂。
これだけ画面に集中させながら観賞後に疲労を感じさせない映画は久々だ。
物語は90年代、韓国の女子中学生・ウニの日常話に終始する。
画面の構図、登場人物の配置、出入り、視線の確かさに加えて、
あたかも歪さを研磨した流れるような物語展開にどんどん引っ張られていく。
淡々としているがウニの情動の変化に映画が寄り添うテンポ、鼓動。
これはキム・ボラという新人女性監督が内に持つリズムなのかもしれない。
そう、この映画はきちんと呼吸している。
いや決して淡々とした映画ではない。むしろヒリヒリと激しい映画でもあった。
父親の威厳が轟く家族の在り方。暴力を躊躇わない兄の存在。
そんな家族の中で疎外される不安を抱きながら日常を送るウニ。
小さな家族の出来事から社会全体を俯瞰し、90年代韓国の空気感を照射する。
いやはや参った。今年は遅ればせながらポン・ジュノを認識したが、
また凄い才能の出現を目のあたりにしてしまったということか。


2020.07.18(土) さて相続か・・・

生命保険のおばさん(おねぇさん?)と待ち合わせ。
保険の名義変更。さて私の生命保険の受取は従妹になってもらった。
長い間、親子3人で掛け合っていた。それも完全に終い。
新しい住民票をとってみれば、世帯主の欄に私の名前があり、
母と父の名前が×印で消されている。
考えてみれば還暦カウントダウンにして、ようやく世帯主か。
一人しかいなくて世帯主もへったくれもないのだろうが。
実家の路線評価額など気にしていなかったことも、気にしなければならない。
なにせ、それをひっくるめで相続税を払わなければならない。
こういう計算はなにより苦手。ぶっちゃけ面倒くせぇ。
でも払わずに済むものなら、払いたくはない。
・・・・・こんなレベルの話しか出来なくていいのだろうか。


2020.07.19(日) 四姉妹

ようやく『ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語』を観る。
シネコンでは軒並み、昼間の一回上映になってしまい、
仕事帰りに映画館に寄ることが出来なくなっていた。
最高の映画なのに、残念ながらコロナ禍で公開のタイミングが悪かったか。
さて今回のアカデミー賞での作品賞ノミネートは・・・・・
『フォードvsフェラーリ』 『パラサイト 半地下の家族』 『アイリッシュマン』
『ジョジョ・ラビット』 『マリッジ・ストーリー』 『ジョーカー』
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』 『1917 命をかけた伝令』
そして『ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語』。
ネット配信ゆえ、未見に終わった『マリッジ・ストーリー』を除けば、
今回の候補作はそれぞれ水準が高かった。
その中でも段トツに良かったのが『ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語』。
個人的にオスカー受賞作『パラサイト』より好きかも知れない。
話は脱線する。
小学生のころ、同じ団地に四姉妹が住んでいた。
「鈴木さんちの四姉妹」は団地の華みたいな存在で、
次女のリコちゃんは同級生。たまに学校から一緒に帰るなど仲良しだった。
私の場合、船乗りの親父が海に出ると何ヶ月も留守になってしまうので、
狭い団地に女の子4人が暮らす生活が、一人っ子にはまるで想像つかなかった。
四姉妹それぞれの性格を知っていたわけではないが、
映画『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』を観ていて、彼女たちを思い出す瞬間があった。
同世代の女性から『若草物語』は女子のバイブルなのよ、といわれた。
「へぇ、そうなんだ」。と、私にはまるで縁がなかったが、
中学の英語の授業で「“マリーは「Little Women」を読みました”」を、
「“マリーは「若草物語」を読みました”と訳した人は大したものです」
と教師がいっていたのを憶えている。
「だから「『DJANGO』が『続・荒野の用心棒』になるのもアリなのか?」と。
劣等生の考えることってそんな程度のことではあった(余談)
この映画でよく評されるのが、有名な古典を現代的な解釈で蘇らせたこと。
なにせ監督のグレタ・ガーウィグと主演のシアーシャ・ローナンといえば、
愛すべき“祭りの準備” を見せてくれた『レディ・バード』のコンビ。
故郷の呪縛からの脱出劇として『カセットテープ・ダイアリーズ』より十倍面白い。
チャキチャキの現代娘の自立話を活写したふたりが「若草物語」に挑むとなると、
確かに現代感覚に満ち溢れた「若草物語」だったというイメージにはなる。
ただそこでふと思ったのが、原作者ルイーザ・メイ・オルコットが、
“Four Sisters”ではなく“Little Women”とタイトルをつけた意味。
四姉妹の話である以上に、一人一人の女性を大切に描く意志があったのではないか。
これはオルコットの意志をしっかりとガーウィグが繋いで見せた作品ではなかったか。
巧みに時系列を動かすも、案外オーソドックスな「若草物語」だった気がする。
「貧しくとも愛する人と結ばれたい」 「結婚だけが女のすべてではない」
「人生を何かに尽くしていきたい」 「裕福な夫を見つけ社交界にデビューしたい」
“姉妹もの”のフォーマットは「Little Women」が原点となっているのかも知れない。
・・・・などと「若草物語」を読んでいないくせに何を偉そうにいっているか。
それ以上にダラダラと思いつくままに書いてしまったが、
「鈴木さんちの四姉妹」と「続・荒野の用心棒」のくだりは要らなかった。
とにかく外国映画では『はちどり』と並ぶ今年度ベスト級であることは間違いない。


