■2015.11

日めくり 2015年11月               



2015.11.01 叔母を見舞う

病室を訪ねると、叔母が叔父の耳元で何やら話をしていた。
叔父の耳が遠くなっているのでそんな姿勢で会話をしているのだろうが、
殺風景な病室で、内緒話をしているようなかわいい2人に少し安心した。
叔母の入院もかれこれ3年が経つ。


2015.11.02 聖地に立つ背番号「6」と「31」

恥ずかしながら秋季練習と秋季キャンプに区別があるのを初めて知った。
それほど野球シーズンが終わるとすべての情報を遮断していたのだが、
今の気分はオフではなく、完全にオンになっている。
ネットを横断して秋季キャンプの様子や進捗をチェックしながら、
グランドでぜぇぜぇと倒れ込む若手たちの姿をニヤニヤしながら眺めている。
ついでながら、今になって日刊スポーツの「なにわweb」が消滅していたことも知る。
こんな秋は初めてのことで、それだけ背番号「6」と「31」の二人から目が離せない。
サービスショットだろうが、この二人が肩を並べて歩いている姿がたまらない。
我々には金本知憲と掛布雅之のツーショットは何よりのキラーコンテンツなのだ。


2015.11.03 「ひかり109号に爆弾を仕掛けた・・・」

「・・・車両は時速が80キロ以下になった時点で爆発する」
健サンの渋い声。そして東映独特の鍵文字でメインタイトル―『新幹線大爆破』。
最後に観てから12年が経つ。「午前十時の映画祭」で12年前は大したことはないが、
それにしても干支がひと回りした。
あの時、撮影で使われた新幹線の模型を楽屋からステージに運ぶ役を仰せつかった。
監督の佐藤純彌と交換した名刺はまだ大事にとってある。
国鉄が協力を一切拒否した中で、製作日数45日、完成は公開の2日前。
ゼロ号試写もないまま封切って、映画は無残にも大コケした。
時あたかもハリウッドのパニック映画の大ブーム。
正月に『大地震』『エアポート'75』があり、夏には『タワーリング・インフェルノ』、
暮れには『ジョーズ』が公開されたのだったか。
中学生だった自分は日本映画のパニックもの?と、生意気にも冷やかに捉えていた。
確かに強行日程もあって展開も荒いし、何よりも特撮が致命的にしょぼい。
佐藤純彌も久々に見て、随分と恥ずかしい場面が多いなと漏らしていた。
しかし映画はその年のキネ旬の読者ベストテンで一位に輝いた。
日本ではコケたが海外で大ヒットを記録。
3回目の劇場観賞となったが、やはりサスペンス映画の金字塔だったと思う。
上記に挙げたどのハリウッド超大作より絶対に面白く、
上映中「うーん、やっぱりいい映画だな・・・」と思わず呟いていた。
まったく、冷やかに見ていたあの時の中学生を引っ叩いてやりたい。


2015.11.04 今年も中島さんに行けますが

一回目の抽選に落ちたが、二回目で無事チケットをゲット。
何だかんだでこれで8年連続となる。
今年は夜会ではなくコンサートなので、ま、軽い気持ちで楽しむつもりなのだが、
東京国際フォーラムという5000席超の世界で2番目の規模のコンサートホールで、
座席は二階の25列目。後ろから2番目というステージから遥か彼方の席。
それで全席8460円均一料金というのはいかがなものだろう。
当選したのだから文句は言うまいが、また双眼鏡で見なければならない。
コンサートは17日。その前に11日発売のニューアルバムを買わなければならない。
そんなこんなで、今年も年の瀬が近づいて来たわけだ。


2015.11.05 はしご酉の市

無数に飾られた提灯と満艦飾に並べられた色鮮やかな熊手。
今日は一ノ酉。屋台が長い列をなし、秋の夜を彩る。
酉の市といえば浅草鷲神社と新宿花園神社が有名だが、
調べてみると都内、神奈川の数ヶ所の神社で酉の市がたっている。
仕事帰りの遅い時間に神社めぐりが出来る機会とあって、
去年あたりから酉の日は御朱印帳を持参で出勤している次第。
二の酉は中島みゆき、三の酉は職場旅行なので今夜しかないと意気込んだのだが、
寄る年波か、地下鉄の乗換で階段を昇り降りに足取りが怪しくなり、
祭りの熱気にあてられながら、人垣を縫うのが辛くなってきた。
当初は都内の何社か回って川崎、横浜も考えていたが、
四谷-麻布十番-渋谷を回ったところで、スマホの歩数計が1万歩を越えたのを確認。
スタンプラリーをやっているわけじゃないわと、打ち止めることにした。
もっとも、一番の理由は猛烈に腹が減ったとことだが。


