◎羽衣の女

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◎羽衣の女
高木彬光
光文社


 【ふとしたことで刺青に魅せられたカフェの女給お小夜は、名人・彫宇之の手によって背中一面に天女の羽衣を彫った。その羽衣に引き寄せられた男たちがお小夜の運命を翻弄し、お小夜は奈落の底へと堕ちていく・・・。】

 『羽衣の女』が上梓されたのは昭和33年。舞台は戦時中の東京。刺青、入れ墨、紋々、ガマン、タトゥー、彫りものを描いた高木彬光の非探偵小説ということになる。
 なかなか入手困難で半分諦めていた高木彬光の『刺青殺人事件』を、職場の同僚が古書店から高木彬光の全集を見つけてくれ、そこに収録されていた『羽衣の女』を先に読むことにした。全集だけに厚紙のケースがついた硬質な装丁だったが、内容は娼婦に身を落とし、犯罪に手を染め破滅していくお小夜の半生を刺青の様式美の中で描いた物語は、なかなか情感のある読書時間をもたらせてくれた。

 多少筋違いだが、この物語を読みながらふと高校生のときに観た日活ロマンポルノ『花芯の刺青・熟れた壺』を思い出していた。
 あれは谷ナオミの持つ肉体の資質を、監督の小沼勝が最大限に昇華させた名作だと高校生の分際で生意気にも思ったのだったが、白い柔肌に墨針がシャリシャリと音をたて、谷ナオミが苦痛に悶える姿に刹那の官能美の記憶は、『羽衣の女』の文面を脳裏で映像化するのに非常に役に立ってくれた。
 もっとも小沼勝の映画と本書の世界観はまったくの別物ではある。いや谷ナオミがお小夜を演じたならばどれだけ良いだろうとは思ったが、あの映画での純朴な谷ナオミと、蓮っ葉なお小夜とではキャラクターがまったく違っている。実は関川秀雄が松竹で『いれずみ無残』なるタイトルで映画化しており、お小夜を演じた荒井千津子のスチールを見ると、この人はこの人でさぞバタ臭いお小夜を演じていたことだろうとは思った。

 話が逸脱した。本書の読後感はよい意味での通俗小説の味わいがある。個人的に『オール読物』に掲載されていた小説を中学生が多少背伸びをして読む感覚というか、新派の舞台台本というか、文体からして絶対に現代の小説にはない匂いが漂っている。
 読書中に気がついた。これは昭和の時代の昼のメロドラマの感覚ではなかったか。
 通俗小説とはいえ文学に対して昼メロと同等扱いでは高木彬光に失礼だが、先述したように情感のある読書時間を過ごしたのだから、決して揶揄するつもりはないが、台詞と台詞を繋ぐ文章がまるで昼メロのナレーションを想起させるという意味において現代の小説にはない匂いを漂わせている。
 例えば詐欺を働き警察に囚われの身となったお小夜が、護送の途中で愛する新之助との束の間の逢瀬が叶う場面で、娑婆に出たら満州でひと旗上げようじゃないかと威勢を張る新之助にお小夜は言葉を返さない。返さない代わりに以下の文章が後を追う。
 「いつかは知れぬ、遠い未来の約束など、いまのお小夜にはどうでもかまわぬことだった。それよりも、何日かの孤独を我慢しぬいてようやく得られたこの機会に、いま少し実のはいった男の言葉が聞きたかった」
 本来ならばここでお小夜の心情を台詞なり仕草、表情で描写するのが小説(文学)というものだ。
 しかし心情描写はなく心情説明で終わる。本来なら批判されるべきことかもしれないが、この説明文が私には古色蒼然たる在りし日の昭和メロドラマのナレーションに聞こえて、それが不思議と心地よさを伴うのだった。


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