2020.07.20(月) お役所に二度手間

先日、区役所に親父の国民健康保険証と介護保険証の喪失届を出したばかり。
ところが更新のタイミングなのか、また保険証が届いた。
しかも医療負担3割だったものが、今度は1割となっている。
一体、この一年間に親父にかかった医療費はどうなっているのだか。
さらに「高額介護合算療養費」の申請が受けられることを知る。
どうして先日、役所に出向いたときにそれを説明してくれないのか。
さらに年金機構に提出する戸籍謄本の写しを新潟に依頼したとき、
1通450円の定額小為替を3枚分同封したのだが、
年金絡みの請求は無料だといわれた。もう遅いっちゅうの。
こちとらまったくの素人で、お役所手続きは大の苦手なのだが、
後出しでああだこうだといわれてもワケわかめなのだ。
「還付ごとはこちらが訊ねなければ教えてくれない」
よく聞くことだが、本当に役所の煩わしさが身に染みた夏季休暇の一日だった。


2020.07.21(火) 位牌の手配

「お仏壇のはせがわ」に親父の位牌の依頼。
母から一年も経たずして忙しい話だが、おかげで勝手はわかっていたし、
はせがわの人たちも憶えてくれていた。
幸い、購入した母の位牌の記録も台帳に新しいので、
釣り合いのとれたものを用意してくれるという。
さらにこの機会に去年薦められたお釈迦様の木彫りの本尊も購入。
曹洞宗では中央に釈迦尼仏、右に常陽大師、左に常済大師の掛け軸を祀る。
仏作って魂を入れられるか自信はないが、
もともとよくわからんものは形から入ろうかと思う。


2020.07.22(水) 実家の居間がすごいことになってる

実家の居間に母がいて、親父がいて、小言をぶつけ合っている。
まだまだ残像以前。当たり前のように存在しているような気がするが、
改めて仏壇と祭壇が並んでお骨がふたつ並んでいるのを見ると溜息が出る。
まだ違和感しかないのだが、ふたりの遺影に訊ねてみる。
「はやくお墓に入って落ち着きたいか、それともしばらくここに居るか」
週末しか線香をあげに帰ってこない息子は、
花が枯れていないか、あと一週間は持つかな、ばかりを気にしている。