2015.11.06 雲がどこにもなかった

これぞ、ザ・秋晴れ、否、ジ・秋晴れというものか。
アパートを出て、駅まで歩く僅かな時間に思わず空を見上げる。
抜けるような青空に雲のひとつも見当たらなかった。
ここまでの青空ならば、さぞ美しい日の入りだっただろう。
いや、日が昇る前の月や星もきっと綺麗だったに違いない。
空を見ながら、少し前に過ぎ去った時間の天体を想像するなどは初めてだ。
それほどの青空だった。
それにしても見事なまでに雲がなかったな。


2015.11.07 読書の秋に本の処分

まったく読書とは無縁の日々が続いていたが、
ちまちまと文藝春秋誌で又吉直樹の『火花』を読んでいる。
人気お笑い芸人が芥川賞を受賞し、単行本は大ベストセラーになっているが、
当初は、出版不況の折、芥川賞も話題作りに必死なのだと高をくくっていた。
ところがページをめくってみると、たちどころに物語の世界観に引き込まれる。
まだ物語の途中なので感想を書くことはしないが、今のところ面白く読んでいる。
そんな折、母親が実家にある歴史や地理の豪華本を処分したいと言い出した。
きっと将来有望な息子のため、いつか役に立つと買い揃えたものだろう(苦笑)
おそらく50年近く本棚のこやしになっていたのではないか(苦笑2)
そして本の重みで古くなった家屋が潰れるのではないかというのが処分の理由だ(苦笑3)
実際、段ボール5個に詰められた本はズシリと重く、マジで床が抜けてもおかしくない。
しかしBOOK-OFFに持って行くにしても、需要あってこその買い取りだ。
50年の年月で本は黄ばみ、端々が傷んでいる。これは多分売り物にはならない。
最悪、廃棄してもらえればいいやと、アパートで読み終えた本も一緒に車に運び込んだ。
その際、読むつもりでストックしてあった未読の小説の多さに愕然。
もう買ったことも忘れていた本が出るわ出るわ。
まさに往時の「読書道」の熱気が思い出される始末だ。
「よしっ、これをきっかけにまた本を読もう」と出し抜けに決意しつつBOOK-OFFへ。
結果、買い取り金額は全部で1500円。読み終えた単行本や文庫本がそこそこ頑張った。
予想通り、豪華本は1円の値段もつかなかった。・・・あ~あ。


2015.11.08 そぼ降る雨の赤坂・青山

雲がどこにもなかった一昨日とは一転し、空には雲しかなかった。
雲しかなかったどころか終日の雨。
ザァーと降るのではなく、そぼ降る雨が夜まで続いた。
そんな中、御府内八十八ヶ所の寺をめぐり、赤坂から青山を歩く。
♪コモエスタ~セニョリ~タ~と口ずさみながら(嘘)
この界隈に寺は一見ミスマッチのようで、実はちょっとした寺町の風情がある。
もっとも鉄筋のビルのような寺もあり、とても古刹の佇まいにはほど遠いが、
これも明治の廃仏毀釈、関東大震災、東京大空襲などを経てのことで、
旧武家屋敷の菩提寺などもあって、探せば江戸の情緒が見え隠れする。
赤「坂」、青「山」というくらいなので、起伏にとんだ街並みも面白かった。
やはり歩くことは大切だなと感じながら、足よりも傘を差す手がくたびれて来る。
ムード歌謡の街に雨はつきものでも、雨さえなけりゃと思うこともしばしばだった。


2015.11.09 飲み会の傍らで残業

警察という所はつくづく飲み会文化なのだろう。
人事異動で残業を強いられているそばから宴会が始まる。
終業時間前から酒盛りが始まり、机につまみの類いが並ぶ。
パソコンと格闘しているとビールが回ってくるなんて考えられるか。
むしろ仕事をしている方が宴会に水を差しているみたいな雰囲気になり、
結局、缶ビールをあけながら仕事しないと格好つかなくなる。
「飲みにケーション」とは随分と便利な言葉だが、
普通の会社なら下手すりゃクビだぜ。


