◎ホテル・アイリス
◎ホテル・アイリス
小川洋子
幻冬舎文庫
十七歳の少女マリが自分の口だけをつかって老人の素足に靴下を履かせる場面---。
変形した小指、皮膚は乾燥して白っぽく、かかとはひび割れ、くるぶしはざらざらし、甲には青黒い血管が浮き出し…。ロシア語の老翻訳家の老いが小川洋子の筆致によって強調されればされるほど、『ホテル・アイリス』は性愛小説としての純度を増していったような気がした。
官能小説でもなければ、私が中学時代に大好きだった(苦笑)エロ小説でもない。まさに性愛小説という言葉が本書にはふさわしいのではないか。何故ならここは倒錯した性行為が投げ出されてはいるが、決して性的興奮を扇情させるものではない。もちろんそのことが小川洋子の性描写における稚拙さとは無縁ではないのかもしれないが、少なくとも私が認識している小説世界での性行為の陶酔感や官能美とはものすごい距離を感じさせた。
【染みだらけの彼の背中を、私はなめる。腹の皺の間に、汗で湿った脇に、足の裏に、舌を這わせる。私の仕える肉体は醜ければ醜いほどいい。乱暴に操られるただの肉の塊となった時、ようやくその奥から純粋な快感がしみ出してくる…。少女と老人が共有したのは滑稽で淫靡な暗闇の密室そのものだった。】
タイトルの「ホテルアイリス」が世界のどの場所にあるのかを小川洋子は明らかにさせていない。明確な固有名詞を与えられているのはアイリスという海辺に立つホテルと、十七歳の少女であるマリだけ。白樺が出てきたと思ったらハイビスカスもある。移動遊園地やレストランの描写、ランチのメニューなどから日本だとは思いにくいが、ありがちなイメージとして地中海や北欧のバルト海沿岸と限定してよいものかどうかも自信がない。しかし海辺の街であること、定期便が出る島が近くにあること以上の説明などは不要なものとして、風景など読者の脳裏に委ねているということだろうか。
なぜマリが老人の「売女!」の一言から堕ちていったのかもわからない。そこに至るまでの母親の抑圧は経緯として詳細ではあるが、そのことがマリを醜い老人との禁断の関係にのめり込ませる理由のすべてであったとは思いにくい。
老人と少女の死の寸前まで繰り広げられるSM行為の周辺で、ハエが死に、ネズミを殺し、大量に打ち上げられた魚の死骸が腐臭を漂わせ、舌のない青年との衝動愛などが散りばめられるのだが、そういった死生観にも「何故?」がつきまとう。
確かにすべてを曖昧にすることで、老人と少女の性愛がある種の普遍性を獲得した部分もあるのだろうが…。
とここまで書いておいていきなり不躾な話をすれば、私は本書を3冊250円の古本屋で求めた。選んだ動機は『博士の愛した数式』の小川洋子の著作だったからに他ならない。それくらい『博士を愛した数式』は私にとって愛してやまない一冊だった。
考えるまでもなく小川洋子の文章に接していたのは他にデイリースポーツ紙に寄稿したタイガースへの記事くらいで、あとはせいぜい芥川賞選考後の講評くらい。『博士の愛した数式』のことは熟知しても小川洋子のことは殆ど無知に近かったのだ。
それゆえに予備知識のないままに、あのときの癒しの再現を求めて本書を手にしたという読者にとってはめくるめく性描写の数々にただ呆然としていたというのが実際のところだった。
しかし読み終わって思ったことは『博士の愛した数式』がファンタジーの中にヒヤっとするシニカルさを加味した小説だったとすれば、『ホテル・アイリス』もまた同じ脈絡で綴られた物語であり、純粋でやさしい狂気を秘めた老翻訳家の姿に、博士に共通した様々な所作が見てとれるのではないかと、たかが二作目の読書で無理があるのを承知で書いておきたい。
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