■2020.04

日めくり 2020年04月(令和2年)       



2020.04.01(水) 歩くのが・・・・・

人からずっと歩くのが早いといわれてきた。
実際、仲間内でタラタラ歩くのが苦手で、
なんでもっと早く歩けないものかと毎度苛々していた。
当然、交差点で信号機が点滅すれば、絶対に走る。
信号待ちで過ぎていく時間ほど虚しいことはなく、
同じようにエスカレーターで足を止めることなどあり得ないと思っている。
よく関西人は関東と比べて早足だといわれているが、
以前、通勤時間中のJR大阪駅から阪急梅田の乗り換えの流れに沿ったことがあり、
全然、早いとは思わなかった。これなら朝の新宿駅の乗り換えとさして変わらず、
えーい、そこどけ、道をあけろと何度思いながら歩いたことだろう。
それが今年に入ってから自覚するほど歩くのが遅くなった。
下手すればパンプス履いたOLに抜かれることすらある。
階段など一段飛ばしで昇らない限り、自分が一番遅いのではないかと思うほどで、
涼しい顔をして階段を行き来する人たちと肩を並べてこちらは決死の形相となる。
もしかすると母の歩調に合わせて買い物や通院に寄り添ったのが原因なのか。
いやそんなことはあるまい。近頃は普通に歩くだけで息が上がる。
もっともこのご時世、安易に息が上がるなどと書くべきではないのかも知れない。
ただ、いつの日か、歩くこともが覚束なくなる時は間違いなく来るだろうが、
その前兆が還暦カウントダウンの今であることを自覚せざるえない今日この頃だ。


2020.04.02(木) マスク届く

Amazonに“マスク50枚在庫あり”とあったのでポチったのが8日前。
在庫があるにしてはそこそこの時間が経ったが、無事に到着。
4000円。割高だが転売ではない。国内流通ではなく中国からの直送ということらしい。
一時期、Amazonでは万単位の値段で売られていた。一枚80円なら許容しなければ。
そのことを職場で話すと、そのマスク、会社で買い取らせてくれとお願いされ、
こんなときなので職場に置くことにした。いいさ、もうじき楽天で購入した分が届く。
もともと花粉症でもあり、マスクは必須。
ドラッグストアやコンビニをいちいち覗く手間がなくなっただけでも有り難い。
実際、新型コロナにマスクの効果はないともいわれているが、
通勤途中の電車内でマスクなしでクシャミなどしようものなら、
明らかに車内の空気が変わる。
もちろんマスクは苦手だ。眼鏡は曇るし煩わしく、気がつけばアゴにずらしている。
結局、世間体を気にしているようなものだが、マスクの有る無しで気分が違うのなら、
薄っぺらな不織布一枚、世間と折り合う通過儀礼として仕方ない。
パンデミックの怖さとは、自分も含め人を疑心暗鬼にさせてしまうことなのだから。


2020.04.03(金) 残業でのうっかりとネットのニュース

今、職場は倉庫も使って職員を4つのフロアに分け、リスクを分散し、
毎朝、体温の報告が義務付けている。
しかし昼になれば一緒になって飯し屋に出掛ける(苦笑)
そんなこんなで仕事も煩雑となると、残務整理も増えてくる。
夜間の出歩き自粛とのことだが、残業せんことには仕事が終わらない。
そこで一人居残りとなったのだが、ついウトウトしてデスクで2時間寝てしまった。
気がつけば22時半。「やべえ」となって慌てて職場を飛び出したのだが、
おかけで日課になりつつあった「NHKニュースウォッチ9」を見逃してしまった。
帰宅してYAHOO!のトピックスを見る。
相変わらず藤浪晋太郎と阪神球団は叩かれているようだ。
発表当初は藤浪の勇気を称える声もあったが、合コンがバレて空気が変わった。
しかし記事の出典は日刊ゲンダイ、夕刊フジ、東京スポーツの夕刊紙ネタではないか。
今どき電車内で夕刊紙を読む人間は絶滅危惧種だが、
YAHOO!のトピックスに上がることで目立つし、妙な信憑性が生まれる。
ネットの記事はいい加減だといわれても、明らかにタブロイドよりマトモに見える。
では大新聞はどうか。
自分がコロナにかかるかからないは別にして、今、日本は明らかに一大危機。
こんな国難の中、相変わらずの政府・安倍内閣批判一辺倒の朝日と毎日。
社説も「自治体をないがしろにするな」「自治体に丸投げするな」ともう無茶苦茶だ。
安倍晋三は目の敵だろうが、この機に乗じた批判はもはや醜悪に感じる。
国民にマスクを二枚配る方針は確かに奇天烈な印象を受けるが、
いっとき政府は国民全員にマスクを配布しろとの声が上がっていたのも事実だ。
大新聞はそんなささやかな方策をいちいちあげつらうのではなく、
医療も経済も疲弊する国家・国民に「ともに頑張ろう」との見出しが打てないものか。


