◎寝台特急「はやぶさ」
◎寝台特急「はやぶさ」1/60秒の壁
島田荘司
光文社文庫
久々に島田荘司を読む。気に入った作家がいれば飽きるまでその著作だけを読み続け、しばらくは読書と無縁になることを繰り返していた頃ならば、『占星術殺人事件』を読み終えた時点で、夢中で島田荘司を追いかけていたに違いない。
なにしろ、この【読書道】をはじめる以前まで、完読出来るものかどうかが作家に対する信頼の基準だった。
いや、今でも最初のページを開いたときに「果たして最後まで読みきれるだろうか」との疑念は常にある。「私は読書を趣味としています」とはいえるようになったものの、とてもではないが「読書レヴューをやっています」とは恥ずかしくていえたものではない。 なにしろ完読出来た段階でひとつの達成感があるものだから、ここで取り上げた本について酷評したことは一度もないはずだ。そもそも酷評に傾くような読書ならば、完読する以前にその著作を投げ出してしまうだろう。そこが、どんなにつまらなくても2時間我慢していれば済む映画鑑賞との違いだ。逆に完読しつつも酷評が書ける人の忍耐力は尊敬に値するのではないか。…皮肉でもなんでもなく。
この【読書道】は「読書感想文」くらいにはなっていると思うが「書評」ではない。「書評」ではないので点数もつけていない。むしろ、日々の生活の中で本を読むことで私が費やしている時間の記録であるのだから日記か雑記の類だといってもいい。もちろん、このページに迷いこまれた方が、「そこまでいうのなら読んでみようか」と思ってくれるとしたら無上の喜びではあるのだが、決してそれを目指しているわけではない。
【豪華マンションの浴室で顔の皮をはがされた若い女の惨殺死体が発見される。だが、割り出された死亡推定時刻に彼女は、「寝台特急はやぶさ」に乗って九州に向かっていた。不可能を可能にしたトリックとは何か?時間の壁と“完全犯罪”に挑む捜査一課の吉敷竹史の前に、第二、第三の殺人が…。】
さて【読書道】は、このHPの開設より先行してはじめていたので、歯抜けの月もありつつ三年が経とうとしている。本そのものをまったく読まなかった時期が長かったので、最初はとっかかりやすさと面白さから内田康夫を読み漁り、既読の大沢在昌『新宿鮫』シリーズを再読するなどしてリハビリ読書に励んでいたの中で、島田荘司『占星術殺人事件』に行き着いたときの衝撃はまさに鮮烈だった。
その時は「トリックのネタは奇想天外なものではなく、読後に振り返ってみれば確かに見破ることも可能だったような気にさせて、むしろ好感が持てたくらいだった。」などと偉そうに感想文を締めているが、それは完読後に島田荘司に納得させられた流れゆえの筆の滑りだったと今にして思う。あれは間違いなく奇想天外な大ネタを駆使した未曾有のミステリーだった。以前に読んだ本が自分の中で昇華していくことはたまにあるが、『占星術殺人事件』もその典型だろう。だから島田荘司については読書が止まっていたことが気になっていて、ずっと再会の機会を窺っていた。
『寝台特急「はやぶさ」1/60秒の壁』というタイトルでも察せられるように、本作はトラベルミステリーというジャンルになる。『占星術〜』を読み、それに強く影響されたという綾辻行人の『十角館の殺人』などを読んだ流れからすると、大時代的な本格探偵小説とは違う筆致の島田荘司を楽しむことが出来たということだろうか。
ただ文庫本巻末の綾辻の解説によると、本格マニアの間で熱狂的に歓迎されていた島田荘司が、当時の流行に乗ってトラベルミステリーを手懸けるということを危惧する声も少なくなかったという。曰く「トラベルミステリーという現代的な、流行のジャンルに分け入ることで、島田作品の強烈な個性・独自性が薄まってしまうのではないか、といった老婆心もありました。」ということ。
まあ私のような程度の低いミステリー好きにいわせれば、絶海の孤島に建てられた屋敷での不可能殺人も、東京発九州行きのブルートレインでの殺人もそれほどの違いは感じられないのだが、綾辻は西村京太郎あたりが濫作して、テレビのサスペンス劇場の定番で大儲けしていることを暗に揶揄しているのかもしれない。いや「その辺に転がっている安易に流行に乗じた薄味のトラベル・えせ・ミステリーとはミステリーとしての“格”が違う。従来のトラベルミステリーに飽き足らぬものを感じていた読者が、大挙して島田荘司ファンとなっていったのも当然のことと頷けます」とまで書いているのだから、暗に揶揄しているのではなく、正面から批判しているということか。
実際、私も一冊だけ西村京太郎の新書ノベルズを読んでみたことがあったのだが、たまたま濫作中のとびきり程度の低い作品に当たってしまったのか、内容のあまりの薄っぺらさに驚いたことがある。しかし現実、このジャンルは松本清張が『点と線』でやったことの亜流が延々と繰り返されているイメージがあり、当時は清張的世界のアンチテーゼとして島田や綾辻が出て来た経緯を思うと、綾辻が島田のトラベル・ミステリー執筆に危惧を抱いたのは当然だということだろう。
確かにたまたま読んだ西村京太郎(タイトルすら憶えていない)とは“格”が違うのは明白だった。例によってミステリーの感想について、細部にまで踏み込むわけにはいかないのがつらいところなのだが、展開が読めそうで読めず、何とか必死に着いていこうと頑張りつつも、最後は周回遅れまで引き離されてしまったという感じだろうか。
しかし凡百のトラベルミステリーと一線を画していたにしても『寝台特急「はやぶさ」1/60秒の壁』はタイトル通りのトラベルミステリーとして正しく進行していく。捜査にあたった刑事がアリバイを崩すため、時刻表と睨めっこしながら列車に乗り込むというルーティンが踏襲されるのも、『点と線』からの古典を大きく逸脱するものではなかったし、被害者の生い立ちを辿るため、越後から北海道へと北上して行く捜査には旅情を感じさせもした(私が出生した新潟県村上市の病院が実名で出てきたことには驚いた)。ただし第五章が終了するまでは…という注釈が入る。そこに至るまではルーティンと見せかけておいて、まるで違う話を展開させてしまうのではないかという期待(不安?)も抱いてはいたのだ。事件は解決して大団円と見せかけておいての最後の第六章。ここで多くの島田マニアたちは溜飲を下げたのではないだろうか。
探偵役は吉敷竹史という捜査一課の刑事。一連のトラベルミステリーはシリーズ化され、以降はこの吉敷刑事が主役として活躍していくとのこと。今後は『占星術〜』でデビューした名探偵・御手洗潔ものと並行して読んでいくことになるかもしれない。
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