◎塩の街

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◎塩の街
有川 浩
角川文庫


 先日亡くなった俳優の児玉清氏が有川浩の『阪急電車』巻末に解説を寄せており、そこで『塩の街』に触れていたのを読んで、近々手に取ろうと思っていた。因みに『塩の街』は『空の中』『海の底』と続き“自衛隊三部作”と呼ばれているらしく、『図書館戦争』から始まる“図書館シリーズ”と併せて、私は通販で7冊「オトナ買い」してしまっている。それほど『阪急電車』は面白かった。

 【塩が世界を埋め尽くす塩害の時代。塩は着々と街を飲み込み、社会を崩壊させようとしていた。その崩壊寸前の東京で暮らす男と少女、秋庭と真奈。世界の片隅で生きる2人の前には、様々な人が現れ、消えていく。だが―「世界とか、救ってみたくない?」。ある日、そそのかすように囁く者が運命を連れてやってくる。】

 さてこの『塩の街』は「第十回電撃小説大賞」を受賞した有川浩のデビュー作で、ラノベの金字塔ともいわれているらしい。お恥ずかしい話、私は「ラノベ」という言葉を最近になって知った(もちろん電撃文庫という存在も)。「ライトノベル」の略だそうだが、そもそもこのラノベとは何ぞや?児童文学やジュブナイル小説とどう違うのか。
 有川浩自身が「大人のラノベを目指した」と公言しているのだから、ラノベの定義は存在しているはずで、Wikipediaで調べてみると、「表紙や挿絵にアニメ調のイラストを多用している若年層向けの小説」ということになるらしい。
 しかし、私が読んだ角川文庫版の『塩の街』は表紙の装丁のタッチも重厚だし、難しい漢字にルビが振ってあるわけでもない。確かに一か所だけF14戦闘機のイラストが見開きで描かれているのがそれらしい雰囲気を醸しているが、もともと「純文学」と「大衆文学」という区別ですら無意味だと思っているので、こういうジャンル分けにはどうしても抵抗感を覚えてしまう。
 ただし、恋愛を絡めたミリタリーものという設定はいかにもアニメの世界であり、そういえば会話の部分に声優の台詞回しが聞こえてきそうな気がした。ラノベは小説、アニメ、ゲームとのメディアミックス戦略で市場に出るものが多いという。

 小説の感想を率直にいえば「泣けた」。しかし正直いうと途中までは「オトナ買い」したことを後悔もした。『塩の街』という小説世界に入り込むまで、それなりの時間が必要だった。それなりの時間とは、五十路過ぎのおっさんであるという自分を一旦、横に置くという作業と、その作業の必要性に気がつくまでに要した時間ということだ。
 しかしそれが出来たのはこの年齢なればこそという気もする。はっきりいって十代、二十代の時にこれを読んだら「なんて甘ったるい恋愛小説なんだ」と一蹴していたかもしれないし、三十代でも厳しかったか。やはりある程度のことを鷹揚と受け入れられるような歳になったからこそ、このひと周り下の女性作家の創作した世界観の中で遊んでやろうという気になったのではないか。

 重い荷物を背負って生き倒れた遼一を女子高生の真奈が助け、同居する秋庭の家に連れ込む場面からこの物語は始まる。ここはある日突然、塩の結晶が東京湾に降り立って以来、人々が塩になる「塩害」と呼ばれる奇病が蔓延する東京。
 やがて遼一の重たいリュックの中身は塩の彫刻と化した恋人であり、彼自身もまた塩害に侵されており、恋人と二人で海の中に溶け合うために旅をしてきたことが明かされていく。それまで遼一が主役なのかと思っていたのだが、物語は唐突に劇的なラストを迎えてしまう。
 このオープニングエピソードに象徴されるように、『塩の街』で描かれているのは、塩害によって悲しい運命に晒される恋人たちの末路ではなく、塩害によって初めて結ばれた恋人たちの旅立ちであるようだ。
 「もし塩害がなかったら真奈は両親を失わなかった。しかし秋庭には出会わなかった。どちらがよかったかなど真奈にはもう決められない」とあるように、SFやサバイバルに触れるのは最小限に止め、あくまで主題となっているのは、不思議な世界で結ばれる運命の不思議さといったところのようだ。

 年が十歳離れた自衛官と女子高生の恋愛。秋庭は自分が死んでも愛する女を守りたいと思い、真奈は世界が滅びようとも愛する男と一緒にいたいという。そして物語の中心は真奈の初心な恋愛感情の吐露となる。
 いわゆる「ベタ甘」というやつで、そこを身悶えしながら何とかページを読み進められたのは、ひとえに有川浩の語り口に乗せられてしまったからに尽きる。
 「俺たちの生き死にが一大事なのは俺たちだけだ。それが世界の一大事と思っているのも俺たちだけだろうよ。恐竜が死んだときだって地球は不都合なく回っていたんだ」
 「愛は世界なんか救わないよ。賭けてもいい。愛なんてね、関わった当事者しか救わないんだよ。救われるのは当事者たちが取捨選択した結果の対象さ」などの台詞にはちょっとした哲学を感じさせる。こういう語り口がたまに出てくるのならば、最後まで読み切ろうかと思った。

 有川浩は巻末の「あとがき」でこの原稿を読み返した時に拙いと感じたと正直に書いている。確かに拙さは随所に感じることが出来る。構成は悪くないと思ったが、塩害の解決方法にやや拍子抜けしてしまった読者も多かったはずだ。
 しかし「仮にも活字でメシを食って七年目に入る人間の剪定を拒むほどに我の強い原稿でした」と書いてある通り、『塩の街』の力強さは認めるべきかもしれない。
 

 


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