◎絆回廊 新宿鮫Ⅹ

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◎絆回廊 新宿鮫Ⅹ
大沢在昌
光文社


 ふと本屋の新刊コーナーを覗いたら、「鮫」がいた。五年ぶり。
 『新宿鮫』の新作が発売されていたことを知らなかった。まだ有川浩を読んでいた途中だったので、購入はしたものの読み始めたのは、もう夏も終わりを告げようとしていたとき。
 しかし正味3日間でA六版ハードカバーを一気読みしてしまった。やはり「鮫」には思い入れがある。息もつかせぬ展開とクライマックスへと突入する怒涛のコンセントレーションは健在で、「鮫」を読んでいる充実感に十分に浸れたのが嬉しかった。

 【ヤクザすら関わることを避ける伝説的アウトローが「家族を引き裂いた警察官を殺す」という情念をたぎらせ、二十二年の長期刑から解き放たれ、新宿に帰ってきた。その大男が拳銃を求めているとの情報を得て捜査を開始する新宿署刑事・鮫島。しかし捜査の途中、悔やみきれない出来事が次々と起こる。そのとき鮫島は何を思い、どう立ち向かうのか?】

 『新宿鮫』が世に発表されたのが1990年というからもう21年前になる。警察小説というジャンルを確立したとして日本のハードボイルド史に確固たる地位を築いたシリーズではあるが、初期の頃には誇張されていたリアリズムを大沢在昌はすでに放棄してしまったようだ。
 防犯課から生活安全課、そして組織暴力対策部が新設されるなど警視庁の体制は変わっていき、鮫島もそのフォーマットの中で動いてはいるものの、前作の『狼花 新宿鮫Ⅸ』を読んだ五年前と違い、幸か不幸か私も警視庁のOBたちと職場を同じくしてしまうと、いろいろと警察組織の仕組みなどが耳に入るようになってきた。同僚の中には新宿署の生活安全部の捜査官だった人もいる。そうなると鮫島たちの世界観がやはりファンタジーであることが分かってしまう。
 鮫島が常に一匹狼の刑事として新宿署に留まっていることは警察庁公安部の秘密を握っている設定によって免罪されるとしても、上司の桃井や鑑識の藪がずっと新宿署に留まっているはずはない。その鮫島にしても銃器、薬物、暴力団、風俗、少年犯罪のことごとくに噛むことはありえず、まして中国人窃盗団の捜査となると完全に管轄外となる(さらに刑事部に所属していないので、捜査官であっても正確には“刑事”でもない)。
 もちろんそれはフィクションなのでとくに気にすることではないにしても、少なくともこのシリーズが警察内部をリアルに描ききったとの書評は見当違いだろう。
 そして何よりこのシリーズがファンタジーであると思うのは、鮫島はもちろん、恋人であるロックシンガーの晶、桃井、藪といったレギュラー陣が歳をとるのを止めてしまったことにある。
 新宿も21年経つと随分変わったことだろう。逆に新宿で変わらないものを見つける方が難しい。歌舞伎町入口のアーチ、紀伊国屋本店、三平ストア、末広亭、中村屋・・・他に思いつくのは桂花ラーメンくらいか。それほど変わった新宿でも鮫島は「今」を生きている。鮫島が登場した頃には携帯電話は普及していなかったし、犯罪者の個性や犯罪の手口も様変わりし、歌舞伎町に防犯カメラが張り巡らされ、新宿署も組織替えした。そういう流れを鮫島たちは自覚しながらも歳をとらない。
 これはこのシリーズを語るにあたり、かなり重要なことなのではないかと思うのだ。つまり時系列が無くなったことで大沢在昌は「鮫」の呪縛から逃れようとしたのではないかと。

 今回の鮫島の“捜査対象”は「警官を殺す」と言い残して消えた大男。ヤクの売人を張っていてもたらされた情報だ。事件以前の懸案事項が発端としてあり、鮫島が顔を突っ込んだことで、新宿のヤクザ、中国残留孤児2世の殺戮グループ、アジアの麻薬売春シンジケート、内閣調査機関をも巻き込んで展開が大きくうねり、それぞれのドラマがそれぞれの場所で潜行し、最後は一点に集結していく。
 そして、二つの“敵”から命を狙われる刑事たちと、絶体絶命の窮地に追い込まれる恋人たち。
 「まったく、新宿って街は妙なところだ。いろんなことがあって、ばらばらに飛び散ったもんが、いつのまにか集まってきちまうのだからな」作中の暴力団幹部のセリフが、この物語を象徴する。
 私は大沢在昌が「鮫」の呪縛から逃れようとしていると書いたが、別のいい方をすれば、今後もシリーズを量産する意志はなく、ある意味で畳みにかかっているのではないかとも思うのだ。
 さて、ここでネタバレに走るかどうか非常に迷うところではある。今まで読書感想文みないなものを書き続けながらも、ミステリーやハードボイルドに関しては極力ネタを割らないように努めてきた。
 こんな文章でも誰かが「読んでみようか」と思ってくれれば、こんなに嬉しいことはないと思うからなのだが、一方でしっかりとした書評を目指すならば物語の核心に踏み込むべきではないかとのジレンマもある。「以下はネタバレ注意」と記す手もあるのだろうが、これはあまりやりたくない。
 しかし『絆回廊 新宿鮫Ⅹ』の最大の見せどころは鮫島を支えてきた人たちの運命にあり、それは「シリーズ最大の分岐点」と銘打たれた前作の『狼花 新宿鮫Ⅸ』に於ける宿敵・ロベルト仙田と、ライバルの香田との決着とは比べものにならないほどの衝撃が待っているのだが、やはりこれ以上は踏み込まないでおくことにする。
 ひとつだけいえることは、もしこの十作目を最後に『新宿鮫』が終わったしても鮫島を取り巻く状況として、ほぼ完結してしまっているということ。孤高のヒーローは孤高に帰るという、少々せつない終わり方ではあるのだが。

 しかし、もしこのシリーズがこれで完結して、鮫島にまったく救済の余地がないのかといえばそれは違う。鮫島の警察官としての魂は終わることはなかった。
 「俺とお前は、コインの裏と表だ。絶対に相容れない。なのに縁を断つことができん」
 「あんたがいう通り、俺たちは、表と裏だ。だがどちらも警察官という職業を信じている」
 これは、かつてのライバルだった香田と鮫島との会話。私はかつて「鮫島には正義感はない、あるのは使命感だけだ」と書いたことがある。

 そして鮫島は自らを鼓舞する。「何があっても警察は辞めない。辞めてはいけないのだ」と。


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