◎てとろどときしん

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◎てとろどときしん 大阪府警・捜査一課事件報告書
黒川博行
講談社文庫


 創元推理文庫 《黒川博行警察小説コレクション》 を一旦小休止。講談社文庫の短編集『てとろどときしん』を読んでみた。短編だろうが、サブタイトルが示すように、なるべく警察シリーズを執筆順に読み進めたいという思いがある。本書は1987年から1991年まで初期の短編を編集したものだ。
 とくに黒川博行が大作志向であるとも思えないのだが、『国境』のようなクソ分厚い長編(笑)を一気読みさせる力は実証済みとしても、『カウント・プラン』『燻り』など、この人は間違いなく短編の名手でもあると思う。とにかく短い作品の中でも黒川博行でしか表現できない世界観がある。

【フグ毒に死亡事件に端を発する表題作をはじめ、下着ドロの意外な真犯人を描く「飛び降りた男」など、6つの事件を大阪府警捜査一課の刑事たちが事件に挑む】

 よく「大阪人がふたりいると漫才になる」といわれる。
 実はその言葉が出るときは大概が大阪人の口から東京人のつまらなさを揶揄するときに用いられる場合が多い。なるほど大阪人はそこに住んでいるだけで東京への対抗意識を刷り込まれているものなのだろう。
 阪神ファン絡みで大阪人とのコミュニケーションが増え、仕事でも会社を大阪の業者に売却した関係上、日常的に大阪人と接しながら、個人的には「大阪人でも面白くない奴は多いし、東京人でも面白い奴は多い」という当たり前の結論に達しているのだが、少なくとも標準語(江戸弁ではない)と比べ大阪弁の語彙は比べものにならないほど豊かであることは疑いようがない。
 方言全般に通じることだが、大阪弁には人生の喜怒哀楽がいちいち極端に耳に飛び込んでくる面白さがある。(もっとも『海の稜線』で文田刑事が大阪弁を方言といわれて激怒するのだが…)その豊かな表現を大阪弁の名手が料理するのだから、抜群のテンポになるのは当然のことなのかもしれない。
 ただ文庫本の解説を読んだりネットの書評サイトを拾ってみると、あたかも黒川作品の面白さのすべてが大阪弁にあるのだと思わせる書き方が目につく。これは黒川博行という作家を狭い枠に閉じ込めていて大いに不満である。
 もし『海の稜線』『ドアの向こうに』での会話が標準語だとしたら面白さが半減するかといわれれば決してそんなことはなく、大阪弁は“黒川文学”の重要な要素ではあるが、本格推理ものとしての完成度の高さと、取材力の高さにこそ本質があると思うのだ。とくに長編に関してはそれを強調しておきたいし、実は黒川自身もそういう批評についてはありがた迷惑であると書いている。
 しかし『てとろどときしん』に収録されたうち、黒マメが登場する表題作と『帰り道は遠かった』『爪の垢、赤い』。深町班の吉永刑事が主役の『飛び降りた男』については事件そのものよりも、あえて黒川は大阪弁を軽快にスウィングさせることで読者を楽しませる趣向を狙っていたようである。

 「ようそんな口から出まかせを平気でいえますな。閻魔さんに舌ぬかれまっせ」
「かまへん。わしゃ二枚舌や」。

 黒マメコンビがショートストーリーというフィールドで躍動するのは楽しい。尺が短いということは事件のスケールもそれなりだということで、当然、銀行強盗も誘拐事件も現金輸送車強奪もない。だから事件の展開を読むというよりも黒マメのやり取りをテンポよく楽しみながら、黒川の洒落たエスプリを味わうといった感じだ。

 しかし黒マメも総長・ブンもそうなのだが、刑事たちに共感できるように描かれているから楽しく読めるのであって、もし自分が事件の容疑者であり、彼らの捜査や取調べを受ける立場であったとしたら、これほど鬱陶しいことはないのではないか。そもそも真犯人ではなくとも被疑者として大阪府警捜査一課の尋問など受けた日には人生の災難であるに違いない。
 『指環が言った』『ドリーム・ボート』の二編は容疑者の視点から捜査官の執拗な攻めを描いたもので、立場が変ると筆致のトーンがここまで変るのかという恰好の例となっている。もともと体制側の主人公を描きながら『二度のお別れ』の執筆後にグリコ森永事件との類似から府警の聴取を受けたことを苦々しい体験だったと語る黒川のこと、次第に体制側の虚妄を暴き出す方向に傾いていったのは必然だったのかも知れない。
 『指環が言った』は作劇の意外性で読者を欺くトリッキーな作品で驚かされたが、『ドリーム・ボート』では別件逮捕からついに冤罪の可能性まで言及している。この二編はその後の黒川の指向を予感させる意味で、とかく黒マメのトーンで語られがちな短編集の中にあってギラリと光るものがあった。


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