◎11/22/63
◎11/22/63(上・下)
スティーヴン・キング(11/22/63)
白石 朗・訳
文藝春秋
昨年暮れ、風呂屋の帰りに立ち寄った本屋で衝動買いした。何故か、ぶ厚い単行本を買うのは衝動買いに限られている。しかも上下巻で4、200円。何事にも勢いは大切だ。
【高校教師のジェイクは友人アルに呼び出された。癌に於かされたアルは、死ぬ直前にジェイクに受け継いでもらいたいものがあるという。それはアルの店の倉庫の裏にある秘密の「穴」だった。これを通じて過去へと遡り、ケネディ大統領暗殺を阻止することがアルの悲願だった。】
タイトルにある1963年11月22日。アメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディがテキサス州ダラスのパレードで暗殺された日だ。
私がダラスの暗殺事件にどれだけ興味を抱いているのかといえば、おそらく人差し指の第二関節ほどの興味は持っているのだと思う。微妙ないい方だが、少なくとも爪の先ほどの興味しかなかったわけでもないのは、世界の近代史における事件のセンセーショナリズムは子供心に燻っていたことと、暗殺の背景に様々な陰謀説が跋扈し、それがミステリー的興味をそそるには十分な面白さに満ちていたこともあるだろう。
暗殺犯として逮捕されたのはリー・ハーヴェイ・オズワルド。そのオズワルドも2日後にジャック・ルビーに暗殺される。
実は恥ずかしながら(と強く思っている)映画『ダラスの熱い日』も『J.F.K』も未見なのだが、10代だか20代の初めの頃にケネディ暗殺事件を検証した二つのドキュメンタリー番組を観ている。一方は「魔法の弾道」や「草の生えた丘」などを根拠に陰謀説を主張したものであり、もう一方はオズワルド単独犯の決定を下したウォーレン委員会の報告を裏付けるものだった。
当然、大衆の支持は前者に傾き、後者の番組では司会者が「信じられない」と顔をしかめてみせたが、自由と民主主義のアメリカ合衆国にも暗部があり恥部もあったとする説の方はすこぶる魅力的ではある。
同時にスティーヴン・キングは巨星ケネディと小柄なDV癖のマルクス主義者とを天秤にかけたとき、天秤が釣り合うだけの重味を大衆が欲したのだとダイナーの店主にいわせている。
「ケネディの死になんらかの意味を与えたければ、反対の皿にはもっと重いものを置くしかない。これで陰謀説がうじゃうじゃ湧いてきた」と。実際にCIA、マフィア、軍需産業界、キューバ、ソ連、ジョンソン副大統領が“容疑者”に挙げられたわけだが、複雑怪奇なケネディ暗殺事件も天秤論で考えると一気に単純になる。
キングはオズワルド単独犯説を基調として、陰謀説をほぼ排除することによって主人公vsオズワルドという軸を確立させている。むしろ暗殺事件の真相解明という呪縛を避けたかったのだろう。
そう『11/22/63』は大統領の暗殺事件を描きつつ、事件そのものを追求した小説ではない。
本書の語り手でもある主人公のジェイク・エピングは、死ぬ間際の友人から1958年にタイムスリップできる<兎の穴>を教えられ、ケネディの暗殺阻止を懇願される。
別の言い方をすればタイムトンネルである<兎の穴>は1958年にしか戻らない。そしてタイムスリップしている間、元の世界では2分しか経過していないが、一度元に戻って再び過去へ行くと、それ以前の事象はすべてリセットされているというのが小説のレギュレーションだ。
ダイナーの店主はもしケネディが生きていればベトナムで何百万人の人々が死なずに済んだ公算が大きいとジェイクを説得するのだが、これは平均的なアメリカ人が抱くケネディ幻想をよく現わしているようで興味深い。
今にして思えば、政治的にも思想的にもノンポリのハイスクール教師が何故、ケネディ暗殺阻止という近代史を変えてみせる大冒険をするまでに至る経過は苦しいのだが、キングはそこで読者の疑問を挟ませず、巧みに物語をリードしていく。
ジェイクを積極的に動かすのは、障害を持つ教え子のハリー・ダニングが、幼い頃に障害を持つきっかけとなった父親の凶行を阻止することの使命感だ。そして一度は何とか成功する。しかし現在に戻ってくるとハリー・ダニングは障害を負わなかった代わりにベトナムで戦死していた。なかなか巧みなリードではないか。
古今東西すべてのタイムトラベルものがそうであるように、過去が変われば未来も変わる。ジェイク・エビングはジョージ・アンバースンとして再び過去をリセットする決意をし<兎の穴>をくぐる。もちろん第一義的にはケネディを救うためではなく教え子ハリーの守護天使となるためだった。