2020.04.04(土) あゝ志賀勝、死んだか

後輩がLINEで志賀勝が鬼籍に入ったのを知らせてくれた。
東映ピラニア軍団の中でも巻き舌低音、とびきりの“本物感”を漂わせていた役者。
(凄みのある関西弁を喋らせたら志賀勝と渡瀬恒彦は双璧だ)
それにしても彼が死ぬ場面は浴びるほど見てきたが、本当に死んでしまったか・・・・。
先に逝った室田日出男や川谷拓三のように志賀勝の内面の芝居を見た記憶はない。
志賀勝で真っ先に思い出すのが『仁義なき戦い・頂上作戦』で、
湯治に来ていた小池朝雄を惨殺し「あんたらの見とった通りじゃ」の捨て台詞。
しかし歌がめちゃくちゃ上手かった。歌手としての顔も持つ。
「蛍籠」など名曲だし、私も20代の頃はカラオケで彼の曲をレパートリーにしていた。
画像検索で志賀勝の近影を検索し、あまりの老け顔にびっくりし、大いに後悔。
私を夢中にさせた東映軍団のなれの果てを見るのは本当につらい。
死を悼むと同時に自分も齢をとったことの傍証だということか。
――あの頃をありがとう。


2020.04.05(日) 弱り目に申告

コロナ騒ぎで確定申告の期限が延期されたのを幸いにサボっていたが、
どうせ映画館は閉まっているし、今日一日を申告作業に充てることにした。
水曜日は休みをもらって税務署に行く。そろそろケツに火がついてきた。
何せ母が年度の途中に逝ったものだから手続きがあやふやとなり、
親父の施設利用のうちの何項目かは控除の対象になる可能性もあると聞き、
せっせとエクセルに支出を書き出して計算している最中だが、そろそろギブアップ。
あとは領収書の束を持参して税務署に直接聞いてみようかと思う。
何せ配偶者が亡くなった途端、親父の医療費が3割負担となった。
慌てて区役所に掛け合ったがダメ。こうなると控除だけが頼りだ。
ギブアップの理由は頭がこんがらがったのもあるが、とにかく目がしんどい。
40代の職場の後輩たちがそろそろ目の衰えをいい出してきたが、
実際、エクセルをスクロールすると目の焦点が覚束なくなる。
テレビをつけてテキトーに「ながら作業」をしようものなら、
ピントが狂ってパソコン画面が霞む。
早い話、生き物として完全に劣化したことが確定。うーん深刻だ。
これがホントの確定深こ・・・・ええか。


2020.04.06(月) アルコール消毒液ゲット!

朝8時30分、上司から連絡。
「職場近くのドラッグストアに並んでいるから応援に来い」と。
そもそもコンビニじゃあるまいし、日曜の夜中に配送などあるものかと思いつつ、
仕方なく開店前の店頭に並ぶことになったのだが、
マスクもアルコール消毒液も入荷なし。
密集・密閉・密接に注意といっても、通勤する以上、完全に防げるものではなく、
多少心許なかろうが、マスクと消毒は必要最低限の防御ではある。
それが手に入らないのだから、国が布マスクを郵送してくれるなら有難いではないか。
マスクの郵便代?国内で金が還流するだけの話で、
そこまで税金の無駄遣いとはなるまい。
それより108兆円の経済対策費を海外利権にかすめ取られないことが肝心。
さて、私と上司はダメ元で雑貨屋まで足を伸ばし、マスクはないかと尋ねてみた。
そしたらなんとアルコール消毒液をお一人様一個で店頭に並べているではないか。
早速、他の職員も駆り出してボトル数本を入手できた。
「あるところにはある」。それもまた消費者を混乱させている一因でもあるのだが。


2020.04.07(火) 「緊急事態宣言」発令

内閣総理大臣が国民に語りかけ、それなりの覚悟を強いる宣言なのに、
そこがなんでガヤガヤした会見の場なのか。まるで宣言になっていない。
なぜ総理官邸の執務室で、横に日の丸を置いて真っすぐ国民に語り掛けないのか。
英首相のボリス・ジョンソンは好きではないが、宣言の説得力が圧倒的だったのは、
国民一人一人の目に語り掛ける(半ば恫喝気味に)演出がされていたからだ。
一方、安倍晋三の視線は記者たちに向かって右に左に大きく動く。
国民の負担と協力が必要だと訴えるのなら、第一義的に国民に語り掛けるべきだろう。
記者との質疑応答などそのあとでセッティングすればいい。
9年前、菅直人の「国民への呼びかけ」の時も同じことを思ったが、
求められるべきは指導者の真剣さと決意の姿を国民に示すことではなかったのか。
国民の印象を変える千載一遇の機会を安倍晋三は逸したと言わざる得ない。


