◎誰彼

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◎誰彼たそがれ
法月綸太郎
講談社文庫


 再び法月綸太郎を読む機会を得た。そしてまた首なし死体が出てきたのでたまげてしまった。
 なんでも「双生児」「密室」「首なし死体」はミステリー三大噺だそうだ。さぞ年季入りのミステリー読みたちの間では本作をとっかかりにエラリー・クイーン後期の手法だとか何だかとか賑々しく自論が展開するのではないかと想像するのが、そういうことにまったく興味がない私は淡々と法月綸太郎の初期作品と対峙するのみとなる。
 
 【新興宗教の教祖が、脅迫状の予告通りに地上80メートルにある密室から消えた。そして4時間後には、マンションで首なし死体が見つかる。死体は教祖?なぜ首を奪ったか?連続怪事の真相が解けたときの驚愕とは?】

 これが“新・本格派”のひとつの典型なのか、ストーリーもプロットもまさに複雑多岐。読書を3日もサボっていたら、本を開いた途端にことの詳細を失念しページを遡って確認するという破目になる。
 しかし物語の全体像は至極簡単で(ネタバレ以前だと思うので書いてしまうが)、風貌が良く似た三兄弟がいる。次男三男は双子。マンションの一室で首なし死体が発見される。死体は兄弟の内の誰なのか、殺したのは兄弟の一人なのか、誰が誰になりすまして捜査当局(読者)を欺いているのか?という構成。
 根幹は明快なのだが、もう枝がしつこいくらいに八方に張り巡らされて、それを掻き分けながらページをめくっていくのが楽しくもあり、しんどくもある。

 法月は1964年生まれ。『誰彼』は二十四歳の執筆ということになる。確かに本人が文庫版の〔あとがき〕に記しているように「ほうぼう穴だらけで、常識に欠け、若気の至りそのもののような荒削りの小説」ではあったと思う。かといって四十になる法月がベストワンに輝いた『生首に聞いてみろ』で端正なミステリーを仕上げていたのかというと、とてもそうは思わない。「どうしてこの状況でそんな台詞が出てくるのか」という箇所は両作品ともに散見されるし、クイーンへのオマージュなのかパロディなのかは知らないが、名探偵・法月綸太郎と父親の法月警視との妙な一体感も好みではない。
 ただ『生首に聞いてみろ』初読時に感じた父子への違和感は『誰彼』を読んで納得する部分もあった。前回はその風貌すらも具体的に思い浮かばない法月綸太郎の探偵像には不満たらたらだったのだが、この主人公は探偵小説にしては異常なくらいに狂言回しに徹しているので、変にエキセントリックなキャラクターにしていないのは正解なのかも知れない。主人公なのに狂言回しという役割もおかしな話だが、父親とディスカッションしながら事件をより複雑な方向にこねくり回す探偵が臭いプンプンだったらギャグ小説になってしまうだろう。なにせ法月警視が息子にいう台詞「事件の枝葉末節な部分にとらわれるな。我々は本丸から捜すべきだ」は、結果的に正論だったりもするのだから妙な探偵小説ではある。この法月警視が名探偵気取りの息子にことごとく冷や水をぶっかけていく様はなかなか痛快だ。
 こうして『誰彼』を読んで、再び『生首に聞いてみろ』を読み返したらもう少し違う感想になっていたのではないかとは思う。こうして作家の時系列を辿っての読書ではなく、つまみ食いでチョイスをしている以上はレヴューめいたものを書きながら恥を晒し続けてしまうに違いない。
 本来は「線」としてではなく作家と読者の関係のとっかかりは「点」であることの方が普通なのだから、ある種の“慣れ”で成立するような作風には途惑うばかりだといっておきたいのだが、『誰彼』は『生首〜』を読んでいたおかげで楽しめたという側面もあり、まったく読書とは一筋縄では行かないものだ。

 最後に蛇足ながら、この文庫の解説者が「双生児」「密室」「首なし死体」のクラシカルな三大噺に「新興宗教」「フィリピン人じゃぱゆき」「過激派闘争」の社会問題三大噺を融合させたことで、ニュークラシックと呼ぶに相応しい味わいを引き出していると書いているが、こういうのを駄文と呼ぶに相応しいと書いておきたい。


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