そこから本格的にジョージの過去の旅の幕が開く。その過去での物語は多くの暗殺ものがそうであるように綿密な計画の元に刻一刻と迫る「その時」のための準備が描かれることに・・・はならない。
むしろジェイクは過去の旅を満喫する。この小説の最大のユニークな点であり、最高の魅力だった。なにせダラス暗殺までまだ5年の猶予があり、肝心のオズワルドはソ連に滞在中なのだ。
50年代のアメリカ郊外の牧歌的な風景にハイスクールでの生活。演劇に打ち込み、パーティがありダンスがある。ジェイクは良き生徒がいて良き教師仲間にも恵まれる。まだビートルズが出現する前のオールディーズな雰囲気と運命をともにすることになるセイディー・ダンヒルとの恋。
なにか違うジャンルの小説を読んでいる気分だったが、私はこのジョーディでの日々が読んでいてたまらなく好きになっていた。
わりとマジに、ジェイク!ダラス暗殺事件の阻止なんてやめておけ、このジョーディで楽しく暮らしていればいいじゃないか。もうジェイクとすっかり同じ気分を共有していた。
いうまでもなく、この小説はタイムトラベルサスペンスであり、SFクライムノベルズだ。平穏な日々ばかりはいつまでも続かない。前提にダラス事件の暗殺阻止があるのだから平穏な描写の中にも緊張感は付きまとう。
「過去は過去そのものに共鳴する」という不思議な符号がそう。また「過去は変えられることを好まない」という実感もジェイクに暗い影を差す。そしていよいよオズワルドがロシア人妻と幼い娘をつれてアメリカに戻ってくる。暗殺阻止とは即ち、オズワルド殺害とイコールだ。まさに北の国から不幸が空港に降り立ってくる感じ。ジョーディでの時間に魅了された読み手は次第にオズワルドを憎みはじめる。それもキングの巧みなリードに他ならないのか、多分そうなのだろう。
そんな中、共鳴現象で警告を鳴らされていたセイディーに思わぬ不幸が訪れ、ジェイク自身も致命的なダメージを負う。
さらに11/22/63が近づいてきて、いよいよジェイクがダラスのテキサス教科書倉庫に乗り込む件になると、例の共鳴現象と過去の抵抗から様々な困難がジェイクの身に降りかかってくる。正直、そのあたりの描写はクライマックスなのだろうが、ややハリウッド映画のCG満載のマライマックスを想像させて、大興奮というわけでもなかった。
それよりもジェイクがセイディーにすべてを打ち明ける場面の方が好きだった。いよいよこちらはサスペンスを読む気ゼロになっていたのかもしれない。
例によってこの辺りの核心についてはあまり書かない方がよさそうなので、「バタフライ効果」によって現在がどのように変貌していたかについては触れないたでおきたいが、エンディングは感動ものだったとだけ書いておこう。ジョーディでの時間を丹念に描いたからこそこのエンディングが見事に生きた。まさにキングの掌で遊ばせられた読書になったようだ。
さて、そのスティーヴン・キング。著作を読んだことはなくとも多くの映画化やテレビ化で題名だけはかなりの数を列挙できる説明無用の “キング・オブ・ホラー”だ。キング作品との最初の関わりが映画化された『キャリー』を高校生のときに観たときだとすると、個人的にも40年近くになる。
小説は20代のときに『シャイニング』を途中まで読んで挫折した。ホラー小説なるものを初めて読んでやろうかと思ったものの、その文体があまりにも文学的であったことに面喰い、内容もひどく難解に思えた。もちろんあの頃は超いい加減な本読みだったので、今読み直したら文学的でも何でもないのかもしれない。いつかリベンジしてやろうかと思っているのだが。
しかし途中で放棄した苦い思いだけはずっと残っていて、この度の『11/22/63』も「このミステリーがすごい!」と「文春ミステリーベスト」でともに1位という帯の惹句がなければ衝動買いには至らなかったと思う。
非ホラー映画の『スタンド・バイ・ミー』や『ショー・シャンクの空に』などもあり、本は敬遠してきたものの、キングの映画はずっと身近にいたし、A・A・ロメロ監督の『クリープショー』で姿を見せたあの異様な風体が強烈過ぎて、 “巨匠”と呼ばれているのことに些かの違和感を覚えていることも白状しておこうか。
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