2020.04.08(水) とりあえず確定申告へ

仕事を休ませてもらって、保土谷税務署に行ってきた。
もちろん緊急事態宣言とは関係ない。以前から予定していたことだが、
延長された申告期限なので混雑はないと踏んでいたら、「待ち」が出ていた。
人との接触8割減を目標といっても、税務署員たちは通常の8割増の接触だろう。
とかく嫌われ者になってしまいがちだが、率直に「大変だけど頑張って」と思う。
このご時世、経済的なことでお役人たちを安易に羨むのは止めよう。
具体的に税務署員から感染者が出たとは聞いていないが、
公共の窓口業務者からはそれなりに感染が確認されているのは事実だ。
書き忘れたが、確定申告といっても父親の分。私は会社で源泉を済ませている。
今日の申告、最大の収穫は施設のリハビリ代を控除の対象にしてもらえたこと。
しかし、これも税務のあざとさだろうが、
こちらから訴えないと控除も還付も教えてくれないこと。
だから直接交渉抜きで、パソコンやスマホから簡単にE-Taxで納税など出来ない。
署員の人たちには心から「お疲れさん」と思えても、
税務署には心から「やり方が汚ねぇぞ」と思う。


2020.04.09(木) 午前十時の映画祭ファイナル

今、首都圏の映画館はシネコンから単館まで休業中。
確かに映画どころではないか。ニュースを見るにつけ暗澹たる気分になる。
ならばあえて映画の話でもしようか。
そんなコロナ包囲網の中、10年の長きに及ぶ「午前十時の映画祭』が幕を閉じた。
この映画祭が私にもたらしてくれた意義は実に大きい。
開始した2010年以前は月に数回、映画館に行く程度。
ビデオ屋を経てすっかり映画館から遠ざかっていたのだ。
スタートは私のフェバリット・ムービーともいうべき『フォロー・ミー』だった。
この『フォロー・ミー』がスタートだったことで映画愛が一気にぶり返し、
映画鑑賞というかつての絶対的な趣味を取り戻したのだった。
第一回のラインナップ一覧を振り返ると眩いばかりの名作がズラリと並ぶ。
チャップリンからワイルダー、超大作『ベン・ハー』『アラビアのロレンス』。
ミュージカル、西部劇、ヨーロッパの名作、ヒッチコックまで。
それらをすべてニュープリントで見せてくれたのだから、贅沢なイベントだった。
その後、十代の頃にウハウハしながら封切りを待ち続けた映画もあれば、
テレビやビデオを封印し、途方もない時間、劇場観賞を待ち続けた映画もあった。
その一本一本を振り返れば本当にキリがないので書かないが、
再上映を除く初出のタイトルを目指して、ひたすら朝の劇場に駆け続けてきた。
観賞したタイトル数253本。うち90本ほどの初観賞。
私の映画鑑賞史的には珠玉の10年だった。
そして、とうとうファイナルかと思いラインナップ一覧のページを改訂しようと、
映画祭のHPを見にいった途端、目に飛び込んだ文字。
“「午前十時の映画祭」の再開が決定いたしました!”
正直、ここまで書いてきてズッコケそうになったが、有難いことではある。
期間は一年置いて、来年の4月からリスタートとのこと。
いよいよ『十戒』『史上最大の作戦』『スパルタカス』『南太平洋』『キャバレー』
『西部開拓史』『パットン大戦車軍団』『夕陽のギャングたち』・・・
これら劇場未見の必須作が観られるのか否か、来年の上映発表を心待ちとしたい。


2020.04.10(金) 新宿駅南口

毎朝、新宿駅南口の小田急の改札を出て、地下鉄の新宿三丁目駅まで歩く。
ひと駅歩くことになるが、せいぜい7分ほどの距離だ。
今まで新宿駅といえば歌舞伎町や靖国通りの玄関口である東口か、
都庁や高層ビル群に直結した西口が新宿駅の「顔」であり、
実際、ひと昔前の新宿の象徴的な風景は東口と西口に集約されていた。
その点、南口は昔からあるにはあったが、甲州街道に阻まれ、まさに裏口。
しかし私は高校生の時から南口をよく利用した。
やくざ映画の常設館である新宿昭和館に通うには南口が一番近かった。
あの頃の南口のランドマーク(?)というば場外馬券売場で、
古びた石段と古臭い雑居ビル、大人のおもちゃ屋の掘っ立て小屋があった。
人通りが圧倒的に少なく、やさぐれた雰囲気が好きだったのだが、
90年代に再開発され、「高島屋タイムズクスエア」がオープン。
駅ビルも整備され、立体構造のテラスが出来上がってまるで一変した。
(いや、ここで南口の解説をするつもりはなかったのだが・・・・)
対面に完成した巨大バスターミナル「バスタ新宿」。
そこにカメラを据えれば容易にJR新宿駅の改札口が捉えられるからか、
テレビ各局が新宿駅の様子を伝えるときは、必ず南口が映される。
台風の時やJRが不通で改札口人が溢れたときなど絶好のロケーションだ。
緊急事態宣言後は新宿駅のまばらな人通りという画で便利に使われているが、
そのまばらな新宿南口を私は今もてくてくと歩いている。
朝の通勤の嫌々な足取りと、夜の帰宅のぐったりした足取り。
この姿を映すなよと、バスタ新宿の方を牽制するのだが、それは自意識過剰か。
この新宿南口にはもうひとつエピソードがあるのだが、そまた次の機会に。
因みに、対面のバスタも高島屋も所在は新宿区ではなく渋谷区になる。
やはり今も昔も南口は新宿のどん詰まりではないか。


