◎四日間の奇蹟

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◎四日間の奇蹟
朝倉卓弥
宝島社文庫


 予備知識は「第一回このミステリーがすごい!大賞」を受賞した小説だということだけ。一体どんな話なのかも知らないまま、スネークプレビューに臨む気分で読み進めて行った。
 そしてそれが、この本との出会い方として最高のスタイルだったことを何かに感謝したい気分であり、「このミス」の第一回の大賞を獲り、映画化もされ、百万部を超えるベストセラーにもなった話題作であるにも関わらず、たった一行のあらすじも私の知識に入っていなかったという“奇蹟”にも感謝したい。
 もし、どなたかがこの拙文を読むことになり、尚且つ『四日間の奇蹟』の内容を知らないまま、読もうかどうか逡巡されているとしたら、以下の駄文には目を通さないで戴きたい。出来れば私と同じ状況で本書に綴られる奇蹟の物語を体験してほしい。

【留学先のウィーンで突如襲いかかった凶弾。脳に障害を負った少女とピアニストの道を閉ざされた青年が山奥の診療所で遭遇する奇蹟。ひとつの不思議なできごとが人々のもうひとつの顔を浮かび上がらす…。】

 作品のトーンは山奥の病棟に隣接する礼拝堂の佇まいに象徴されるように、夕日を浴びる人々の群れが千織の奏でるピアノの旋律に溶けこんで「静謐」という言葉が相応しい。何の予備知識もなく、強いていえば「このミス大賞」なのだから少なくとも純文学ではないなという程度の読み手には、この静謐さには先行きがまったくわからない戸惑いがあり、その戸惑いを呑みこみながらページをめくっていく過程がなんとも愉しい。
 事件が起こるまで文庫本で二百ページを消化し、奇蹟の正体が明かされるまでさらに四十ページを進ませながら、そこに至るまでの文字数を主人公の過去と知的障害児、千織の仕草、脳外科の話を織り交ぜて、飽きさせることなく読ませてしまう朝倉卓弥の筆力もさることながら、しつこいようだが真っ白な状態で物語と対峙出来たことの幸運が大きかった。もし仮に東野圭吾の『秘密』と同じ状況がこの後に展開すると知っていたとすれば、随分と違う読書になっていたに違いない。
 ただ「このミス大賞」を獲ったといってもミステリーらしい部分は皆無であることも含め、おそらくこの小説は読者の中でも賛否は分かれるではないかとは思う。ある種、ギリギリの部分で読者個々の生理に委ねられている部分も感じられなくもない。
 単純に内容をまとめてしまうと、指を失ったピアニストが最後に手袋を捨てるまでの四日間の物語ということなるのだが、主体はあくまでも挫折したピアニスト、如月敬輔であり、それは“奇蹟”の当事者となる千織や真理子ではなく、彼が「僕」として一人称で語っていく描写を追体験していくことが『四日間の奇蹟』を感動作にしたものだと思っている。
 もちろん人によって感じ方は様々であっていい。真理子に降りかかった悲劇に同情し、慟哭に耳を傾けて彼女の短い一生に思い入れながら読む人は多いだろうし、それも正解だろう。それほどスリッパをパタパタさせて物語に登場した岩村真理子という女性は魅力的な光を放っているのだが、私としては敬輔というフィルターを通して真理子を見ることで、初めて綴られる運命と再生を素直に享受できる気がしてならないのだ。


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