◎二流小説家
◎二流小説家
デイヴィッド・ゴードン(THE SERIALIST)
青木千鶴・訳
ハヤカワ・ポケット・ミステリ
昨年のミステリーベストベストテン海外部門で3冠達成という評判に、久々に翻訳ものを新刊で買ってしまった。新書サイズといっても税込1950円。安月給にはそこそこの出費だぜ・・・などとセコい話は抜きに、とっとと感想を書いてしまおうか。
【ハリーは冴えない中年作家。ミステリ、SF、ヴァンパイア小説の執筆で何とか食いつないできたが、ガールフレンドには愛想を尽かされ、家庭教師の生徒である女子高生にも小馬鹿にされる始末。だがそんなハリーに、かつてニューヨークを震撼させた連続殺人鬼より告白本の執筆を依頼が舞い込んできた…。】
完読にはほぼ2週間を費やした。上下二段450ページに対してこの読書時間が長いのか短いのかはわからない。ひとつだけいえるのは、私がハヤカワ・ポケット・ミステリを完読出来た最初の作品だということだった。
と、やや翻訳調に書き出してみたものの、中学生の時に本屋の隅の決して日の当たらないコーナーに陳列してあったハヤカワ・ポケット・ミステリのバックナンバーを眺めながら、まだまだ中坊では手に負えない雰囲気にたじろぎながら、この小口が黄色く塗られた本をいつか夢中で読める大人になることを楽しみにしていた。いやはや完読出来たのがまさか五十路を越えたオジサンになってからだとは思わなかった。
デイヴィッド・ゴードン『二流小説家』にはNO.1845とバックナンバーが振られている。もちろん私が常にハヤカワ・ポケット・ミステリを意識してここまで生きてきたわけでも、手にとっては挫折と挑戦を繰り返してきたわけでもない。それでもやはり最後の訳者あとがきを読み終えて、本を置いたときにはそれなりの感慨はあった。
さて、『二流小説家』という作品だが、私の印象はやや茫洋とした感じで、とてもAmazonのレビュー欄に投稿している読者たちのように手放しにわくわくドキドキしながらの読書とはいかなかった。2週間の読書とは丁度そんな按配を示すものだろう。
作家のデイヴィッド・ゴードンはこれが実質の処女作だという。処女作といっても主人公のハリー・ブロック同様に、ゴーストライターまがいに何らかの文筆活動には噛んでいたのだと思う。それでも、人生初ともいえる本格的な著作にハイテンションになっている風が随所に窺える。
連続殺人鬼のダリアン・クレイが告白本の出版をハリーに許可する見返りに、刑務所に届いた扇情的なファンレターの送り主の女たちを取材し、自分が読むためのポルノ小説を書けと条件が出されるまで、本筋は殆ど堂々めぐりをしつつ、ハリーの周辺の人間関係だけが膨らんでいく。
家庭教師の生徒でマネージャーを務める女子高生・クレア、被害者の双子の妹・ダニエラ、ダリアンの顧問弁護士の助手・テレサ・・・。かつての恋人だったジェインに逃げられてから、まったく女っ気がなかったハリーの前に集まってくる女たち。そしてその女たちが次第に個性を発揮しはじめ、それぞれのキャラクターは愛らしくてよく描けているのだが、“事件”は一向に進展しない。
ではその間、作家がどうやってページを埋めているのかというと、全編に散りばめられた文学論から作家論。エンターティメントへの薀蓄話。さらに時たまハリー・ブロックが別のペンネームで書き下している探偵小説、SF小説、ヴァンパイア小説などのジャンル小説のくだりが挿入されるのだ。
これはこれで私小説風の面白さはあるのだが、翻訳独特の言い回しに慣れていなかったこともあり、ページをめくるのがかなり鈍くなっていたのも正直なところで、死刑囚の告白がメインストーリーとなるのかと思いきや、どうやらそうではないことを知る中盤までは我慢の読書だった。
中盤に来て『二流小説家』は怒涛の転換を迎える。それもかなり強烈にグロテスクな描写が連続してかなり衝撃的だった。しかも危機はハリー自身にも及ぶに至ってページをめくる手にスピード感が出て来た。
何せ新人作家ゆえにプロットやトリックを構築する時間は無限に近いくらいにあったのはずで、これはこれまでの青臭い文学論、作家論やジャンル小説のさわりを抜粋していたのも、一種のメタミステリーになっているのではないか、あるいは本筋と関係のないそれらの文章に、真犯人のヒントが巧みに隠されているのではないかと読んでいる内に色めき立つものがあった。
ハリーが第一容疑者としてFBIからマークされ始め、本当の意味で事件の主役に躍り出たあたりから舞台であるニューヨークの情景や佇まいが鮮明となっていくのがいい。
主人公が非日常的な現実に直面したことで、日常の風景のひとつひとつが鮮明になって立ち上ってくるように身を刺すというのはあるのかもしれない。
しかし、結果的には突然の転換によるインパクトを終章で鮮やかにたたんでいくというほどのことでもなかった。これはもしかすると新年早々からどえらい傑作にぶち当たったのではないかという予感はどうやら外れたようだ。
もともと「意外な犯人」には意外のまま驚きたいという読書スタイルで、作家からの挑戦は避けて来たので、真犯人?の登場に、真っ当なミステリーだったことに「へぇ~」という感想しか出て来なかった。
結局、ハヤカワ・ポケット・ミステリに筆を下したぞという感慨以上のものではなかったということだろうか。
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