◎果断 隠蔽捜査2
◎果断 隠蔽捜査2
今野 敏
新潮文庫
映画やテレビなどで印象深い場面があると、その場面だけでも繰り返して観たくなることがある。私はこの本で同じ欲求に取りつかれてしまい、事件解決に至るクライマックスを繰り返し読んでしまった。いやはや吉川英治文学新人賞を受賞した第一作も面白かったが、続編である『果断』は更に上を行く面白さだと思った。
【警察庁から大森署署長に左遷されたキャリアの竜崎伸也。大森署管内で拳銃を持った強盗犯の立て籠り事件が発生。人質に危機が迫る中、混乱する現場で対立する捜査一課特殊班とSAT。竜崎はSATによる突入を決意するのだが…。】
月曜日の朝に刑務課長が持ち込んでくる決済箱が四つ。ファイル閉じされた700から800もの書類に押印する。実務は課のレベルでこなし、大きな事案は方面本部や本庁の指揮下に入る。署長は机に縛りつけられて一日の大半を押印に費やす。
物語は警視庁大森署の署長に就任した竜崎伸也の日常から始まる。前作の警察庁総務課長として颯爽と実務をこなす姿が描かれたこととは対照的な描写だ。そう第二作『果断』の面白さはキャリアエリート官僚である竜崎警視長の活躍というよりも、大森署の竜崎署長の横紙破りをたっぷりと楽しむことにある。
この『隠蔽捜査』は警察小説であるには違いないのだが、これは間違いなく一種のキャラクター小説だ。もっと砕けた書き方をすれば“竜崎伸也ショー”だと言い切ってもよい。
本来、ストレートな警察小説やミステリーは、まず先に何らかの事件が勃発し、そこに複雑な人間模様や犯行手口などを付加しながら、刑事なり探偵なりが解決に導くことでストーリーが構成されてゆく。しかしこのシリーズはあくまでも竜崎伸也という主人公がいて、事件や人間模様が竜崎の魅力を最大限に引き出す方向で厳選されているのだという気がしてならない。
キンパイ(緊急配備)がかかった消費者金融襲撃から料理屋籠城まで澱みなく事件を描写しながら、今野敏は捜査本部で指揮を執るようにそれぞれの事案に対して様々な人間を動かしていく。そこには警察組織のヒエラルキーもあり、立場も縄張りもある。刑事部長の伊丹俊太郎の存在は当然として、降格したキャリア署長に戸惑う署の幹部たち。面子が潰されたといって怒鳴り込んでくる方面管理官。立てこもり犯と交渉し説得を続けるSITと、突入による制圧を主張するSAT。ひと癖あるベテラン刑事。そして捜査の経過と処理をめぐり立ちはだかる警察庁監察官。
それら様々な登場人物たちをすべて原理原則に従い捌いていくことで一層キャラクターに磨きをかけていく竜崎だが、彼ら周辺の人物たちも竜崎と絡むことで生命を吹き込まれていく。まさに今野敏のプロットの巧みさを痛感させられる一編だった。
出世コースから外れてしまったキャリアといえば否応なく大沢在昌『新宿鮫』の鮫島を連想してしまうが、キャリアを捨て、警察官としての本能で突っ走る鮫島に対し、竜崎は常にキャリアであることを自覚しながら警察機構の理想形を体現しようとする。これが両者の決定的な違いなのだろう。そう第一作が「真のエリート官僚とは何ぞや」と読者が理解していく小説だったとすれば、今回のは読者に竜崎伸也という男を追認させていく小説だといえるのではないか。
しかし竜崎は原理原則の人ではあるのだが、闇雲に警察機構の規範に盲従することが彼の求める原理原則とはならない。警察組織というのは上意伝達が基本であることは十分に承知しているが、職務上意味のない面子や縄張り意識に対しては真っ向から反目する。さらに竜崎の根幹には「最良の選択」「効率」こそが原理原則だという信念があるため、有効と判断すれば部下の進言を容れ、思考を修整し、必要であれば妥協もする。この竜崎の原理原則の幅が読者には魅力と映るのかもしれない。
もちろん事件絡みだけではなく竜崎伸也の家族の描写も魅力的だ。むしろ家族というテーマは『隠蔽捜査』シリーズにおけるサブテーマでもある。今野敏は『警視庁強行犯係・樋口顕』シリーズでも妻と一人娘との日常描写に旨みを発揮し、その三作目の『ビート』では「刑事と家族」を真正面から描き切った実績があるので、実は家族描写は得意としているのかもしれない。
前作では長男のヘロイン使用という信じ難い現実に敢然と対峙してみせた竜崎も、『果断』では妻の冴子が倒れて緊急入院し、胃がんの疑いという衝撃に見舞われてしまう。
「医者ではないので傍にいても役には立たない」というのは捜査の激務の中で精一杯ひねり出した原理原則なのだろう。妻が入院してしまうとコーヒーの淹れ方もクリーニングの受け出しもままならない。風呂の沸かし方もわからず、ガスは危険だと操作を躊躇する。子供の頃から勉強一筋で世俗に塗れることなく根が純粋であるため『風の谷のナウシカ』のDVDで心が大きく動かされ熱い血が滾ったりもする。こんな具合に家庭内における竜崎には “天然ぼけ”のおかしさがある。妻は四角四面の竜崎を称して「東変木」という表現を用いるが、ありていにいえばこの妻こそが竜崎の一番の理解者であり、そこに何とも知れない暖かいものが漂うことになる。
銃撃戦もあり、男と男の意地と面子が火花を散らすような物語だったが、だからこそ愛情に回帰するような穏やかなラストシーンは秀逸だった。
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