2020.07.23(木) 神々の宴『ONCE UPON A TIME IN THE WEST』

もう何から書き出していいのかわからない。
私にとってセルジオ・レオーネとエンニオ・モリコーネは“神”に等しく、
そんな神々の宴を眺めながら165分間の至福に陶酔していた。
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『ウエスタン』が『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト』と改題され、
165分のオリジナル版としてピカデリー系で公開されたのが昨年秋。
その時は母の喪中で見逃し、旅先の福島でも一日違いで見逃してしまう。
春にアンコール公開が決まったものの、例のごとくコロナで飛んでしまった。
今度は父の喪中ではあるが、厚木のミニシアターでの上映を知り、
施設から残りの荷物を引き揚げると、急いで厚木へ向かった。
中学生の時、クラスの友人と銀座にリバイバルロードショーを観に行っている。
しかし映画の印象は芳しくなく、はっきりつまらなかった。
S・レオーネ作品としてもC・イーストウッド主演の三本には遠く及ばず、
作品設定の大きさと個人の怨恨話がもっさり展開してひどく退屈に思えたのだ。
そもそも14歳のガキには女が主役のマカロニウエスタンは受け入れ難かった。
別の映画館でリバイバルされていた『明日に向って撃て!』を観ればよかったと、
小遣いが底をついた中学生は愚痴をこぼしながら横浜まで帰ったことを憶えている。
それがオリジナルから25分カットされた短縮版だったと今となって知る。
モリコーネの音楽は何度も聴いたが、映像は45年ぶりの邂逅となった。
そして、すっかり私の中のサッドヒルを掘り返されてしまった。
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冒頭、駅舎。貧弱でギョロ目の爺さんのアップから始まる。
レオーネ作品でお馴染みの顔。間違いなく「出オチ」。ファンサービスか。
そこに見るからに“悪漢ABC”と役名を振られたであろう三人組が現れる。
人待ちの気配。彼らのむくつけき悪相をカメラは延々どアップで追う。
これもレオーネの常套だ。『続・夕陽のガンマン』のオープニングの長回しより長い。
髭面に蠅が止まる。これ代名詞。しつこく蠅と戯れる悪漢の顔芸が笑える。
汽車が到着。人の気配がなく立ち去ろうとする悪漢に静寂を破るハーモニカの音色。
汽車が去るとそこに一人の流れ者。不敵にハーモニカを奏でるC・ブロンソン。
ここで満を持してエンニオ・モリコーネのメロディが重なる。最初のエクスタシー。
銃声一閃。例によって勝負はあっけなくカタがつくのもお約束か。
このオープニングは13分間だそうだ。映画史に残るオープニングともいわれている。
好きか嫌いかは生理的な問題。アメリカでは受けなかったのも理解出来る。
「イタリア人風情が何を勝手に人の国の歴史を滔々と語っとんねん!」てなものだろう。
多人種国家なだけに自国で多様性が完結し、他国にはむしろ閉鎖的なアメリカ。
イタリアの監督がここまでリスペクトした一大叙情詩に目を向けて欲しかった。
ところが今、急激に世界中からこの映画の再評価が始まったという。
今回のリバイバル公開をイタリア大使館が後援しているのもその一貫だろうか。
ただ各国の有名監督や批評家がこぞって作品の芸術性を訴える中で、
再評価には必ずアートだ、芸術だと尾ひれがつく風潮は好きになれない。
さらに原案にB・ベルトルッチとD・アルジェントと紹介されているが、
今更、クレジットから外された名前の権威を持ち出す必要などあるものか。
レオーネが小学校同級生の音楽を使って、好き勝手に作った叙情娯楽西部劇。十分だ。
そもそも公開から50年。今さら『ウエスタン』が芸術で語られても困るのだ。
しかし“神話的作品”との評には大いに我が意を得る。
神話的もなにもレオーネとモリコーネは私の神なのだから。
先日、死去の報が伝えられたばかりの“my maestro”エンニオ・モリコーネ。
声変わり前の中学生たちがハミングで何度も挑戦したテーマ曲。
改めてC・カルディナーレの美貌と馬車の音に乗せて聴くともう格別。
モリコーネがカルディナーレ、ブロンソン、J・ロバーツそれぞれに与えたテーマ曲を、
レオーネは従順としか思えないほど、律儀に挿し込んでくる。
神と神が共鳴しながら作っていく画面。もう涙腺が辛抱たまらんではないか。
それにしてもヘンリー・フォンダの悪役のなんてカッコいいことか。
おそらくキャリア史上、最もクソみたいな役を演じたのだろうが、
ハリウッドのトップスターの貫禄と色気に満ち満ちている。
ロバーツも最高。2年連続オスカー受賞の名優の茶目っ気と余裕は尋常ではない。
この二人と対峙させられた、髭なしブロンソンはさすがに割を食ってしまったか。
しかしレオーネ代名詞の病的クローズアップでブロンソンの移民感が強調され、
多人種国家アメリカの象徴として、この役はブロンソン以外に考えられない。
そして14のガキが毛嫌いした西部に嫁いだイタリア女。
男どもに翻弄されながら、結果的に時代を俯瞰し、時代の扉をこじ開ける。
鉄道が西部開拓の中心なら、カルディナーレは移り行く時代そのものだ。
最後の最後で“ONCE UPON A TIME IN THE WEST”とタイトルが出て、
それが時計の針となって回転するエンディング。
もう、レオーネ、勘弁してくれ!
本当に心の中のサッドヒルを掘り返されたような気分のなかで、
またひとつ、私の人生ベストな一本が生まれてしまったことを実感した。


