◎原始人

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◎原始人
筒井康隆
文春文庫


 【男は“獣欲”を満たすために棍棒を振るって女を犯し、“食欲”を満たすために男の食物を強奪して殺す…。“弱肉強食”時代の人類の始祖・原始人の欲望むき出しの日常を描いた衝撃作をはじめとした十三篇。】

 何十年ぶりかで手にとった筒井康隆だ。もともと熱心な読書家ではなかったものの、読む本に迷ったら筒井を買っとけという具合に大学時代から就職してまもなくは筒井康隆ばかり読んでいた。最初に読んだ筒井作品は『男たちのかいた絵』だったか。
 『脱走と追跡のサンバ』の中盤で物語が迷宮に入り込んで前衛化したあたりから筒井を読むことの息苦しさを感じ、書店にて話題作となった『虚構船団』の豪華装丁による新刊を手にして、レジまで持っていくかどうか躊躇ったのを最後に筒井の作品とは縁が切れていた。
 その後、筒井はマスコミの過度の自主規制からくる「言葉狩り」に腹を立て断筆宣言。役者としてテレビドラマで顔を出すようになる。もともと読書量が減っていたこともあるが、この辺りになると創作ではない生の筒井が露呈しすぎているようで、筒井康隆は何処に行こうとするのか案じつつも二度と読むことはないと思っていた。
 しかしこうして本屋通いの頻度が増して、馴染みのないタイトルの筒井作品が陳列棚に増えていくにつれ、読書経験の中で重要な位置を占める作家が『読書道』に登場しないのは誠に不自然な気がして、久々に手に取ることにしたのだが、読書動機としてはやや突飛すぎただろうか。
 そして久々に読んでいて改めて確信した。筒井の小説は筒井の創作した物語を読むのではなく、筒井康隆その人を読むものだといういうことを。

 『原始人』の文庫の巻末には〔単行本・昭和六十二年文藝春秋刊〕とあるので、私が筒井から縁が切れてからの作品。今回、たまたま13編のショートショートを読むことになったのだが、紆余曲折を経て筒井康隆ワンマンショーの色合いはますます濃厚になっている気がした。漢字、平仮名、片仮名を縦横無尽に駆使し、書籍というフィールドで出来る限りの新作芸を披露しているようでもある。
 表題にもなっている『原始人』は人類の祖先が本能のままに生きる行動を、筒井の注釈つきで読ませるという趣向だが、主人公が原始人であるだけに測定不能の世界観が展開され、モラルそのものがないのだから「何でもあり」という状況そのものが読者を圧倒する。そして筒井自身が密かに読者の限界点を探っているようなフシもあり、そのこと自体がテーマとなっている実験作でもある。おそらくこんな小説を書けるのは俺しかいないと読者に思わせずにはいられないといった感じだ。
 『怒るな』『他者と饒舌』『抑止力としての十二使途』『不良世界の神話』で噴出する文章の洪水は、内容を読者に説くのではなく、ひたすら「これを書いている俺ってどうよ?」という自身の存在感を読者に知らしめるための作品であり、あたかも内容に笑うな!饒舌極まりない俺を笑え、そしてこれを読んでいる自分を笑え!という筒井の悪魔的な叫びが聞こえてくるようではないか。
 『おもての行列なんじゃいな』に至ると主人公の独白がアル中のために次第に要領を得なくなり、最後は呂律が回らなくなり文章がすべて平仮名となって、やがて文脈が意味をなさない言葉の羅列となっていくという強烈さで、これが許されるのは筒井康隆以外にはいないのではないか。
 本書収録のショートショートのうち、唯一『おれは裸だ』が往年の筒井スラップスティックとして単純に爆笑させるように、筒井康隆はSFからジュブナイル、プロットをがっちりと計算した喜劇と、どんな小説でも書ける力量の持ち主である。それだけに、本書での壊れ方、破れ方に筒井一流の狂気の芸を読み取らなければならないのだろう。

 しかし筒井康隆。すでに七十代となり、最近の雑誌のインタビューでは
 「もうちょっとボケてきたら面白くなるよ。主人公がぼけてんのか作者がぼけてんのかよくわからんと、読者がハラハラして(笑)」
 う〜ん、そんなサスペンスに富んだ読書体験は考えるだに恐ろしく、激しくパスしたい気もするが…。


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