◎勝利への道

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◎勝利への道
星野仙一
文春文庫


 【中日ドラゴンズを二度のリーグ優勝に導いた闘将が阪神タイガースの再生に着手、さらなる頂上である「日本一」を目指す。緻密な戦略の下、チーム戦略はどうあるべきか?21世紀の野球のスタイルがここにある】

 大の巨人ファンである職場の先輩からもらった。おそらく多くの年配巨人ファン(とくに長島ファン)から疎ましく思われているだろう星野仙一の著作を、先輩が読んでいたのは意外だったが、大の阪神ファンである私が喜ぶだろうという後輩への気遣いで、そっと古書店で買ってくれていたのだと思う。因みにこの先輩はずっと昔は栃木県の高校球児で故・島野育夫氏と甲子園出場を争った仲だということ。
 さて、それはそれとしても戴いた本なので丁重に読了したものの、私はこの類の本は滅多に読むことはない。まず本質的に私の読書は「物語本」に偏っていたいというのがある。どれほど優れた評論よりも創作することの方がずっと素晴らしいのではないかという勝手な思い込みがあるからだ。
 書き手の思想信条をストレートに読まされても、それそのものに肯定と否定の判断があるに過ぎず、チャールズ・チャップリンの反戦を訴えるスピーチを聞くのならば、『独裁者』を観た方がずっと心に響くのと同じように、創作(物語)に乗せられたものから、作家の思想信条を読み取ることの方に読書の醍醐味があるのだと思っている。
 しかも、スポーツや芸能の関連で、プロの書き手ではない著作本は果たして本人が書いたのかどうか疑わしいものが殆どで、口述筆記による書き起こしや、ゴーストライターの草稿に本人が承諾しただけの本ならば、それがまともな読書であるといえるのかどうか。当然、読書とは大原則として著者と読者の対話が成立しなければならない。
 ましてこの本は星野仙一が監督論について語っている。そうなるとそっち方面にも興味があるものだから読書感想文というよりも野球論の色合いになってしまい、「読書道」だか何だかさっぱりわからなくなってしまう。

 それでもこの本は面白かった。一気に読んでしまった。とにかく2003年に18年ぶりの優勝を成し遂げたとき、我々阪神ファンの多くは星野仙一の一挙手一投足を見つめ続けたのだから、星野仙一の就任当時を思い出してこの本が面白く読めたのは当たり前のことだった。
 本書は2000年3月に刊行されたものを文庫化にあたって加筆、改訂をしたもので、表紙こそ縦じま姿の星野仙一であっても、内容の大半は中日ドラゴンズの監督時代のことになっており、<私の監督論><師との出会い><私の組織論><私の教育論><妻と私><二十一世紀の球界のために>の七編のテーマに分類されている。
 「選手の上に君臨するカリスマ性、ある種の超能力を標榜する監督の時代は過ぎ去った、と私は考えている(中略)堅苦しい権威主義や形式主義は、コーチ、選手と一体となり“共感的理解”を得ながら野球をやっていきたい私には全く無用のものである」と語る星野仙一。しかし15年間で最下位10回という強烈なダメチームを再建させるため就任した男に、トラキチたちはカリスマでも権威主義でも独裁でもいいから稀有なリーダーシップを求めていた。星野仙一が選手を褒めると我がことのように嬉しかったという、今思えば、少々異常だった当時の空気を思い出して懐かしくもあった。
 他には恋愛トラブルに巻き込まれた選手の代わりにやくざの親分と直談判したことなども語られているが、個人的に面白かったのが島岡吉郎・明治大学野球部監督の話だった。高校の卒業式の体育館で故・島岡氏の講演を聞いた経験があるだけに、明治の主将は便所掃除をするのが伝統というエピソードには笑ってしまった。
 どれも野球の話で、星野仙一の話なのだから読んでいて興味はつきない。これを読むと北京五輪で岩瀬仁紀にこだわって惨敗したことについても、星野仙一らしいと納得することもあった。

 ただし、『勝利への道』という著作物が優れていたかどうかはわからない。私は本読みの目ではなく単なる野球ファンの目になっていた。
 本当は本書を「読書道」のページではなくブログの方で取り上げるべきではないかとも迷い、そのため読了後にしばらく感想文に取りかかれなかった理由になったのだが、しかし上に記した、創作であることが素晴らしいのだという持論を確認するよい機会でもあったので、本書を加えることにした次第。


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