◎翳りゆく夏
◎翳りゆく夏
赤井三尋
講談社文庫
【「誘拐犯の娘が新聞社の記者に内定」。週刊誌のスクープ記事をきっかけに、大手新聞社が、20年前の新生児誘拐事件の再調査を開始する。社命を受けた窓際社員の梶は、犯人の周辺、被害者、当時の担当刑事や病院関係者への取材を重ね、ついに「封印されていた真実」をつきとめる。】
帰宅の電車、昼休みのファミレス、寝に着くまでの寝床。とくにどこかに籠もったわけでもないが460ページを二日で一気読みしてしまった。
まず読みやすかった。テンポもよい。今、読んでいる伊坂幸太郎のように行間に漂う空気感を探る作業も要らないし、台詞の比喩を咀嚼する必要もない。登場人たちは物語の筋道から逸れたことは一切いわないので安心して読めるし、人物の心情もきちんと文章でフォローしてくれるので助かる。ストーリーも悪くなく、起伏に富んだ展開はスピーディで、それでいて軽くならずに一定の重量感は保っている。新聞記者の地道な取材から炙りだされる人間模様も過不足なく、誘拐事件に絡むアクションもサスペンスもふんだんに用意されている。
ところが面白かったのかというとどうだろう。これだけ集中して一気読みしたにもかかわらず、読後感の手応えが乏しい。こういうのは初めての体感だった。
この本は古書店で何冊かまとめ買いした内の一つで、箪笥の引き出しに仕舞っていたのを、伊坂幸太郎作品へのブリッジとして引っ張り出してきた。赤井三尋という名も知らぬ作家の、題名も頭に入っていなかった本を買った動機は、おそらく“第49回江戸川乱歩賞受賞作”の表紙コピーに惹かれたのだと思う(釣られたと書くべきか)。
では乱歩賞受賞作を過去何冊読んできたのかと、調べてみるとこれがまったくお寒い限りで、高橋克彦『写楽殺人事件』、藤原伊織『テロリストのパラソル』、高野和明『13階段』の三冊しかないことが判明。どうも私のアンテナに引っ掛からない賞だったようだ。
赤井三尋という人の略歴を見ると受賞当時はニッポン放送の職員だったが、現在はフジテレビの報道局に転属されているらしい。放送局勤務との二足の草鞋では執筆に費やす時間がないのだろうか、乱歩書作家としてはかなり寡作のようで、書店の棚にインデックスで区分けされるほどのバリューはないのか、とにかく私はこの本の冒頭を読んでも尚、赤井三尋という作家名がなかなか頭に入ってこなかった。しかし作者が報道マンであることを知って、いくつか腑に落ちた箇所もあった。
『翳りゆく夏』は被疑者死亡のまま時候が成立した誘拐事件を扱っている。事件を警察の捜査として描くのはなく、新聞記者の取材として描き、その取材活動もそうだが、脅迫状が深夜放送を準備中のニッポン放送に届けられるあたりの描写に妙な真実味があるとは感じていた。物語の中心となる窓際記者の梶や人事局長の武藤はいかにも創作された人物だったが、大新聞社の社長である杉野の描き方などは誰かモデルでもいたのか、なかなか面白いキャラクターとして描かれている。そういう嘘臭くない描写の積み重ねは私の好みとするところではある。
まず何よりも乱歩賞受賞作という以外の一切の予備知識もなく読み始めたものだから、ストーリーに乗りさえすれば、結構楽しめる読書になったのがよかった。結果的に読後感が乏しかったのは、意外な真犯人が暴かれる結末の割には、圧倒するような人間ドラマが希薄だったためだといえるだろう。良いところも悪いところもある小説だが、それらを混ぜてしまえば全編を通して何もかもが「そこそこ」であったような気がした。
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