◎深追い

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◎深追い 
横山秀夫
新潮文庫


 文庫を通販で10冊をまとめ買いし、結果的に一年間ほど寝かせてしまっていた横山秀夫にようやく辿り着いた。本当は佐々木譲が終わったら次は横山秀夫だと決めていたのだが、いろいろあってここまで来てしまった。
 もちろん、こんなページなどやっていなかったらとっくのとうに読み終わっていたのだろうが。

 【不慮の死を遂げた夫のポケットベルへ、ひたすらメッセージを送信し続ける女。交通課事故係の秋葉は妖しい匂いに惑い、職務を逸脱してゆく。鑑識係、泥棒刑事、少年係、会計課長…。三ツ鐘署に勤務する七人の男たちが遭遇した、人生でたった一度の事件。その日、彼らの眼に映る風景は確かに色を変えた。】

 横山秀夫の小説を初めて読んだわけではない。2002年に国内のミステリーベストワンを総ナメした『半落ち』を単行本で読んで、そのときに横山秀夫の名前は知った。『半落ち』はベストセラーとなり映画化もされた。もう十年近く前の話になる。
 その後、横山秀夫はベストテンの常連となり、佐々木譲や今野敏の読者レビューを見ても常に警察小説では第一人者として横山の名前は挙がり、中には横山秀夫こそこのジャンルの最高峰に位置する作家だと書かれたものもあった。
 ところが[読書道]を始めて数年が経つ中でここまで横山秀夫への再会が遅くなってしまったのは、ひとえに評判に押されて読んだ『半落ち』の読後感があまり芳しくなかったことによる。
 内容は確か、ベテラン警察官が妻殺しを自首してきて、殺害状況や動機は素直に供述するのだが、自首するまでの2日間の行動については口をつぐんで語ろうとしない。この謎の2日間をめぐってストーリーは展開していくというものだったが、結果的にその空白の2日間に何があったのかという興味がスカされたと感じてしまったのは、そこにミステリー的なトリッキーな仕掛けを期待してしまったからだった。
 実はこの連作短編の『深追い』を読了した時点でも今ひとつ琴線に触れるものがなかった。少なくとも文庫本の裏表紙に記載されていた「骨太な人間ドラマと美しい謎が胸を揺さぶる、不朽の警察小説集―。」という印象には遠いもののように思えた。
 さて困った。これだけ通販でオトナ買いしてしまったぞ。もしかしたら横山秀夫とは私は志水辰夫のように手が合わないのかもしれないぞと。

 そして『深追い』を読了してから3か月。今、3か月以上が経過してこの文章を書いている現在、私はすでに五冊の横山秀夫の短編を読み進めている。
 中にはひと晩で読み終えた作品もあった。いやはや面白い。連作短編という形でこういう警察小説もあるのかと思った。そしてこれを書くために改めてこの『深追い』をざっと読み直してみると困ったことにこれが面白い。
 早い話がここに至ってようやく横山秀夫の面白さというか、読み方のツボがわかってきたのだろうと思う。初読の際にはその辺りがまだ掴めなかった。おそらく『半落ち』を今読み返したら面白く読めるのだろう。
 私の中で警察小説への先入観みたいなものがあって、初読のときはそれが邪魔したのだということもあるし、短編が苦手だということもあった。短編では人物描写がそれまでの人生のバックボーンがなくいきなり記号のように現れるような気がするからだ。
 しかし横山秀夫の短編に出てくる人物は記号として割り振られたことで、事件に突然と対峙されられるインパクトが増すような気がする。

 「五階建て庁舎のすぐ裏に署長と次長の官舎を建て、そのまた裏手に署長用の家族官舎と独身寮を併設した。(中略)職住一体の息苦しさはいかんともしがたい。下級職員の間では「三ツ鐘村」と揶揄され、できれば赴任したくない所轄の一つに数えられる」とあるように『深追い』は三ツ鐘署という架空の地方警察署を舞台に起こる。
 職住接近は通勤が楽だという以外にまったくメリットが思いつかない。まして職員の上から下までが職住一体となると確かにたまったものではないだろう。当然のことながら上司や同僚からもプライベートを監視される形となり、そのストレスが表題作の『深追い』のバックボーンになっている。
 主人公は交通課の巡査部長で、交通事故死した遺族の未亡人がかつての恋仲だったことで、次第に捜査を踏み越えて未亡人に惹かれていく。そしてそのことがやがて署内に知られることとなる。この辺りの描写の息詰まり感は明らかに佐々木譲や今野敏には見られなかった部分だ。
 そのことは『仕返し』で、自分の息子が部下の息子を手下扱いにして、いじめの首謀者になっていたことを知り愕然とする次長の姿でさらに強調される。大人社会の階級がそのまま子供たちの人間関係に反映してしまうというというのも、警察という厳然たる階級社会ならばありうることかもしれない。自分の父親がいつもペコペコと頭を下げている姿を子供たちは観察している。
 頭を下げる相手の子供もまたヒエラルギーの渦中に投げ込まれるのだろう。なかなか残酷な世界だ。

 その他の短編の全部が面白かったわけではないが、横山秀一が “警察小説の第一人者” と称されるのは、名物刑事が八面六臂の大活躍で事件を解決に導く姿をあえて描いていないからだというパラドクスに近い世界観があるからなのかもしれない。

 どれも陰鬱な話になっているが、それでも僅かながらに差す光明に気づく主人公たちの姿に救われる思いだ。


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