◎八月の魔法使い

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◎八月の魔法使い
石持浅海
光文社文庫


 【洗剤会社の役員会議で、報告されていない「工場事故報告書」が提示され、役員同士が熾烈な争いを始めた。同じころ経営管理部員の小林拓真は、総務部の万年係長が部長に同じ報告書を突きつけるのを目撃する。】

 ロジックミステリーは苦手なのだが、石持浅海の『八月の魔法使い』を読もうと思ったきっかけは、BS放送の書籍紹介番組での劇団キャラメルボックス主宰の成井豊のプレゼンが秀逸だったからだ。
 そもそも【読書道】などと気張ってはみたものの、「通」では決してなく、「道」を極めようなどと大それたことでもなく、通勤電車での暇つぶし読書をもうちょっとだけ発展させたい程度のレベルでしかないので、たまたま眺めていたテレビで上手い紹介をされると「あ、読んでみよう」となってしまう。
 とくに今まで未読の作家の小説は、こういうことでもないと出会うことすら難しい。もしかすると実際にページをめくっている時間より、そんな出会いを模索する時間の方が長いかもしれない。

 お盆恒例の重役会議の席で、報告もなく捺印もされていない事故報告書が、プレゼン用のパワーポイントに仕込まれていたことから“事件”は始まる。たった一枚の事故報告の表紙に重役会議は一気に紛糾し、必然的に会議は時期副社長の座をめぐる生産畑系と営業畑系の役員同士の激しい衝突となっていく一方、階下の総務室でも、係長から同じ事故報告書を見せられた総務部長が狼狽する様子があり、たまたま総務部に顔を出していた若い経営管理部の社員、小林拓真がそこに巻き込まれていく、という内容。
 舞台は中規模大手企業の社屋内。それも総務室と会議室の中のみでストーリーは進行する。ミステリーには違いないが、事件といっても殺人、強盗、放火などの刑事事件は一切起こらない。
 極端に限定された舞台設定ということで、これは芝居になると成井豊は思ったらしいのだが、結局、その成井豊による事前情報をやや熱心に聞きすぎてしまったかもしれない。もちろん「舞台は会議室と総務室のみ」「事件らしい事件は起こらない」「それでも一級品のミステリーになっている」という成井情報でこの本に飛びついたのは事実であり、先述したようにこの番組を見ていなかったならば、この作家ともこの小説とも出会わなかったので、この後悔の根拠は前提から崩れてしまうのだが。

 それでも読み始めてからすぐにこの小説は一気読みに限るなという直感は働いた。
 会話劇なのだからそのディスカッションの流れの臨場感に身を置いた方が絶対に効果的ではある。きっと『十二人の怒れる男』のビデオを少しずつ何日もかけて観たのでは面白さも半減するに違いない。しかも題名が『八月の魔法使い』なのだから、何とか八月中に読み終えようという大した意味のない考えも手伝い、ほぼ一日で読み終えることが出来た。

 例によって例の如くミステリーなのだから、深くは踏み込まないつもりだが、私が論理だけで成立するミステリーを苦手としているのは、文学的な読み方とは別に、どこか数学の証明問題を解くようなセンスが必要とされるように感じてしまうからに他ならない。
 しかも物的証拠があるわけでもない場合、仮説を論理によって広げたり潰したりする過程で私には「えっ、そうなの?」と思えることが多々あって、麻耶雄嵩『メルカトルかく語りき』などはその最たるものとして、あれは殆どギブアップ状態だった。

 それでもまぁまぁ面白く読み終えることが出来たのは、ロジックミステリーの欠点ともいうべき人物造形が記号的すぎることはなく、怒号渦巻く会議室の中で登場人物たちの人となりは上手く描かれていたし、それなりに風刺も皮肉も効いていたということが大きかった。
 これもまた成井豊からの受け売りなのだが、作者の石持浅海という人は専業作家ではなく現役のサラリーマンなのだという。別に現役のサラリーマンだから企業内部の人間模様が上手に描かれるという理屈はないだろうが、「生産部と営業部は仲が悪い」など、私にもニヤリとさせられる部分は多く、ロジックミステリーとしてではなく、紛糾する会議が最後は暴力沙汰まで発展していくサラリーマンたちのユーモア小説と読んでいたのも、まあまあ満足できる読後感を得られた理由なのかもしれない。


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