◎舟を編む

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◎舟を編む
三浦しをん
光文社


 小説を読み終えた読者が、本棚から思わず辞書を取り出したならば、それは三浦しをんの勝利だ。作家としても読者に辞書への思いを抱かせることこそ本望であるに違いない。『舟を編む』は言葉に対する薀蓄と愛情が込められた愛すべき小説だ。
 残念なのは今の自室には一冊の辞書も置いていないこと。悲しいかな、今はキーボードを叩けば簡単な用語の意味はすぐに引ける時代。今度、実家に帰ったときには「広辞苑」や「字源」をめくってみようかと思う。下手をすれば半世紀近く棚の肥やしになっているのではないか。

 【玄武書房に勤める馬締光也は営業部では変人として持て余されていたが、新しい辞書『大渡海』編纂メンバーとして辞書編集部に迎えられる。個性的な面々の中で、馬締は辞書の世界に没頭する。言葉という絆を得て、彼らの人生が優しく編み上げられていく。しかし、問題が山積みの辞書編集部。果たして『大渡海』は完成するのか・・・。】

 いやはや残りページを昼休みの喫茶店で読み切って、涙腺を刺激されて困ったこと困ったこと。小説としてはライトノベルかと思えるほど軽いのだが、何とも夏の甲子園大会を見るような清々しい読後感を味わえる。物事を成し遂げる話とすればもっと重厚に、もっと長大に広げてもよかったのだろうが、これを軽妙なユーモラスでまとめた三浦しをんに一本取られたような気がした。
 直木賞受賞の『まほろ駅前多田便利軒』よりもずっと軽いタッチだが、あれよりも面白かったし、去年、ミソをつけてしまった感のある本屋大賞もこれである程度の信頼を取り戻すのではないだろうか。

 辞書の編纂に挑む人々の話で、出版界のバックステージものとして読むことも出来る。しかしファッション雑誌の編集部の話なら、賑やかな編集室に記者やカメラマンやデザイナーなど様々なスタッフがいて、取材にトクダネにインタビューにそれなりに華々しい世界を展開することで出来るだろうが、そこに華やかさなどが入り込む余地などは一切ないのが辞書編集部という部署。
 膨大な資料と本で窓は塞がれ、薄暗く埃くさい室内には古参で退職間近の荒木がいて、若いが軽薄な西岡がいて、用例採集カードを整理する契約社員の佐々木女史がいるだけ。小説はそんな編集部に馬締という外見の冴えない青年が配属してきたことから本編へと入っていく。
 いや、冒頭での主人公は荒木公平だ。荒木は中学生のとき「岩波国語辞典」を手に取って以来、辞書の膨大な数の見出しや語釈や作例を読みながら、その根気と言葉への執念に打たれ、玄武書房に入社する。その荒木と差し向かいでそばを啜っているのが監修を勤める松本先生。二人は辞書に捧げた37年間の日々を壊述し、その集大成となる「大渡海」完成への行く末を案じている。
 「大渡海」は「辞書は言葉の海を渡る舟であり、海を渡るにふさわしい舟を編む」という思いをこめて荒木が松本先生とともに命名した、いつ発刊されるとも知れない辞書。
 それだけに後継者となる馬締光也があっさりと見つかってしまうことに若干の不満が残る。リクルーティングに憔悴する荒木をもっと描いてほしかった。そうすることで荒木と若者たちの言葉への思いのギャップや出版社の中での辞書編纂の無理解をもっと強烈に描けたのではないだろうか。
 それでも、そこまでの30頁は一気に読めた。ところが主人公が馬締に代わって、馬締の視点で物語が進行してからは、正直にいえば読書のスピードが停滞していた。
 今どきの若者とは思えない浮世離れした茫洋とした主人公だが、得てしてこういうキャラクターは本人視点よりも客観的に外から観察される方が面白い。天然ボケなキャラの面白さは内側に入ってしまうと読みながら案外つらいこともあり、個人的には林香具矢との恋愛話もやや冗長に思えた。下宿屋、おばあちゃん、トラ猫、観覧車という仕掛けの古めかしさに「狙いすぎだろ」と思わずツッコミも入れたくなる。

 だが、物語が西岡正志の視点に移ってから、再び読書の勢いは加速する。軽薄でちょっと嫌な奴は逆に内側に入ると驚くほどに神経質で真摯な性格だったりするのかもしれず、西岡のエピソードはそのギャップで泣かせると同時に、辞書編纂にのめり込む「変人」たちと辞書編纂という仕事そのものへの客観視点になったし、実際、馬締のキャラクターは西岡の視点で立ちまくってくる。西岡が【西行】の項目で馬締と“対決” する場面はこの小説のあらゆる意味での名シーンではなかったろうか。
 宣伝部へと去っていく西岡に馬締がいう。「 「大渡海」 血の通った辞書にするためにも、西岡さんは辞書編集部に絶対に必要なひとなのに」。この台詞はそっくり 『舟を編む』 という小説にも当てはまる。この物語に西岡のキャラが果たした役割は限りなく大きい。

 さて紆余曲折の末に「大渡海」は完成を迎える。三浦しをんは様々な言葉の薀蓄をかたむけながら、それらの言葉の意味を集約しにかかる。
 「なにかを生み出すためには、言葉がいる。はるか昔に地球上を覆っていたという、生命が誕生するまえの海を想像した。混沌とし、ただ蠢くばかりだった濃密な液体を。ひとのなかにも、同じような海がある。そこに言葉という落雷があってはじめて、すべては生まれてくる。愛も心も。言葉によって象られ、昏い海から浮かびあがってくる」。
 この四行の矜持がこの小説のすべてなのだろう。
 言葉という生き物を相手にする以上、辞書は発刊された瞬間から改訂作業が待っている。今後、辞書は電子媒体で生き残っていくことになるのだとしても、そこには用例採集カードを地道にかき集めていく人たちの尽力があるのだろう。ただし、製紙会社の宮本や装丁デザイナーの赤シャツ氏の将来的な役割に、危惧せざるを得ないのだが。

 粋なことに 『舟を編む』 の単行本の装丁が、そのまま小説内で紹介された「大渡海」の装丁になっている。濃い藍色の大海原を渡る一艘の帆船。裏表紙には月が微笑んでいる。月は航海の道標になったのだろうが、ああ、それで香具矢という女性の存在があるのかと気づかされる。
 本の帯に「無人島に一つだけ持って行けるのなら、ぜひ「大渡海」を」という意味のコメントが載せられていたが、なるほど、それは「イタダキだ」と思った。膨大な言葉の羅列に飽きることがないだろうという意味でも、辞書を編纂した人々の執念が込められているという意味でも。
 辞書を開いているときだけでも孤独から開放されるのではないだろうか

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