2020.04.11(土) 大林宣彦に天命が

訃報の多くはYAHOO!のトピックスから飛び込んでくる。
ああ、肺がんステージ4で余命3ヶ月と宣告されてから4年。
旺盛な熱情で新作を生み出してきた映画監督がとうとう力尽きたか。
なんだかんだいっても、私は大林宣彦直撃世代だ。
この人ほど毀誉褒貶に晒されて、なおとことん我を通した映画作家もいない。
柔らかな語り口ながら唯我独尊を貫き、唯一無二の存在だった。
だから大林映画は常に刺激的。
大嫌いな映画もあれば、『転校生』のような生涯ベスト級の映画もある。
ただ一貫して反戦・平和のヒューマニストだった。
この人がラジオで語った「正義を振りかざす前に正気であれ」は名言。
晩年の『この空の花―長岡花火物語』『野のなななのか』『花筐』は正に唯我独尊。
昨日が封切りの予定の最新作『海辺の映画館』も凄まじいとの噂で楽しみにしていた。
命まで延期とはならなかったか、残念。
好きな人、少なからぬ影響を受けた人への訃報に際し、いうことはひとつ。
――長い間、本当にありがとうございました。


2020.04.12(日) 親父、頑張ってるかーっ

親父が入居している施設は外部からの立ち入りが禁止され、
顔を見なくなってかれこれひと月になる。
その間、玄関口にヘルパーさんを呼び出し、
捺印した書類を届けたり、野菜ジュースの差入れを渡してきた、
そのつど親父は元気かと尋ね、元気ですよと返事をもらっているが、
以前ほど野菜ジュースの減りが遅くなっている。
今日、実家に届いた不在票をもって郵便局へ。介護保険証が届いた。
うわっ介護認定「5」。とうとう詰んでしまったか。
尿道に管を通され、その管を引っ張らないようにグローブを嵌めさせられ、
もはやリモコンが操作できず、テレビも見られないままベッドに横たわる親父。
ヘルパーさんに寝返りを補助される程度で、ストレスは如何ばかりかと案じるも、
認知症が進むのは、ストレスからの代償効果もあるのかもしれないとも思う。
先日、親父と同い年の関根潤三氏が亡くなられた。死因は「老衰」。
まだまだ頑張ろう!


2020.04.13(月) とうとう時短+時差出勤へ

我々の職種はテレワークが出来ない。
インフラの問題ではなく、業態としてそれを行うには様々な問題がある。
そうはいっても緊急事態宣言ののち、
当たり前の通勤に違和感を覚えるようになってきた。
そもそも世の中の価値基準でこの仕事は不要不急ではない。
我々個人にとって不要不急なだけなのだ。
そしてとうとう時短と時差出勤がセットで下った。
一日の勤務時間は13時から19時まで。途中休憩は30分とのこと。
今のところ(これは有難いことだが)、仕事は一向に減らない。
夜ふかし朝寝坊は大好きなので、個人的には大歓迎だが、
しわ寄せは今週末には必ずやってくる。
もはやこのご時世だ、なるようになるしかないのか。


