◎楽園のカンヴァス
◎楽園のカンヴァス
原田マハ
新潮社
20世紀の絵画界に革命を起こした画家と、それを取り巻く人々の物語だ。
例えばクラシックの名曲で曲は知っていても、曲名と作曲者がイコールにならないのと同じように、ゴッホやピカソ、ルノワール、シャガールなどの有名どころの絵画ならともかく、この絵はモネ?ドガ?みたいな、私の美術における知識はそんなレベルだ。
冒頭に出てくる聖画の巨匠といわれるエル・グレコなど、ふとルチャリブレのレスラーが頭に浮かんでしまい、ひとりウケてしまった。
しかし絵画や、骨董を眺めたりするのは決して嫌いではない。サイレント映画『アンダルシアの犬』に大衝撃を受けてデパートのダリ展などに足を運んだこともないわけではない。が、要するにその程度にすぎない。
そんな脆弱な美術音痴といってもいいくらいの私が、内容も知らないまま『楽園のカンヴァス』を図書館に予約したのが、去年の末。読書の動機は本書が「このミステリーがすごい!」誌のベストテンに入っていたからだった。予約待ちから本が手元にくるまで半年かかっていた。
【ニューヨーク近代美術館の学芸員ティム・ブラウンは、スイスの大邸宅でありえない絵を目にしていた。MoMA所蔵のアンリ・ルソーの大作『夢』。その名作とほぼ同じ構図、同じタッチの絵が目の前にある。持ち主の大富豪は、真贋を正しく判定した者に作品を譲るとして謎の古書を手渡した。好敵手は日本人研究者の早川織絵。リミットは七日間。ピカソとルソー。二人の天才画家が生涯抱えた秘密が、いま、明かされる。】
「参ったな~」と駅前のモスバーガーで本を閉じ、アパートまで帰る道すがらで思わず呟いていた。今はまだ原田マハ『楽園のカンヴァス』の余韻に取り憑かれているのだが、この余韻から時間が経ってしまったら、どんな印象になって確立するのだろう。それが少し怖かったりもした。
今の気分を率直に書けば「素晴らしい!」のひと言なのだが、これを傑作と断言していいものかどうかわからない。本当に「参ったな~」につきるし、これ以上余計なことを書くと興ざめしそうな予感すらある。
そんな具合に無条件に絶賛するには何とも途惑う小説ではある。言い換えれば素直に絶賛してしまうことに一抹の恥ずかしさがつきまとうとでもいうのか。
例えば非常にとっつきにくく癖のある小説と対峙し、それを乗り越えたときの何かが報われたようなカタルシス。読み切った達成感からくる自己満足のようなものは『楽園のカンヴァス』から得ることはない。
よく出来た遊園地のアトラクションのように、ゴンドラに乗ってスタートし、そこで展開される物語を十二分に堪能してゴールへ移動してきたような感覚に近い気がする。
まったく、散りばめられたパズルのピースが見事にはまりすぎる。あまりにも見事なので、そこに「ご都合主義」という言葉がちらつかないこともない。エンターティメントとしては完璧に近いのだが、もう少し小骨が引っ掛かってもよかったのではなかったか。
そんな無い物ねだりをしなければ、原田マハを天才とあっさり認めなければならなくなる。それも怖い。でもそれほどの小説だ。
静謐な空間にアートが並ぶ美術館。興味ない者にとっては無機質に映るだろう。早川織江はその無機質な空間に立っている。彼女は岡山の大原美術館の監視員だ。そこでアートの薀蓄、美術館の薀蓄、業界の薀蓄が語られる。
思わずこれは私が最後まで読み切れない「趣味の小説」なのかと尻込みしてしまうのだが、その織江の耳に思いがけない名前が飛び込んでくる。ニューヨーク近代美術館のアシスタントキュレーターであるティム・ブラウンだ。
ここから物語は三時代を重層しながら加速する。その変調の鮮やかさに一気に小説世界へと誘われてしまった。
突然のように登場するアンリ・ルソーと同時代に生きたパプロ・ピカソ。20世紀間もない頃のフランスの空気。その空気が今まさに絵画の方向性に革命が起こることへの熱気を孕み、あたかも翻訳小説のような妙味で、時代の熱気の中で展開される初老の画家ルソーの平凡な主婦ヤドヴィガへの恋と、その周辺で息巻くピカソの荒々しいまでの激情が語られていく。
まったく門外漢である私でもぐいぐいと引き込まれてしまうのは、私がこの七章からなる物語を、若き日の早川織江とティム・ブラウンの背中越しに読んでいたからなのだと思う。
彼らのルソーへの深い理解と愛というフィルターを通して読んでしまうものだから、私も次第にルソーへの想いを募らせていくことになる。
思わずインターネットで閲覧できるルソーの『夢』 『飢えたライオン』 『私自身、肖像=風景』などをながめながら、不思議と胸に迫ってくる感動を享受するまでになっていったのだから、これは原田マハが仕掛けたマジックなのかもしれない。
一方、ピカソやゴーギャンが芸術への荒ぶる情熱を燃やし、ルソーが一途にヤドヴィガへの想いをキャンバスに捧げようとも、現実には億という巨額の取引が交わされる市場で、そこには様々な人間の思惑が交錯し、その渦に織江もティムも巻き込まれていく。
近代史のなかに刻然と現代人のマネーゲームが割り込んで、サスペンスの妙味すら感じさせながら、この小説の最大のテーマである「絵を守るのだ」という強い意志も浮かび上がらせていく。
そう、これはあくまでも虚実皮膜の世界。『楽園のカンヴァス』はミステリー小説だ。
原田マハは自身のルソーへの愛着を書き綴りつつ、歴史的事実と実在する組織や施設を背景に、大胆な仮説と「ひょっとしたら」と思わせるアイデアを連続させながら、至るところに謎を埋め込んでいく。そのパズルがあまりにも綺麗に嵌りすぎたので驚きの連続となったのだ。
とくに最後の最後で『夢』のヤドヴィガの左手に握られているかもしれないキャピタル。アナグラムが見事に完成したときには背中がゾクゾクとなった。
ある意味、原田マハにこの物語を書かせたのは「情熱」だったのかもしれない。
いやはや率直に素晴らしい本と出会ったものだといいきってしまおうか。
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