◎警官の紋章
◎警官の紋章
佐々木譲
ハルキ文庫
第一作から佐伯と津久井の過去のプロフィールとして紹介されてきた東京でのおとり捜査のトラウマを『警察庁から来た男』で清算した佐々木譲は、この“道警”シリーズの中で、未解決のまま宙ぶらりんだった出来事をとことん回収し、解決させようとしているようだ。シリーズ第三作目の『警察の紋章』では第一作の冒頭で佐伯と新宮が盗難車密輸業者を逮捕する寸前に道警本部に止められた案件を再度追求していく。
【北海道警察は、洞爺湖サミットのための特別警備結団式を一週間後に控えていた。その最中に勤務中の警官が拳銃を所持したまま失踪。津久井は失踪警官の追跡を命じられた。一方、過去の覚醒剤密輸入おとり捜査に疑惑を抱き、一人捜査を続ける佐伯宏一。そして結団式に出席する大臣の担当SPとなった小島百合。それぞれが任務のため式典会場に向かうのだが・・・。】
シリーズものでは前作の出来事が次回作の伏線となっていくのはありがちなパターンではある。しかし、“道警”シリーズがユニークなのは、実際に北海道警察を舞台とした「稲葉事件」「裏金捻出事件」という一連の不祥事事件の公判で、あやふやなまま結審してしまった事案まで再検証し、そこから浮かび上がる真相(仮説)を物語の肝として展開していくことにあるのではないか。
今回は道警、地検、税関の三者が捏造したと噂される「麻薬密売事件」について斬り込んでいくのだが、要するにこのシリーズは現実の事件と常に伴走するという関係で構成されているのだ。
さすがにここまで徹底されると佐々木譲はよほど警察権力に対し個人的な事情で恨みがあり、警察への敵愾心が小説を書かせているのだろうと思ってしまう。前作の評で「鈍感なほどの遠慮のなさ」と書いたが、表現を変えれば「容赦のない警察批判」だともいえるのではないか。
佐々木譲は道警本部の建物を再三にわたって描写する。道警本庁舎は札幌の官庁街にあって、市内のどのビルよりも高いモダンなビルであり、北海道庁も議会も眼下に見下ろせるのは、北海道における警察本部の権威と影響力を象徴するものだと。曰く「ミラーガラスを全面に張っているから、一見解放的で透明な役所と想像できるが、その実、外からは内部は窺い知ることができない」。あたかも道警本部が伏魔殿であるといわんばかりの筆致だ。
しかしどう読み込んでも佐々木譲はコミュニスト的立場から反国家権力を謳いあげる作家とは思えないし、厳格な縦社会の中に支配される一介の警察官のプロレタリズムを綴る作風でもない。要するに権力を行使する側が正道の本分から踏み外すことの危うさを憂い、個人の出世欲や保身を組織ぐるみで隠蔽する体質に憤りを禁じえないのだと思う。
また不祥事によって人事体制が刷新され、長年犯罪と向き合って得た経験や知識をまったく無視し、検挙率の低下よりも不祥事が起こらなければ良しとする極端な道警の人事にも批判を向けている。強盗捜査の専門が交通課に異動させられている現状で、地域治安と日常生活の保全を旨とする警察捜査など機能するわけがないということだろう。
「もし、正義のためには警官がひとりふたり死んでもかまわないってのが世間の常識なら、おれはそんな世間のために警官をやっている気はないね(中略)ひとの生命より大事な正義なんてないってことだ」。(「笑う警官」)
「おれたちがおれたちの手で落とし前をつける必要があるよな。この殺害犯を挙げようって意志は、おれたちは道警のほかのどの警官よりも強いよな。おれたちは骨の髄まで刑事だよな。ただの地方公務員とはちがうよな」。(「警察庁から来た男」)
そう、佐々木譲のいわんとしていることは小難しい思想信条ではなく、権力を戴く者はプロフェッショナルとしてのプライドと意地を持てということに過ぎない。単に組織のヒエラルキーを批判するだけの作家ならば、そもそも『警察庁から来た男』という作品は成立しない。プロとしてのプライドを持つ警察官であるならば、キャリアの監察官であっても英雄として描くことをまったく厭わないのだ。
そしてタイトルからも窺えるように『警察の紋章』ではそのことがより鮮明になる。ここでいう「紋章」とは単なるバッジや身分ではなく、警察官としてあるべきプロ意識、プライド、意地、頭脳、勇気、正義の総称なのだろう。今野敏が創造した竜崎伸也ならばここに「原理・原則」が加わるのかもしれないが。
洞爺湖サミットという北海道史に残る大イベントを背景に、過去の小樽港での自動車密売事件を検証捜査する佐伯、疾走した制服警官を追跡する津久井、サミット担当大臣のSPに任命された小島百合と、それぞれ別々の事案の物語が展開し、最後のクライマックスで一堂に介すというドラマツゥルギーが用意されている。
「紋章」を持つ者が、「紋章」捨てた者を追い詰めていくというのが最終決着。通奏低音としてシリーズの主要メンバーたちがそれぞれの立場で警察官としての「紋章」を確認していくという構図になっている。
シリーズを通して思ったのは、『笑う警官』での津久井の包囲網突破、『警察庁から来た男』での千歳空港での大捕り物と、佐々木譲は最後のクライマックスに至るサスペンスとアクションの描写が本当に上手い。そして本作ではサミット結団式会場とホテルのレストランという舞台での連続クライマックスが用意され、最後はハラハラ、ドキドキとハリウッド映画を観ているようだった。
ただ、三者三様の展開がやや散漫であったり、「正義」が一歩間違えば危険な要素になりかねないことへの言及が甘かったりと、要領が行き届いていなかったことは書き残しておきたい。
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