2015.11.10 俺って、ナウ(NOW)だぜ

この齢になって、物忘れがヒドくなった話をよく聞く。
確かに人の名前のど忘れが笑い事じゃないレベルになっている気がする。
ふと小学生から高校生くらいの頃のクラスの顔を片っ端に思い浮かべてみて、
そのひとつひとつの顔に名前を当てはめていくと半分もわからない。
それどころか十年前の勤め先の同僚の名前さえ出て来なくなっている。
新たにひとりを憶えると、過去のひとりが消えていくのではなかろうか。
ただこれらは記憶の話で、きっと脳が退化しているということだ。
問題は人ではなく「モノを失くす、落とす、忘れる」のが問題。
これは殆んど生まれつきなので、齢とともにヒドくなったという自覚さえない。
多分、生まれてこのかた、1000円以上する傘を買ったことなどないのではないか。
雨が降った時、カバンにしまえるように折り畳み傘を持っていても、
袋(カバー)があっという間に失くなる(恥)
ジッポのライターなど軽く10個以上は失くしているのではないか。
さて、何でタイトルを「俺って、ナウ(NOW)だぜ」としたかといえば、
単に「失くす」「落とす」「忘れる」の頭文字をとってNOWとした次第。


2015.11.11 高倉健、一周忌

高倉健が亡くなってから早くも一年が過ぎた。
この間、若き日の健サンの映画を観に劇場に足を運んできた。
サラリーマンものから少し頭のトロいギャングまで、
後悔も贖罪もまったく背負っていない健サンのなんと瑞々しかったことか。
もちろん任侠映画も観た。敢えて『日本侠客伝』『昭和残侠伝』は外した。
様式美は同じであっても、少しでも知らない健サンに会いたかったからだ。
最後の殴り込みでは、入れ墨晒してドスをブン回し、悪漢にとどめを刺す。
襖や障子に無数の白刃が突き刺さる中、返り血を浴びた健サンの肉体が躍動する。
場面そのものが映画の夢であり、そこにすべての至福が集約されている気がした。
その肉体のなんと雄弁なことか。高倉健は少しも寡黙ではなかった。
古い健サンの映画を観ながら、少しずつ高倉健と訣別していった一年だったか。


2015.11.12 フリース付き作務衣

試しに通販で買ってみたフリース付きの作務衣。
部屋着&寝巻のつもりで買ったのだが、想像以上に温かくて気持ちがいい。
それまで上下のスエットを一週間ごとにローテーションしてきたのだが、
温かいのにこの軽さは有難く、気持ちもシュッとしてくる感じ。
紺と茶で色違いを二着揃えたが、寺院の職員が着ていたデニム地も気になっている。
いいな作務衣。きっと女の人も似合うと思うし、好きな人とペアルックで着たいかも。
作務衣姿で一緒に繁華街を歩く。って、歩けるかいな(汗)


2015.11.13 データの改ざんと流用、次々と

「横浜の傾いたマンション」。住民にとってこんな屈辱的な呼称はないだろう。
記者会で頭を下げる三井住友建設と旭化成建材の責任者たち。
きっと本番の記者会見に臨むにあたって、何度も頭を下げる練習をしたのだろう。
重役三人の見事に呼吸が揃った「申し訳ございません」が滑稽に思える。
その杭打ち工事のデータ改ざん、流用が旭化成建材以外にも次々と明らかとなり、
特定企業の不祥事の範囲を超えて、業界全体の慣習だったと世間に知らしめたわけだ。
思い出すのが、阪急ホテルから端を発したレストランの食品偽装問題。
あれは初端の阪急こそ激しいバッシングを受けたものの、
プリンス、ヒルトン、近鉄、JR系、東急に帝国、オークラまで偽装を発表するに至ると、
あまりの横並びに、すっかりニュース価値まで失ってしまった。
所詮、「ものづくり・おもてなし大国ニッポン」の実際などこの程度のことなのだ。
しかし建築物となると、ロブスターを伊勢エビと偽っていたのとはわけが違う。
実際、マンションが傾いているのだから、横並びで胡散霧消させてはならないものの、
実は我々もこの問題にすっかり食傷気味となり、急激に関心が薄れつつある。
それが一番の問題であるのは知っているのだが。。。。


