◎海底二万里

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◎海底二万里
ジュール・ヴェルヌ(Vingt mille lieues sous les mers)
江口 清・訳
集英社文庫


 一読して、まず子供の頃に児童向けに翻訳された『海底二万里』を読まないまま、だらだらと大人になってしまったことを悔やんだ。
 子供のときに読んでいれば、もっと科学や生物に興味を持てたのではないか。または世界の海を地球儀レベルでもっと理解しようしとしたのではないか。
 おそらく18世紀に上梓されたジュール・ヴェルヌのSF冒険小説を読んで、未知の大海に夢を抱き、あらゆる分野に進出した子供たちは幾万もいるのに違いない。
 それだけ『海底二万里』という物語に積み込まれた情報量と想像量たるや膨大の一言に尽きた。
 これをこの歳になって読むかとなったきっかけは、森見登美彦の『四畳半神話大系』の中の主人公やその好敵手、神様となった先輩から果てはダッチワイフまで、皆が愛読していたのが『海底二万里』だったという他愛のない話だった。
 あの小説の中で、暇に任せてノーチラス号の航行先を地球儀に虫ピンで押していく読み方って面白いなと思ったが、それ以前にアニメの『ふしぎの国のナディア』を観たときに、ジュール・ヴェルヌを意識してもよかったのかもしれない。ノーチラス号やネモ船長は本作からではなく、『ふしぎの国のナディア』で知った。

 【フランスの博物学者アロナクス教授は召使いのコンセイユ、漁師ネッド・ランドとともに謎の人物ネモ船長がひきいる巨大潜水艦ノーチラス号にとらわれ、海底の冒険旅行に巻き込まれる。】

 さて、先述したようにあまりにも膨大な情報と想像が凝縮されたような世界であるため、とても一気には消化できないだろうと思い、何冊かを挟んで少しずつ読んでいった。
 読んでいったというよりもノーチラス号に乗船した壮大な旅をゆっくり果たしたと書いた方が正しいのかもしれない。
 もっとも生来のものぐさが祟り、春から読み始めた『海底二万里』を何か月もかかって完読したあと、感想を書くまで3ヶ月も放置してしまうという体たらくで、こんなことでまともにこの壮大作の感想が書けるものだろうか自信がないが、まあいいや。

 それにしても恥ずかしながら『海底二万里』以外にもジュール・ヴェルヌは『八十日間世界一周』『十五少年漂流記』『地底探検』『月世界旅行』の作者でもあることも初めて知る。まったく私の本の知識など穴ぼこだらけもいいところだ。
 さらに『海底二万里』が書かれたのが1869年だということなので、SFであるにも関わらず[読書道]では最古典になる。日本では戊辰戦争の終わりかけの頃だから、武士が刀や鉄砲を交えていた一方でこんな小説を生み出していた西洋文化の凄さに改めて驚かされるというものだろう。

 なかなか本題に入れないでいるが、まず読みかけで、こりゃひと筋縄ではいかないと思ったのはノーチラス号の構造や動力の解説もさることながら、海底描写の溢れんばかりの想像力だった。アナロクス博士やコンセイユが体験した海底の驚異をどうしたらここまで豊かにリアルに描けるものなのだろうと茫然とされられた。
 それというのも、実は私には本を読む感性の作業に際して、致命的な欠点がある。情景描写に接して脳内でそれを正確に立体化できないのだ。
 もちろんSF海洋小説の古典に対し、まして多少は翻訳者の解釈も介在する中で描かれる情景に対して、それを捉えることは難題なのだろうが、そこをどう想像力で補っていくことかについては子供の頃の方が容易だったのではないかと思うのだ。
 そう『海底二万里』は情景小説なのだ。想像した風景にあまり疑いを持たないことが子供の読者の特権であるのかもしれない。このことはジュール・ヴェルヌの世界観を読むにあたって実に重要なことなのではある。

 ノーチラス号とネモ船長は五万五千キロの海を潜航し、その間にクレスポの森で狩りをし、トレス海峡で座礁し、珊瑚の墓地を目撃しながらセイロンでは真珠を採取した。アラビアの海底トンネルを潜り抜けて地中海に突破し、アトランティスから南極点にまで到達する。とにかく海底一万六千メートルの冒険はめまぐるしく場面を変えていく。
 しかし私が、そのすべての情景を鮮やかに読み描き切れたかといえば、それは多分なかったのではないか。むしろ海底の情景が刻一刻と変化する中で、ますます筆が走りまくるジュール・ヴェルヌの奇跡のような豊富な知識と造詣の深さに面喰ってきたように思う。
 例えば生物の分類では主人のアナロクス教授にも一目置かれているコンセイユが、紅海でジュゴンと遭遇しするとすぐさま「脊椎動物、哺乳類、単子宮網、海牛目、人魚科」と分類してみせる。「人魚科」って何だ?と思いつつも、こういう薀蓄がとにかく満載で、正直、薀蓄が披露されるたびに、「そんなことよりも」と苛立っていくネッド・ランドの心境に近づいていくのを禁じ得なかった。

 もちろんそこまでに至る前にすでに『海底二万里』が単純な児童向け冒険小説ではないことは感じていた。
 アナロクスたちがノーチラス号に収容されるまでの客観描写は重厚であったし、厳格であり、冷徹な哲学的でありながら、反権力への熱い血潮を感じさせながらも、最後までネモ船長をミステリアスな人物として一貫させた。それはもの凄い筆致だったと思う。

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