2020.04.14(火) 衝撃の事態が

昼過ぎに出勤した途端、衝撃の事態が告げられた。
なにが衝撃なのかは書かない。
やれやれ明日は我が身かもしれないか。


2020.04.15(水) 改めてOVID-19

コロナ出始めの頃。
「年寄りや持病持ちは重篤化の恐れがある」程度に伝えられていた。
それが片岡篤史の動画やICUの梨田昌孝の病状を知ると寒々としてくる。
彼らほど頑強では決してない私などどうなってしまうのだろう。
なにしろ肺年齢が81歳という有難くない判定結果をいただいている。
それだけでも感染したら重篤化は免れそうもないところに、
糖尿、動脈硬化、肥満、喫煙と、ネットを見るだにとことん先行きはか細く、
唯一の救いがBCG接種経験?まるで溺れて藁を手繰っているようなものだ。
それはさておいても、コロナウィルスの凶暴性が際立ってきていないか。
東京がだめなら五輪はロンドンで代行するといったイギリスの政治家がいたが、
今やイギリスのコロナ死亡者数は日本の全感染者数を上回ってしまった。
恐ろしいのは感染のスピードもさることながら重篤化するスピードだ。
だから我々の思考も「どうすればコロナにかからずに済むのか」から、
「コロナにかかったらどうなるのだろう」に移ってきたような気がする。
・・・などと考えるのなら、まずそのタバコを消せという話だが。


2020.04.16(木) この国の野党

緊急事態宣言が全国に拡大した。
差し当たりGWへの臨戦態勢を整える意味で妥当に措置だ。
中には決定が遅すぎたとの声もあるが、遅きに逸したものでもないだろう。
「遅きに逸した」との表現は、先の緊急事態宣言の際に野党の党首から出た。
「なぜ宣言に踏み切らないのか」と政府に詰め寄ったのは野党ではなく医師会。
そもそも3月の初めに政府が公立学校を一斉に休校にしたとき、
「強引すぎる」「自治体を無視するのか」と野党は大批判を展開していた。
「遅きに逸した」などとどの口がいう。
あの一斉休校で学校を守ったのは間違いなく。一定以上の効果はあったはずだ。
桜を見る会、財務局員の自殺、検事長の定年問題が胡散霧消した悔しさからか、
無責任な揚げ足取りに終始し、最後は後出しジャンケンかよと呆れ返えるが、
このコロナ騒動でいよいよ野党のしょうもなさが際立っている。
確かに経済支援ひとつとっても政府が迷走しているのはわかる。
しかし野党はいよいよ無責任ぶりを露呈させ、評論家に成り下がってはいないか。
その挙句がセクシーキャバクラかい!・・・とまではいわないが、
安倍晋三が一向に「有事に立ち向かう総理大臣」を演出できない中で、
まったく野党の支持率が上がっていないことを考えてみたらどうだろう。
いや、そんなことを考えている場合ではないのだが。


2020.04.17(金) 体温計

先月末に職場から検温が義務化されてから半月が過ぎた。
アベレージでほぼ36℃の前半に留まっている
ここまでで一生分の検温をやったかもしれない。
それほど体温計とは縁が薄かった。…こんな古い体温計を信じてよいのか(汗)
唐突にふと思い出したのが、以前遊ばせてもらっていたタイガースの掲示板。
コピー塾なる遊びで「体温計」というお題が出たことがあった。
久々に過去ログを辿ってみた。
やはり、体温計は小中学校の記憶としてあり、みんなは疎遠になったと書き込んでいる。
その中で守口大根さんの作ったコピーを読んで爆笑してしまった。
彼のキャラクターを知る人はみんなひっくり返るに違いない。
“恋の微熱は計れません”


2020.04.18(土) 言葉と文字と表現と

毎年のこの時期の楽しみとして『名探偵コナン』の劇場最新作を観るというのがあった。
昨日が封切りだったので、間違いなく今夜のレイトには出掛けていたはずだ。
当然、公開延期。興収100億狙えるメガ作品なので夏休みまで飛ぶのかも。
仕方なく衛星を録画していた旧作を観たのだが、いやはや面白い。
どれだけ面白かったのかといえば、もう “すこぶる面白い”。
・・・さて “すこぶる” は「頗る」と書く。“すごぶる” は「凄ぶる」。
「すこぶる」と書こうとして「すごぶる」と濁ってよいものかよく迷う。
わりと「今朝はすごぶる天気がいい」なんて書きがちではなかろうか。
しかし考えてみたら「凄ぶる平穏だ」なんておかしな話で、そこはこだわりたい。
こだわった結果、今後「すこぶる」に統一することに決定。
・・・では今いった “こだわる” はどうか。
読売新聞「編集手帳」の名コラムニスト・竹内政明さんによると、
「ごだわる」の誤用がはなはだしく、自分は絶対に使わないといい切る。
“こだわる” とは「些細な失敗にいつまでも気持ちがとらわれる」のが本来の意味で、
「こだわる」「拘る」=「拘泥する」となり、どちらかといえば否定の意味合いが強い。
そう聞くと「出汁にこだわったスープ」なんていかにも不味そうだ。
要は「妥協せずそれを追求する」との使われ方はまったく間違っているらしい。
・・・“やばい” もそう。「この小説、やばい」は数年前と意味がひっくり返ってしまった。
言語は時代によって変化するもの。いずれ国語辞典にも追記されるのだろう。
ただ「大丈夫です」なんて肯定なんだか否定なんだかわからない言葉は嫌いだ。
よく聞く例で「どうだ酒でも飲むか」と部下を誘った上司が「大丈夫です」といわれ。
今晩、彼は空いていると思ったら居酒屋で待ちぼうけを食ってしまい、
携帯に電話したら「遠慮して断ったつもりだった」といわれる。
言語の時代変化の境目ではそんな誤解も生まれやすいのだろう。
それにしても「大丈夫です」が曖昧語になってしまうとは、ややこしい時代ではある。
・・・ただ曖昧語ということなら逆にある意味、私の得意技ではある。
(だいたい「ある意味」ってなんだよ。「逆に」ってなにが逆だよ)
よく使ってしまうのが「 ― 感」という表現。
「責任感」「違和感」「疲労感」「質感」「義務感」「一体感」などは慣用句で、
VRの登場以来、やたら目にする「没入感」などもあるが、
それでは口癖である「やっちまった感」とか「とってつけた感」はどうなのだ。
でもそのことで人に何だそれ?といわれたことは一度もない。
・・・そう、今、“いわれた” と平仮名で書いたが、「言われた」「云われた」が混在する。
もっぱら「~という」を使うが、漢字で「~と言う」にすべきなのか引っ掛かる。
「~という」は継続するが、先ほど書いた「いい切る」は「言い切る」がよかったか。
・・・いや、そもそも「いう」ではなく「ゆう」ではないのか。
司馬遼太郎の『街道をゆく』は「いく」ではダメなのか。、、、これはダメか。
・・・そもそも『劇場版・名探偵コナン』について書き始めたつもりではなかったか。
なかなか「真実はひとつ!」とは行かない。いや、いかない。