2015.11.14 湖南三山、湖東三山へ

滋賀県の国宝、重文の所有が京都、奈良に次ぐ第3位であることを知る。
琵琶湖の求心力だろうか、ここ2年足らずで滋賀の地を踏むのは4度目だ。
今回は琵琶湖の北から東側を、西国霊場の竹生島・宝巌寺を最大の目的に、
湖東三山に彦根、長浜の寺社をめぐる計画を立てた。
ところがあまりの荒天に琵琶湖汽船が欠航(泣)。
海峡ならともかく、琵琶湖周航の船も欠航するものかと途方に暮れたものの、
急遽、レンタカーを借りて湖南三山に予定を差し替えた。
紅葉の盛りまで1週間早く、悪天侯で人出が少ないのは幸いだったか。
しかしすでに寺院の石段は真っ赤なモミジで敷きつめられ、
雨の中でも鮮烈なイメージが視界に焼きつく。
桜は城に、紅葉は寺院に似つかわしいと思うのだが、血染めの石段には驚いた。
湖南三山(常楽寺、長寿寺、善水寺)から湖東三山(百済寺、金剛輪寺、西明寺)へ。
例によって最後は急ぎ旅になってしまったが、何とか満願して最後に多賀大社へ。
すべての寺院が国宝を擁す、何とも贅沢な一日になった。


2015.11.15 彦根と琵琶湖周航、竹生島へ

予定がずれたが、ようやく彦根港から竹生島を船で往復。
改めて琵琶湖のスケールを船上から体感する。
近畿各県が必要とする15年分の水量をたたえ、淡路島が丸々入ってしまうらしい。
さて初めて訪れた彦根。
私は吉田松陰を愛するが故、井伊直弼についてはずっと否定的だった。
否定的というより朝敵であるとすら思っていた。
彦根はいわずと知れた井伊家の直轄領地。
「井伊直弼公生誕200年祭」のポスターを街のあちこちで見かけた。
そのポスターにこんなキャッチコピーがあった。
“日本を誰より愛した男”
そうか、彦根ではそんな見方があるのかと軽く驚いた。
確かに一般的には「安政の大獄」と「桜田門外の変」でも、
「開国の祖」という評価もあり、実際、直弼の再評価が進んでいるという。
長州・薩摩によって維新が達成されたことで悪役扱いとなったが、
松陰、久坂、桂、高杉など、今でいうテロリストの首謀者みたいなもので、
幕府大老の立場からすると開国か?攘夷か?の決断を迫られつつ、
双方の不穏分子から命を狙われながら、治安を守るため精一杯だったのかも知れない。
「指導者の絶対的な孤独」とでもいうか、それはそれは過酷だったことだろう。
大老も、ふと琵琶湖のせせらぎに郷愁を覚える瞬間もあったろうと思うと、
彦根にいて、直弼ゆかりの寺社をめぐることに意外と抵抗感はなかった。


2015.11.16 テロリズム

事件が起こってから数時間後、自分は報道を知らずに新幹線で米原にいた。
惨劇を知ったのは夜。彦根のホテルサンルートのテレビだった。
2015年のパリは血で始まったが、結果、血で終わるということだろうか。
最初に「テロリスト」という言葉を聞いたのは、中学生の時に観た映画だった。
それまではイスラエルのテルアビフ空港で銃を乱射した日本赤軍3人も、
三菱重工ビルを爆破した過激派もテロリストとは呼ばれなかったし、
オウムの事件も当時のマスメディアはテロなる呼称は使わなかったと記憶している。
やはり9.11以降にテロ、テロリストの呼称は一般に浸透し、常態化したということ。
テロが常態化する時代というのも凄まじいが、それが紛れもない“実際”なのだろう。
劇場でレストランでカラシニコフを乱射した若者たち。
周到に計画された凶行と報じられているが、単なる狂気の蛮行だったとしか思えない。
蛮行に及ぶ狂気に対して大都市はどう対策を取ればいいのか。
産経などはパリ当局の警備体制の甘さを指摘していたが、
連日連夜、戒厳令を敷くわけにもいかないのだから、蛮行をどう防げばいいのか。
もう情報戦も含め、過激分子を徹底的に監視していくことと、
若者にカラシニコフを一挺たりとも触らせない対策を重ねていくしかないだろう。
伊勢志摩サミット、ラグビーW杯、東京五輪。。。日本は大丈夫なのか。
宗教間の対話と貧困格差の是正?眠たい話はゆっくり考えればいい。


