◎生ける屍の死
◎生ける屍の死
山口雅也
創元推理文庫
ミステリーと一口にいっても、その定義については古くから議論百出であるらしい。それにしたって帯にわざわざ「本格ミステリー」と記された新刊本を散見するにつれ、わざわざ「本格」であることが惹句になっていることの不自然さを思う。これでは却って「本格」であることがまるで異色であるかのようではないか。
そもそもミステリーについてはいい加減な読者であり続けている私でさえも、書評などで「本格」であることがお題目のように繰り返されると、所得番付上位者の大半がミステリー作家であるほどのマスな大ジャンルの核心に、日々戯言が繰り返されているミニマムなコミュニティがあるのではないかと感じることがある。
そうはいいながらもミステリーというジャンルの解釈が異常に膨張しているとも思ってしまうのは「ミステリー=謎解き」というクラシカルな図式に私自身が囚われてしまっているからかもしれない。
我々世代でまずミステリーの分類についてのファーストインパクトは創元推理文庫の背表紙に印されたイラストではなかったかと思う。着帽した白抜きの横顔に?マークが本格もの。猫マークがスリラー、サスペンス。拳銃マークがハードボイルドや警察小説。時計マークは法廷もので、帆船マークはアドベンチャーだったかと記憶している。
そもそも児童書以外に翻訳ミステリーを手にするには創元推理文庫かハヤカワ文庫しかなかったわけで、まず町の本屋で圧倒的シェアを誇っていた創元推理文庫の日本ミステリー界おける歴史的役割は大袈裟ではなく偉業だったと思っている。
その創元推理文庫が装丁を変えてジャンルマークを無くしてしまったことは、混迷したまま多様化の一途を辿っるミステリー業界のある種の象徴なのかもしれない。
そこで話はやっと山口雅也の『生ける屍の死』に話は辿りつくのだが、この作品は宝島社『このミステリーがすごい!』、原書房『本格ミステリ・ベストテン』で創刊十年間でのベストワンという破格の評価を受けた作品であり、私が何十年ぶりかで購買した創元推理文庫でもある。法月綸太郎の解説まで入れると700ページ近いボリュームで文庫本一冊に初めて千円札におつりが貰えないという買物になった。
【ニューイングランドの片田舎で死者が相次いで甦った。この怪現象の中、霊園経営者一族の上に殺人者の魔手が伸びる。自らも死者となったことを隠しつつ事件を追うパンク探偵グリンは、肉体が崩壊するまでに真相を手に入れることができるのか。】
『生ける屍の死』は存在自体が議論のテーマになりうる作品で、すでに多くの著名人から無名のブログに至るまで語り尽くされた感もあるのだが、ここで飛び交っているキーワードがやたらと「本格」であるのが大いに気になった。
やや乱暴ではあるが、それらの論評の最大公約数としては「死者が蘇るという一見アバンギャルドな作品世界を設定しつつ、山口雅也は本格ものの不滅と可能性を謳いあげた」という意見なのだろう。
山口雅也自身が「死者の蘇り」というミステリーとして甚だ出鱈目な状況を用いながらも真の本格ミステリーを志向したのだとしても、どうしても「これは立派な本格なのだから出鱈目ではない」という論評になるのか首傾げざる得ない。むしろそういう言い回しは本書をいたずらに矮小化してしまっているのではないかとすら思える。
『生ける屍の死』は非常に優れた作品である。これは自信をもっていえる。おそらく一生忘れられない作品になるに違いない。
しかしそれは「本格」であったからではない。私はむしろミステリーという枠に押し込めず文学としてこれを読んだ。
この小説は全編に渡ってめまぐるしいほど「死」について考察された作品であり、その狂しいまでの徹底ぶりと、死にまつわる言葉の氾濫に眩暈を覚えながらも、危うくドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を四苦八苦して読み終えたときの充実感を思い出したほどだった。
それでいて所詮は死者が蘇り、事件を追うパンク探偵グリンも死者となり、被害者も容疑者も死んでは蘇るというナンセンスな展開はシュールでブラックな喜劇と読めなくもないはずで、ユーモアのセンスも立派に確立しているからこそ、山口雅也を天賦の才を備えた小説家だと認めざるえないのだと思う。
奇怪な事件に胃を痛めつけられるトレイシー警部がもっぱらコメディリリーフを引き受けているが、そもそも人間が殺しても蘇る世界の中で殺人に何の意味があるのかという状況を作り出したことこそが上質な喜劇として評価されるべきなのだろう。
容疑者がトリックを仕掛けた段階では生きていたのか死者だったのかというのが事件解決へのキーとなる馬鹿馬鹿しさ。死者が密室やアリバイを作って完全犯罪を工作し、死を隠蔽して生者であることに腐心する切なさ。一体どうすればこんな世界観が創造しえるのか不思議に思う。
ふと思うのだが、一体、装丁を変える以前の創元推理文庫なら本書の背表紙に何のマークを印すのだろうか。
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