2020.04.19(日) ミニシアター・エイド基金を応援

「10年間ビデオ屋で映画を1週間380円で貸していたことで名画座を追い詰めた」
今も私の中でそんな思いがくすぶっている。
せめてもの贖罪の意味で、Mini-Theater AIDを応援するにした。
本来、経営が厳しくなった映画館を応援するのは、入場料を払って映画を観ることだが、
それが叶わない現状で応援するには金銭面で支援するしかない。
https://motion-gallery.net/projects/minitheateraid
映画館がなくなって、なにを楽しみとする人生だ。


2020.04.20(月) STAY HOME

気ままにひとりの時間を過ごしながら、一日をやり過ごすことに慣れてしまった。
きっと根っからの怠け者なのだろう。月曜の出勤がかったるかった。
週末は必要最低限の買い物と、実家の仏壇の水を取り替えに行った程度で、
テレビを見て、ラジオを聴き、PCをいじりながら、眠くなったら昼寝を決め込む。
ちょっと前ならこんな週末を過ごしてしまうとひどく後悔したものだが、
「STAY HOME」 動くなと国に推奨されると本当にどうでもよくなる。
そして、ひとりでいられることに満足しきっている。
もし誰かと一緒にこの6畳の部屋にこもるとなるとどうだろう。
マスコミなどで漏れ聞くのは家庭内不和やコロナ離婚などぎくしゃくした話ばかり。
そんなことに煽られないでいられるだけでもマシではないか。
ラジオから流れてきたこんな都々逸に笑ってしまった。
「社畜のあなたがリモートワークで 家畜になったと妻わらう」
・・・わらえんわ。


2020.04.21(火) 不夜城が

仕事帰り、東新宿駅で下車し、歌舞伎町を抜け新宿駅まで歩いてみる。
いつもなら24時間、金属バットの乾いた打球音を響かせているバッティングセンター。
大都会の孤独を思わせるあの打球音まで消えると、残されるのは厳しい沈黙だ。
路地を行き交うのはラブホテルを物色するカップルばかりで、
ホストクラブの看板に大写しになったイケメンたちもそらじらしく笑うのみ。
そもそも歌舞伎町を歩いて、自分の靴音が聞こえるなん信じられるだろうか。
日本中の喧騒が集まっていたような「思い出横丁(通称ションベン横丁)」など、
西口への抜け道になるくらい人の気配がないのに心底驚いた。
あの不夜城が・・・いや不夜城だったからこその有様なのだろうが、
日本一の歓楽街がここまで寒々しい静寂に覆われていると、
もはや近未来SF映画の中に入り込んだ錯覚すら覚えてしまう。
いや、その手のSFは大抵が流行り病に冒された街だから、現実そのものか。
ただネカフェ難民と呼ばれている若者たちが住処を追われているとの報道。
このコロナ禍がネットカフェから旅立つ機会になればいいとは思う。