2015.11.17 今年も中島みゆきNIGHT

「中島みゆきConcert“一会(いちえ)”2015~2016」東京国際フォーラム。
双眼鏡を忘れてしまい、大ホールの二階の後ろから2場面目の席。
様々な表情を駆使して遠心力を求心力に変えていくあの世界観がたまらないのだが。
残念ながらステージの中島さんは殆んど親指の大きさぐらいにしか見えない。
それでも今年のコンサートは良かった。相変わらず説得力と圧倒感は健在。
まずセットリストが良かったのではないか。
「空と君のあいだに」「化粧」「地上の星」「時代」「化粧」「ヘッドライトテールライト」など有名曲を次々とラインナップした前回の“縁会”と違い、
今回は知る人ぞ知る的な隠れた名曲を披露する。
個人的には「流星」が生で聴けたのが何より嬉しかった。
「流星」はツアーの旅の途中でドライブインに降り立った主人公が、
トラックドライバーたちとひと言み言交わした会話を歌にした20年前の曲。
もう自分の頭の中でその光景を映像化した映画が出来ている。
主演は中島みゆきと六平直政(笑)。
周りに声が洩れていないか気をつけながら、中島さんと一緒に口ずさむ。
「友情」では出だしを間違え、中島さん曰く「今日しか聴けない凄いアレンジ」と。
これが出来るのが「夜会」とは違うコンサートの魅力なのだろう。
コンサートのタイトルが“一会”ということなので、年明けは行かないつもりだが、
もしLIVE映画が劇場公開される時は、じっくり表情を堪能しようかと思う。


2015.11.18 血糖値6.2

「死刑宣告を受けに行く」と職場で軽く笑いを取って、
仕事帰りに先日の血液検査の結果を聞きに行く。
メインの血糖値の値は基準範囲「HbAlC値4.6~6.2」で、ギリギリ「6.2」。
何とか基準内に収まったか。。。それでも糖尿病予備軍であるのは間違いない。
糖質や炭水化物の摂取量を極力抑えろと医師に強く言われる。
肉は食べてもいいが、タレで食べないで塩にしろと。焼き鳥も同様。
塩にしろと言われても対岸には高血圧症がある。八方ふさがりとはこのことだ。


2015.11.19 バカタレが

母親から電話で、庭の郵便受けの前で転んで肋骨にヒビが入ったという。
今は病気よりなにより転倒が一番怖いし、その不用意さに腹が立つ。
思わず「バカタレが」と叱る。もうすっかり遠慮はしなくなった。
声は元気なので心配することもないが、しばらくは痛みは続くだろう。
電話の最後に「誕生日おめでとう」というと、案の定、すっかり忘れていた。


2015.11.20 北の湖、死す

夕方に救急車で搬送されたニュースは聞いていたが、
ありゃ琴奨菊と大砂嵐のついでに理事長も休場かいな、、、と冗談めかしく話していた。
帰宅していきなり訃報が飛び込んできたのは驚いた。
当時の最年少記録を次々と更新しての横綱昇進。
輪島との本割、決定戦での激闘は輪島の「黄金の左伝説」を作ったが、
その後は堂々の北の湖時代を角界に刻んだ。
正直言って人気があったかといえば、それはなかった。
プロレスファン的には正しいヒール像として嫌いではなかったが、
土俵下に倒した相手に手を差し伸べることなくふんぞり返る姿は、むしろ嫌われていた。
しかし一番嫌われた理由は「強すぎる」ことへの反発だっただろう。
そんな国技館の空気は今でもよく憶えている。
だから北の湖に土がついた一番の館内の盛り上がりと言ったらなかった。
引退後も理事長として君臨。そこでもまだ永遠の「ガキ大将」の面影を残していた。
最後まで相撲に殉じた名横綱には、やはり「ありがとう」と言いたい。


