◎上野谷中殺人事件
◎上野谷中殺人事件
内田康夫
角川文庫
エルロイに苦しみぬいた3ヶ月間を終え、数日は本に触りたくもない気分だったが、ようやく反動が来て、譲り受けた内田康夫を手に取った。あらゆる意味でこの人ほど読書のリハビリに最適な作家は見つからない。事実、昼休みと移動の電車内の一日半で早々と読破してしまう。決して斜め読みしたつもりもないのだが、新宿駅から自宅の最寄り駅までの50分足らずの間に百ページ近く読んでしまったのだから、我ながらかなりの集中力を発揮したのだと思う。
文体が端正で読みやすいということもあるが、面白くなければ集中力など湧くはずもなく、それでいて読み終わった後に放心したくなるような余韻があるわけでもなく、いかにも濫作中の一作という、いつもの内田康夫には違いないのだが、案外それが常に読まれていることの秘訣なのかもしれない。
【浅見光彦に届けられた一通の手紙。それは、殺人事件の被疑者とされた青年が、自分の無実を切々と訴えるものだったが、青年は谷中霊園で死体となって発見され、警察は自殺と断定。不審を抱く光彦―事件の背後には、上野駅周辺の大規模な再開発問題が…】
物語の舞台は上野界隈。実は内田康夫の「旅情ミステリー」を読んできて、馴染みの土地が舞台となっているのは『横浜殺人事件』以来ではないか。
作中に「上野駅周辺は戦災の難を逃れたことによって、昔ながらの町並み、下町の情緒が色濃く残っている」とあるように、都心ではここら辺りが最も古くからの東京を感じさせるエリアだとは思う。一般に下町と呼ばれる墨田区、江戸川区、江東区などは再開発の真っ只中で高層マンションが濫立しており、隅田川の花火など江戸情緒どころか、ビルの窓ガラスに反射する花火を眺めるという有様なのだ。
もちろん、上野駅界隈も不忍池付近には高層マンションが建ち、そこの上階に住む俳優が「この窓から見下ろす不忍池は最高でねぇ」などとテレビで自慢して白けさせてくれるのだが、舞台となる谷中、根津、千駄木の通称“谷根千(やねせん)”は細かい小路に神社仏閣が点在するのを小規模な商店街が結び、界隈を散策するだけで庶民的なコミュニティが生きていることが実感できる。
更に本籍を未だに新潟県から抜いていない身としては上野駅にもひとかどならぬ思い出がある。何を隠そう私は上越線を蒸気機関車に乗って母親と帰省した世代でもある。
これも作中に「上野は終点駅ではなく終着駅」という名文が現れて驚いてしまったのだが、確かに広範囲での北日本各地に伸びた線路が一斉に終結する上野駅のスケール感は独特のものがあり、大きな荷物を抱えた人々が行き交う様には子供心にも圧倒させるものがあった。発車ベルが鳴っているのに駅弁を求めて戻ってこない母親を探しに半ベソでホームに駆け降りたなどという記憶もあるが、祖母を亡くしたときに取るものもとりあえず、夜行列車に飛び乗った固い座席と木造の薄暗い車内。夜を徹して牽引するディーゼルの重低音の軋みに震える母の沈痛な横顔を思い出させてくれた。考えてみれば盆暮れ以外に上野から北へ旅立つ列車にはそんな乗客も少なくなかったはずだ。
そんな上野駅は、詳細に紹介されているように老朽化が激しく、都心の巨大駅であるにもかかわらず暗く薄汚く不便なまま長年放置されており、内田康夫は上野駅の全面改修の計画が持ち上がったのをきっかけに再開発を推進する側と、上野駅が象徴する日本人の精神風土を保存しようとする側が対立し、殺人事件にまで展開していく物語を描いていく。
もっともその事件そのものは例によって浅見光彦の登場で割とあっさりとカタがつき、ミステリー小説に相応しい謎もトリックも殆ど見出すことなくエピローグを迎えるという、いつものペースではあるのだが、新幹線の乗入れ問題や駅再開発のニュースを目ざとく題材にしながら、終戦間際の上野駅周辺での抗争という上野裏面史を掘り下げて物語の骨子にしてしまう技術は巧みであり、何よりも、こうして上野駅について一時でも郷愁に浸らせて長々と思い出話を綴らせる力は健在で、作者得意の「旅情」の術中にはめられた読後感となった。
ただ「軽井沢のセンセ」にはあまりご登場願いたくないなというのが正直なところで、物語中に内田康夫という名前が出てくるたびに気恥ずかしくなったのは私だけではない筈なのだが。
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