2020.04.22(水) 凪

今が人生の「凪」なのか。
50代。一切の社会的責任とやらと無縁の毎日を過ごしてしまった。
これは20代、30代で覚悟していた未来と笑ってしまうくらいのギャップがある。
こんなことで良いのだろうかとの思いもあれば、
結果的にそこまでしんどくなくて助かったと思う部分もある。
このコロナ禍にあってほぼ、前年並みの売上げをキープ出来る環境は有難いが、
ただマスクとアルコール消毒液をゲットしただけで充足される気分ってどうなのだ。
今は早起きしなくて済んで、お気楽なひとり生活をただボーと過ごすだけの日常。
乙姫も鯛や平目の舞い踊りもない、なんとも貧相な竜宮城ではないか。
しかし竜宮城で過ごした後の結末は浦島と同じ。
そう遠くない未来にツケが回ってくることを身体が予感している。
それにしても時間が過ぎていくのが早すぎる。


2020.04.23(木) 後ろ倒しにしてくれ

時短と時差出勤が蓄積し、いよいよ仕事が手に負えなくなってきた。
それで残業しているのも本末転倒もいいところだが、
取引先にテレワークが増え、容赦なくパソコンに映像データが送られてくる。
相手は勤務時間フリーなのだ。ファイル便がリンクされて来るとぐったりする。
それの捌きが全然追いつかない。
そもそも我が職場にそういうスペックもインフラもなく、
6ギガバイト程度のデータひとつをダウンロードするのに数時間を要する始末。
真偽は不明だが、リモートワーク化が進み、日中の回線使用料が増えたのも原因か。
人の動きはともかく少なくともファイル便に不要不急の概念はないらしい。
この際、業界挙げてスケジュールを後ろ倒しにしてもらいたいのだが、
運悪くGW進行なのだという。
こんな世の中でGWもへったくれもないと思うのだが。


2020.04.24(金) どうなんだろうね

大阪府が自粛要請に従わないパチンコ店の実名公表に踏み切った。
東京都もそれに追従するようだ。(“追従”なのかは知らんが)
私の住む地元の駅前パチンコ店は営業を続けている。
こちらも「日めくり」でパチンコ店の営業を批判した経緯はある。
当初、行政が劇場やホール、スポーツ施設に自粛を要請する中で、
パチンコ店だけがスルーされていたことに反発を覚えたからだ。
政治家に献金し、警察OBが天下る組織は違うなと揶揄したい気持ちも強かった。
ようやく営業を続けるパチンコ店と来店客に批判の目が向けられはじめ、
テレビは顔にモザイクをかけて来店客の声を拾う。
「家でじっとしていてストレス溜まるから」、「開店してなきゃ行かないけどね」とか。
わざわざ県を越境して朝から開店の列に並ぶ客も多いともいわれている。
しかし店名を公表する本質的な意味ってなんだろうと思いはじめている。
晒す意味。行政が「世間の皆様、どうぞ彼らを糾弾しましょう」とけしかけること。
予期せぬ事態が起こっても自業自得。こんなコンセンサスが広がりつつないか。
特措法に基づく実名公表とはいえ、なんか違うような気がする。
他府県ナンバーの車が損傷されるなど、分断と差別が広がる中、どうなんだろうね。


2020.04.25(土) すっきりした実家の庭

横浜市シルバー人材センターに実家の庭の草むしりを依頼していたのだが、
こんな時期にやってくれているのかどうか半信半疑ではあった。
2人で3日かかったが、終了しましたと連絡がきた。
ガレージに満タンになったビニール袋が43個積んでますとも。
それで今朝はゼイゼイ息を切らせながらゴミ出し作業をやったのだが、
そんなこととは比べものにならないだろう重労働に感謝。
除草作業もさることながら、この数のゴミ袋をガレージに積む作業も大変だったろう。
職場で「草むしりに5万も出すか」と笑われたが、
スッキリした庭を見ると安いと思った。
いいな、シルバー人材センター。これは絶対に使わない手はない。
今度は外壁のペンキ塗りを頼もうか。


2020.04.26(日) 小島いっけぇ~!!(涙)

