◎狼花 新宿鮫Ⅸ

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◎狼花 新宿鮫Ⅸ
大沢在昌
光文社


 【国際犯罪者・仙田。外国人犯罪撲滅のため限界を超えようとするエリート警官・香田。どん底からすべてを手に入れようとする中国人女性・明蘭。自ら退路を断ち突き進む男女の思惑と野望が発火点に達した時、孤高の刑事・鮫島が選んだ「究極の決断」とは?】

 五年ぶりの新刊だ。『新宿鮫』が文壇に登場して早くも十六年の歳月が流れた。新刊を見つけては即購読してきたほど愛すべきシリーズだったが、新宿署の防犯課が生活安全課となり、さらに組織犯罪対策課が新設されたように着々と時は推移して、さすがに五年のブランクで忘却していたことも多く、ロベルト村上(仙田勝)の存在もそれにまつわる過去の事件も見事に失念していた。まったく待たされるにも程がある。
 小説世界ではもっと時間の流れは穏やかなようなので、かつては年上目線で見ていた鮫島警部もはるか年下になってしまった。そうなるとシリーズ全体を通じて語られる鮫島の「使命としての警察官」という絶対理念も、かつては確固たる「大人の潔さ」として捉えていたつもりのものも、何やら無垢な理想主義者の妄言なのではないかと思えてくるから困ったものだ。困ったものだといってもそれは本書への評価ではなく、少なからぬ年月の垢を身にまとってしまった自分に対してである。
 シリーズでは準レギュラーともいうべき元公安エリートの香田が画策しようとした外国人犯罪一掃作戦は十分に理解が出来る。そして理解してしまう自分に戸惑いが生ずるとき、鮫島の叫びを聞く。「理想を頭にもたない警察官など、ただの権力者だ。俺たちが何のためにこれだけの権限を与えられているか、一日も忘れてはいけないんだ」
 「正義感ではなく使命感」。思えば鮫島の最大の武器はこの無垢さにあり、警察にも暴力団にも恐るべき脅威となっていることはシリーズで一貫して語られていることで、五年ぶりの新宿鮫でもそれは一切ブレていない。
 このブレない主人公という部分に安心しつつも、鮫島の存在が「警察機構の矛盾」であるように、本書では正義に帰結しない使命感という自分自身が抱えている矛盾が香田と仙田によって露呈され、鮫島を苦しめていくことになり、それが緊張感を誘う。

 今回の『狼花』も過去のシリーズ作品同様に一気に読破してしまった。先へ先へと読ませていく大沢在昌のエンタティメント作家としての技量は健在。とくに渋谷道玄坂からクライマックスとなる横浜中華街の攻防戦に至るまでのボルテージに『毒猿』の新宿御苑の死闘に匹敵する大沢のコンセントレーションの高みを感じて懐かしいくらいだ。
 しかし明蘭という中国人女性をめぐる仙田と極道・毛利との葛藤劇はそれなりとしても、明蘭自身がそれこそ“狼花”に変節していく過程は違和感が残ってしまった。それは本来ならばこの明蘭の生き方と相対されるべく晶の存在感があざといくらいに希薄だったことに原因があるのではないか。レギュラーである上司の桃井、鑑識の藪が健在だっただけに、このシリーズの魅力の一翼を担っていた晶の存在が意図的に消されていくのは寂しい限りだ。
 多くの賞やベストセラーの栄光に輝いてきたこのシリーズだったが、帯のコピーにある“シリーズの分岐点”という文字がややもすると“曲がり角”と読めるのではないかと杞憂しつつも何年先になるのかわからない次回作を静かに待ちたい。


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