◎イン・ザ・プール

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◎イン・ザ・プール
奥田英朗
文春文庫


 奥田英朗の小説は『最悪』を読んだきりだが、その一作で現代人の抱えるストレスを書せるとこの作家が抜群に巧いことは十分にわかっていた。
 『最悪』の主人公である町工場の社長が不良品の発生、コミュニケーションの難しい従業員、近所の騒音のクレーム、我儘な娘の進路、傲慢な銀行融資などで次第にストレスに蝕まれていく姿は今も強烈な印象が残っている。
 しかし『最悪』であって『破滅』ではない。「サ・イ・ア・ク」という語感にはちょっとした自虐的ユーモアがある。「破滅」に進む話を読むのはしんどさと覚悟が必要だが、「サ・イ・ア・ク」というのならば、その最悪の状況を他人事のように楽しむ余裕が生まれる。
 この『イン・ザ・プール』は現代人の最悪なストレスを描きながら、伊良部一郎というサ・イ・ア・クな精神科医と対峙させることによって醸し出させるユーモアを描く連作短編となっている。

 【「いらっしゃーい」。伊良部総合病院地下にある神経科を訪ねた患者たちは、甲高い声に迎えられる。色白で太ったその精神科医の名は伊良部一郎。そしてそこで待ち受ける前代未聞の体験。プール依存症、陰茎強直症、妄想癖…訪れる人々も変だが、治療する医者のほうがもっと変。こいつは利口か、馬鹿か?名医か、ヤブ医者か。】

 表題の『イン・ザ・プール』の他、『勃ちっ放し』 『コンパニオン』 『フレンズ』 『いてもたっても』の五編から成る。
 この小説を手に取ったのは、奥田英朗が直木賞を受賞した『空中ブランコ』を読む段になって、その受賞作には前作があり、それが『イン・ザ・プール』だと知って、ならば順番にこちらから読もうかとなった。
 いや、その程度の予備知識で読み始めたものだから、「プール依存症」の男がどんな末路を辿っていくのか全く展開が読めず、手探りながらなかなかエキサイティングな読み出しとなった。一体、「泳ぎたくて、泳ぎたくて堪らなくなった男」の話などで小説になるものなのかどうか。
 この連作短編を一言で書けば「毒を以て毒を制す」ことでハッピーエンドとなる逆説的ユーモア小説とでもいうのだろうか。
 主人公の精神に宿ったストレスという毒を、嘘か誠か「博士」の称号を持つストレスとは無縁の変態医師・伊良部一郎が治療にあたる。
 伊良部病院という小綺麗な総合病院の地下に潜む色白のデブ。変態チックな注射マニア、倫理観が欠如し、自意識過剰、おまけにマザコン。コンビを組む看護師のマユミちゃんは露出狂で、孤高の色気虫とでもいうのか、とにかくとんでもない病院が舞台となっている。
 
 面白いことは面白いし、クスっと笑える連作短編ではある。ただ喜劇を小説として読むということに慣れていないこともあり、抱腹絶倒した記憶は筒井康隆の諸作や中場利一『岸和田少年愚連隊』の記憶を思い起こすと、そこまでの爆笑には至らなかった。
 もちろん『イン・ザ・プール』がユーモア小説であることに異論はなく、これがユーモア小説のアンソロジーに入っていたらキラリと光る一篇になっていたとは思うのだが、ペニスが勃起しっぱなしの男のドタバタを描く『勃ちっ放し』も含めて、ストレスに悩む現代人の病巣をシニカルに描くという側面で、先述したように奥田英朗はその第一人者だと思っているので、「笑い」の盛りはほどほどにといったところなのかも知れない。

 ただ「泳ぎたくて、泳ぎたくて堪らなくなった男」の話などで小説になるものなのかどうか」という第一エピソードでの期待は、その後のエピソードはパターンの踏襲に終始し、病状と状況のバリエーションの違いを楽しむことにトーンダウンしていくのは仕方ないことだったもしれない。
 正直言って、最終エピソードまで読んだときには少なからず「飽き」がきていた。
 もちろん同じことを繰り返すことで醸される「笑い」を否定するものではなく、伊良部一郎が変態であることの説明も省略し、いきなり「さあ、注射、いってみようか」と例によって顔を赤らめ、鼻の穴をひくひくさせるお約束が速攻で出てくる面白さは連作ものならではの「笑い」ではある。
 しかし、どうやら続編の直木賞受賞作はもう少し本棚に待機させておいた方が得策のようだ。
 


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