2020.07.24(金) 「スポーツの日」か

そういえば本当なら昨夜が東京オリンピックの開会式で、
今日からいよいよ競技が始まったのだったか。
正直、一年後にこの東京でオリンピックをやっているイメージは湧かない。
東京にオリンピックが来ると決まった瞬間の歓喜が懐かしく、
東京オリンピックのピークはあの瞬間だったのだと思いすらしてくる。
「お・も・て・な・し」。あれから何年経つだろう。
その時に漠然と思ったのが、両親はオリンピックを見られるかどうか。だった。
それは結果的には出来なかったが、来年、自分だってどうなるかなんてわからない。
少なくともオリンピックが始まるまで頑張ろうという気はまったくなくなった。
自分の問題ではなく、オリンピックの問題になるとは思わなかったのだ。
もちろん縮小や無観客でやるくらいなら中止にしてしまえ、とまでは思わないが。


2020.07.25(土) いとこの姉さんたち

いとこの姉さんとその娘ふたりが実家に来て、
片付けや親父の祭壇の花を取り替えたりしてくれた。
本当に助かる。母の化粧品もいくつか持ち出してくれたようだ。
なによりも探していた父の貯金通帳も見つけてくれた。
おまけにいとこの姉さんに回転ずしをおごってもらう。
従姉ももう70を超えたと思うが、喫茶店を経営し、本当によく働く。
この従姉の名付け親がうちの母で、その娘たちは孫がわりをしてくれた。
その娘たちも30を越えて、すでに立派な主婦だが、
母のときも父のときもお別れの時に涙してくれた。
お礼に東京の日本橋馬喰町の店まで車で送る。
久々に首都高速を走ったのも気分転換になった。
ありがとう。


