◎八号古墳に消えて
◎八号古墳に消えて
黒川博行
創元推理文庫
【大阪の遺跡発掘現場で、崩れ落ちた土砂の下から大学教授の死体が発見された。事故かと思われたが、死体の気管と食道から採取された泥は現場のものではなかった。警察の捜査が始まると間もなく、別の遺跡発掘現場で謎の墜死事件が…。】
黒川博行のストーキングを継続中。大阪府警捜査一課シリーズの第3弾となるのだが、ここに至って悔しく思い始めたことがある。 黒川作品最大の魅力である大阪弁での会話のテンポについては十二分に楽しんでいるつもりだし、そのニュアンスを面白がれることに関しては、むしろ標準語圏にいるからこそ一層味わい深く読めるのではないかとさえ思えているのだが、なにしろ府警本庁ともなれば捜査範囲は所轄署を越えて関西中を駆け回ることになり、それらに土地勘がないのが何とももどかしくて仕方がない。
黒川は例えば「A社とかB建設とかいう表現は小説を放棄しているとしか思えんのでね」とインタビューで答えているくらいなのだから、作中に登場する地名はことごとく実在しているに違いない。
八尾、箕面、吹田、富田林、四条畷…いずれも聞いたことのある地名だが、その位置や土地柄がまるでわからない。試しに作中に出てくる“豊中市北緑ヶ丘・国道171号線・牧落交差点”を調べてみたら当たり前のように実在していた。
もちろん土地不案内であることで面白さが削がれるのであれば海外文学など読めはしないということだろうが、例えば『新宿鮫』だと職安通、百人町、小滝橋通などの舞台を把握していることで面白く読んでいたのかも知れないし、先月読んだ『世界の終わり、あるいは始まり』など西武線沿線の新興住宅地の雰囲気を知っているからこそ、事件の衝撃性がよりリアルに伝わったという気もするのだ。その意味で大阪に土着しているような黒川作品だけに土地鑑がないことが悔しくてたまらないのだが、こんなことを思わすこと自体が黒川ワールドの面白さでもあるのだろう。
本格ミステリーということで内容に踏み込みきれない恨みから、またしても余談めいた話でスペースを割いてしまった。
本作品は『八号古墳に消えて』という題名どおり、遺跡発掘にまつわる連続殺人事件の捜査に乗り出した黒マメコンビが、例によって丁々発止の掛け合いをしながらも、やがて考古学会に巣食う闇にたどり着いていくという内容。
死体が発見されるたびに捜査本部(帳場)は他殺、自殺、事故の判断で揺れ動くのだが、それはひとつひとつに黒川は「謎とトリック」という仕事をしっかりと施しているということであり、この誠実さははっきりいって凄いと思った。
もちろん事件の背景となる学会の伏魔殿を白日の下に晒す取材力が、トリッキーな黒マメの言動で物語がユーモアミステリーに撹乱されずに本格推理ものとして確立している所以となっていることも忘れてはならない。
デビュー作『二度のお別れ』での誘拐の脅迫状が、後になって「グリコ森永事件」で使われた脅迫状に酷似していたことから、府警の訪問を受けたという逸話にあるように、黒川博行の先見性を指摘する声は多いようだ。まあその真相はわからないが、少なくとも『雨に殺せば』での銀行の不正融資の実態などは、後年に相次いだ銀行汚職を予見することとなったのは事実で、『八号古墳に消えて』で描かれた考古学会の闇なども、なるほど数年後に世間を騒がせた遺跡捏造事件に直結しているような印象ではある。
しかしこれは黒川の先見性というよりも、やはり綿密で誠実な取材が生み出した必然であるような気がする。実はこの文を書いている段階で既に『海の稜線』を読破しており、海難事故に絡む保険金詐欺の実態を面白く読ませてもらったのだが、取材によって得た事柄のひとつひとつを巧みに料理して物語を生み出していく能力には感嘆するしかない。
文庫本の巻末にある黒川自身の「あとがき」によると当時は古代史ブームで、毎日のように遺跡発掘のニュースが流れていたのだという。作中でもカルチャーセンターの市民による遺跡見学会の様子などが描かれているのだが、おそらく当時のバブル景気による開発ブームで、土地の掘り起こしから生じて遺跡調査も頻発していたのだろう。発掘調査にかかる費用は一平米あたり十万から五万となり、二万五千平方メートルでの発掘調査では何と総額十五億円にもなるのだというから、単体の遺跡でそれだけの金が動けば、当然利権を生むことになるだろうし、さらに工事を優先したいゼネコン業者の思惑が絡むとなれば、なるほどここから掘り出されるものは土器ばかりではないのも肯けるというものだ。
私自身は古代史や考古学に興味をそそられることはなく、有名な仁徳天皇陵が今の歴史教科書では違う名前で呼ばれていることを知って驚く程度なのだが、関西上空を飛ぶ飛行機の窓から前方後円墳を見かけることもあり、その意味では“関西アンダーグラウンドの名手”が古遺跡発掘に犯罪小説のネタを嗅ぎつけることも必然ということなのだろう。
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