◎アニーの冷たい朝

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◎アニーの冷たい朝
黒川博行
創元推理文庫


 ここに至り黒川作品を時系列で追いかけることにさほどの意味はなくなったような気がする。偉そうに書いてしまえば、一作ごとの経験値を積んで成長していった段階は終わり、この『アニーの冷たい朝』の頃には、すでにプロフェッショナルな作家として掲載誌の注文に合わせて引出しを選択出来るレベルとなっているのを感じる。
 実際、この小説は発刊順でいえば『大博打』の前、『絵が殺した』の直後ということになり、私の読書順もすでに時系列からは外れてしまっているのだが、それほど印象に違和感はない。

 【若い女性を狙った猟奇的な殺人事件が発生。犯人は被害者をマネキンのようにしてセーラー服に着替えさせ、派手な化粧を施し屍姦に及んでいた。続いて女子大生、OLに模した同様の事件が起こり騒然となる。第二の遺体が着用していた手編みのセーターには、ANNIEと編み込まれていた。はたしてその文字が意味するものとは…?】

 正確にいえばこの作品はサイコ・キラーものとして黒川にとっては新機軸となるのだろうが、新機軸に挑みつつも安定的な面白さは外さないだろうという確信の中での読書だった。ただ『疫病神』を完読したときの衝撃や、警察小説と本格推理ものの融合が一作ごとに完成していく昂揚感と比べると余韻が薄くなってきた感は否めず、「黒川ならここまでやって当然」という慣れが生じてしまった気がする。
 ここまで15冊読んでも未だに失敗作にお目にかかってはいないというのは凄いことなのだが、レベルは高くともアベレージとなってしまうと読書スタイルとして適切なのかどうか考える必要があるのかもしれない。
 異常犯罪に黒川は興味があるようだ。『切断』は殺人描写がとことん猟奇的だったが、犯人の殺人に至る動機が近親相姦で情交した妹の復讐であったし、具体的には描いていないが『大博打』の犯人たちにも異常愛を垣間見たような気がする。短編集『カウント・プラン』は異常性格の人々の話を集めたものだった。
 この『アニーの冷たい夜』は正面から異常犯罪に挑戦している。もはや取り立てて書く必要はないのだが、この小説は女教師の由美、大阪府警捜査一課の谷井、そして猟奇殺人を繰り返す犯人の視点で描かれたすべて三人称による物語だ。
 犯人の手口は上記のあらすじを参照してもらえばわかるように徹底的に異常犯罪として描かれている。本書が発刊された1990年といえば、トマス・ハリスのベストセラー『羊たちの沈黙』の登場から2年後にあたり、サイコサスペンスが一大ブームとなった中で黒川博行も多少の影響を受けていたのかも知れない。
 猟奇的な連続殺人が勃発し、刑事たちの捜査と同時進行で語られる女教師の日常描写は、災厄へのカウントダウンのようにサスペンスを煽っていく。そしていよいよ彼女に魔の手が迫り、拉致、監禁、拘束の中で必死の逃亡劇が展開されていくといった具合に、意外とサイコものの常套手段がとられているのだが、それでも事件の背景となるデート商法を詳細に調べ上げ、刑事たちの地道な聞き込み捜査を丹念に描いていることで、黒川作品以外の何物でもないという仕上がりになっている。
 別のジャンルに飛び込むのではなく、自分の世界にジャンルを引き込もうとするのが、いかにも黒川らしいといえばそれまでなのだが、デート商法とサイコキラーのつなぎ方は少々強引だったような気もする。ここはストレートに女教師とサイコ野郎の対決だけで全編を貫く黒川の筆致も読んでみたいと思った。

 8月になった。この夏は黒川博行とともに過ごしているようなもの。一冊読み終えら、ここに感想を書くというのはお約束だが、なにぶん通勤の途中、食中・食後のコーヒー、外回りの電車内などで文庫本を開くことが習慣のようになってしまったため、読み終えた途端に手持ち無沙汰となるのがなんとも困った。自宅に帰れば通販でまとめ買いした黒川作品が待機しているのだが、その手持ち無沙汰と次の小説に対する欲求に耐えられず、古書店に寄って未購入のタイトルを買って読み始めてしまう。そのうち読むのは楽しい、書くのは苦痛だという状態になって、これを書いているときには既に1〜2冊は読み終わっている状況が続いている。
 この『大博打』も通販で求めていなかったのを幸いに、外回りの最中に古書店で見つけて読み始めていた。『切断』を読み終えた直後で、ようやく『絵が殺した』の感想文に取り掛かかろうかというときで、さすがに濫読が過ぎたような気がしている。読書を楽しむよりも短期間のうちに貪り読むことのほうが目的となりつつあった。ひとつひとつの作品をきちんと消化してから次の作品に取り掛かるように努めなければならない。


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