◎県庁おもてなし課

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◎県庁おもてなし課
有川 浩
角川文庫


 あれは20代の後半の頃、高知には一度だけ行った。坂本竜馬、中岡慎太郎、武智半平太などの幕末の土佐の英雄の足跡をめぐる目的で、会社の同僚と大阪からフェリーで乗り込んだのだったか。メインは竜馬の銅像が立つ桂浜で記念写真だったが、呆れるほど広大な海岸線に惹かれるように室戸岬から、四万十川に寄り道して足摺岬まで、かなりの時間をかけて、やみくもに車を走らせたのだった。
 確かに市電が行き交うはりまや橋界隈の繁華街を除けば、思い出されるのは延々と続く海と山と川。時代の要求だったのだろうか。こんな田舎からよくぞ歴史に名を馳せる志士たちが輩出されたものだと感慨に浸ったものだった。

 【高知県庁に生まれた新部署「おもてなし課」。若手職員の掛水史貴は、地方振興企画の手始めに地元出身の人気作家・吉門に観光特使を依頼する。が、吉門からは矢継ぎ早に駄目出しの嵐。どうすれば「お役所仕事」から抜け出して、地元に観光客を呼べるんだ!?悩みながらもふるさとに元気を取り戻すべく奮闘する掛水とおもてなし課の、苦しくも輝かしい日々が始まった。】

 有川浩の小説世界を強引に大別すると、ノウハウ系と、ファンタジー系とがあり、本作は、『シアター!』 『植物図鑑』 『フリーター、家を買う。』に続く前者となり(後者の代表が『図書館戦争』 『空の中』などの自衛隊ものか)、さらに取材を含む進行がメタフィクションになっていることで、『県庁おもてなし課』はドキュメンタリー的な妙味も加わって、なかなか面白い小説になっている。
 ただ『図書館戦争』のように読者の中に架空の現実と日常を構築してから、その中での常識、非常識を描き分けていくパターンと違い、ノウハウ系というのは、読者を題材への実際的な興味で惹きつけて「ああ、なるほど」と納得させながら面白がらせるという意味で比較的容易なジャンルであるとは思う。
 ニュースや新聞などで「かくもお役所というのは融通が利かないものなのか」と漠然と考えることはあっても、巧みに物語に落とし込まれると、そのことが具体的によくわかってくる。その意味でストレートに「お役所仕事」からの脱却をひとりの公務員の成長物語として描いたことは正解だった。

 「この物語はフィクションです。しかし、高知県庁におもてなし課は実在します」。
 物語はこの短い文からはじまる。
 メタフィクションと書いたが、高知出身の有川浩が実際に観光特使に任命され、そこで高知県庁のおもてなし課とのやりとりがあり、おそらく物語中の作家・吉門喬介がそうであったようにファーストコンタクトでグダグダな思いをさせられた。そこで「あっ、これは小説になる」と踏んだのだろう。もちろん、小説で高知県の良さを余すところなく紹介するので取材させろという恰好の殺し文句をひっさげて。
 もともと『空の中』で、故郷の仁淀川への思いを祖父と孫の物語に仮託して感動的なストーリーを編んだ有川浩だ。故郷愛を綴っていくことに一縷の迷いもなかっただろう。
 だから前提として『県庁おもてなし課』はある種の観光小説の意味合いを持ち、この本の評価は読者が高知に行きたくなれば勝ちだという側面もある。

 しかし観光小説として、地元の人間ですら見過ごしていた観光資源を発掘する作業の中で、主要五名の人物を自在に物語の中に融合させ、なかなか面白い人間模様に仕上げた有川浩は冴えている。
 カタログ的に高知県の名所を並べただけの小説ではなく、町おこしのアイデアを披露するだけの小説でもなければ、融通の利かない行政の現実を暴露する小説でもない。いや、その全部を確実に網羅しつつも、県庁おもてなし課の掛水と多紀のコンビに、「パンダ誘致論」で県庁を追われた清遠和政、娘の佐和。そしてその双方に因縁を持ってしまう作家の吉門喬介といった人物たちの物語を中心として物語全体を引っ張った。
 ノウハウ小説、観光小説といっても最大の肝は物語。間違いなくフィクションの力がこの小説の面白さとなっている。なかなか巧い構成だ。
 当然そこには“ラブコメ女王”の本領も発揮されており、読者の欲求を裏切らない程度の恋愛要素も仕込まれている。まぁそのあたりは50過ぎのおじさんとしては突然に変調する少女漫画展開に「えっ?」と思わないこともないのだが、さすがに慣れた。それなりの耐性も出来たのだろう。
 
 さて県庁の観光課となれば、プランやサービスなど日常的に民間活力と交わることが必須となり、そこで様々なギャップが発生する。
 「お役所仕事」の実際を、それなりの皮肉を込めて描きつつ、「行政の壁」にもがいているのは民間だけではなく、「おもてなし課」などという部署に配属されて、あたかも「民間に開かれた役所」のイメージだけを背負わされた公務員たちではないのかというところに有川浩は行き着いた。
 この視点はなかなか面白く、「お役所仕事」への皮肉から同情へとシフトし、やる気が空回りしていく県職員たちへの共感となってシンパシーを深めていく。
 公務員が新たな計画を提案する以上は、そこに予算づけという仕事が発生する。おそらくこの予算づけこそが彼らの最大の仕事なのだろう。新年度の予算案が既に確定しているとすれば、六月の補正予算に乗せるか、補助金を申請するしかない。
 しかし「トイレを清潔にする」程度のことでも予算が下りてこない。特定の施設だけに予算が使われると不公平になるからという論理になってしまう。これを融通の利かないお役所の論理だと一笑に付すなどできない、もともと民間側の要求が招いたことなのだからややこしい。
 「全ての業務にマニュアルがあり、即応性を求められる事柄も手続き論で停滞する。それは手続きで縛らなくては信用できないという前提を背負わされている」曰く、「非効率であることを義務づけられている」「求められたのは創造性や柔軟性よりも硬直性だ」となる。
 個人的に公務員あがりの人たちと仕事をしている私が日々痛感していることではないか。

 思えばこの小説は、おもてなし課の掛水君が「行政の壁」を豪快に突破して、高知県を観光客で溢れさせるという結末を大団円にしているわけではない。むしろ「気づき」という些細なインスピレーションの誕生を描いているに過ぎないのだ。
 描きたかったものは「成功」ではなく「成長」。実はそこが『県庁おもてなし課』の肝心な要素ではなかったかと思うのだ。
 もう一度書くが、間違いなくフィクションの力がこの小説の面白さとなっている。

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