◎行きずりの街
◎行きずりの街
志水辰夫
新潮文庫
世評によると志水辰夫の代表作といえば『背いて故郷』と『行きずりの街』ということになっている。
なるほど前者は「日本推理作家協会賞」、後者は「このミステリーがすごい!」での平成2年度のベストワンに選出されている。別に『新宿鮫』の四作目が直木賞をとったからといってシリーズ最高作でもないのだが、読書道初級の輩としては読書の動機づけとして「受賞作」とは非常に便利なものであることは違いない。
【女生徒との恋愛がスキャンダルとなり、名門校を追放された元教師が失踪した教え子を捜しに再び東京へ足を踏み入れた。そこで彼は意外な事実を知った。十数年前の悪夢が蘇る。過去を清算すべき時が来たことを悟った男は、孤独な闘いに挑んでいく。】
それにしてもこうして志水辰夫の代表作と呼ばれるものを続けて読んでみて、志水辰夫とはとことん手が合わないということだけはわかった。
“志水節”という文体には時折「はっ」とさせられはしたが、『背いて故郷』を通過してもなお、その文体が水際立てば立つほど物語の中での主人公が置かれている状況とのバランスの悪さを払拭することが出来ない。
このままでは前項と同じ感想になってしまうのだが、巻末で圧倒的な賛辞を贈る北上次郎の解説を読んでしまうと、私の読後感とのあまりの乖離に焦燥感は募る一方だ。
そもそも他人が貶したものを面白がれたときには自信満々となるのだが、その逆には滅法弱い性質なのだ。これが高校生のときに読んで面白くないと思ったものなら、いつか年齢を重ねて読み返したとき、それなりの人生の深みを踏まえて面白さも染みてくるに違いないと納得も出来るのだが、もう十分にオッサンになって、この先は枯れる一方なのだから困ったものだ。
小説なんてものは書評がどうであれ、自分が好きか嫌いかで評価を決めればいいのだけど、早い話が私の読書力なんてものにはてんで信頼を置いていないので、時たまこういう自信のないことになる。
前作といい、何故、ここまで私はこの主人公に共感がもてないのだろうかと、そればかりを考えながら文字を追っていた。主人公の独白によって進行する文体で共感を得ることができない読書がかくも辛いものかというのを思い知らされた。
一人称ハードボイルドという体裁である以上は主人公が饒舌であることは仕方がないことだとしても、主人公が独善的に行動していく展開に絡みつく饒舌に一体どうすれば共感できるのだろう。
『行きずりの街』というタイトルそのものにも理解できないのだから、もう救いようがないということか。
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