例によってYAHOO!のトピックスに飛び込んでくる訃報。
元TBSアナウンサー小島一慶が亡くなった。
悔しかったのが、真っ先に「またコロナウィルスか!?」と思ってしまったこと。
私にとって一慶の死は感染病カテゴリーに埋没させるほど軽いものではないはずだ。
なんだかんだ45年も前からのファンだったではないか。
中学の時に初めて聴いた深夜放送、TBS「パック・イン・ミュージック」。
当時はパーソナリティとは呼ばずDJ(ディスクジョッキー)と呼ばれていたが、
一慶は火曜深夜の担当で、番組コーナーの単行本まで買ったことを憶えている。
水曜・愛川欽也、木曜・南こうせつ、金曜・野沢那智+白石冬美、土曜・山本コーターロー。
どれも面白かった。オールナイトニッポンではなく私は断然「パック派」だった。
もちろん野沢+白石の「金曜パック」が絶対的存在で、復刻CDが出ているほどだが、
火曜の一慶パックもなかなかの名物番組として人気があった。
今思えば大物声優やミュージシャンに交じって局アナに番組を持たせていたわけで、
TBS若手三羽烏の中で一慶は林美雄や久米宏より一歩リードしていたし、
あのかん高い声でハイテンションにまくしたてる喋りでなかなか寝させてくれなかった。
とにかくあの頃の深夜ラジオはカウンターカルチャーの最前線として熱量が半端なく、
中学生は早く彼らが話題にするカルチャーを共有したいとラジオに噛りついたものだ。
ただやはり「声」の人だったのだろう。テレビでは久米宏には歯が立たなかった。
その後、ややこしい問題を起こして業界からフェードアウトしてしまうのだが、
一昨年、ラジオで声を聴いて、久々の一慶節が健在だったのが嬉しかった。
― 小島一慶。享年75歳。肺がんだったそうだ。
青春の一歩手前からありがとう。


2020.04.27(月) 激太った・・・

外出自粛のせいなのか、激太った。
どれくらい激太ったのかというと、ちょっと書くのが憚れるレベル。
実際、急激な運動不足は否めない。
いや毎日、通勤はしてるし、それなりに駅間を歩いたりもしている。
でもスマホのヘルスケアの歩数を見ると明らかに減っている。
映画館に行かなくなるだけで不思議と歩数は激減する。
しかも時差出勤によって食事のサイクルもぐちゃぐちゃになった。
休日になるとのべつまくなし食っては寝ている。
よし明日からちょっと頑張ってみようか。
いや頑張らないと。


2020.04.28(火) 赤いスウィングトップ

別に『理由なき反抗』のジェームズ・ディーンを気取るつもりはなかったが、
ずっと前から赤いスウィングトップを着てみたかった。
外出自粛で暇なある休日にネットショッピングで購入してしまったのだが、
おお赤い。真っ赤だ。24歳のジェームズ・ディーンが似合っていたものを、
白髪頭のデブが着こなせるものなのか。
・・・って、めちゃくちゃジェームズ・ディーンを意識してるじゃないか。
鏡に映した結果はそれは悲惨だった。
まるで娘からの還暦祝いを照れながら着てみたジジイか、
マツダスタジアムの球場整備員ではないか。
せいぜい近くのコンビニくらいしか着てけないぞ。


2020.04.29(水) ダイバーシティ(多様性)

ダイバーシティといっても別に人種、宗教、社会的マイノリティの話ではない。
それを語るなら私は悪い意味で保守的な人間。
池袋の往来で騒がしい中国語や韓国語に「うるせぇ・・・」と舌打ちしてしまう。
親しい知人ならともかく、他人の中で生きるなら周囲は日本人であって欲しい。
実際アパートの隣の住人が外国人。それだけで居心地がよろしくない。
もちろん数十年後に介護を頼むヘルパーさんが褐色のお姉さんかもしれないし、
日本が海外に人材を求めなければ成り立たない国なのも承知してはいる。
私は島国根性の持ち主にすぎないのだろう。でもレイシストではないと思っている。
ただ日本人であれ、外国人であれ価値観の多様性をどこまで尊重できるのか。
昔はおっさんばかりだった職場も、今や世代もばらけてきて、
団塊世代から平成生まれがいる中で、世代観の違いを意識するようになった。
とくにセクハラ、パワハラ、アルハラのあらゆるハラスメントの波状に途惑う。
むしろ多様性の問題はハラスメントに集約されているのではないかとさえ感じる。
古い世代の常識、新しい世代の常識。その中間で立ち往生している中途半端さ。
今、大きな問題となっている岡村隆史の舌禍発言。
昔なら深夜ラジオであの程度の戯れ言なら普通のトークだ。
笑福亭鶴光やビートたけしのオールナイトニッポンはその何倍も過激だった。
リスナーの大半を占めるだろう20代の男どもの間で共有されている軽口も、
それを聞き囓った誰かによって拡散され、大きな問題となる。
多様性が尊重される中、価値観を狭い次元に閉じ込める発言が問題とされるならば、
こうして言葉を排除することが多様性の尊重なのか。大した矛盾ではないか。
岡村隆史をバッシングするネットの正義に、レイシズムの匂いがして仕方がない。


2020.04.30(木) 結局、残業。間違いなく明日も

結局、そういうこと。貧乏人は休めないし、国の休業保証にもありつけず。
まさに本末転倒。自粛規制も時短も時差通勤もぜんぜん関係なく、
ツケをケツに回して働くのみ。
残業も会社の方針に従っていないので手当なし。
帰宅したら午前0を回っていた。間違いなく明日もそうなるだろう。



                           

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