2020.07.26(日) 三池崇史オールナイト ~新文芸坐

すっかりヨレてしまったチケットを何か月ぶりに財布から出す。
1990年代後半に公開された三池崇史の監督作品4本立てのオールナイト。
このコロナ禍で延期されていたのだ。
題して“暴力のバランス 90年代後半の三池崇史”
三池崇史といえば私と同学年。
今村昌平が校長を務めていた横浜放送映画専門学院の出身で、
私も大学を落ちたらそこに行こうと密かに願書を取り寄せていた。
だから下手したら三池崇史と同じ釜の飯を食っていたかもしれない。
そんな三池崇史。数年前まで「また三池かよ」と思うくらい作品を連発していたが、
以前ほどは目立たなくなっていた。いや目立てなくなっていたというべきか。
それが今年の3月に窪田正孝主演の『初恋』で復活。
原点回帰といわれる健在ぶりを見せたのだが、実はその「原点」をまるで知らない。
90年代トータルで観た映画の本数わずか87本。0で終わった年もあった。
今となっては「失われた十年」「映画観賞の穴」と自嘲しているが、
そんな中で台頭してきたのが三池崇史。
デビュー作『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』が1995年公開。
東映がヤクザ路線からほぼ撤退していた中で、
新たな暴力映画の担い手として東映とは似て非ざるバイオレンスを披露した。
今夜はっきり思ったが、東映路線より三池のヤクザ映画の方がずっと怖い。
もう東映は大スターから大部屋に至るまでお馴染みになりすぎてしまい、
彼らが演じるヤクザには親しみしか持てなくなっていたところに、
あんた誰?って、匿名の役者たちが脳天を弾く、首を切り裂く不気味さ。
そうか、こんなヤクザ映画もあるのかと今更ながら感心もした。
終夜興行を強行しているとはいえ、新文芸坐もご多聞に漏れずコロナ対策で、
上映が終わるたび館内換気と消毒で、外出OKの措置がとられていた。
これ幸いと喫煙タイムに池袋の繁華街をぶらつくのだが、
この周辺の歓楽街も深夜になると場末感が焙りだされるのか、
深夜営業の飲み屋から吐き出された若者たちの嬌声が響き渡っている。
三池映画の背景には新宿が多いが、池袋もなかなかに相応しい環境だった。


2020.07.27(月) 「NO MORE 映画泥棒」やっと更新

ようやく映画盗撮防止のマナー啓発CMが更新された。
予告編は極力観ないようにしているので、このCMの直前に座席につくのだが、
それにしても更新されるまでのバージョンは長った。延々6年も流していたらしい。
実はコロナが流行するまで、「いい加減飽きたわ!」と書こうと思っていた。
とにかくつまらないというのもあったが、
違法ダウンロードで、パトランプ男が自宅まで乗り込むのはいくらなんでも・・・。
今後、少なくとも2年程度で更新してもらいたい。


2020.07.28(火) 本屋で愕然

こんな長雨が続くなら、部屋でゆっくり本を読むのもいいのかもしれない。
と思いつつも、パソコンを立ち上げ、スマホを弄る日々。
本を読むもなにもスマホの機能に読書も含まれているのだ。
今、電子図書のシェアはどれくらいあるのだろう。
Amazonの登場は出版会社や版権元には救世主だったのかもしれない。
しかし書籍はスマホやパソコンの箱の中で映像や音声コンテンツと競合する。
出版会社もいつ梯子を外されるのかわかったものではない。
そして時代の流れは否応なく活字カルチャーの担い手たる書店を直撃する。
町場の本屋とレコード店は駅前、商店街から消えていったが、
大手の書店チェーンは大型店舗化で多様なニーズを受け止めようとの努力も見える。
典型的な「待ち」の商売から、提案型の売場づくりへの転換か。
私にも十年の店舗経験がある。それは他店との差別化に費やした十年間だった。
レンタルビデオでPOPを工夫し、コーナー作りに心血を注いだのは思い出だが、
微に入り細に入りの「お薦め」は本当にユーザーのためになっていたのか。と思う。
先日、図書館で、相沢沙呼『medium[メディウム] 霊媒探偵 城塚翡翠』という、
昨年のミステリー大賞を独占した小説を借りて、ようやく完読した。
読書手段が図書館という問題は横に置かせてもらうとして、
まあまあ面白く読み終えることが出来た小説だった。
私としては「ミステリー大賞独占」という“惹き”だけで手に取ったのだが、
書店売り場に置かれた小説の帯も含めお薦めPOPを目にして愕然とした。
「ラスト10ページ、あなたは騙される」
あまり好きな手法ではないが、これはミステリーの常套として許容の範囲としても、
「すべてが伏線。」・・・・久々に酷い、こんな反則あるのかと思った。
ぼんやり読んでいたら最後にやられた!この快感を読者から奪う気か。
そもそも核心に至る日常描写のすべてが伏線になっている小説など読む気にならん。
読書の自由はどうした?そこまで売る側はコントロールするのかと、本当に頭にきた。
それでなくても「伏線回収」のブームに勝手にピリついている自分だ。
ネタバレにならなければいい。そんな売らんがための策など首を絞めるだけ。
心の底からつくづく書店で手にしなくてよかったと思っている。
売った者勝ちなんだろうけど。


