◎臨場

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◎臨 場
横山秀夫
光文社文庫


 去年の秋に読んでいたのだが、この感想文を書くためにパラパラとページを再確認するうち、あまりの面白さにまた読み始めてしまったので、改めて再読することにした。初読した秋にはストーリーを追いかけていた嫌いがあったものの、今度は横山秀夫のドラマチックな書き味を堪能したという感じだろうか。

 【辛辣な物言いで一匹狼を貫く組織の異物、倉石義男。その死体に食らいつくような貪欲かつ鋭利な「検視眼」ゆえに、彼には“ 終身検視官 ”なる異名が与えられていた。誰か一人が特別な発見を連発することなどありえない事件現場で、倉石の異質な「眼」が見抜くものとは・・・。】

 横山秀夫で初めて読む「名探偵もの」ということになる。今まで横山作品は現代社会の縮図をさらに濃縮したような警察内部の組織と個人の神経ギリギリの暗闘ばかりを読んできたのだが、実はいくつかの短編に意外な犯人やトリックという推理もののエスプリを効かせた作品があることにもっと注目すべきなのではなかろうか。
 『臨場』を二度読みしてつくづく思ったのは、おそらく横山秀夫は本格ミステリーに特化した作品も書ける作家なのだろうということだった。少なくともその方面の作品群もきちんと読み込んで来ているはずだ。
 そして本格ミステリーにもかなりの造詣を持ちつつも、本当のミステリーは犯人探しやトリックなどではなく、人の心の中にこそあるのだという結論に達したのではないか。と、私の持論をこの機会に横山秀夫の名を勝手に騙って披露してしまうのだが、どの作品も事件の真相を解きながらも、最後に残すものは人生から滲み出る余韻となる。
 『臨場』はそんな横山秀夫の懐の深さを披露しつつも、従来の短編で描いてきた人間心理の複雑さを描こうとする姿勢からまったくブレたものではない。それでもあえて「名探偵もの」と冒頭に記したのは、主人公の検視官・倉石義男の得意なキャラクター造形に依るところが大きい。
 倉石義男・警視。鑑識畑一筋でその眼力の鋭さは伝説化し、死体の目利きにかけても歴代検視官の中でも図抜けた存在だが、上司にへつらうことなく礼儀もわきまえない。曰く、「 (警察)組織の子宮を食い破って現れたような無頼」と紹介されるが、部下の信頼は厚く、彼を慕う刑事、鑑識課員、記者連中は後を絶たない。
 この『臨場』はテレビドラマ化もされて倉石義男を内田聖陽が演じているが、私のイメージでは何故かFOX-TV『Dr.HOUSE』のヒュー・ローリーになってしまう。
 要するにそこまでエキセントリックな個性が倉石にはあり、「作家は自身が想像した名探偵役は競って特異なキャラクターに仕立てる」いう推理作家たちの常道に横山秀夫も従っているのは確かなようだ。

 『臨場』は八つのエピソードからなる連作短編だ。ここまで横山秀夫を読んできて彼が稀代の短編の名手であることは、もはや疑う余地のないところだが、驚くべきは、彼の短編は長編でも可能なほどのポテンシャルに満ちており、そのポテンシャルを文庫本にして40ページ程度のボリュームの中に惜しげもなく注ぎ込んでいるということだ。
 それでいて主役の倉石義男は常に第三者の客観描写の中だけに存在している。要するに他人からの印象の中でしか倉石という人物は語られていないので、彼自身の心情は雲を掴むように朧げで、読者としては非常に心細くもある。もちろん、かのシャーロック・ホームズでさえワトソン君の印象の中だけで存在していたといってしまえばそれまでだが、この『臨場』の場合はワトソン役が部下であったり、上司であったり、夜回りの記者であったりと随時入れ替わり、一切、心情を吐露しない倉石義男を多角的に描くことで、倉石のキャラクターより際立っているのだと思う。

 そして何よりもいきなりドラマに切り込んでいく場合の手法はえげつないほど強烈だ。
 まず最初の『赤い名刺』という作品を例にとると、主人公は倉石の部下で将来を嘱望された若き検視官・一ノ瀬和之で、彼は倉石義男という上司の説明者の役割を担うのだが、これが単なる物語の記述者ではなく、倉石を尊敬しつつも何れは刑事部のトップから捜査の指揮棒を揮う野心を抱いている。要するに倉石の活躍を読者に説明するだけの役回りなど真っ平御免だという人物として登場する。
 そんな一ノ瀬の元に事件の一報があり、遺体の資料がFAXされる。驚くべきことにその遺体は何と一ノ瀬のかつての不倫相手の女だった。
 このいきなりの急展開には、ストレートパンチを入れられた気分だが、そこから一ノ瀬の葛藤がはじまる。女は自殺か他殺か?遺留品に自分と結びつくブツが発見された途端に警察官としての将来は終わる。現場に急行して証拠は回収しなければとならない。そして一ノ瀬にとっての恐怖は何よりもこの動揺を倉石に見透かされているのではないかという不安。いやはや心理サスペンスとして読ませるし、非常に面白い。
 痛快だったのは『鉢植えの女』か。倉石の “終身検視官” という評判を良しとしない刑事課長が、倉石の「見立て」の完璧さに驚愕する事件だ。最後の辞世の句に込められた被害者の思いも鮮やかに解いてみせるなど、なかなか謎解きものとしても一級品だったと思うのだが、横山秀夫の凄いところはこのメインの事件とは別の事件を用意して、見事に一ノ瀬和之の倉石学校卒業を描いてしまうことだった。
 とてもではないが40ページの短編での仕事ではない。とにかく濃縮度が半端ではない。

 そして何よりも横山ワールドともいえる一編が『餞』だろう。定年を迎える刑事部長の最後の一日をこれでもかという人情話で泣かせにかかってくる。『黒星』 『十七年蝉』も人生の機微をついてくる話だったが、私が一番好きだったのはこの『餞』だった。
 今まで、業界は横山秀夫を本格ミステリー作家として捉えられてこなかったのは、犯罪トリックのアイデアを人間ドラマが凌駕してしまう筆力ゆえのことなのではないだろうか。


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