2015.11.21 ブタ財布はブタのまま

私の二つ折り財布はいつも膨らんでいる。もちろん札束がギッシリなわけはなく、
定期券、免許証、保険証、クレジットカードにキャッシュカードから、寺院のお札。
幾つかのスーパーのポイントカード、TカードにPontaカード。
定食屋の優待券、カフェのスタンプカードに東宝、東急系映画館の会員権、etc・・・・。
それでパンパンに膨らんだ財布を尻ポケットに突っ込んで歩いている。
用途に分けて別に持ち歩けばいいのだが、経験上、分けてしまうと必ずとっちらかる。
落としたらすべて失うリスクがあるが、一緒くたの方が私には合理的なのだ。
それでもブタのように膨らみ過ぎると、尻ポケットに引っ掛かって改札口で往生する。
だからたまに整理して間引くする必要がある。
出るわ出るわ期限の過ぎた優待券の類や、絶対に行かないだろうカラオケの会員カード。
それらを捨てるのだが、しかし一向にブタ財布はスリムにならない。
毎年、内科に耳鼻科に目医者に内科に呼吸器科と診察券が増えていくからだ。
悲しいのォ~。


2015.11.22 大阪W選挙、維新圧勝

橋下徹を毛嫌いする一部マスコミがどんなに批判記事を書こうが、
今回の選挙での維新勝利は確実と見ていた。
予想外だったのは想像以上に圧勝だったということか。
そもそも自民党候補に共産党が選挙協力など茶番もいいところで、
「打倒安倍政権!」と看板を掲げての自民応援はもはやシュールなギャグだ。
赤旗が頑張れば頑張るだけ、市民団体とやらがビラを巻けば巻くだけドツボに嵌る。
この度の選挙でわかったことは、橋下人気がまだ根強かったことと、
大阪の府民&市民の良識が確認されたということ。
あと民主党の存在感がいかに脆弱であったということか。


2015.11.23 集中力

やらなきゃと思いながら、どうしても手をつけられなかった。。。
7月に行われた研修会の報告書にようやく着手した。
実に3ヶ月以上も締め切りをすっ飛ばした。
結局、自分の中のコンセントレーションの高まり待ったというか、
追いつめられて最後の最後に馬鹿力が発揮されるのに賭けていたのだ。
それでテレビも一切つけず、一日アパートに籠る。
ダラダラと食っちゃ寝ての果てに、集中力が湧いたのは夜中過ぎから。
いざ始めてしまうと、どうしてもっと早くから手をつけなかったものかと思うのだが。


2015.11.24 目覚めりゃ朝の8時半だよ

朝の5時頃までwordと格闘していたか。
結局、完成しないまま寝てしまい、起きたら朝の8時半。
普段ならば職場に到着しているかという時間だ。
こうなりゃ最後まで仕上げてしまうべとなって午前中アパートに籠る。
勤労感謝の日って、なにを感謝するのかさっぱりわからん。


2015.11.25 泣き虫“球児”が還ってきた

遅ればせながら藤川球児の入団会見をYouTubeで見た。
相変わらずの泣きの虫ぶりを発揮していて、とても懐かしかったが、
火の玉ボーイの内面の熱さがビシビシ伝わって来て、こちらも熱くなった。
心の熱い人間には泣き虫が多い。
しかし景浦将、藤村富美男、小山正明、村山実、江夏豊、田淵幸一、掛布雅之 ……
間違いなく球団80年に威並ぶ生え抜き猛虎の流れに、藤川球児はいる。
球児は縦じまで生きていくのではなく、縦じまを着て死んでいく選手だ。
背番号は92でも22でも18でも何でもいい。
期待されるも鳴尾浜で燻っていた若手時代。抑えのマウンドに君臨した時代。
そして栄光の復活か、挫折し地に落ちるのか、までも含めたドラマの第三章が始まる。
とにかく来季、藤川球児がタイガースのメンバーにいる。
そのことの事実がなによりも嬉しい。


