◎雨に殺せば
◎雨に殺せば
黒川博行
創元推理文庫
【大阪湾にかかる港大橋の上で現金輸送車が襲われ、銀行員二人が射殺された。その翌日、事情聴取を受けた行員が自殺する。さらに、捜査線上に浮び上った容疑者の死体が発見され、事件は複雑さを増していく…。大阪府警捜査一課の二人の刑事“黒マメコンビ”が、日本画壇の内幕に迫り、金融システムの裏側に仕組まれた奸智に満ちた連続殺人事件に挑む。】
デビューとなった前作『二度のお別れ』に散見された文章表現や台詞、展開のこなれ具合の若さはもう微塵にも感じさせず、早くも円熟の趣を感じる。
謎に満ちた事件、それに翻弄されながらももつれた糸を解きほぐし真相に迫っていく刑事たち。容疑者の尻尾を捕らえたかに見えた途端に新たな死体が…。例によって黒マメコンビの行動や言動などで全体のテンポを走らせつつ、サスペンスものの常道もしっかりと踏まえながら、かなり正統的な本格推理小説であったと思う。
まったく不満がなかったわけでもない。黒マメコンビの捜査が少々トリッキーに傾きすぎてはしないかということと、このふたりを際立たすためか、課長以下の大阪府警捜査一課の面々が「嫌味だが保身に精一杯な上司」という類型の域を出ていなかったという点は気になった。
もう二十年以上も昔の小説について、その辺をとやかくいっても仕方ないのだろうが、黒川博行自身が巻末に記すあとがきによると『二度のお別れ』と『雨に殺せば』は二年連続して「サントリーミステリー大賞」の佳作に留まったということ。大賞から漏れた理由として“主人公の刑事コンビに華がない”と選考委員から評されたということらしい。
私は80年代のミステリー系の文壇事情などまったくわかっておらず、ただあの頃は角川文庫がやたらに元気だったなと思う程度なのだが、主人公に求められる“華”が今とは随分勝手が違うのだなとは思ってしまうのは、今読んでも(いや、今だからこそか)、黒マメコンビはキャラクターが見事に立って、むしろ華で満載ではないかと読めてしまったからだ。
選考委員の顔ぶれは阿川弘之、開高健、田辺聖子、小松左京、都築道夫というもの凄い顔ぶれなので、まさか警察小説の主人公の華は「孤高のヒーロー」であるべきだという概念に縛られていたとは思いにくいが、ミステリー専門ではない人たちも散見されることもあり、この二作を評して“華がない”と斬り捨てる感覚には首を傾げざるをえなかった。
「サントリーミステリー大賞」は既刊の小説に対する賞ではなく、あくまでも応募原稿による選考なので、この『雨に殺せば』は黒川が純粋に賞狙いのために書き下ろしたものだと言い切っても構わないと思うのだが、そこで作者は妻帯者で子煩悩だった黒田刑事を独身の黒木刑事にして、女好きだが甲斐性が今イチで私生活が少々だらしないという設定にしてしまった。そうすることで主人公に“華”を持たせようとした黒川の発想はご愛嬌としても、個人的にはマメちゃんとの対比で黒さんは堅物であった方がコントラストとして面白いと思っていたので残念な気がしている。『二度のお別れ』での“華がない”という選考理由が本作に悪い示唆を与えてしまったとしか思えないのだ。
と、不満なのはこの点だけなのだが、少々、スペースをとりすぎてしまった。
あとは快調そのもので、ユーモアとスピードを信条としながら本格探偵小説の謎解きもしっかりと踏まえながら、事件の背景は綿密な調査とリアリズムでどこまでも重厚という黒川作品の常道が既にこの第二作目で完成されているといっても過言ではなかった。
『疫病神』での土地開発に群がる巨大利権のからくりや『国境』での北朝鮮の詳細な描写など、黒川博行の取材力には舌を巻く思いだったが、この作品でも銀行融資の悪辣ぶりを実に興味深く読ませてくれる。「拘束預金(両建預金)」「浮き貸し」など自分が知らない不正融資の実態が次々と出てくるが、これら複雑な経済事犯を黒川はあの手この手を使って、解りやすく読者に説明してくれて、それが未知のものへの興味を煽ってくれる。説明といっても物語や会話に巧みに混ぜているので、決して「説明的」ではない。捜査が複雑化したり、推理がこじれるたびに不自然なく黒板やメモでまとめて読ませる手法のなんと誠実なことか。よい意味での大衆小説の粋だといえるのではないだろうか。
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