2020.07.29(水) 本屋で憤然

さらに書籍関係に不満を。今度は本屋ではなく出版会社に。
今年初めに手に取った話題沸騰のチャイナSF小説『三体』。
あまりに私の手に負えない世界観に青息吐息で読了まで漕ぎつけたのだが、
読書中に「これは三部作」と知ってガックリ。ま、これは私の情報不足。
そして鳴り物入りで第2弾が刊行される。
初回はキツかったとはいえ得体の知れない魅力もあったので、
せっかくなら次を読んでみようかと思って書店へ。
あれ?第2弾は最初と比べて薄いなと思った。
そして平積みをよく見たらなんと「上下巻」で売っている。
本の厚みを薄くし、行の間隔を開けて2冊で売るのは文庫化でよくある姑息手段だが、
それをベストセラーにかこつけて新刊ハードカバーでやったのか。
早川書房に対する長年の信頼感が一気に地に落ちた。
定価1650円の上積みもさることながら、私は上下巻が大嫌いなのだ。
とてもではないが買う気が失せた。出版不況を読者の財布に負わすな。
おそらく買い控えを見越しても、利益は上がると想定したのだろう。
ナメんなよ馬鹿野郎。


2020.07.30(木) 親父の誕生日

あと3週間と2日頑張れば親父は93歳の誕生日を迎えられた。
何度もそれがちらついたが、医者から6月までといわれた命だ。
呼吸器、点滴で七夕まで頑張ったのは大したものだったと思う。
とうとう梅雨はあけずじまい。
生きている間、きちんと口にした記憶はなかったが、
「93歳の誕生日おめでとう」


2020.07.31(金) 自殺のニュースに思う

先日、三浦春馬の自殺のニュースを聞いて、真っ先に思い出したことがあった。
中学生に時に封切られた『ラストコンサート』というイタリア映画。
ピアニストとして再起を賭ける中年男と白血病に冒された少女との淡い恋物語で、
映画としては実にどうってこのない悲恋ものに過ぎなかったが、
映画のヒロインに同情した女子高生(確か)が自殺する事件が起こった。
三浦春馬の自殺とはまったく違う色合いの話なのだろうが、
どちらも衝動自殺の匂いを感じ「ああバカなことを」との思いは同じ。
もし映画館から帰ったら、家族がドリフの番組で和気藹々していたらどうだったか。
その程度のきっかけで女子高生は死ぬのを思い止まったはわからない。
三浦春馬30歳。単純にその若さなら、気持ちの軌道修正は可能だったと思う。
十年も経てば「あの時、本気で死のうと思ってた」と笑い話で済む話ではなかったか。
もちろん本人にしかわからない事情も、特別な真実もあったとは思う。
女子高生にしても、30歳の青年にしても心に深い闇を抱えていたのだろう。
しかし「あの時、本気で死のうと思ってた」もまた何十回も聞かされた話だ。
他人事ではある。でも若い自死は本当にもったいない。残念だ。



                           

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