◎隠蔽捜査
◎隠蔽捜査
今野 敏
新潮文庫
文句なく面白かった。評判はあちこちから聞こえてきたが、警察小説というものがこんな形で表現されるのはまったくの予想外だった。
【竜崎伸也、四十六歳、東大卒。警察庁長官官房総務課長。連続殺人事件のマスコミ対策に追われる竜崎は、衝撃の真相に気づいた。そんな折、竜崎は息子の犯罪行為を知る。組織を、そして自らを守るために、竜崎が下した決断とは…。】
主人公の竜崎伸也は警察庁の課長。東大卒で国家公務員上級試験合格者。つまりバリバリのキャリア警察官僚だ。刑事ではなく警察官僚を主人公とした小説がまったくなかったとは思えないが、少なくともエリートが何ゆえにエリートであるのかを自覚し、その信念を最後まで貫こうとする人物が物語を動かしていく小説には初めてお目にかかる。
なにせ東大卒であることに固執し、家族をろくに省みず、職場のコミュニケーションなど官僚には不要だとばかり、部下にすら心を許そうとしない男が主人公だ。警察小説において、こういうキャラクターは、叩き上げの現場捜査官と対峙させるために存在するのがルーティンだった。庶民感覚からすると異常に独善的で偏狭な性格であり、「鼻持ちならぬエリート」という程度を超越した人物。ありがちな刑事ものなら、さしずめ「悪の権化」として君臨する役割だ。こんな人物が果たして主人公になるのか疑問に思う以前に、私は読み始めてしばらくは、冒頭から登場した竜崎伸也が主人公であるとすら思っていなかったのだ。
大概、こういう人物は徹底的に挫折するか、事件を通してヒューマニズムの洗礼を浴びて改心するかのどちらかに転ぶ。実際、今野敏は物語の中に竜崎を転ばせるようなシチューションを次々と仕掛けていくのだが、その仕掛けが抜群に巧いので、エリートの化けの皮が剥がれていくどころか、読み進めていくうちに深みと厚みが増してくる。
そう『隠蔽捜査』は、読者が竜崎伸也を理解していく作業に追われる小説だといえる。そして竜崎伸也を理解するということは、今野敏が考える真のエリートとは何か、あるべき官僚の姿とは何かを理解することでもある。
竜崎は決して人間性の希薄な官僚ロボットではない。エリートであることの選民意識はあっても、それは自分に科せられた使命であると自覚している。本質的には出世や肩書き、そして正義すらも合理性で判断して、それを優先させる。見てくれの肩書きや官僚同士の出世争いよりも赤心に近い信念の持ち主なのだ。
官僚に対する世間の目は厳しい。そしてその世論は現政権である民主党の「脱・官僚キャンペーン」で沸騰し、マスコミは嬉々として官僚の不祥事を書き立てる。我々のような“持たざる者たち”にとって、官僚バッシングは痛快なものなのだ。
そこには勉強一筋に競争社会を生き抜いてきた者へのやっかみが大半なのだが、羨望と嫉妬は背中合わせにあり、我々はその「勉強一筋」という部分を愚弄するのに必死になっている部分もある。それはガリ勉に対する軽蔑であり、世間知のない者が権力側にいるという潜在的な不快感なのかもしれない。
しかし、果たしてそういうものなのだろうか。確かに明日の糧すらも保証されない民間人にとって、昼行灯のレッテルを張られながら厚遇に恵まれる公務員には腹が立つことが多い。そして、その怒りの矛先は公務員の頂点に君臨する官僚へと向う。それを扇動するマスコミは官僚を叩くことを反権力の旗印とし、気骨あるジャーナリズム像を装うのだが、実はマスコミこそ世論を誘導する存在的な権力者でもある。市役所の戸籍係などを見るとお気楽に見えるが、その延長に官僚を捉えるのはお門違いも甚だしいところで、深夜の丸の内のオフィスビルは真っ暗でも、霞ヶ関には煌々と灯りが点っていることが多い。
竜崎伸也は警察庁長官官房にいて、そんなマスコミ対策に追われている。マスコミの向う側には当然のことながら世間がいる。その世間から国家警察の体制を守るのことを職務とするのだが、体制は死守するものの対面などは二の次だとばかり、ある事件を通して幼馴染のキャリア刑事部長の伊丹俊太郎と激しく対立する。
この二人の過去のいきさつが本書の主人公は敢然として竜崎伸也であるという存在証明にもなっているのだが、『リオ』での警視庁強行犯係長・樋口顕の世代論の重複には多少かったるいものを感じさせた筆致が、ここでの見違えるように冴え渡っている。その伊丹の描写もステロタイプのキャリアエリートではないだけに面白く読ませるのだ。
今野敏は大胆にも「足立区女子高生コンクリート詰め殺人」と「国松警察庁長官狙撃事件」を俎上にあげている。現実の事件を物語に取り込むことで小説にリアルな迫真性をもたらすという手法は好きな手ではないが、このふたつの事件を通して『隠蔽捜査』の竜崎と伊丹の思想対決がより臨場感を帯びたことは否定出来ない。
先ほど、「今野敏が考える真のエリートとは何か、あるべき官僚の姿とは何かを理解すること」がこの小説の読み方であるようなことを書いた。実際、『隠蔽捜査』の文中に出てくる数々の名台詞をここに羅列すれば今野敏のエリート論を紹介できるだろう。しかし『隠蔽捜査』は論説ではなく、最初から最後までエンターティメントとして完結したものだ。当然、この物語の真髄は理論の先にある「抜群の面白さ」にある。
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