◎ラッシュライフ

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◎ラッシュライフ
伊坂幸太郎
新潮文庫


 【泥棒を生業とする男は新たなカモを物色する。父に自殺された青年は神に憧れる。女性カウンセラーは不倫相手との再婚を企む。職を失い家族に見捨てられた男は野良犬を拾う。幕間には歩くバラバラ死体登場――。並走する四つの物語、交錯する十以上の人生、その果てに待つ意外な未来。】

 一冊置きに伊坂幸太郎を読むというのを続行中だが、こういう決め事の読書をしている中で、伊坂幸太郎という作家の持ち味に対して、読者である私の生理がまだまだ合致していないことを感じている。この不一致が最低十冊は読むと決めてしまい、既に何冊かを注文して私にとって、ひとつの枷になるのではないかという予感さえしているのだ。
 『陽気なギャングが地球を回す』は初読ということもあって、かなり新鮮な気持ちで読めたのだが、『グラスホッパー』から『ラッシュライフ』と続くと、この作家が天才的な語彙の持ち主であることはわかっても、それを100%面白がっていない自分というのも見えてきた気がする。逆にいえば、それは一体何なのだろうという興味がないわけでもなく、そのあたりを考えることで、この後の読書を楽しくする術があるような気もするが、さてどうなるものだろうか。

 たまたま同系統の作品を続けてしまったのかもしれない。『グラスホッパー』が殺し屋たちのそれぞれのエピソードが進行して、最後に繋いでいく話だったのに対し、今度は泥棒、宗教家、殺人者計画者たちのバラバラの話が時系列を前後させてリンクさせて、この小説の象徴のように出てくるエッシャーの騙し絵のような統一した世界を完成させている。
 「世の中は一定の法則で成り立っている」という新興宗教の教祖の台詞があるが、伊坂幸太郎はひねくれた運命論者なのかもしれない。
 前回も登場した「神様のレシピ」というフレーズに惹かれないこともないのだが、それが単に人間の行動も感情もすべてが神の操作によって行われているのだという論理に閉じ込められるのだとすれば、少々窮屈であるように思う。
 いや、それが伊坂幸太郎という作家の人生観であり、それに突き動かされて物語を編んでいるのならば読者として享受するべきなのだろうが、それを具現化するには相応のテクニックが必要で、その技巧があまりにも趣味的としか映らないのが、やはり三十代である伊坂幸太郎との世代ギャップなのかもしれない。
 概して自分より年長の作家の小説には、執筆年度を無視してまでも従順な読者だが、年下となるとそう簡単には受け入れてなるものかと思ってしまうは、改めなければならないのだが、どうしても80年代サブカル世代の精神風土には偏見がある。
 
 ただ、こういう話自体は決して嫌いではない。映画監督クエンティン・タランティーノが『レザボア・ドッグス』『パルプ・フィクション』で使った手で、それを最大限に実に大袈裟に展開して見せた恩田陸の『ドミノ』など、それぞれ楽しませてもらったのだが、今回は本のチョイスを間違えたようだ。さすがに似た趣向のものを続けて読めば食傷もするだろう。
 伏線がバラ撒かれている間は展開が予測不可能なので、話をどう収斂していくのかという興味で引っ張られるのだが、全容が見えてきた時点で種明かしの描写が冗長に思えてくる。
 郵便局強盗の件などは笑わせてもらったが、例えば作中に出てくるバラバラ死体の処理場面。時系列と語り手を変えて同じ場面が描写されると少しうんざりする。人物Aと人物Bが同じ事象を別視点で見ることの面白さはあっても、時系列をめまぐるしく変えられるとややこしくなって、頭の中を整理する徒労そのものが面倒にもなる。なによりも未熟な読者としては、見逃した伏線が無数にあるのではないかという不安感が募ってしまうのだ。

 おそらく『ラッシュライフ』はとてつもなく面白い小説なのだと思う。多分、再読したらもっと色々な深い部分も見えてくるのかもしれない。
 それはわかっているのに100%面白がれないというのだから、なんとも心許ない読書になってしまった。


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