◎40フォーティ

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◎40フォーティ 翼ふたたび
石田衣良
角川文庫


 今思い返しても石田衣良の『4TEEN』は好きな小説だった。青春小説一歩手前の「少年小説」ともいうのだろうか。中学生の実際をリアルに綴るのではなく、完全にフィクションではあるのだが、中学生四人組の感性が瑞々しかった。
 その石田衣良が一転して40歳を描いたのが『40フォーティ』。聞けばこの作家が初めて同世代を描いた小説なのだという。さて、常に若者世界のトレンドを描き続けて名を成した作者が「人生の半分が終わってしまった」四十路男の感慨をどう綴っていくのだろう。

 【40歳…人生の半分が終わってしまった。それも、いいほうの半分が。会社を辞めて、投げやりにプロデュース業を始めた吉松喜一の元を訪れる、四十代の依頼人たち。凋落したIT企業社長、やり手の銀行マン、引きこもり…。生きることの困難。果たしてその先に希望はあるのか。】

 結論からいえば楽しめた。しかしこの本を面白いと思うまで、こちらのエンジンの掛かり具合はかなり遅かった。
 大手広告代理店から転職したのはいいが、仕事が上手くいかずに「あー、やってられねー」が口癖となってしまった主人公。ふと周囲を見渡せば、どこかやさぐれた同世代の面々。
 重松清が再三描き続けているような世界観ではあるが、正直いうと、石田衣良に同世代のアイロニーをより深遠に掘り下げるまでの作家性は期待してはいけないようだ。
 週刊誌の連載小説らしくエピソードのひとつひとつに取りあえずのヤマが用意されてはいる。しかし、どうにもズシっとした人生の重みが感じられない。あまりにも浅く、あまりにも軽いのはおそらく作者自身が人生の辛酸とは縁遠いところから、なんとか等身大の同世代を描こうとして馬脚を現してしまった結果ではないかと思う。
 いや別に辛酸を舐めた者にしか人生を描く資格がないなどと暴言を吐くつもりはないものの、最初のロリコンIT産業とAV嬢の話しから、23年間引き篭もっている四十男の話まで、小説の半分以上を違和感の中で消化していた。その辺りは個人的に重松清の残像が根強く残っていたからかもしれない。

 その違和感から開放されたのはコピーライターの盛卓巳に末期がんが宣告されたあたりからだろうか。ややこしい言い方をすれば、ようやく違和感を違和感として受け入れることに違和感がなくなったのだ(笑)。
 考えるまでもなく『4TEEN』も絵空事の世界だった。重松清が『ビタミンF』で「フィクションの力を信じた」と書く以上に石田衣良はフィクションに満ちている。各エピソードの中年男女の描写が軽かろうが、浅かろうが、『40フォーティ』という小説の大団円への布石以上の役割を果たすものではないのだから、読者としては石田衣良が創造した絵空事を楽しめばいいわけなのだ。
 そうなると、森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』も真っ青の「大御都合主義」で、災難だと思っていたものが次々と好転し、僅か半年の期間で「持たざる者の悲哀」だった筈のものが「持っている者たちのサクセスストーリー」に雪崩れ込むスピード感にページをめくる手が止まらなくなる。

 クライマックスは、かつて才能が集結して大きなことを成し遂げ、公開プロポーズに、懐妊報告という怒涛のハッピーエンド。小説を読んでいるというよりもフジテレビのドラマを観ている気もしたが、それが石田衣良という作家の資質ならば、それはそれでいい。感動作ではないが、十分に痛快作だ。


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