◎燻り

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◎燻りくすぶり
黒川博行
講談社文庫


 熾烈な人間喜劇だ。いつかのし上がろうとする奴、一発逆転を企む奴、刹那的な快楽に道を誤る奴、そんな奴らが蠢く9編の物語。
 奴らの物語の結末は例外なく憐れである。
 「いまに見とれ、おれの尻を舐めさせたる」(「燻り」)
 「任せとけ、今度こそ金にしたるわい」(「腐れ縁」)
 そんな断末魔の捨て台詞は情けなく、みずぼらしいのだが、だからといって絶望に首を括って死のうかという輩などひとりもいない。おそらくこの小説を彩る悪党どもは恥を晒しながらも生き抜いていくのではないか。不思議とそんな生命力に満ち溢れた連作集でもある。

 【関西アンダーグラウンド世界に蠢く男たちのシノギをけずる暗躍。一獲千金を狙って騙し騙され、燻り続ける執念を描く。表題作ほか「腐れ縁」「二兎を追う」「タイト・フォーカス」など9編を収録した作品集】

 連作集とはいえ初出が「週刊小説」「小説現代」「EQ」「野生時代」「小説宝石」「小説新潮」と様々であり、通奏低音としては一貫しつつも、作品の内容は警察小説、推理もの、倒叙ものとバラエティに富んでいる。
 単純にストーリーとして面白かったのが強盗殺人の容疑をかけられたケチな空き巣の話で、『二兎を追う』というタイトルもシャレが利いているし、『迷い骨』は身元不明の白骨死体の正体は?という本格ものの王道を正攻法で楽しませてくれる。『忘れた鍵』などはアリバイ工作、密室殺人まで趣向を凝らし、黒川のストーリーテラーぶりを垣間見られて楽しかった。さらに『地を払う』での総会屋が巧妙に企業恐喝を仕掛ける面白さと、『夜飛ぶ』での骨董の贓物売買のからくりは黒川ピカレスクの真骨頂だろう。
 いずれにしてもこれを単発でドラマ化しても十分に大人の鑑賞に堪えうるものとなるだろうし、ラジオドラマならば深夜の大黒ふ頭のパーキングに車を止めて聞き入ってみたいものだと思う。

 アンダーグランドに対する内なる憧れというのは誰にでもあると思う。もちろん同時にコトを仕損じたときの破滅という悪夢も想像して、多くの人は一線を踏み外すことを躊躇うのだろうが、現実に一線を踏み外すことから人生を謳歌しようとする種類の人間もいるわけで、そこに黒川博行の小説に惹きつけられるすべてがある。
 そんな具合に「ピカレスク小説」だという前提があり、ある程度、黒川博行の世界観も解ってきたつもりで、例によって大阪の裏街道を舞台とした常道を逸した奴らの話を楽しむためにページを開いていたのだが、『疫病神』を読んでいた頃の別世界のフィクションに遊ぶという感覚から、読み込んでくるにつれて、これは「共感」の世界なのではないかと思い始めている。
 冒頭の『燻り』は拳銃をコインロッカーに入れるだけの仕事を任されたチンピラが、移動中に検問にあって懲役を食らうという僅か10ページ足らずの小編だ。最終話まで読みきってから、もう一度『燻り』を読み返してみたのだが、こういう落とし穴や皮肉な出来事は我々の日常にはいくらでも転がっており、さすがに表題作だけのことはあって全作中でも不思議な味合いを醸している。
 デート嬢を買ったことで殺人の捜査に翻弄される憐れな高校教師を描く『錆』も同様で、一歩間違えれば奈落の底というのは、その一歩の間違いが日常から見えないだけの話で、そこに怖さがあって面白さもあるのだろう。
 確かに自分も地道にキャリアを積んでいくという人生を諦めざるをえない歳となって、一攫千金への渇望は日々増すのみであるのだが、リスクを負うほどの気力が今ひとつ内から湧きあがってくることもなく、火もつかないので“燻る”ことも出来ない。どこまでも“勃ち待ち”のままという情けなさだ。
 そんな男としてどこか去勢されてしまっているのではないかという気分を黒川博行に喚起させられた読書だった。


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