2015.11.26 銀幕のスタア

原節子の訃報をトップにしたスポーツ紙が並んだ。
果たして現役で往時の原節子をリアルに知る記者などいるのだろうか。
95歳という年齢、50年以上前に姿を消したことを思えばこの扱いは破格ではないのか。
否、これが、時代を明確に留めることが出来る映画の普遍性というものだろう。
その普遍性の中でひときわ輝いていたのが原節子だ。
黒澤明の『わが青春に悔いなし』と『白痴』を並木座で観たのは20代の時だった。
スターがスタアと表記されていた時代の高嶺の花だったろうと思う。
その頃に一連の小津映画、“紀子”の連作も観たのだったか。
『晩春』『麦秋』『東京物語』『秋日和』『小早川家の秋』。
清楚なだけではなくエキセントリックな原節子を見せた黒澤作品に対し、
小津安二郎は市井の中で健気に生きる原節子の魅力を引き出した。
はっきり言えるのは、その後、原節子に変わる女優は誰一人も現れていないということ。
たとえ伝聞であれ、原節子という映画女優は突出していたのだ。


2015.11.27 治療逃げ

健康診断の結果が出た。
結果は「A・問題なし」から「E・要精密検査」まで5つのランクがあるのだが、
結果は「A」と「B」が並んだ。かつては「E」の所見がいくつかあった。
では健康かといえば、否。単に「F・治療中」という評価が増えたからに過ぎない。
しかし口の悪い職場の連中からE難度連発を期待?されていた。ざまあみろだ。
その代わり「治療逃げ男」のレッテルを貼られてしまったが。


2015.11.28 菅原文太、一周忌

「高倉健に続いて菅原文太まで・・・」というフレーズが飛び交った一年前。
自分の手足を捥ぎ取られるような衝撃だったが、ある種の痛快感も駆け巡った。
もちろん不出世の大スターの死に対して痛快などと不謹慎極まりないことだが、
文太の訃報が伝えられた時、「やくざ役者・高倉健」が突出した瞬間は痛快だった。
40代の頃までは二人が生きている間、自分の青春は保証されていると思っていた。
それが50を過ぎたあたりで、文太は引退を表明し、政治的な言動がちらついていた。
正直にいえば、もう菅原文太は憧憬と幻想の対象ではなくなっていたのだ。
最後まで高倉健のしがらみを生きた健サンに対して、文太は菅原文太を捨てる。
時代劇の悪役、ドラマの脇役、アニメの声優という仕事を楽しんでいたように見えた。
だから健サンのように、この一年の間に文太に訣別をする必要はなかった。
もちろん文太の追悼上映も組まれた。
しかし敢えて『仁義なき戦い』のシリーズは観なかった。
文太の代表作中の代表作だが、実体は深作欣二と笠原和夫の映画だと思っている。
自分にとって文太の代表作は『人斬り与太』の2本だった。
あの2本の根底に流れていた哀しみこそが、文太追悼にもっとも相応しい映画だった。
自分が、そして多くの文太ファンはいつでもあの頃の文太に逢うことが出来る。
ここでも時代を留める映画の普遍性があるのだ。

2015.11.29 金目鯛にアワビの踊り焼き

職員の融和と団結を目的として、何とか一人当たり2万の協賛を得て、
伊東の宇佐美温泉に一泊してきた。
まぁ職場旅行に引っ掛けた酒盛りが目的なのだが、
こちらは例のごとく酒気よりも食い気優先。
大男の履く草鞋くらいの大きさの金目鯛の煮付け。なんといってもこれがメインだ。
いやはや美味い。毎年一度は食いたいシロモノではある。
アワビの踊り焼きは、火に焼かれもがき苦しみのたうつアワビを面白がりながら、
オヤジたちのしょーもない猥談で盛り上がるという、
まったく鬼蓄の所業如き趣向の料理だが、悲しいかなこれも美味い。
翌日は邪気を払いに(?)修禅寺や佛現寺などを参詣。
人間の宿命的な業の深さと原罪を噛みしめた週末だった(嘘こけ)。


2015.11.30 一ヶ月の過ぎるのが早いこと

早くも月末。この11月は東京の酉の市、御府内の札所めぐりに琵琶湖を周航。
中島みゆきのコンサート、健康診断、最後に伊豆に職場旅行と、
毎週のようにイベントが続いて、それなりに充実した月であったが、
一週間、一ヶ月そして一年と時が過ぎていくのが早い。あまりに早すぎる。
それに比べ、一日がやけに長いのはどういうことなのか・・・・



                           

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